デイヴィッドは本来、剣術鍛錬の相手として、ジュリアン・ケイニスを当てにしていた。長身で無愛想なウィンチェスター司教の懐刀は、唯一デイヴィッドが勝てない相手だからだ。
 ケイニス自身は、『もう体力の最盛期を過ぎているし、騎馬となればデイヴィッドには勝てない』と言っている。しかし、それは純粋な『身のこなし』の問題だと、デイヴィッドは分析している。
 『身のこなし』という点では、あるいはデイヴィッドが勝つかも知れない。しかし、ケイニスという男には、次の行動が読みきれない不思議な雰囲気があるのだ。デイヴィッドにしてみれば、大抵の戦士はある程度動きが読める。
 しかし、ケイニスだけは全く予想外の動きしかしない。デイヴィッドが相手の動きを読む場合、ほとんどその視線で判断できるが、ケイニスはまったく関係のないところに視線をおくりつつ、まったく脈絡なく腕と足が動く。
 互いは鍛錬の相手であって、無論まともな勝負をつけるつもりもないが、それでもケイニスのやる気がどこに向いているのかも分からないこの空気が、デイヴィッドの課題だった。
 なにもそんな掴み所のない相手にむきになることはなかろうと、ハルはデイヴィッドをよくからかった。それでも、デイヴィッドはいつかケイニスに本当の意味で勝ってみたいと思っている。

 ケイニスはウィンチェスター司教の右腕として忙しく、なかなかデイヴィッドの鍛錬に付き合う時間がなかった。今日はその時間が取れそうだと思って、約束を取り付けたのだが、ケイニスは現れなかった。小姓が伝言を持ってきたのだ。ケイニスは急用のため、鍛錬場には来られないという。
 代わりに、こんなに居ただろうかと思うほど、大勢の小姓、従者などの騎士見習や、すでに騎士の称号を持つ数人が、デイヴィッドとの手合わせを申し込みに来た。これも、デイヴィッドの重要な仕事だ。

 外の空気は凍てついているものの、幸い雲間から日が差してきた。はじめはマントを巻きつけたまま、試合申込者と対戦していたデイヴィッドだが、十人ほどの剣を叩き落した頃には、湯気があがりそうなくらい体が温まってきた。
 一通り練習希望者との手合わせを終えた頃、最近デイヴィッドはハルと手合わせをしていない事に気付いた。去年の秋、モンマス滞在中には集中的にお互いに鍛えたが、冬にはいっていからはハルの公務が立てこんだせいだろう、あまり鍛錬していない。
 (まずいな。)
 デイヴィッドは白い息を吐きながら思った。春になればウェイルズ方面への出陣もあるだろう。戦場でも先頭に立つハルには、常に馬術と剣術のレベルを高く保っていなければ、その身が危ない。
 無論、デイヴィッドが常にハルと行動を共にするのは、皇太子の身を守るためでもある。だからこそ、爵位や領地をもらう権利を放棄してでも、ハルの側に居るのだ。
 しかし、基本的なデイヴィッドの考えでは、ハルは自分で自分の身を守る男だった。それが出来るほどの武芸を持った男だし、それを保つための稽古相手がデイヴィッドであり、そのためにもデイヴィッドは常に無敵であろうとした。
 だからこそ、なおさらデイヴィッドはケイニスとの試合がしたかったのだが、彼が多忙とあっては仕方がない。

 休憩が終わって、志願者達がデイヴィッドにもうひと手願い出ようかとしていると、随分小さな騎士予備軍が稽古場にやってきた。
 「ごきげんよう、サー・デイヴィッド!」
 立派な挨拶をしながらトコトコと稽古場に入ってきたのは、ヘンリー・ボーフォート ― 無論、同名のウィンチェスター司教ではない ― サマーセット伯爵の長男で、去年の暮れに四歳になったばかりの幼い少年だ。ハルやその弟たちにとっては、従兄弟にあたる。風邪をひかないようにとの乳母の気遣いなのか、物凄い量の服を着込んで体が膨れ上がり、重心を取りにくいのかやや左右に体を揺らしながら、デイヴィッドにむかってテクテクと歩いてくる。
 「ヘンリー様!駄目ですよ!入っちゃいけません!危ないから!」
 向こうの方から、乳母と思しき女がドタドタと追いかけてきた。すると、幼いヘンリーはニコニコ笑いながら言い返した。
 「平気だよ、ロレッタ!僕は騎士になるんだからね。ぜんぜん平気だよ。」
 その生意気な口調が可笑しくて、デイヴィッドは思わず微笑んだ。そして周りの剣士達に道具を下ろすように指示した。
「こんにちは、ヘンリー卿。ご機嫌いかがですか?」
 デイヴィッドがそう言いながらしゃがみこむと、その前までやってきたヘンリーは両手に持ったコップを差し出した。
「元気だよ、サー・デイヴィッド。たくさんお稽古をして、疲れたでしょう?これをどうぞ。」
「これは?」
 デイヴィッドが受け取りながら尋ねると、金髪碧眼の少年は得意そうに応えた。
「さっき、ロレッタとお台所で作ったんだ。強くなれる飲み物。飲んでみて。」
 デイヴィッドがしゃがんだまま視線を上げると、乳母のロレッタがやっと稽古場に入ってきて、ヘンリーの背後でゼエゼエと息を切らしている。剣術の稽古で体が温まった剣士も顔負けのような勢いで、体から湯気を上げていた。
 「では、頂きます。」
 デイヴィッドはヘンリーから手渡されたコップを傾け、口に含んだ。その瞬間、そのすさまじい味に噴き出しそうになったが、そこは騎士の意地だ。どうにか留まって飲み込んだ。すさまじく甘いのだ。しかも、何かの薬草を混ぜたようで、変な苦味が舌に残り、怪しい臭いまでする。
 「どう?美味しい?サー・デイヴィッドのために、特別に蜂蜜を分けてもらって、ぼくは舐めるのを我慢したんだよ。それに、色々な薬草も入れたんだ。強くなったり、元気になったり、怪我が早く治ったりするんだよ。」
 ヘンリーは目を輝かせてデイヴィッドの顔を見ている。道理で、凄まじい味がするわけだ。しかしデイヴィッドはそれをおくびにも出さずに微笑んだ。
 「強くなれそうな味がしますよ。ありがとう、ヘンリー卿。」
 デイヴィッドはそう言いながらコップを乳母のロレッタに手渡した。乳母は声は出さず、口の動きだけで何度も謝っている。デイヴィッドは気にしないようにと言う風に微笑み、両手でヘンリーを抱き上げながら立った。
 「おや、ヘンリー卿。また重くなりましたね。」
「背も伸びたよ、サー・デイヴィッド。だから、ぼくをお小姓にしてくれる?」
「お小姓になるには、まだ早いですよ。」
「そうかな。ロレッタも母上様もそう言うんだ。でも、ぼくはもうお小姓だって、従者だってできるよ。ぼく、お小姓になるなら、サー・デイヴィッドのお小姓がいいな。父上様にサー・デイヴィッドからお願いしてよ。」
 手を休めている剣士たちは、そんな幼いヘンリーをニコニコしながら眺めている。デイヴィッドも、自分がこれくらいの年のころ、兄に小姓にしてくれとせがんだ事を思い出した。すると、ヘンリーはデイヴィッドの耳に口を寄せて、囁いた。
 「それにさ、デイヴィッド。今日ジェーンが来るんだよ。」
 デイヴィッドは驚いて、表情から笑みが抜け落ちた。
「もう来ていますよ。」
「えっ?本当?!」
 ヘンリーは驚いて、デイヴィッドの腕から飛び降りた。そしてロレッタの服の裾をつかんだ。
「ジェニーは、もう来ているんだって!迎えに行くって言ったのに、どうして知らせてくれないんだよ!」
 ロレッタは慌ててヘンリーをたしなめた。
「ヘンリー様!このお話は内緒にしなさいと、お父上様に言われたでしょう?」
 しかし、ヘンリーは乳母の言う事など全く聞いていない。すぐにデイヴィッドに向き直ると、挑むような口調でまくし立てた。
「ねぇ、サー・デイヴィッド。ジェニーはいつこちらに着いたの?今、どこに居る?ぼく、ジェニーにサー・デイヴィッドのお小姓にしてもらう、って言っていい?背比べするんだ。ぼくの方が大きいよね?ジェニーは女の子だし、ぼくより小さいんだから…」
 ここまで聞いてやっと、デイヴィッドは『ジェーン違い』である事を悟った。成人女性の中でも長身な方に数えられるジェーン・フェンダーが、この四歳児と背比べをするはずがない。
 それと同時に、デイヴィッドは『もう一人のジェーン』がロンドンに向かっている事を知った。サマーセット伯爵が幼い息子に口止めをしたと言う。ロレッタの困りきった表情からも、実際それは内密だった事が読み取れた。
 デイヴィッドは再びしゃがみこむと、ヘンリーの両肩を掴んで、声を低くした。
「ヘンリー卿。私が申し上げたジェーンは、ダルシーのレディ・ジェーンです。どうやら、ヘンリー卿のジェーンとは別の人ですね。」
「べつ?」
 ヘンリーはきょとんとして口をあけた。デイヴィッドの言う事がよく理解できなかったのだろう。デイヴィッドはそのまま続けた。
「ええ、別です。ヘンリー卿のジェニーの事は、秘密だったのではありませんか?父上様からそういわれたのでしょう?」
「そうだったね。」
 ヘンリーは困ったような表情になって、窺うようにデイヴィッドを見た。
「秘密だった。サー・デイヴィッド、秘密にしておいてくれる?」
「もちろん。」
「王子様にも?」
「ええ。私は騎士ですから。」
「ありがとう!」
 ヘンリーはパッと顔を赤らめて、笑った。
「さぁ、ヘンリー卿。外は冷えますから。ロレッタと一緒にお戻りなさい。」
「もっと見ていたいな。」
 立ち上がるデイヴィッドを見上げながらヘンリーが口を尖らせると、ロレッタがたしなめた。
「いけませんよ、ヘンリー様。もう十分見せていただいたでしょう?みなさんのご迷惑になりますから、入りましょう。母上様がお待ちですよ。もうじきお屋敷へ出発する時間です。」
 ヘンリーは尚も不満そうな顔をしていたが、
「大人の言いつけはきちんと守らないと、良い騎士にはなれませんよ。」
とデイヴィッドに言われては、諦めるしかない。ヘンリーはしぶしぶ頷き、
「それでは、サー・デイヴィッド、ごきげんよう。」
と、大人びた挨拶をして、ロレッタに手を取られて稽古場から出て行った。

 デイヴィッドはその後ろ姿をしばらく眺めていたが、すぐに手合わせを願う声で、我に返った。休憩で冷えてしまった体を、もう一度温めようと、小姓や従者達が、順番を待っている。
 デイヴィッドはチャペルの鐘の音に耳を傾けて時刻を確認すると、もう少し稽古に付き合うことにした。
 (今晩のサマーセット伯爵家は、一族勢ぞろいの宴になるな。)
 デイヴィッドは心の中でつぶやいた。
 ウィンチェスター司教の娘ジェニー・ボーフォートがサマーセットシャーの修道院から、ロンドンの伯爵の屋敷にやってくるとなれば、盛大な宴となるだろう。さっき、執務室で不機嫌になったウィンチェスター司教も、今夜には愛娘の顔を見て機嫌を直すだろう。



 → 7.ジョン王子の有名な秘密計画が、危機に瀕する事
6.デイヴィッド・ギブスンに貴公子が贈り物を届ける事
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  複合的な家庭の事情
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