朝のウェストミンスター宮殿。王妃の間に続く控え室で、デイは自分の「デイ」という呼ばれ方について、考えていた。自分ではあまり満足していないのだ。どうも女性のファースト・ネームには思えない。まるでファミリー・ネームか、レンガ職人の弟子みたいな名前だ。本当はデイジーという可愛らしい名前なのだから、そのように呼んでもらいたいのだが、故郷に居る両親も、兄弟も、親戚も、友達も、そして彼女が侍女として仕えている女主人も、当たり前のように「デイ」と呼ぶのだ。
(どこかの素敵な騎士様に見初められて、結婚したらどうなるの?)
 デイは心の中で呟いた。そして、声に出してみた。
「レディ・デイ…」
やっぱりしっくり来ない。
「ねぇ、私の事はデイジーって呼んでね。」
 ウェストミンスター宮殿の控え室で、同じ職業 ― つまり貴婦人の侍女をしている同僚たちをつかまてそう頼んでも、彼女たちは笑ってこう返した。
「あら、デイって呼ばれているじゃない。素敵よ。似合っていて。」
 本心から言っているのだろうか。彼女たちは朗らかに笑っている。デイは用心深くなっていた。ここはロンドンだ。王都ロンドン。素朴で正直者しか居ないダルシーとは違う。
 デイは心に決めていた。この腹の黒そうな女たちの巣窟で、自分の女主人を全力で守り通し、なおかつ全ての人に自分を「デイジー」と呼ばせてやると…
 彼女は丸々と太った体をしゃんと伸ばし、気合を入れなおした。すると、また別の侍女が話しかけてくる。デイの女主人の事を聞き出そうとしているのだろう。しかしデイは、騎士に見初められる可能性について思いを馳せていた。
 例えば、夜明け前のあの騒ぎ ― 集団で強盗が入った宿屋に、二人の若者が剣を持って助けに来てくれたが、あれは騎士ではないのか?なかなか立派な立ち居振る舞いだったし、加勢に来た警備団もあの若者の指示に従っていた。
(でも、違うわね。)
 デイは首を振った。デイは気づかなかったが、その時隣りに座って話しかけていたエリスという名前の侍女は、
「あなたのレディって、お美しいわね。」
と言った所だったのだ。首を振ったデイにエリスは驚き、新入りはかなり変わっているぞと同僚と言い合っていた。
(あんな街中に、騎士様が住んでいるはずもないし…それに、二人居たはずなのに、いつのまにか一人になってしまっていたわ。)
 いつの間にか二人が一人になってしまっていた原因は、デイの女主人にあったのだが。

 「緊張している?」
王妃との謁見の間で、紹介役を務めるリース卿夫人が、振り返って尋ねた。
「いいえ、大丈夫です。」
 ダルシーのジェーン・フェンダーは落ち着いた声で答えた。
「緊張しなくて大丈夫、レディ・ジェーン。王妃様はとても気さくな方だから。あなたが来るのをとても楽しみになさっていたのよ。それにね、とても茶目っ気があって、お優しい方でもあるし。」
 王妃のお出ましを待つ謁見の間に、笑いが広がった。美しく着飾った ― と言っても、ジェーンが子供の頃におとぎ話に聞かされた物語から想像したほどでもない程度だったが ― 貴婦人たちは、それぞれの個性的な笑顔で頷いてみせる。見回したところ、およそ三十代以上の女性が多く、既婚者ばかりだろう。ジェーンのように若く、未婚の女性はほかに一人しか見出せない。
 王妃のコンパニオン(話し相手)として伺候するために、ダルシーから来たジェーン・フェンダーは、意外な思いをしていた。とにかくロンドンの王宮と、そこに集う女たちは、何か恐ろしい存在のように、様々な人に言われ続けたのだ。侍女のデイなど、ロンドンに行ったことなど一度もないくせに、いかにも宮廷の女性たちの間にには権謀術数が渦巻き、一つの言葉、仕草が身の破滅を招くような恐ろしい所だと物語るのだ。
 ダルシーの領民たちも、自分たちのお姫様がロンドンの宮廷に伺候すると聞いてひどく心配した。母親がリース卿夫人に紹介の手紙こそ書いたものの、ジェーンの知り合いが居るわけでもない ― いや、実際には居るのだが、それは女性たちではなかった。
 とにかく、いざロンドンに到着して宮廷の女たちに紹介されてみると、意外とのんびりしたもので、気を張っているのが馬鹿馬鹿しくも思える。宮殿にくる前、早朝に宿泊先で起こった強盗騒動のほうが、余程緊張した。
夜明け前の強盗騒ぎは、警備隊の到着と強盗の逮捕で落着した。ジェーンはレディという身分もあって、引き止められることなくすぐに宮殿に向かったので、騒ぎの後始末がどうなったのかは分らない。
 とにかく、ジェーンは自分に油断するなと言い聞かせていた。
 その時、やっと王妃のお出ましを告げる声がした。婦人たちは一斉に膝を折る。そして侍女を連れた王妃 ― ジョアン・オブ・ナヴァールが姿を現した。
「おはよう、みなさん。」
 低い、まるで修道院長のような声だった。別にもったいぶるでもなく、気さくなわけでもなく、言うなれば掴み所が無い。ジェーンがそんな感想を持っている間にも、リース卿夫人は、さっそく王妃にジェーンを紹介していた。
「おはようございます。王妃様。今朝、とうとうダルシーのジェーン・フェンダーが到着いたしました。」
 あとは型どおりの紹介だ。ジェーンの父、母、領地、未婚の女子相続人という現在の身分、そして婚約者は居ないという事、この度は王妃のコンパニオンとして伺候したということ ― リース卿夫人が一通り喋ると、ジェーンは王妃の前に進み出て、その手を取り礼を尽くした挨拶をした。
「ジェーン・フェンダーです。どうぞ、よろしく。」
 王妃は頷いて見せた。しかし笑っては見せない。
「長旅、疲れたでしょう。ゆっくりお休みなさいと言いたいですが、今はそうも行きません。もうすぐ聖マリアお清めの祝日の礼拝が始まるので、アビーへ移動せねば。」
 ジェーンは少し安心した。王妃は適当なお世辞や、ありきたりな言葉で時間を浪費する性質ではないらしい。実際的なのだ。ジェーンにとってみると、こういう人間の方が付き合いやすい。
 侍女や、他のコンパニオン、貴婦人たちもその辺りは慣れている様で、確かにそうだという風に頷いた。そして王妃が続ける。
「レディ・ジェーンには、後でゆっくり宮廷のみなさんをご紹介しなきゃなりませんが、とりあえず今は…マーゴ。」
 女性たちの中の一人が、王妃に呼ばれてジェーンの隣りに進み出た。未婚女性と見た一人である。
「あなたを、レディ・ジェーンの案内役にしますから。アビーへも一緒にいらっしゃい。ただ、貴賓席に同席はしなくて結構。」
王妃は短い言葉で指示をすると、すぐに席を立ち、部屋から出て行く。ジェーンは少々あっけに取られたが、婦人たちはニコニコして頷きながら、王妃に続いた。礼拝に向かうのだ。

 若いジェーンとマーゴと呼ばれた若い貴婦人が最後に残った。マーゴは他の女性たちが出て行くのを確認すると、素早くジェーンの方に顔を向けて、目をクルクルさせながら喋り始めた。燃えるような赤毛で、瞳の色も明るい。少し頬にそばかすがあるが、好奇心旺盛で、元気な娘という印象だ。
「よろしくね、レディ・ジェーン。ジェーンって呼んでも良いわよね?十八でしょう?私も今年十八になるわ。ありがとう、私の事はマーゴで良いの。ええ、無論本名はマーガレット。後で、侍女のエリスにも紹介するわね。
 良かった、貴賓席を免除されるなんて幸運よ、ジェーン。本当に良く来てくれたわ。私、心待ちにしていたのだから。コンパニオンの中で若いのは私だけになってしまって、この一ヶ月、退屈で死にそうだったもの。先月、あなたが来るって聞いてから本当に待ち遠しくて…ああ、行かなきゃね。」
 マーゴはジェーンの腕を取って、歩き始めた。王妃の居室を中心に、宮廷で生活する女性たちの住居エリアがあり、回廊を通って表へ通じている。ウエストミンスター・アビーは馬で移動するほどの距離ではないし、今朝は天気も悪くないので、一行は徒歩で移動するらしかった。

 まず、王妃と侍女、数人の貴婦人たちは国王一家を合流するようだった。マーゴとジェーンは、それを遠巻きにしながら礼拝に向かう一行の最後尾に付き、アビーへ向かった。
 アビーへ向かう道すがらも、マーゴは楽しげにしゃべり続けた。とにかく屈託のない様子で、ジェーンがいささか呆然としている事にも、頓着していない。
 「まず、自己紹介からね。私はマーガレット・ウィリア。ブルーゾのジョン・ウィリアの次女。こちらには、一昨年から伺候しているの。一応婚約者が居たんだけど、戦死しちゃったのよ。会った事もないから、別に悲しくはないけど、縁組は振り出しに戻ってしまって、両親がどうせなら花婿探しをロンドンでって言うので、伺候したわけ。
 ジェーン、あなたもでしょう?もうすっかり噂よ。ダルシーって大きな領地なんでしょう?その女子相続人だなんて、花婿候補がわんさと居るでしょうね。」
「でも、まだ一人も決まっていないわ。」
 ジェーンがやっと一言返すと、マーゴはケラケラ笑い出した。前を行く貴婦人や騎士が振り返って少し顔をしかめたが、マーゴは気にも留めない。
「決まっていないから、面白くなるんじゃない!ねぇ、ジェーンとしてはどんな殿方が好みなの?私は絶対に背が高くて、優雅な感じで、衣装の趣味が良くて、詩の心がある方が良いわね…でも、父はそんなフランスかぶれな男は嫌だ、って喚くの。それに領地も沢山なきゃって…そりゃ、私には土地が無いから…その点、あなたは違うわ。」
「別に…お婿さん探しはそれほど…」
「何言っているのよ。あなたは強気に出なきゃ!…あら、もう着いちゃったわ。」
 マーゴの言ったとおり、王妃と国王を先頭にした行列は荘厳なウェストミンスター・アビー『聖域』にさしかかっていた。そろそろ冬の弱々しい太陽も昇り、あたりは明るくなり始めている。

 礼拝に参加する貴人たちに続いて暗いアビー内に入ると、マーゴが小さな声でささやいた。
「さ、上に回りましょう。」
 マーゴはまたジェーンの袖を引き、貴族たちの列から離れて聖堂の右側廊から、小さな扉をひらいて階段を上り始めた。これが、貴賓席を免除されているという事らしい。
 上の方には、聖堂の中心部を囲むように二階席がしつらえられ、聖歌を歌う修道僧や灯りを点す寺男たちが持ち場について礼拝の準備を進めていた。マーゴは慣れた足取りでどんどん歩いてゆき、丁度貴賓席の上の席に陣取った。
「ほら、ここからなら良く見えるわ。」
 マーゴは姿勢を低くして、列柱の間から下を覗き込むように促した。下には、聖マリアお清めの祝日の礼拝に集う貴族たちが続々と集まりつつある。ここからなら、宮廷に集う人々を観察するのに苦労はないだろう。マーゴは貴賓席の上席から説明し始めた。
 「王妃様はもう、わかるわよね。その前が国王陛下。具合がお悪いって聞いていたけど、今日はお元気みたいね。それから、右斜め後ろが、サマーセット伯爵。伯爵もご病気だったけど、もうよろしいみたい。でも、。お痩せになったかしら。弟のサー・トマスはずっとウェイルズに出陣したままなのよ。」
 ジェーンは身を乗り出した。サマーセット伯爵とは、秋にモンマスで対面している。彼の隣りの貴婦人は、きっと夫人だろう。小さな少年が乳母に付き添われて参列しているので、伯爵の息子らしい。それから、伯爵の後ろにやはりジェーンの知った顔があった。
 「あの金髪がかった髪の王子様が、ジョン様。お背は低いけど、可愛いわよ。ただ、皇太子殿下命で、女性にはあまり心を動かされないみたいね。あ、ハンフリー王子もいらしているわ。ずっとオックスフォードにいらしたのに、珍しいこと。まだお若いけど、かなりの女ったらしだから、気をつけた方が良いわよ。ああ、次男のトマス様もいらした。ほら、今国王陛下にご挨拶なさっている。あの方は一番王子様らしい王子様ね。でも、意中の女性がいらっしゃるっていうのが、もっぱらの噂。どうかしら…」
 マーゴの説明には偏りがあった。とにかく結婚相手としてはどうかという話しかしていない。ジェーンもさすがに王子と結婚するのは現実的ではないと感じていた。
 「今日の顔ぶれは豪華ね。ほら、アランデル伯爵夫妻がいらっしゃるわ。」
 マーゴが示したのは、若い貴族の夫婦だ。身なりも王族にも劣らないような立派なもので、多くの貴人たちが挨拶する。
 「さすがね、カンタベリー大司教様のご実家がアランデル伯爵家だって言うのは知っているでしょう?王子様たちも丁寧にご挨拶をなさっているわ。…あッ、やっと皇太子殿下がいらしたわ。遅刻だなんて、相変わらずね。」
 マーゴはクスクス笑いながら言った。ジェーンが首をめぐらすと、自分とマーゴが居る二階の回廊の真下から、小走りに若い王子が姿を現したのだ。一緒に立派な身なりの聖職者も入ってくる。王子の方は無論、ジェーンにとってはお馴染み、ハルの顔だった。
 「一緒にいらしたのが、ウィンチェスター司教様。国王陛下の弟君。今は大法官でもあるわ。ほら、祭壇の方へいらした。
 皇太子殿下、今やっと陛下と王妃様にご挨拶なさったみたいね。今朝も外泊だったのかしら?皇太子殿下はそりゃもう型破りな方だけど、とにかく人気者よ。女性にもね。でも、結婚についてはあまりロマンチックな考えはお持ちじゃないみたい。きっとイングランド人は眼中にないでしょうね。どんな大きな領土を持っていても…あら?おかしいわね。」
 マーゴは貴賓席の隅から隅までを見回して、首をひねった。
「サー・デイヴィッドの姿が見えないわ。皇太子殿下がいらっしゃる所には、かならずお姿があるはずなのに…変ね、貴賓席は遠慮しているのかしら?
 もちろん、サー・デイヴィッドもお勧めよ。そりゃ、結婚するとなると皇太子殿下を敵に回す覚悟が要るけど…ああ、騎士としてお勧めっていう意味。土地はお持ちじゃないから、その点は忘れないで。もちろん知ってるわよ、去年…」
 ここでマーゴのお喋りはさえぎられたが、実のところ、マーゴの解説がなくても、ジェーンにはデイヴィッドが不在の理由が分かっていた。

 祭壇にウェストミンスター・アビーの修道院長が姿を現し、礼拝の儀式が始まった。さらに、今日の礼拝には、カンタベリーから大司教が来ている。その姿は一際立派で、威厳に満ちていた。
 マーゴはジェーンという話し相手が出来たのが、よほど嬉しかったらしい。礼拝の間、好機と見るとすぐにジェーンの耳元に口を寄せて、下に集う貴族たちを一生懸命解説し続けた。
 「それで、ジェーンのお婿さんの条件はどうなの?やっぱり爵位?アランデル伯爵には弟がいらっしゃるけど、まだまだお小さいから、駄目かしら…領地の広さも大事よね…ああ、でもサー・デイヴィッドは…」
 マーゴはジェーンの顔をみて意味ありげに笑っている。
「さっき言いかけたけど、あなたとサー・デイヴィッドの話。有名よ、モンマスでお会いしたんでしょう?」
「去年の秋。」
 ジェーンは素っ気無く答えた。遠いモンマスでの出来事なのに、どうしてこのロンドンの宮廷で有名なのだろうか。その答えは、マーゴが簡単に教えてくれた。
「そうそう、ジョン様からハンフリー様に話が伝われば、あとは一気に話は広まるから。ねぇ、ジェーン。実際のところ、サー・デイヴィッドとはどうなの?素敵な展開とかあるの?」
「ありません。」
 ジェーンは背後の聖歌隊の存在が気が気ではない。一生懸命に声を潜めながら答えると、マーゴは屈託無くまた喋り始めた。
「あら残念。つまり、強盗に襲われたジェーンと、叔父様と花嫁の一行を、サー・デイヴィッドが助けてくださったのに、あなたが逆に大怪我させた、ってそれだけね?せっかく昔話に出てくる『ナイトとレディ』みたいな素敵な機会だったのに、大失敗じゃない?そこは弱々しく地にへたりこんだレディを、ナイトが優しく抱き起こすべきでしょ。
 ああ、私がその場に居たら、もう一度やり直しを要求するわね。第一、サー・デイヴィッドが誰かに怪我を負わされるなんてこと自体、とんでもない珍事だわ。とにかく、そういう馬鹿みたいな出会いも一応出会いだから、数には入れないと…。だって、私の大叔母様なんて初めて婚約者に会った時、へべれけに酔っ払って、婚約者の上に従者を投げ落として…ええと、何の話だったかしら。
 そうそう、お婿さんの条件。爵位と領地だけど。私の父なんかは、爵位はどうでも良いからとにかく領地だ、って言うのよ。まぁ一理あるわね。それでサー・デイヴィッドは…まぁ、無愛想ではあるけど、そこが格好良いし、騎士としては申し分ない評判だし、第一皇太子殿下の大親友だけど…爵位と領地は絶望的ね。こればっかりはどうしょうも無いわ。」
「絶望って事はないでしょう?」
 思わず、ジェーンは聞き返してしまった。聖歌隊の何人かがしかめっ面をしている。改めて、声を小さくしてマーゴに言った。
「そりゃ、セグゼスター伯爵の六男だから相続としては爵位も領地も無理だけど、信任があれだけ厚くて、武勇の誉れ高い方なら、国王陛下や皇太子殿下から頂けるでしょう?絶望って事は…」
「あら、法律で駄目って事になっているのよ。それにサー・デイヴィッドの場合…」
「法律?」
 ジェーンは驚いてマーゴの腕を掴んだ。
「法律って何?」
「あらいやだ、ダルシーの女子相続人でしょう?法律っていうのはね、この国の決まり、破ってはいけない約束のこと。」
「そんな事は分かってる。サー・デイヴィッドに関する法律って何かと訊いてるの。」
「さぁ…」
マーゴは初めて口ごもった。
「私も詳しい事は知らないけど、とにかくサー・デイヴィッドは王様からご褒美をもらってはいけない、っていう法律があるのよ。議会で承認されたはず。」
「議会で…」
 ジェーンは驚きのあまり、その後もマーゴが色々喋っていることが耳に入らなかった。
「それにね、ジェーン。サー・デイヴィッドを夫にしようなんて思ったら、皇太子殿下を敵に回す恐れがあるわよ。何せ、婚約していたことさえあるんだから。それに…」
 マーゴは構わず喋り続け、眼下では礼拝が続いていた。ジェーンはマーゴの言った『法律』というものについて、頭の中であれこれと考え始めていた。

 礼拝が終了し、貴賓席の国王からウェストミンスター・アビーから退出していく。ウィンチェスター司教は、国王に挨拶すると、貴賓席に入ってきてハルを捕まえた。
「さっきの話の続きだが、今朝なにがあったって?」
「強盗騒ぎですよ。」
 ハルは挨拶をする貴族たちに合図しながら、叔父には何でも無さそうな様子でそう答えた。
「お前、大丈夫なのか。」
「ホワイト・ウィージルに入ったわけじゃありません。ストランドの宿屋に入ったんです。夜明け前に。」
「ストランドの騒ぎに、どうしてお前が巻き込まれるんだ。」
 ウィンチェスター司教も挨拶を交わしながら、低く厳しい声で甥に問いただした。
「賊が入ってから、助けに駆けつけたんですよ。私は賊を捕まえる方。別に巻き込まれた訳じゃない。」
「じゃぁ、どうしてデイヴィッドが居ないんだ。あいつはどこに…」
「ここに。」
 いささかギョっとしながら司教が振り返ると、いつの間にかデイヴィッドがいつもの仏頂面で ― いや、いつもよりいくらか程度のきつい仏頂面で立っていた。先に退出していく国王夫妻や、サマーセット伯爵、そして王子たち、アランデル伯爵夫妻に会釈をしている。
「お前、どこに居たんだ?それに・・・その顔、どうした。」
 デイヴィッドは埃だらけの衣服で、しかも両頬骨のところに大きな擦り傷を作っている。
「今、やっとここに来たばかりです。この顔の傷の話はしないでください。強盗を捕らえに行ったのに、勘違いした泊り客のせいで、誤認逮捕されたんですよ。釈放されるのにひどく時間がかかりましてね。ハルは俺を置き去りにしてさっさと宮殿に帰ってしまい…」
「仕方ないだろ、何の手続きも無しに釈放させるわけに行かないんだから。皇太子が今日のミサに遅れるのは、更に許されないし。身分を明かすものを身に着けないお前が悪いんだぞ。」
 ハルが言い訳をしても、デイヴィッドの仏頂面が緩和するわけではない。
「とにかく、礼拝中は、ずっと後ろにいました。」
「まぁいい。」
 ウィンチェスター司教は呆れたように手を振った。
「二人とも、一緒に私の執務室に来い。報告が来ているから、一緒に聞こう。」
 司教は二人を外へ促した。


 →4.高貴な聖職者の関係について、少々説明を要するくだりのため、読者は忍耐を要する

3.神聖なるミサが、人物紹介の恰好の舞台となる事
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


  複合的な家庭の事情
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