ジェーン・フェンダーは馬車でサマーセット伯爵の邸宅を目指していた。急に馬車を出させるなど出来る相談ではないが、そこはジョン王子の働きで御者と馬、車を仕立てたのである。
 もっとも、ジョンも急にレディが馬車を用意してくれと言い出したことには、たいそう面食らった。事は急を要するということは分かったが、その詳細をジェーンは決して話さない。ジョンは騎士道にのっとって、ジェーンの代わりに自分が立ち働こうと申し出たが、これまたジェーンに却下されてしまった。結局ジョンはジェーンに請われるまま、厩舎に連絡して、彼女が必要とするものを揃え、半ば呆然としながらウェストミンスター宮殿に残った。
 マーゴとエリスも興味津々で一緒に行きたいと言い張ったが、ジェーンはそれも許可できなかった。マーゴは、紹介状も紹介者もなしに伯爵家に乗り込む方が無茶だと、至極当然の事を言った。
 しかし、ジェーンは去年の秋に、モンマスでサマーセット伯爵と会っている。伯爵も滞在しているはずなのだから、その線でどうにかなるだろうと、腹をくくり、マーゴの同行は断った。
 かくして、ジェーンは侍女のデイと共に馬車に乗り込み、サマーセット伯爵家にかけつけた。

 何の前触れもなしに、女性がサマーセット伯爵家に馬車でやってくるというのは、伯爵家の取り次ぎにとっても驚きだった。しかし馬車と御者は間違いなく王宮の手配だし、訪ねてきたレディも若いがきちんとした身なりに、きちんとした話し方をして、侍女もちゃんと連れている。怪しんで無碍に追い返すわけにも行かなかった。
 とりあえず屋敷の玄関ホールで、取り次ぎはジェーンに頭を下げ、ジェーンはサマーセット伯爵との面会を申し出た。当然、取り次ぎは再度驚いた。
 「申し訳ございません。伯爵はただ今不在でございます。宮殿からこちらにお越しになるのは、夕方過ぎと聞いておりますので。」
「それでは、伯爵夫人に取り次いでください。」
 ジェーンはあせる気持ちを抑えながら言った。しかし取り次ぎも当惑している。
「あの、フェンダー様は伯爵夫人とは…」
「お会いした事はありませんが、伯爵と去年の秋にお会いしております。無理を言って申し訳ないのですが、お願いします。急ぐのです。」
 相手は伯爵の家人とはいえ使用人だ。ジェーンはもっと強く出ても構わないのだが、そうするとあせる気持ちがさらに昂ぶってしまいそうなのだ。取り次ぎはまた当惑顔で答えた。
「ええ、お取り次ぎしたいのですが…生憎、本日は一族がお集まりになる大事な日で、夫人はお忙しく…」
「お願い、とても大事なことなの。」
 ジェーンは我慢できずに、ダルシーの領民達に話し掛けるように言った。
「事情は説明できないけど、とても重大なこと。そうでなければ、紹介状もなしに一人でお屋敷に乗り込んで来るわけがないでしょう?奥様が駄目ならその…コンパニオンか、秘書か…」
 ジェーンはヘンリー坊や本人か、その乳母に会わせて欲しかったが、それを口にしたら秘密が明るみになる恐れがある。今、この秘密を知っているのは自分とデイ、ジョン王子と、マーゴ,エリスだけなのだ。ジェーンは言葉に詰まってしまい、唇をかんだ。取り次ぎは益々困った顔になった。
 「あの、こんなホールでお風邪を召しては大変ですから、とりあえず控えの間へお通り下さい。それから…」
 ジェーンはもう一度、急ぐ、伯爵夫人に会わせてくれと訴えようと口を開いた。ところが、声が発せられる直前に、背後の扉がすごい勢いで開き、騒々しく人が入ってきたのだ。外側から、伯爵家の従僕が四頭分の手綱を取り、大混乱になりつつも、職務を遂行するべくホールに向かって叫んだ。
「皇太子殿下と、サー・デイヴィッドです!」
 彼らがあまりにも凄い勢いで飛び込んできたので、ジェーンは思わず飛び下がってよけ、それにぶつかったデイは無様にも床にひっくりかえった。しかも、入ってきたのは二人の貴族だけではなく、抜きん出て背の高い髭を生やした男と、巨大な瞳を見開き、顔を紅潮させた若い男も一緒だ。ケイニスとレオンは、ハルとデイヴィッドの従者と判断されたのだろう。
 呆れる取り次ぎに、ハルが青い顔をして詰め寄った。
「挨拶はするな。サマーセット伯爵に会わせろ。」
 サマーセット伯爵家の家人は、主人の甥であるハルの突然の訪問や、突拍子もない行動には慣れている。
「まだ、宮殿ですよ殿下。いらっしゃるのは夕方過ぎで…殿下とサー・デイヴィッドも今夜のお客様でしたか?」
「ちがう。ええと、そうだ。伯爵夫人に会わせてくれ。急ぐんだ。いいか、これはイングランドの危機だぞ。」
 ハルの奇怪な言動には慣れている取り次ぎだが、今日の皇太子は様子が違う。青い顔をして、いつもの笑みが消え、強張った顔をしている。一方デイヴィッドの方は、通常どおりの仏頂面で、いかにも『早くしろ』と言いたげに睨んでいる。
「分かりました、すぐに夫人にご来訪をお知らせしますので、少々お待ちください。」
 取り次ぎはハルの様子に気圧されたのか、ジェーンが居る事を忘れたかのように、オタオタとホールから退出して行った。それと同時に、ジェーンがデイヴィッドに向かって言った。
 「ちょうど良かった、私も一緒に伯爵夫人に会わせて頂戴。」
 四人の男はジェーンと、よろよろと立ち上がったデイの存在に、初めて気付いた。彼らはしばらくジェーンの難しい顔を見つめていたが、やがて顔を見合わせ、結局は仕方無くデイヴィッドが口を開いた。
「こんにちは、レディ・ジェーン。ここで何を?」
「伯爵に面会したかったのだけど、まだ宮殿にいらっしゃるとかで、伯爵夫人に取り次いでもらおうとしていたところ。」
「急には無理だ。今日はここでボーフォート家の大事な宴があるのだから、夫人は準備で大わらわのはずだ。」
「でも、皇太子殿下の威光で取り次いでいただきたいの。」
「こっちは重大且つ重要な緊急事態だ。」
 ジェーンは言葉に詰まって、眉を寄せた。デイヴィッドは首をかしげた。
「一体、どうしたんだ?本当にきみが伯爵に用があるとは、思えないが…」
 こうなったら、デイヴィッドを信用するしかない。ジェーンは心を決めて、デイヴィッドに耳を貸すように合図し、小さな声で囁いた。
「ヘンリー様に内密でお会いしたいのよ。」
「ここに居るぜ。」
「皇太子殿下じゃなくて!」
「司教はがここに来るのは夜だ。」
「そうじゃなくて、サマーセット伯爵のご子息に会いたいの!」
「ヘンリーに?」
「ヘンリーに!」
 もう内緒話どころではない。デイヴィッドとハルは顔を見合わせた。ハルは黙って首をかしげている。デイヴィッドは細かく頷くと、ジェーンに向き直った。
「なんだ、それならそうと最初から言えば良いのに。ヘンリーならたぶん、裏手に野原か、小川で遊んでいるだろう。」
「どうして知っているの?」
 ジェーンが訝しげに聞き返すと、デイヴィッドはなんでも無さそうに返した。
「俺もハルと同じくこの屋敷の常連だからな。ヘンリーのお気に入りの遊び場は知っているし、日によっては今頃の時間に用水路の水量調整で小川から小さな放水があることも知っている。ヘンリーは放水を見るのがお気に入りだ。もちろん、乳母のロレッタが一緒だろう。」
「どこ?」
「出て、左側の生垣沿いにすすんで、チャペルが見えるから、その裏が丘になっていて、下ると広い野原。東屋の側に小川がある…」
 デイヴィッドが言い終わらないうちに、ジェーンはグルリとハルに向き直り、目にも止まらぬ早業で膝を曲げると、すごい勢いでホールから外に飛び出した。デイも慌ててハルとデイヴィッドに礼をすると、主人を追って出て行った。
「なんだ、あれ。」
 デイヴィッドが呆れてハルに言うと、ハルは黙っている。デイヴィッドは変なことに気付いた。
「ハル、気分でも悪いのか?」
「悪くない。どうして?」
「悪そうだ。」
「そうか?」
 ハルがケイニスとレオンに向き直ったとき、取り次ぎが戻ってきて呼びかけた。
「お待たせしました、殿下。伯爵夫人がお会いになるそうです。」
「分かった。」
 ハルは取り次ぎにマントを渡し、奥へ進んでいく。デイヴィッドがそれに続く前に、ケイニスとレオンに言い残した。
「控えの間で待っていてくれ。」
「はぁい。」
 レオンが気楽そうに返事をし、ケイニスは黙ったままだった。

 丸々と太っているせいで足の遅い侍女を引き離しつつ、ジェーンは全速力でチャペルの裏手へまわり、素晴らしい身のこなしで丘を駆け下りた。背後でデイが足を取られ、ゴロゴロ転がる気配がするが、構ってはいられない。太陽はもうじき傾こうとしていたが、冬のこの時期にしては珍しく空は晴れ渡り、まだ明るく、すこし暖かくなってきた。
 ジェーンの視界に東屋が現れると、同時に二人の子供の笑い声が聞こえてきた。それは、東屋の外で、石飛びをしながら遊ぶ小さな男の子と、女の子の声だ。彼らは走ってくるジェーンに気付き、更にその背後で転がっているデイを見て大声で笑い出した。すると東屋の陰から、成人女性が二人出てきて、何事かと目を凝らした。ジェーンはそれが、子供たちの乳母だと即座に判断した。
 ジェーンは走るのをやめ、息を整えながら乳母たちの前に進んでいった。どうにかして上手く名乗ろうとしたが、さすがに息があがっている。怪訝な顔をした乳母たちは、とりあえず外見からジェーンをレディと判断したらしく、軽く膝を折って挨拶をした。すると、乳母のうちの一人 ― 即ちヘンリー・ボーフォートの乳母ロレッタが声を上げた。
 「あら、デイさんじゃありませんか。」
「こ、こんにちは…」
 デイは体中に枯れ草をこびりつかせ、ヒューヒューと息を切らしながら、かろうじて言葉を発した。女主人の足元にぶつかってやっと止まり、目を回したまま座り込んでいる。それでも、侍女としての職務を果たすべく、聞き覚えのある声の乳母にむかって挨拶をした。
「さきほどは…どうも…ええ…お嬢様、こちらは、ヘンリー様の乳母のロレッタ。あの…こちらが、ダルシーのレディ・ジェーン・フェンダーです…」
「まぁ!」
 乳母は改めてジェーンに挨拶し、腰を落とした。そして、それぞれ世話をしている高貴な子供たちを紹介した。まず、ロレッタが興味津々といった表情の少年を紹介した。
「ヘンリー様、こちらはレディ・ジェーン・フェンダー様。王妃さまのお話し相手をお勤めの方ですよ。ご挨拶して。」
「ごきげんよう、レディ。」
 ヘンリーは行儀良く挨拶した。ジェーンも挨拶を返し、少年の顔をじっとみた。この少年こそ、目指す相手だ。今度は、少女の方の乳母が口を開いた。
「ジェニー様、ご挨拶なさって。フェンダー様、こちらはジェーン・ボーフォート様。みな、ジェニーとお呼びしております。」
「ごきげんよう。」
 ジェーンが同じ名前の少女に言うと、彼女はヘンリーの背中に隠れ、恥ずかしそうにしている。代わりにヘンリーが、騎士道精神を発揮した。
「ジェニーは、僕の従妹なんだ。今日、修道院からロンドンに遊びに来たんだよ。レディと同じ名前だね。もしかして、サー・デイヴィッドのジェーンって、レディのこと?」
 もはやこんな愛想の良い会話の応酬に、付き合っている暇はない。ジェーンは一刻を争う問題を解決するべく、座り込んで、ヘンリーの顔をみつめた。
「ヘンリー様、私はヘンリー様にお聞きしたいことがあって、こちらに参上いたしました。」
「僕に聞きたいこと?」
 ヘンリーがキョトンとして聞き返したとき、突然デイが尻尾を踏まれた猫のような声をあげた。
「静かになさい!」
 ジェーンが苛立ちながら振り向くと、デイを驚かした原因が目に飛び込んだ。それは、小川をザブザブと渡ってくる男たちの一行だった。およそ場にふさわしくない連中だ。それぞれマントの下に実用的な剣を装着し、フードや帽子を目深に被った総勢十名ほどの男たち ― 決してサマーセット伯爵邸の敷地に居るべき雰囲気ではない。
 乳母たちもおどろき、小さく悲鳴を上げると、とっさにそれぞれが守るべき少年少女を引き寄せ、身構えた。ジェーンはただならぬ様子に、ヘンリーの問題は棚上げにして、近づいてくる男たちの前に立ちふさがった。そして、毅然として言い放った。
 「何事です?!ここは伯爵のお屋敷内、一族の方々がくつろぐお庭ですよ、ここへそのような成りで押し入ってくるとは、無礼ではありませんか。」
 全速力で駆け込んできた ― しかも侍女にいたっては転がってきた ― ジェーンとて人のことを言えたものではないが、背後で乳母たちとデイが視線で精一杯の同意を発しているのがわかる。男たちの先頭に居たリーダーらしき男は、思わず足を止めて、一瞬ひるんだ。しかし、すぐに低い声で応じた。
「ご無礼はお許し下さい。ジェーン様をお迎えにあがりました。」
「馬鹿言わないでちょうだい。私は聞いていないわよ。」
 ジェーンはそっと、マントの下に隠した、剣の柄に手をかけた。かつて、デイヴィッドに一撃を加えたあの父親の形見だ。男たちがわらわらと、女性と子供たちを取り囲んだのだ。いよいよ穏やかではない。リーダー格の男がもう一度口を開いた。
「あなたではなく、そちらの小さいレディです。お連れするように、主人から仰せつかっております。」
ジェーンは振り返らずに、背後の乳母に尋ねた。
「そんな話、聞いている?」
「とんでもない!」
 乳母はあえぐように言った。その服にしがみつき、小さなジェニーはブルブル震えている。とっさにヘンリーは片手でロレッタの手を握ったまま、もう片方の手でジェニーの手を握った。
 ジェーンは周囲の気配に気を配りながら、用心深く重心を移し、リーダー格の男を睨んだ。
「とんでもない、ですって。早く立ち去りなさい。」
「いいえ、ジェーン様はお連れします。力づくでも。」
「そう簡単には行かないと思うわよ。それに、その声。聞き覚えがあるわね。」
 男の眉が動いた。ジェーンの意図が分からない。彼女は続けた。
「今朝、夜明け前に会ったでしょう。ストランドで。明かりが小さくて分らなかっただろうけど。」
 男は何かを悟ったが、もう時間をかけるわけには行かなかったのだろう。
「怪我をしますよ、離れてください。」
 そう警告すると同時に、一歩踏み出した。
 しかし、その瞬間にはもう、ジェーンが得意の先制攻撃を仕掛けていた。同時に、デイがこの世のものとは思えないすさまじい悲鳴を上げた。



 → 12.地下食糧倉庫の有意義な活用法、および皇太子ハルの異変
11.伯爵邸に出現するもの ― 若い来訪者, 転がる者, 立ちはだかる者
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


  複合的な家庭の事情
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