翌朝、食堂の扉を外からたたく音で、デイヴィッドは目を覚ました。先に起きて降りていたらしく、ダンスタブルが閂を外すと、ワンバーフィールドが飛び込んできた。
 「皇太子殿下!デイヴィッド様!」
ダンスタブルへの挨拶もせずに、ワンバーフィールドが階上に向かって怒鳴った。
「どうした?」
デイヴィッドは素早く上着を引っ掛けながら、下を覗いた。まだ日の出前だが、外は一面の雪景色らしく、僅かな光を反射してだいぶ明るく見える。ワンバーフィールドは息を白く吐き出しながら言った。
 「おはようございます。早速ですが、お二人にお客さんですよ!」
「客?」
「代官と、ウィンチェスター司教様の使者だと仰っています。ここにお通ししますか?」
 デイヴィッドはあらぬ早さで身支度するのが特技で、すぐさままともな騎士に見える成りで降りてきた。
「会おう。通してくれ。…いや、ダンスタブル。お前が行って司教の使者だけここによこしてくれ。代官には死体の確認と、引き取りの準備をさせろ。ワンバーフィールド、お前は上からハルを引き摺り下ろしてきてくれ。」
 ダンスタブルは頷くと、真っ白になった外へ飛び出し、厩に向かった。ワンバーフィールドは上にあがってハルを起こそうとしたが、土台無理な相談である。ワンバーフィールドはすぐにあきらめて、ハルを毛布ごと軽々と担いで降りてきた。デイヴィッドは食堂の窓を開け、床にハルを置いたワンバーフィールドと共に、暖炉に火を入れた。夕べの雪はすっかり止んでいる。今日は天気が良くなりそうだった。
 暖炉にしっかり火が入った頃、マントを取りながらウィンチェスター司教の使者が食堂に入ってきた。入れ替わりにワンバーフィールドが出て行く。代官に死体の引き取りと馬の盗難について、確認しに行ったのだろう。
 「おはようございます、サー・デイヴィッド。」
「やぁ、ケイニス。久しぶりだな。」
 入ってきた司教の使者は、例の男 ― 本人だった。彼はほんの少しだけデイヴィッドに向かって頷いた。見慣れないと頷いたかどうかも、判別できないだろう。
 ジュリアン・ケイニスは、三十代半ばで、背の高い精悍な男である。癖の強い茶色の髪は短く、こけた頬が鋭さを醸し出し、小さな瞳の奥に、鋭い光を持っていた。しかも無精ひげまで生やしているので、一種近寄りがたい雰囲気を持っていた。
 ケイニスは、ウィンチェスター司教直属の部下で、言うなれば密偵たちのリーダーだった。司教が得意とする諜報活動の第一線で働き、司教への報告などもその仕事としている。主人はウィンチェスター司教として,もしくは大法官として多忙を極めるので、ケイニスはある程度の権限を持って自由に活動する事もあった。
 ハルやデイヴィッドとは、物心ついたころからの顔見知りである。もっとも、密偵特有の雰囲気のせいか、子供の頃は敬遠していた。デイヴィッドにとっては、唯一まともに個人戦をして勝てそうにない相手が、このケイニスである。乗馬や弓矢を加味すればデイヴィッドが優るが、身体能力的には、このケイニスだけは敵わないと思っている。
 仏頂面気味のデイヴィッドに輪をかけて、ケイニスは表情の乏しい男だった。その顔で、床で毛布にくるまったままいびきを立てているハルを見やった。
「いいよ、ケイニス。どうせ聞いているから。」
 デイヴィッドが指差して、ケイニスに着座を促した。ケイニスは音もなく腰掛けると、口を開いた。
「ボーフォート様(ウィンチェスター司教)は昨日の夕方、サー・デイヴィッドの報告を受けて、すぐにロンドンの部下に指示を飛ばし、石工組合に問い合わせました。」
「鳩か。」
「そうです。確かに、ウェストミンスター宮殿の改装工事に携わった石工が一人、聖ステファノ祭の祝日から姿を消しています。身体的特徴をさきほど死体と照合しましたが、間違いありません。その男です。」
「石工の失踪後の足取りは分かっているか?」
 デイヴィッドが訪ねると、足元でハルが少し寝返りを打った。寝息が止んでいる。ケイニスが頷いた。
「クリスマスの特別手当で派手に飲み歩いたので、すぐに分かりました。二十八日の朝、イースト・チープの酒場で旅の男と意気投合したらしき所を見られています。」
「その旅の男、髪の色は?」
床から声が上がった。ケイニスは一瞬だけ床の長い物体と、デイヴィッドを見やってから答えた。
「金髪です。その後の調べで、ウェイルズから来た、グレンダワーの密使らしいことが分かりました。おそらく、偶然出会った密使に、石工が宮殿内部の情報を売ったのでしょう。それからこの二人は、三十日に再び目撃され、それが例の『めんどり亭』です。ここで仲間と思われる赤毛の男と落ち合っています。その翌日、金髪の密使と、石工は連れ立ってロンドンから出発し、赤毛の男は私達の諜報網に掛かって逮捕されました。」
「よし!」
 勢い良く声を発して、ハルが飛び起きた。髪が立っている。
「そこまでは完璧だな。ウェイルズから来た金髪の密偵は、石工と共に港を目指して南下したが、年が変わるその夜、見切りをつけて石工を殺害した。」
「ええ。お二人の見解には、同意です。今、その金髪の行方を追っています。私もこれから。」
 ケイニスは立ち上がると、素早くマントを巻きつけた。デイヴィッドが短く尋ねた。
「追跡できているのか?」
「いいえ。ただ、ドーヴァー,サウザンプトン,プリマスには大量の人員を配置しています。現れないでしょう。未確認ですが、ここ数日右往左往した後、ファイングの方向に向かったという情報があります。白馬だったそうですよ。私もこれから向かいます。」
デイヴィッドも椅子から立ち上がった。
「俺も行こう。ファイングに網は張ったのか?」
「間に合っていません。」
「金髪の男の人相は?」
この質問は、寝癖を一生懸命手で押さえ込もうとしているハルは発した。ケイニスは僅かに首を振った。
 「残念ながら詳細には分かりません。」
ハルとデイヴィッドは顔を見合わせた。そして、ハルは満面の笑みでケイニスに向き直った。
 「よし、デイヴィッドと俺も同行させてもらおう。それから、ダンスタブルもだ。さっき会っただろう。あの丸っこい奴さ。金髪の男の人相を覚えているはずだ。」

 峻険な雰囲気のジュリアン・ケイニスと、長閑なジョン・ダンスタブルとは、好対照だった。表情にこそ出さないが、ケイニスがダンスタブルを「大丈夫だろうか」と思った事は、間違いない。しかし、ハルとデイヴィッドに同行させると言われては、是非もなかった。
 トタバタと出発の準備を整えると、あっけに取られるワンバーフィールドに別れを告げて、ハル,デイヴィッド,ケイニス、そしてダンスタブルは真っ白な荒野の道へ飛び出していった。例の死体は、代官が引き取って埋葬の手続きを取るだろう。

 ファイングはエリーから南へ、良い馬を使えば一日で到達できた。確かに海には面している。しかしサウザンプトンやドーヴァーのようなしっかりした港湾施設があるわけではなく、したがって警備が手薄なのは事実だった。
 雪で一面銀色に輝く荒野は、昇ってきた朝日を反射して、騎手達の目を細めさせた。エリーから大分走ると、ある村でケイニスの部下と落ち合った。ケイニスは馬も降りずに部下の報告を聞いている。デイヴィッドが振り返ってダンスタブルを見やると、馬上で息を整えている。彼はそもそも学問の秀才であって、乗馬が得意というわけではないのだろう。それでも王室の厩舎から借りた馬との相性は良いらしく、ここまでよく付いて来ているとデイヴィッドは感心した。
 ケイニスが何事か指示すると、部下は馬に乗って走り去った。ケイニスは馬首をめぐらして、ハルとデイヴィッドに向き直った。
「どうも芳しくありません。白馬を使った金髪の男は、部下の追撃を巻いたらしく、すでに東に向かって逃走しています。」
「ファイングは南だが。」
ハルが言うと、ケイニスはまた僅かに頷いた。
「しかし、ここから東に数時間進むと、大きな農業用水があるのです。運河でロンジー川と合流しますので、そこから海に出る可能性が高い。」
「用水に先に出られたら、その先捕捉できる可能性は?」
「低いです。」
 ハルは少し眉を寄せ、胸で大きく息をした。今度は、デイヴィッドがケイニスに尋ねた。
「今、一番東側に居て、追いつく可能性の高い部下は、何人編成だ?」
「一番近いのは我々です。だから、四人です。」
ハルとデイヴィッド,ダンスタブルは顔を見合わせた。しかし、すぐにハルが低い声でケイニスに言った。
「行こう。」
 彼らは馬の腹に拍車を当て、走り出した。デイヴィッドだけは、まだ馬を止めたまま、いつものように背負っていた弓矢を引っ張り出した。弦と矢先を確認する。それから、それを背中に収めなおすと、愛馬フールハーディの腹を蹴って、三人を追った。

 昨日とは打って変わって、晴天の日となった。空には雲ひとつなく、青空が澄み渡っている。太陽は昇るにつれ力を取り戻し、更に降り積もった雪を照らした。
 一行はケイニスを先頭に東へ向かっていた。辺りは長閑な農地ばかりで、農閑期の今は人影もまばらだ。しかし集落では、人々は明日に迫った公現祭の準備に余念がなく、どの教会や礼拝堂の前にも、子供達が集っていた。途中、ケイニスが馬を止めて、農夫の一人に用水の場所を尋ねた。すると、一行四人の様子が珍しいのか、農夫は目を丸くしながらも、村を出て更に東に伸びる道を指差した。
「ここからずっと東に向かいますと、私らの広い小麦畑です。しばらく行くと、木が横一線に並んでいるのが小さく見えますので、その足元に用水が流れています。大きな用水ですよ。この寒さでも凍っていませんから。ああ、それから木はかなり背が高いので近くに感じるかもしれませんが、木が見えてから用水路に着くまでは、馬でもかなり掛かります。そのおつもりで。」
「その用水、船はあるか?」
 今度はハルがにこやかに尋ねた。こちらは身分の高い騎士だと分かったのか、農夫はちょこんと頭をさげてから答えた。
「さあ、この季節は渡しはやっていませんが、ただ小船は自由に使えるようになっていると思います。」
「なるほど。ありがとう。良い公現祭を。」
 ハルが言い終わらないうちに、ケイニスは馬を走らせていた。本来なら、金髪の男が白馬で通らなかったかと尋ねるべきなのだろうが、グレンダワーの密偵がわざわざ村人に姿を見られるような事をするとは、思えなかった。

 村から農地へ出ると、ケイニスの表情が険しくなった。見渡す限り、雪で覆われた冬の麦畑だ。
「どう…」
 ケイニスは手綱を引いて馬を止めた。さすがにダンスタブルは疲れてきたのか、だいぶ後ろの方から追ってくる。ケイニスは、共に馬を止めたハルとデイヴィッドに、口まで覆ったマントを引き下げながら言った。
「あれが、用水路沿いの並木ですね。」
 ケイニスが指差した前方には、遠くに木の列が南北に走っていた。落葉樹なのだろう、細い幹が剥き出しで空に向かっている。しかし距離のせいか、針のように細い線が並んでいるようにしか見えない。ハルは鐙にふんばって、その木の列を見渡した。
「参ったな。人っ子一人見えない。もう船に乗られたか…?」
 ケイニスも一生懸命に目を細めたが、並木までの間には広大な白い布のような雪しか見えなかった。第一、金髪の密偵がまともに農道を走ったとは言い切れない。むしろ追っ手を避けるために、小麦畑に馬を入れて用水に向かったと考える方が良さそうだ。
「とにかく、下流へ向かいましょう。ロンジー川まで行っても見つからなければ、港湾とフランス側に手配を飛ばします。」
 ケイニスは大真面目に言って、またすぐに馬を走らせた。ハルとデイヴィッドもそれに続こうとした時、やっとダンスタブルが追いついてきた。
「大丈夫か?この辺りで休むか?」
 デイヴィッドが振り返って尋ねると、ダンスタブルは馬上でグラグラになりながらも、健気に言った。
「い、いえ!大丈夫です、大丈夫です。まだ走れます。あの、皇太子殿下、サー・デイヴィッド。あそこに居る人は、もう確認したのですか?」
馬を走らせようとしていたハルとデイヴィッドは、慌てて止めると振り返った。ケイニスはもう大分先を走っている。
「あの人って?」
ハルが尋ねると、ダンスタブルは息を整えながら、並木を指差した。
「ほら、あそこに居る人ですよ。並木の木の根元。あれ、金髪ですし…」
 驚いたハルとデイヴィッドは、慌てて並木の方に目を凝らした。しかし、どう見ても遠くの木々が針のように細く見えているだけで、あとは一面の銀世界である。二人が戸惑っている間にも、ダンスタブルが続けた。
「あっ!やっぱり!あの男ですよ!ほら!白馬を今、土手の下に置き去りにして…!」
「ちょっと待て、ダンスタブル!お前、見えるんだな?!」
「えええッ?!お二人には見えないんですか?!」
 今度はダンスタブルが驚く番だった。金髪の男が盗んだのは、トマス王子にふさわしい、『雪のように白い』馬だ。完全に雪原の中に姿を溶け込ませてしまって、大きなその姿でさえ見えないのだ。
「ケイニス!」
 ハルが叫んだが、ケイニスはもう大分先を全速力で疾走しているために気付かない。デイヴィッドは背中から弓矢を掴み取ると、ダンスタブルに鋭く怒鳴った。
「ダンスタブル。すぐにその馬を下りて俺の後ろに乗れ!」
 ダンスタブルは愕然として目を丸めながら、馬を下りた。デイヴィッドは鞍の後ろから毛布と革袋を乱暴に叩き落した。そしてダンスタブルの腕を取ると、素早く尻馬に引き上げた。
「しっかりつかまってろよ!ハル!ケイニスに知らせろ!」
 そう叫ぶや、デイヴィッドはダンスタブルが指差した方向へ、フールハーディを全速力で駆けさせた。その視界の端で、ハルが南東方向へケイニスを追っていくのが見えた。
「サー・デイヴィッド!」
デイヴィッドの肩につかまったまま、ダンスタブルが高い声で叫んだ。
「間に合いませんよ!あの人、船の綱をつかんでいるじゃありませんか…!?」
デイヴィッドにはまだ見えない。
「本当に、例の金髪に間違いないか?!」
デイヴィッドは手綱を取ったまま怒鳴った。
「間違いありません!あの体つきも、金髪も、顔つきも、絶対にあの人です!しかも白い馬も…!」
 デイヴィッドは覚悟を決めた。賭けるしかない。
「ダンスタブル!右手でヤツを指差せ!二の腕を俺のこめかみに付けろ!」
飲み込みの早いダンスタブルは、伸び上がると左手をデイヴィッドの左肩に置き、右手をあげた。そして二の腕をデイヴィッドのこめかみにつけ、人差し指で遠くの並木を指差す。デイヴィッドは拍車で馬に合図しながら、手綱を放した。フールハーディは、デイヴィッドに調教された通り真っ直ぐに駆けて行く。デイヴィッドは矢を弓につがえると、まず矢先をダンスタブルの右人差し指の先に合わせた。
「手を引っ込めろ!一本だけ背の高い木の、二本右隣の根元!」
「そうです!まだ居ます!地面から、大豆一粒分くらいの高さに金髪頭!」
「姿勢を低くしろ!」
 怒鳴る声に反応して、ダンスタブルは素早くデイヴィッドの腰のあたりに身を縮こませた。間髪入れずに、デイヴィッドは弓を引き絞って即座に放った。目一杯、遠くへ、まっすぐ射ったはずだ ― 
「当たった!!」
再び姿勢を高くしたダンスタブルが叫んだ。
「そんな馬鹿な…」
 デイヴィッドはほとほと呆れて、馬の脚を緩めた。さすがの愛馬も、成人男子を二人も乗せてこれ以上疾走するのは無理だった。馬が止まると、ダンスタブルはズルズルと尻馬から地面に降りた。さすがにデイヴィッドも息が切れている。素早く鞍から降りると、騎手以上に喘いでいる馬の首をそっとなでた。すると、ダンスタブルが言った。
「やっぱり。あの人、土手に倒れていますよ。」

 ダンスタブルの言った通りである事が分かったのは、随分並木と土手に近づいてからだった。デイヴィッドとダンスタブルが土手を上がってみると、ケイニスが先に到着して、木の根元にうずくまった男の足を調べているところだった。確かに金髪の男で、太ももを押さえてうめいている。
「お見事。」
ケイニスが短く言って、抜き取ったデイヴィッドの矢を返した。
「どうだ?」
デイヴィッドが合図すると、ダンスタブルは前に出てきて、金髪の男の顔を、目を細めて観察し、深く頷いた。
「この人です。」
金髪の男は、ケイニスとデイヴィッド、ダンスタブルを見回したが、苦痛に顔をゆがめて言葉を発する事も出来なかった。
「間一髪。」
 ケイニスは僅かに眉を上げながら、デイヴィッドに言った。笑っているらしい。デイヴィッドは肩をすくめて、辺りを見回した。
「ハルは?」
 すると、ケイニスは土手の下を指差す。デイヴィッドがもう一度土手の下に降りてみると、用水の南側から、ハルが馬に乗ってのんびり近づいてきた。後ろには真っ白の馬がついてきており、ハルがその手綱を引いている。
「やぁ、デイヴィッド。首尾はどうだった?」
ハルが明るい声で呼びかけると、デイヴィッドはうんざりした声で返した。
「大当たり。目に見えない物を射るのなんて、もう二度とごめんだ。」
ハルは笑って見せると、白い馬の手綱を上げた。
「良い馬だな。それに確かに真っ白だ。トマスの希望通り…。白馬って良いものだな。俺も白馬にしようかな。」
 デイヴィッドはハルの軽口を相手にする気など、とっくに失せていた。。



 → 10.星空を見上げ、愉快な歌を歌いながら公現祭の前夜を過ごす事
9.雪原での逃走には白馬が有利であるという実例,およびその例外
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  ダンスタブルの忙しい降誕節
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