石工を殺害し、エリー厩舎から馬を盗んでフランスへ向かおうとしていたのは、やはり間違いなく援軍を求めるグレンダワーの密使だった。その金髪の男に関してはケイニスと部下に任せ、ハルとデイヴィッドは、ダンスタブル,トマスの白い馬と共にウィンザー城へ戻った。皇太子が城に到着したのは、もうとっぷりと日が暮れてからであり、明日は公現祭なのにと、宮廷の祭祀担当者がカンカンになっていた。
 ダンスタブルという男は、よほどのんきな体質らしい。朝から散々馬で走り回されたのに、ウィンザー城に戻ると、嬉々として本来の仕事に戻った。一日中良く晴れて、夜も星の観測にうってつけだと言う。

 ハルとデイヴィッドがウィンチェスター司教に首尾を報告すると、司教はひどく深刻な表情になった。
「グレンダワーの使者がこうも簡単にすり抜けているというのは、大問題だな。」
「しかし、仮に援助を求める使者がフランスやスコットランドにたどり着いたとしても、大した成果は上がらないと思いますよ。」
ハルが気楽そうに言ったが、司教はしかめっ面を崩さなかった。
「それはそれだ。私は探索網を突破されたのが気に入らない。」
 ハルとデイヴィッドは呆れて顔を見合わせた。すると、ウィンチェスター司教は急に思い出したように、執務机の下から、なにやら大きな革袋を取り出した。
「参考までにだが。さっき、ロンドンから到着したんだ。例の『めんどり亭』から押収した。ダンスタブルの話じゃ、グレンダワーの密使どもは宿泊客や宿屋の主人にワインを飲ませて、眠らせたのだろう。まだ残っていたから、押収した。」
 ハルはそれを受け取ると、栓を抜いて少し臭いを嗅いだ。
「別に変な臭いはしないな…。」
と言って、注ぎ口から一口のみ、デイヴィッドに手渡した。デイヴィッドも同じように一口飲む。
「あれ…。旨いんだけど…何か違う味がするな。」
ハルがデイヴィッドに尋ねたが、デイヴィッドは何か考えているらしく、黙っている。
「何だ、デイヴィッド。この味、なんだか分かるのか?」
デイヴィッドはハルの問いには答えず、長く息をつくと司教に革袋を戻して会釈をした。
「じゃぁ、私は用があるので失礼します。厩舎にトマス様の馬を預けてきたから、様子を見ないと。」
デイヴィッドはそのまま部屋を出て行こうとする。ハルがそうはさせじと引き止めた。
「おい、何だよ。このワインに何か覚えでもあるのか?」
すると、デイヴィッドは鼻の頭が眉についてしまいそうなくらい、しかめっ面になって、苦々しく言った。
「そのワインに混ぜ込んである味に覚えがあるんだ。」
「何だ?」
「よく眠れるようにする薬草の味だよ。モンマスで飲まされた。」
 デイヴィッドはそう言い捨てると、凄い勢いで扉を閉めて出て行ってしまった。ウィンチェスター司教が説明を求めるようにハルをみやると、甥は嬉しそうに笑った。
「医者のジェーン・フェンダーに飲まされた薬の味を、覚えていたようです。」

 翌日は公現祭とあって、ハルも広間での晩餐に出ざるを得なかった。国王は体調も良く、王妃や三人の王子と共に、晩餐会を楽しんだ。サマーセット伯爵一家や、セグゼスター伯爵夫妻など、ウィンザー滞在中の貴族達や、末席には陳情に訪れた有力者なども加わり、クリスマス以来の立派な会となった。
 王は体調に配慮して早々に席を立ち、王妃をはじめとする貴婦人達も、席を変えた。残された連中は、随分遅くまで飲む勢いだった。

 デイヴィッドも晩餐に呼ばれたが、もちろん逃げた。代わりに、ラウンド・タワーの半ばにある眺めの良い小さな部屋に食事を持ち込み、一人でのんびり過ごしていた。食べ終わる頃には、気を利かせた小姓が食器を下げ、代わりにエールを置いて行った。
 塔の壁に穿たれた小さな窓を開けると、外の冷気が流れ込んできた。しかし、小さいながらも暖炉のある部屋で、デイヴィッドはさほど寒さを感じなかった。
 程なく、塔の上の方から笛の音が聞こえてきた。デイヴィッドにも聞き覚えのあるような曲で、どこで聞いたのかとしばらく考えていたが、やがてそれはモンマス滞在中に、よく聴く曲であることを思い出した。ダンスタブルが星の観測を一通り終わり、周囲の求めに応じて吹いているのだろう。ハルから教えられていたが、デイヴィッドの耳にも確かに素晴らしい腕前に聞こえた。
 デイヴィッドは、エールのコップを手に持ったまま立ち上がった。そして小さな窓から身を乗り出して、冬の南の空を眺めた。一年でもっとも美しい星空の季節だった。デイヴィッドは双子星から、順々にプロキオン,シリウス,オリオンの星々,アルデバランへと追っていく。そして牡牛の肩辺りで目を止めた。
 そこには、プレアデスの姉妹達 ― 幾つかの星の密集が雲のように浮かんでいた。聞いた話では、多くの人は五つか六つの星が見えると言う。デイヴィッドには六つ見えた。それは目が良いかららしい。
「俺だって、悪くはないのだが…」
 デイヴィッドはつぶやいた。息が白く舞う。デイヴィッドには、いまだにダンスタブルの視力が信じられなかった。それに、ああやって放った矢がまともに当たるとも、思っていなかった。妙な事があるものだと思いながら、デイヴィッドは星空を見上げてエールをまた口に運んだ。
 「いくつ見える?」
 背後で声がしたので振り返ってみると、部屋の入り口にハルが立っていた。広間での宴席を抜けてきたらしく、手にワインらしき水差しとコップを持っている。ハルはテーブルに持っていたものを置くと、デイヴィッドと一緒に狭い窓から空を見上げた。しばらくプレアデスを見つめていたが、
「最近、俺目が悪くなったのかもしれない。なんだか五つしか見えない。」
と、ため息をついた。
「ずっと書類仕事だったし、疲れると視力が落ちると聞いた事がある。」
デイヴィッドはそういって慰めると、すぐに首をかしげた。
「お前、広間を抜け出してきて大丈夫なのか?」
「大丈夫。もうみんなかなり出来上がっていたからな。お前の親父さん、ボヤキと泣きが混じり始めたぞ。エリザベスの輿入れ道具がどうとか、衣装がこうとか…」
 デイヴィッドはしかめっ面をして、首を振った。
 ダンスタブルの笛は、相変わらず美しく流れていた。きっと多くの人がその音色に聞きほれているだろう。
「大した才能の男が居たもんだな。」
ハルがため息交じりに言うと、デイヴィッドも頷いた。
「同感だ」
「おとといの夜は、『いとしい小鳥』を素晴らしく吹いて見せた。あのリコルドは王家の買い物のはずだが、もうダンスタブルの物になりそうだな。」
「俺もいずれ聞かせてもらおう。」
 突然、笛の音がぱったりと止んだ。二人とも怪訝に思って暫く待っていた。すると、再び上のほうから笛の音が降って来た。今度はテンポの速い、軽快な音楽だ。ハルとデイヴィッドは顔を見合わせると、同時に噴き出してしまった。『あばれロバの歌』だったからだ。塔の上にはネッドがウロウロしているのだろう。例の変な歌を歌ってみせて、ダンスタブルが直ぐに笛で吹き始めたのだ。
 ダンスタブルの吹く笛の音が二回目に入る頃、ハルとデイヴィッドも互いの顔を見て笑い、同時に口ずさみ始めた。
 
 あばれロバ あばれロバ 粉屋に入ってさぁ大変
 ペールの旦那を 呼んどいで

 あばれロバ あばれロバ 酒屋に入ってもう大変
 ペールの旦那は まだかいな

 あばれロバ あばれロバ 酔いが回って大混乱
 ペールの旦那は 行方不明

 あばれロバ あばれロバ 娼家に乱入どうしよう
 ペールの旦那も そこに居た ―

 多才多芸のダンスタブルの配属先については、あらゆる部署が名乗りをあげて争奪戦を繰り広げたが、結局ドレール司祭の裁断で主に公式文書製作係と、部分的には天文係に配属される事になった。
 ハルとデイヴィッドの進言で、今回の密使逮捕に多大なる貢献をしたダンスタブルに、ウィンチェスター司教が褒美を与える事になった。宮廷がロンドンに戻れば、文書係と天文を兼務するダンスタブルには、ウェストミンスター宮殿とロンドン塔を往復する馬が必要になるだろう。そこで、例の追跡劇の時に王室厩舎からダンスタブルに都合してやった馬を、与える事になった。ダンスタブルは驚きのあまり、また倒れそうになっていた。

 デイヴィッドがエリー厩舎から調達してきた白馬は、トマスの要求を十分に満たしており、王子は大満足だった。しかもデイヴィッドが見込んだ通り、素晴らしい脚と従順な性格で、しかも体力がある。王室厩舎もこの上ない馬を探してくれたものだと、何度もデイヴィッドに礼を言った。
 ネッドは結局エリー厩舎から馬を買う事は叶わなかったが、思わぬ所から馬を入手する事になった。ダンスタブルが自分の郷里から乗って来た馬が、今回のご褒美のために空いたのだ。ネッドはダンスタブルとすっかり仲良くなっていたので、この馬を随分と安い値段で買い取る事に成功した。
 こうなると、フォールスタッフの馬の方がみすぼらしいのではないかと、デイヴィッドは思った。


追記

 ジョン・ダンスタブルは西ヨーロッパ音楽における、中世からルネサンスへの移行期に活躍した作曲家としてその名を残している。彼は国王ヘンリー五世の弟ベッドフォード公爵に仕え、公爵が幼君ヘンリー六世の摂政としてフランスに滞在したため、その作品の多くは写本として大陸に残っている。
 宮廷においては、音楽家としてのみならず、様々な役割があったことを、その墓碑銘が伝えている。
「占星学者,数学者,音楽家などであった、ダンスタブル 」―


                        ダンスタブルの忙しい降誕節 完



あとがき


 「ハル&デイヴィッド」の第四作、「ダンスタブルの忙しい降誕節」を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。お楽しみいただけたでしょうか?
 今回の作品は、ジョン・ダンスタブルという実在の音楽家を中心に構成しました。「ハル&デイヴィッド」にはかつてプロトタイプというべきものが、主に私の頭の中にあったのですが、ダンスタブルはその頃から登場人物の一人として、設定されていました。今回、第四作にしていよいよ彼を活躍させる事ができて、嬉しいです。
 音楽家として名を残しているダンスタブルですが、無論その人となりが細かく伝わっているわけではありません。ですから、彼の容姿や遠視という設定は、私が創作しています。遠視にしたのは、彼が占星学者であり、天文学者であったところから発展させました。
 他にも、未登場だった最後の王子トマスの登場や、好きなコメディアンをモデルにしたケイニスというキャラクターを登場させるなど、全体的に楽しく、調子よく書けたと思います。
 季節的な設定もあり、主役のハルとデイヴィッドが別行動する期間の長かった、初めての作品でもありますが、皆様はどのようにお感じになりましたでしょうか?感想などございましたら、ぜひとも掲示板,メールなどにお寄せ下さい。次回作の糧になりますので。

 最後にもう一度、読んでくださった皆さんにお礼を申し上げます。ありがとうございました。
 
                                                        23rd May 2006
10.星空を見上げ、愉快な歌を歌いながら公現祭の前夜を過ごす事
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


  ダンスタブルの忙しい降誕節
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