四時課の鐘と同時に出発できるように早めに厩舎に来たジョン・ダンスタブルは、エリーへは皇太子ハルも同行するというので、ひどく驚いた。しかも従者も連れていないので、半ば呆然としてしまった。音に名高い騎士や、皇太子などは、当然従者や小姓を山ほど引き連れて行動するものだと、思い込んでいたのだ。

 「そりゃ、そう考えるのが普通さ。」
 厩舎の詰め所でのさのさしていたネッドが、ダンスタブルに言った。
「ハルとデイヴィッドが異常なんだよ。その方が気楽なんだとさ。身の回りの仕事が平気な王子と騎士だなんて、あまり格好良いもんじゃないなぁ。それでジョニー、本当にお前さんのベッドを借りて良いのかい?」
「どうぞ、構いませんよ。」
 ダンスタブルはにっこりと笑いかけた。本来、ネッドに向いているべきだが、休憩中の馬丁に向かって頷いている。
「私は何時帰って来られるか分かりませんし、天文局にも宿直用のベッドがありますから。」
「悪いね。じゃぁ、お言葉に甘えるよ。それにしても、本当にこれから出かけるのかい?」
 ネッドは呆れて外を指差した。夕方になって太陽が光を失うと共に、深く雲のたれこめた空から、雪がちらつきはじめた。
「こりゃ、積もるんじゃないかい?」
ネッドが言うと、ダンスタブルは肩をすくめた。
「でも、皇太子殿下とサー・デイヴィッドは一刻も早く確認したいと仰っていますし。」
「俺はあんな死体、もう二度と見たくないよ。」
 ネッドはため息をついて、厩舎の職員から分けてもらった飲み物をすすった。

 デイヴィッドが来るまでの間、ハルはデイヴィッドの代わりに、ダンスタブル用の馬を出させ、自分とデイヴィッドの馬も合わせて、馬丁たちと一緒に準備に余念がなかった。ダンスタブルが、ウェストミンスター宮殿の石工や、ウェイルズの密偵の話を聞いたのは、この間である。
 やがて四時近くになって、デイヴィッドが父親のところからやっとの思いで逃げ出して来た。しかも消耗しきった顔になっているので、ダンスタブルはまたもや驚いてしまった。デイヴィッドはなにやらハルに恨み言を言いたそうだったが、ハルは笑って取り合わなかった。
 四時課の鐘が、チャペルから聞こえてきた。厩舎の詰め所の扉が開いて、外からハルが声をかけた。
「デイヴィッドも準備できたから、出かけるぞダンスタブル。頭、ぶつけるなよ。」
「はい。行きます。じゃぁ、ネッドさん。ごきげんよう。」
「気をつけてな…」
 ネッドが片手を上げて送り出すと、ダンスタブルは扉の枠を慎重に見極めてから、馬場に出て行った。

 雪は弱まるどころか、強くなる気配だった。まだかろうじて日没前のはずだが、三人ともランプに火をともした。道中、あまり口も利かなかった。デイヴィッドはひどく不機嫌な様子だし、雪が話す余裕を奪っている。そしてエリーへ向かう馬は、少々早めに走らされた。ダンスタブルが驚いたのは、自分が郷里から乗って来た馬とは、比べようもないくらい良い馬で、御しやすく、しかも馬も乗り手も疲れを感じなかった。さすがは王家の厩舎だと、ダンスタブルは感動していた。
 やがて、一行の行き先が見えてきた。もっとも、ハルやデイヴィッドよりも大分早いうちに、ダンスタブルにはエリー厩舎の明かりが見えていた。途中、厩舎の手前でデイヴィッドが馬を止め、道から少し外れた所に佇む木を指差した。
 「死体があったのは、あれの根元だ。」
ハルが鼻まで被せていたマントを下げて、訊き返した。
「隠してあったのか?」
「たぶんな。刺したのはこの路上、それから死体を引きずってあの木の根元に置き、落ち葉でもかぶせたんだろう。夕べはひどく風が強かった。それで枯葉が吹き飛び、今朝、ネッドと俺に発見された―」
「なるほど。」
 ハルが短く頷くと、デイヴィッドはまた馬の腹を気って、厩舎への道を急いだ。少しでも立ち止まると、凍り付いてしまいそうな、ひどい寒さと雪だった。

 三人がエリー厩舎に到着すると、ワンバーフィールド以下みんな大いに驚き、同時に喜んだ。ハルがこの厩舎に来たのは、二年ぶりだったのだ。
「そんなに経つか?」
ハルが驚いて、ワンバーフィールドに聞き返した。そうだと言われると、首をかしげた。
「そうかなぁ。そうか、ここ最近はウェイルズに行く事が多かったからな。」
「それで、どうなさったのです?デイヴィッド様は今朝来て、すぐウィンザーに行ってしまわれて、また戻って来るだなんて。しかも皇太子殿下もご一緒で…こっちのお若い方は?」
ワンバーフィールドは、食堂に通された小太りの若い男の紹介を、デイヴィッドに求めた。
「ああ。これがあの有名なジョン・ダンスタブル。ダンスタブル、彼はワンバーフィールド。セグゼスター伯爵家に仕えているんだが、今はここの責任者だ。」
 これでもかと着込んでいたマントをやっと外したダンスタブルは、ワンバーフィールドに向かって会釈をした(実際には、その隣のハルに礼をしてしまっているのだが)。するとワンバーフィールドはいかつい顔一杯に笑みを浮かべ、大きな声で笑い出した。
 「ああ、やっぱりね!あの死体がジョン・ダンスタブルさんだなんて、到底信じられませんから。ははぁ、なるほど。このお兄さんなら、たしかにあの『有名な』ダンスタブルさんにふさわしいですな!」
「それで、あの死体だが…」
 デイヴィッドが本題を切り出した。賄い係が、ハルから順番にあたためたワインを配っている。
「何か進展はあったか?」
 すると、ワンバーフィールドは申し訳なさそうに、茫々に生えた眉を下げた。
「一応、代官に使いを出してあるのですが、まだ反応はありません。死体は、倉庫を一つ片付けて置いてあります。」
「よし、見せてくれ。ダンスタブルに見覚えがあるかどうか、確認したい。」
「ええ?デイヴィッド様、本気ですか?気持ちの良いものじゃないし、このお兄さん…」
 ワンバーフィールドは、いかつい顎を上下させて、ダンスタブルを頭の上からつま先まで観察した。ころころとした体型に、ふっくらとした丸顔、頬は真っ赤、巨大な目がキョトンとしている。しかしダンスタブルは、確固とした口調で言った。
「大丈夫です。お国のためですから、確認させてください。」
「お国のためですか?」
ワンバーフィールドがハルに訊き返すと、ハルも笑って頷いた。
「だからこそ、俺も一緒に来たんじゃないか。」
 皇太子にそういわれたのでは、是非もない。ワンバーフィールドは食堂から外へ三人を案内した。

 すっかり辺りは闇に包まれ、雪が降りつづけていた。彼らは足早に敷地を走り抜け、一番はずれにある小さな倉庫にたどり着いた。ワンバーフィールドが見習いの馬丁に松明を用意させ、倉庫内を明るくした。それでもひどい寒さで、手足の感覚がなくなる。おかげで臭気は感じられないのが、救いだった。見習は明かりだけ用意すると、さっさと逃げ出していた。
 倉庫の一角に、車輪を固定した荷車があり、白い大きな布が上を覆っていた。ダンスタブルは一度深呼吸をすると、荷車の脇に立った。ハルとデイヴィッドは目配せをして、用心のためにダンスタブルのすぐ両脇に立つ。デイヴィッドが合図すると、ワンバーフィールドが、死体を覆っていた白い布をゆっくりと取り払った。マントと上着、靴は脱がされたものの、他の衣服は肉体の腐敗のためにそのままになっている、男の死体があらわれた。
 ダンスタブルは、じっと死体の頭から足までを見つめた。顔色一つ変えず、黙っている。ハルとデイヴィッドは、意外な気持ちがして顔を見合わせた。すると、ダンスタブルが首をかしげた。
「あの…ちょっと、すみません。」
 彼は落ち着いた様子ですこし後ずさりした。そしてまた死体を良く観察する。ハルとデイヴィッドは脇によけた。しかしダンスタブルは眉をしかめ、また首をかしげている。少し瞬きをすると、今度は踵を返して歩き始めた。どこまで行くのかと思ったら、倉庫の扉を開けて一歩外へ出る。そして振り返って、改めて横たわった死体を観察した。その途端 ―
「きゃー!」
女の子のように甲高い悲鳴をあげると、ばったり倒れてしまった。
「ダンスタブル!」
 ハルとデイヴィッドは同時に叫び、慌てて駆け寄った。
「おい、しっかりしろよ!」
膝を着いた二人が両脇からダンスタブルを抱きかかえたが、すっかり気絶してしまっている。ワンバーフィールドもこれには驚いた。死体の上に白い布を被せなおすと、駆け寄ってきった。
「何です、このお兄さんは。あんな時間差で気絶する人なんて、初めて見ましたよ。」
「こいつ、目が物凄く良くて、しかも物凄く悪いんだ。その上、簡単に気絶する。」
 ハルが全然分からない説明をしている間に、デイヴィッドは雪を一掴み取って、ダンスタブルの顔にこすりつけ、軽くたたいた。すると、ダンスタブルは音でも立てそうな勢いで巨大な両目を開けると、今度は弾かれたように飛び起きた。おかげで、ハルとデイヴィッドは後ろにしりもちをついてしまった。
「間違いありません!この人です!この人が私と同じ宿屋に居た石工さんです!」

 外は本格的に吹雪いてきた。厩舎の馬達も、外の強い風に不安げな嘶きを上げている。馬丁たちは、小さなストーブを厩に入れて、寝ずの番となった。デイヴィッドが馬が眠れないだろうと言うと、そこは馬達も絶対に安心して眠れるような、古参の馬丁を配置するから大丈夫だと、ワンバーフィールドが請合った。
 ハルとデイヴィッド、ダンスタブルは、エリー厩舎に宿泊することになった。食堂のある建物の二階が、予備の部屋になっている。夏の忙しい時期に手伝いの若者達が眠る部屋だった。
 厩舎全体の食事が終わると、ワンバーフィールド以下厩務員たちは、宿直以外は全員母屋へ引き上げた。食堂に明かりを残してもらい、ハルとデイヴィッド、そしてダンスタブルはエールを飲みながら、テーブルを囲んだ。
 ダンスタブルは切り替えの早い男で、気絶はしても食欲はあり、もうすっかり顔色も良くなっていた。
「先ほど、サー・デイヴィッドがお命じになった、宿泊客のリストです。」
と、ダンスタブルは名前を書き連ねた紙を差し出した。紙こそ粗末だが、字は整然としている。

1406年12月30日から31日にかけての、「めんどり亭」宿泊客

・ノーリッジからの巡礼 目的地カンタベリー 十名
 ゴルドン(地主),地主夫人,ピート(地主の従者),
 ぺグ(夫人の小間使い),ネッキール(桶屋),ジム(桶屋の弟子),
 ウェイン(豪農),アンデール夫人(未亡人),クレア(未亡人の妹),
 ディッケングール(免罪符売り)

・ ベッドフォードシャーの商人 四名 目的地 ロンドン
 ギデオン(毛織物商),リッチ(ギデオンの手代),
 フェリール(穀物仲買人),マイク(フェリールの従者)

・ その他四人
1. 赤毛の男:以前からの宿泊客。行き先不明。無口。個室使用。三十歳くらい。

2. 金髪の男:四十歳位。三十日に到着。赤毛の男の部屋に入る。馬を持っていない。

3. 石工:金髪の男の連れ。最初は食堂で他の宿泊箔客と喋っていたが、金髪の男に促されて個室に入る。馬を持っていない。

4. ジョン・ダンスタブル:行き先,ウィンザー。
  ベッドフォードシャー,ダンスタブル村出身

 「以上、十八人か。」
ハルがリストに目を通すと、ダンスタブルに訊き返した。
「巡礼の十人,商人の四人はお前と旅の途上で談笑したので、名前が分かっているが、その他の三人については分からないという事か。」
「ええ。そのうちの一人、石工の人は少しだけ私達と立ち話をしたので、石工だということだけは分かっていました。」
「どんな話をしたんだ?」
デイヴィッドは改めて死体の所持品をテーブルに並べて尋ねた。
「ごきげんようとか、寒いですね、とかそういう話ですよ。巡礼の皆さんに、カンタベリーに行くだけの休暇が取れるとは、うらやましいと言っていました。それから、二十六日は聖ステファノの祝日で、自分は石工だから一日だけ休みだったと。(ハルとデイヴィッドは顔を見合わせて、小さく頷いた。)巡礼の内の誰かが、じゃぁ今日はどうしたんだと石工に尋ねたのですが、丁度金髪の男が個室から石工さんを呼び寄せたので、話はそれっきりに。」
「なるほど。確かに、石工に間違いない。」
デイヴィッドは改めて死体が身に付けていたメダルを、手に取った。摩滅しているが、石工の守護聖人聖ステファノ像だ。若い聖職者の姿で、手には石を持っている。
 ハルがダンスタブルに次の質問をした。
「この四人の商人については、身元ははっきりしているんだな?」
「ええ、私と一緒にベッドフォードからロンドン行きの旅団を待っていた人ですし、地元では良く知られたお店の旦那方です。」
「やはり問題は、赤毛と金髪の二人だな。」
 ハルは椅子の背にもたれかかり、足を投げ出した。
 「ウィンチェスター司教配下のケイニスたちが、ウェイルズの密偵を捕らえている。それが、宿屋に居たその二人の内一方だったと、仮定してみよう。赤毛の密偵が「めんどり亭」で金髪の密偵の到着を待っていた。そこに、ウェストミンスター宮殿の工事に携わる石工を連れて、金髪の密偵が到着する。聖ステファノの祝日で休暇だった石工が、何かの拍子に金髪の密偵と知り合い、ウェストミンスター宮殿内部の情報と交換に、グレンダワーの金貨をせしめた。」
 ハルはデイヴィッドがテーブルに並べなおした所持品のうち、燦然と輝く金貨二つを指差した。
 「金髪と赤毛の二人はウェイルズからの密偵,一人は宮殿の情報を売り飛ばす男だ。宿屋でも、他の宿泊客とは距離を取って、個室に篭った。そして三十日の夜。宿屋の人間も、宿泊客も全員眠りにつく。そこで、三人の内の誰かが、ダンスタブルの荷物から手紙を盗んだ。
 翌朝確認してみると、金や貴金属が盗まれた形跡はない。無くなったのは、ダンスタブルの手紙のみ。結局盗難事件とはみなされず、宿泊客はそれぞれの目的地へ向かう。巡礼はカンタベリーへ、商人はロンドンのシティへ、ダンスタブルはウィンザーへ、そして問題の三人は…」
ハルがデイヴィッドとダンスタブルを見回した。デイヴィッドはテーブルの上の物を見つめたまま、ゆっくりと先を引き取った。
 「問題の三人のうち、一赤毛の人はロンドンに残り、司教の部下のケイニスらに捕らえられたというのが、この説の前提だ。捕らえられて、石工から入手した宮殿の内部構造を記した紙を押収されている。ケイニスたちは、捕らえた男の仲間を、引き続き捜索している…その仲間が石工ともう一人,金髪の密偵ということになる。」
「ちょっと待ってください。」
 ダンスタブルが口を開いた。まん丸の頬を紅潮させている。
 「話の流れは分かりますが、ただ一つ疑問があります。なぜ、私の荷物から手紙など盗んだのでしょうか?それから、赤毛と金髪の二人ですが、完全に個室に引きこもっていたわけではありませんよ。他の泊り客が夜遅くまで楽しく談笑しているところに、ワインを一本差し入れてくれましたから。」
「問題の三人は、そのワインを飲んだか?」
 この切り替えしは、ハルとデイヴィッドが同時に発していた。ダンスタブルはしばらく大きな目をしばたいていたが、やがて応えた。
「いいえ。ワインの入った皮袋を置いて、すぐに二階に引き上げてしまいました。」
「一服盛られたな。」
 デイヴィッドが少し微笑みながら言うと、ダンスタブルは半ば呆れた声を発した。
「そんな、わざわざ毒を盛っておいて、金は盗まずになぜ私の手紙など盗むのです?」
「お前、自己紹介とか、身の上話とかしたか?」
「ええ、勿論。ベッドフォードを立つ時に、同行者に自己紹介もしましたし、『めんどり亭』に入ってからも、宿屋の主人なんかを相手に話しましたよ。」
「ウィンザー城内のセント・ジョージ・チャペルの、ドレール司祭を訪ねに行くと?」
「ええ。」
「宮廷に召し抱えられる予定だと?」
「ええ…まぁ…。」
「それだよ、ダンスタブル。」
 ハルは両肘をテーブルに着くと、両指で額を抑えて笑い出した。デイヴィッドも苦笑しながら、ダンスタブルに説明した。
「お前、よっぽど王家の重要人物だと思われたんだよ。特にウェイルズの密偵や、情報を売る石工にとっては、只者とは思えなかったんだろうな。ドレール司祭はあれで結構、王家の人間に意見のできる立場の人だ。未だに王子たちの教育係だし。
 その上、お前は博覧強記で、語学も出来る。王家や宮廷の秘密とか、何か良い情報を持っているのではないかと、疑われるのも仕方が無い。しかも、毒入りのワインで宿泊客を眠らせて、お前の荷物を探ってみると、なかなか立派な封蝋つきの手紙が入っている。そうなれば、その手紙を失敬しても不思議はないだろう。」
 ダンスタブルは、開いた口が塞がらなくなった。デイヴィッドは構わずに先を続けた。
「ともあれ翌朝、ウェイルズのから密偵の一人,赤毛はロンドンに残り、もう一人の金髪は石工と共に出発した。お前の記憶によれば馬を持っていなかったから、徒歩だろう。そしてロンドンにとどまった赤毛の密偵は司教の部下に捕らえられた。
 もう金髪の密偵と石工は、年が変わるまさにその日の夜、このエリーに向かって歩いていた。所が、その途中で何らかの仲間割れが起きた。大体、こういう場合は情報屋が更なる報酬を求めて、仲違いになるのだが ― 結局、密偵はこれ以上石工から引き出せるものは無いと判断し、石工を殺害した。そして発見を遅らせるために、道から外れた木の根元に死体を移動した。そして、その足でこのエリー厩舎にやってくると、よりによって俺が目をつけていた白い馬を盗み、逃走した…」
「つながったな。」
 ハルがニヤニヤしながら頷いた。ダンスタブルは、大きくため息をついた。
「つながりましたね。それで、その金髪の密偵はどこへ行ったのでしょう?」
「そうだな…俺はサウザンプトンか、ドーヴァー辺りじゃないかと思う。」
ハルはちらりとデイヴィッドを見やった。デイヴィッドも瞼を伏せて、同意しているようだ。ハルが続けた。
「今ウェイルズ戦線では、グレンダワ―を武器供給面から攻めている。昨日あたりから、成果が報告され始めているんだ。そうなると、グレンダワーが援助を求める使者 ― この場合、密偵だな。とにかく、密偵をイングランド王家の敵に送る。ノーザンバランド伯爵,スコットランド ― そしてフランスだ。金髪の密偵がウェイルズから来たのであれば、赤毛の密偵とロンドンで落ち合って打ち合わせをした後、そのままフランス方面へ向かうと考えられる。」
「もう、海峡を渡ってしまったでしょうか?」
「いや…(ハルは少し考えた。)…悪天候続きだからな。まだかも知れない。それに叔父上が網を張っているから、そう簡単に港まではたどり着けないだろう。まだ意外に近くに居るかもしれない。」

 テーブルを囲んだ三人の間に、しばらく沈黙が漂った。外は相変わらずの吹雪で、窓や壁に打ち付ける雪が、バサバサとひっきりなしに音を立てる。隙間風がピューピューと鳴り、ろうそくの火を揺らした。ダンスタブルがハルとデイヴィッドの顔をそっと見回すと、おずおずと口を開いた。
「あの…それで、これからどうしましょうか?」
ハルとデイヴィッドは顔を見合わせた。デイヴィッドは肩をすくめている。ハルがとぼけた口調で答えた。
「まぁ、今のところ手詰まりだな。状況の把握は出来たから、明日にでも叔父上に報告するさ。後は代官にあの死体を引渡し、身元の確認をさせる。目星はついているのだから、そう難しくはないだろう。あと、今日出来ることといったら、寝ることぐらいだな。」
 するとダンスタブルが飛び上がるように立った。
「あっ、じゃぁ、お二人のベッドを用意してきますよ。二階ですよね。」
「いいよ、自分でするから。」
「と、とんでもない!皇太子殿下とサー・デイヴィッドにベッドの用意をさせただなんて、田舎の両親に知られたらとんでもないことになります。」
ダンスタブルはオタオタと言って、明かりを一つ掴むと階段に向かった。
「おい、転ぶなよ。」
 デイヴィッドが言ったと同時に、ダンスタブルは見事に段を踏み外していた。
 鼻をおさえながらダンスタブルが二階に消えると、デイヴィッドはテーブルの上の品物を、片付け始めた。
「デイヴィッド。」
 ハルが残りのエールを喉に流し込んで、黙々と作業をしている元婚約者に呼びかけた。
「デイヴィッド。…まだ怒ってんのか。拗ねるなよ。」
「友達を敵に売り渡しておいて、よくもそんな図々しい事が言えるな。」
「セグゼスター伯爵は、敵じゃなかろうが。あれほど息子を可愛がる男も、珍しいぞ。」
 デイヴィッドは死体の遺品を全て麻袋に入れ終わると、ドスンと床に置いた。そして音でも立てそうな勢いでハルに向き直った。
「人ごとだと思いやがって。あのクソ親父、さっき俺に何を見せたと思う?」
「ミラノの最新モード・ドレス?」
「イングランドとフランス、スペインの女子相続人リストだ。」
 ハルはしばらくデイヴィッドの仏頂面をじっと見つめていたが、やがてゆっくりと顔をテーブルに伏せると、肩を震わせて笑い始めた。
「面白くないぞ。」
デイヴィッドが不機嫌そうに言っても、ハルの笑いは止まらなかった。
「いやぁ…さすがは親父さんだなぁ…。何て言ったって、セグゼスター伯爵家ほど女子相続人情報に詳しい家はないからな。俺はてっきり、伯爵夫人と、兄嫁さん達ばかり情報収集に熱心なのかと思ってた。」
「クソ親父にも、伝染したんだ。いい迷惑さ。うるさいことこの上ない。」
「へぇ…。」
 ハルはニヤニヤしながら、額が付きそうなくらい顔を寄せてきた。
「それで…そのリストに、ダルシーのジェーン・フェンダーは挙がっていたのか?」
 一瞬黙ったデイヴィッドは、ハルを睨んだまま低い声で言った。
「…それ以上余計な事を言ったら、明日の朝起こさないぞ。」
 ハルはまた笑みを浮かべ、すこし俯いた。そしてすぐに顔を上げ、相変わらずニヤニヤしながら一言付け加えた。
「でも、確認はした訳だ。」
 デイヴィッドは席を立つと、二階に向かってしまった。食堂に、ハルの笑い声が残った。



 → 9.雪原での逃走には白馬が有利であるという実例,およびその例外
8.エリー厩舎に、驚くほど頻繁に客の訪れた一日が、悪天候と共に終わる事
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


  ダンスタブルの忙しい降誕節
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