口うるさい父親と、いつまでたっても子ども扱いする母親から逃れ、デイヴィッドはやっと居住棟に入った。ウィンザーでいつも使っている寝室に入ると、常のように城に仕える小姓が湯や簡単な食事を運んできた。
 「ハルは忙しいのか?」
デイヴィッドが尋ねると、小姓が頷いた。
「ええ、実は国王陛下が少しお疲れのようで…」
咄嗟にデイヴィッドは顔を曇らせたが、小姓が慌てて付け加えた。
「いえ、そんなに体調がお悪い訳ではありません。ただ、新年のお勤めが少々立てこんだので、昨日から今日にかけて、執務はお休みになさっているのです。この陽気ですから、お風邪など召しては大変ですし。」
「それで、代わりにハルが大車輪か?」
「ええ。(小姓は含み笑いをした)夕べは広間での晩餐会や宴を欠席なさったのですが、やはり一通りお食べになってから、夜中までお仕事をなさっていたようです。」
「陳情団か。」
 デイヴィッドが手と顔を洗いながら言うと、小姓は頷いた。城内に見慣れない顔が幾つもあるし、そこかしこが、ざわついている。ウィンザーに陳情団が押し寄せていることくらい、デイヴィッドには簡単に分かった。
 「他の王子様たちは?」
デイヴィッドがタオルを受け取りながら尋ねると、小姓は少し考えてから答えた。
 「たしか、ハンフリー様はクリスマス明けにすぐオックスフォードへ。何か大事な用があるとか。」
「新しい羊皮紙が手に入ったからだよ。それから?」
「ジョン様は昨日までドレール司祭様に課題を出されていて、大変そうでした。今日はもう解放されていると思います。トマス様はずっと国王陛下に付き添っておられましたが、今日はご自身もお休みだと…ああ、午後には馬場にいらっしゃるとか何とか聞きましたよ。」
「馬場か…。」
 デイヴィッドがつぶやいた時、扉の向こうから凄い音が迫ってきたかと思うと、ノックもせずにいきなりドアが開き、男が一人突進してきた。
 「デイヴィッド!緊急事態だ。」
ウィンチェスター司教だった。こんな高貴な身分の聖職者が、いきなり乗り込んでくるとは思わず、小姓がびっくり仰天した拍子に、持っていたタオルを放り出してしまった。それがウィンチェスター司教の頭にバサリとかかってしまい、小姓は真っ青になった。デイヴィッドは眉を寄せると、いつもの仏頂面で寝台に腰掛けた。
「お似合いですよ。」
司教はまた口を開けてデイヴィッドに何か言おうとしたが、その前にかろうじて小姓に向き直った。
 「下がっていろ。」
小姓は慌てふためき、すごい勢いで司教の頭にかかったタオルをひったくると、アタフタと礼をして寝室から出て行った。
 司教は改めてジロリとデイヴィッドを睨み、息を吸い込んだが、再びデイヴィッドが遮った。
 「とにかく、椅子に座ってください。それから挨拶ぐらいしましょう。今日は、司教様。お久しぶりですね。」
「せいぜい十日かそこらだろう。」
ウィンチェスター司教はいまいましそうに言いながら、デイヴィッドが指し示した椅子を引き寄せ、寝台の向かいに腰掛けた。
 「公現祭まではセグゼスターに居ると思った。」
「兄嫁攻撃に耐え切れなくなりました。」
司教はようやく少し笑った。
「お前の親父さんより、強敵か。」
「親父は巻けば良いのですから。…それで、何です。私も色々取り込んでいるのですが。」
「なんだか知らんが、お前の用は後だ。いいか、これは暗殺の危機だぞ。」
「暗殺?」
 デイヴィッドは低い声で聴き返した。すると、ウィンチェスター司教は懐から粗末な、しかも何回も使って表を薄く削ったような紙を差し出した。
「読んでみろ。」
デイヴィッドは少し首をかしげて、書いてある文字を読もうとした。しかし、どうも汚くて乱雑な字で、しかもつづりが間違っている。少々苦労しながら、読み上げた。
 「南西第二塔,三階,回廊東側,衛兵詰め所…礼拝所近し…下階倉庫,…庭園通路…」
文字はそこで切れていた。デイヴィッドはしばらく紙片を眺めていたが、やがて睨むように視線をあげて、司教に尋ねた。
「ウェストミンスター宮殿?」
「そうだ。」
司教は重々しく頷いた。
 「それは明らかに、ウェストミンスター宮殿内部の構造を詳細に記したものだ。外側からでは分からない個所…たとえば倉庫から庭園へ抜ける通路などは、内部の人間にしかわからん。」
「この書き付けは、どこから入手したんですか?」
「それが問題だ。一昨日、ロンドンで身柄を拘束した反乱軍の密偵が持っていたんだ。」
「つまり…グレンダワーの?」
「そこはまだ吐いていない。とにかくケイニスたちが、イングランド側の情報を探るために派遣された密偵を逮捕した。」
「なるほど。」
 昨日、ウェストミンスターの工事責任者が、姿を見たという司教の懐刀こそ、ジュリアン・ケイニスである。デイヴィッドはもう一度書き付けに目を落とした。
「それで、その捕らえられた密偵はこの書付について、どう説明しているのですか?ある程度は吐いたのでしょう?」
「それが中々難しい。」
 司教は鼻から大きく息を吐き出しながら、苦々しく言った。
「宮殿の内部構造については、人に聞いたの一点張り。誰に聞いたのかはどうしても喋らない。」
デイヴィッドは腕を伸ばすと、書き付けを司教に戻しながら言った。
 「確かに密偵がウェストミンスター宮殿の構造を詳細に知ったというのは、気持ちの良い話ではありませんね。しかし、さすがに国王陛下の寝室まで押し入って、暗殺に及ぶというのは無理でしょう。ハルなんて宮殿からしょっちゅう脱走するのだから、いくらでも町で姿が見られる。…違いますね、司教。この手の暗殺はありませんよ。」
しかし、司教の厳かな表情は変わらなかった。
 「確かに、賊が宮殿に押し入ってという心配はないだろう。ただ、反乱軍の密偵がこの情報を入手し得たという点に問題がある。」
「それは同意します。」
「宮殿内部の人間が、なぜ密偵と接触したのか。密偵と知っての接触か。もしくは偶然か…」
二人は少し黙ってしまった。やがてデイヴィッドが口を開いた。
「それで、どうします?」
「この紙を持っていた密偵は、以前からロンドン周辺で活動していて、ずっとマークしていたんだ。どうも、最近この男は、仲間と接触した形跡がある。」
「ロンドンで?」
「おそらく。仲間の情報は吐かないだろうから、別口からその仲間を探すように、ケイニスに指示をしてある。」
「私にはどうしろと?」
「言わなくても分かるだろう。」
 デイヴィッドは暫くウィンチェスター司教の顔を眺めていた。だいぶしてから、
「ああ。」
と、つぶやいた。
「分かりました。出来る限り張り付いていますよ。」
ウィンチェスター司教の表情が、やっと和らいだ。
「正直言って、早く戻ってきてくれて良かった。ギブスン家の夫人たちに感謝だな。」
「ひとごとだと思って…。」
デイヴィッドは心底嫌な顔をしている。ウィンチェスター司教は、更に微笑んだ。
 「一応、参考までに訊くが、お前の用というのは何だ。」
「馬ですよ。」
「馬?」
「トマス様の白い馬がエリーから盗まれて、その代わりに身元不明の死体をもらった ― そういう話です。」
 司教は訳がわからないと言って首を振り、ハルはもうしばらく執務室に缶詰にされているから、今のうちに用を済ませておけと言った。それを聞いている間に、デイヴィッドの頭にある考えが浮かんだ。それは、朝にエリー厩舎で浮かんだものと同じだった。しかし今回も、そんな事はあるまいと否定した。

 ウィンチェスター司教と別れてから、デイヴィッドは馬場に向かった。相変わらず肌を刺すような寒さだが、幸い風が止み、薄日がさしている。
 デイヴィッドが馬場に出ると、二頭ほどが騎手を乗せて調教を行っていた。寒さのためか、体力的に余裕のある馬たちだ。デイヴィッドはそれを横目に見ながら厩務員の詰め所に向かった。扉を開けると、顔見知りの厩務員たちが驚いた顔をして迎えた。
 「あれぇ?!サー・デイヴィッド!びっくりしたなぁ、いつこちらへ?」
「さっき着いたばかりだ。」
「まだ御領地かと思いましたよ。」
 兄嫁がどうこうというのは、面倒なので黙っていた。休憩時間なのだろう、厩務員や蹄鉄打ちたちは飲み物を持って、火にあたっている。
 「トマス様が来ていなかったか?」
デイヴィッドが温かいハーブ茶を受け取りながら尋ねると、一同は頷いた。
「ええ、さっきまでいらっしゃいました。そうだ、トマス様が『そろそろデイヴィッドが白い馬を連れて来る頃だから、到着したら知らせてくれ』って仰っていました。サー・デイヴィッド、白馬を調達してくださったのですか?」
「いや、それが…」
デイヴィッドは小さくため息をついた。どうやらトマスは、そろそろデイヴィッドが現れるであろうと予測していたらしい。せっかく期待していてくれただろうに、手ぶらで来てしまった。デイヴィッドは熱いハーブ茶を吹き冷ましてすすり、もぐもぐと言った。
 「白馬の当てはあるのだが、今すぐには調達できなくて…。トマス様には、代用の馬があるだろう?」
「ええ、でもあまりお乗りになる気はないようですよ。」
火を囲んでいた厩務員たちは、お手上げとばかりに苦笑した。
「まぁ、ウィンザーではもっぱら国王陛下の付き添いですから、それでも大丈夫みたいですけど。トマス様がお乗りにならないので、ああやって我々が運動させているわけで。」
 デイヴィッドは指差された外をみやった。さっきの馬が、ゆっくりと馬場を回っている。デイヴィッドは窓を開けると、外に向かって呼びかけた。
 「ご苦労さん!どうだ?」
すると、騎手がこちらを向いて微笑んだ。
「どうも、サー・デイヴィッド!まぁまぁですよ!この寒さですからね、いっその事走らせてやったほうが良いのかもしれませんがね。」
「無理させるなよ。」
すると、詰め所で暖を取っていた馬丁頭が、デイヴィッドの脇から顔を出して怒鳴った。
 「おおい、そろそろ入れてやれ!そいつは蹄鉄を打ち直すから!」
騎手は手を上げて分かったと、合図した。馬丁頭は窓を閉めた。
「閉めますよ、サー・デイヴィッド。こう寒くちゃ風邪ひきますから。さぁ、みんな休憩は終わりだ。仕事に戻るぞ。おい、スティーヴン!」
馬丁頭が、若い見習にそう呼びかけたとき、デイヴィッドが突然、馬丁頭の腕を乱暴につかんだ。
「おい、今なんて言った?!」
手にもっていたコップから、ハーブ茶がこぼれても気付いていない。
「え、ええ?!」
馬丁頭はもちろん、詰め所の一同はびっくりして動きを止めてしまった。デイヴィッドは眉を吊り上げ、険しい表情で馬丁頭の顔を睨んでいる。腕を捕まれた方は、うろたえながら答えた。
「な、何って…あの、その、そこの新入りがスティーヴンって名前ですので…」
 ― ドカン!!と物凄い音を立てて、デイヴィッドは詰め所の扉を開け放ち、悪魔のごとき速さで駆け出した。馬場で馬が驚いていななき、詰め所の扉は放置されてギィギィと鳴っている。残された馬丁や厩務員たちが扉を見てみると、上の蝶番が外れていた。デイヴィッドが乱暴にあつかったせいで、壊れたらしい。

 広い、広いウィンザー城の中庭を、デイヴィッドが全速力で走っていく。すれ違う知った顔、知らない顔、誰もが何事かと振り返ったが、デイヴィッドは頓着せずに、まっすぐセント・ジョージ・チャペルに向かっていた。
 (そうだ、ずっと前から気付いていたんだ …)
 デイヴィッドはチャペルの大きな塔を見据えたまま、心の中でつぶやいていた。いてつく寒さが、耳を千切りそうな気さえする。呼吸をするのも忘れて、チャペルの階段を駆け上がった。
 (スティーヴン、聖ステファノ!きっとそうだ。きっと…)
 デイヴィッドは聖堂に飛び込んだ。午後の礼拝が終わるところだった。突然凄い勢いで飛び込んできた男に、参列していた貴人たちや、その随身、聖職者達が驚いて振り返った。デイヴィッドは構わずに後ろの方から祭壇に向かって礼をすると、目指す姿を探して首をめぐらした。その男 ― さっき別れたばかりのジョン・ダンスタブルは、目立つ容姿の男だ。デイヴィッドはすばやくダンスタブルの所に駆け寄ると、その腕を掴んで強引に聖堂から連れ出した。
「ど、ど、どうしたのですか?!」
 ダンスタブルはただでさえ大きな目を更に大きくして、驚愕の表情をしている。デイヴィッドは何か言おうとしたが、さすがに息が切れている。肩を上下させていると、急に冷たい空気が肺に侵入して来て、痛くさえ感じられる。それでも、デイヴィッドは片手でダンスタブルの丸々とした腕をがっちり掴んだ。
「石工だ、ダンスタブル。石工が居なかったか?」
 一瞬だけ、ダンスタブルは当惑した。しかし、そこはベッドフォードでも音に聞こえた秀才だ。一度またたきをすると、デイヴィッドの質問の意味を飲み込んだらしい。
「居ました。私達が巡礼の皆さんや、他の人と一緒にロンドンの宿舎『めんどり亭』に泊った日に、来た男の人です。」
「間違いなく、石工だな?」
「ええ、二十六日が聖ステファノの祝日で、組合から特別の贈り物をもらったと言っていましたから。」
「よし。お前、これから何か仕事があるか?」
「星の観測をする予定でしたが、今夜は天気が崩れるでしょうから、多分無理です。」
「死体を見るのは平気か?」
デイヴィッドはまだ息を乱しながら、じっとダンスタブルを見つめ、低い声で言った。ダンスタブルは、もう一度まばたきをした。
 「分かりません。試してみます。」
「よし、出かけるから、俺と一緒に来い。馬は?」
「村から乗って来たのがあります。」
「別の良い馬を回してやる。四時課の鐘と同時に出発だ。それまでに準備して、厩舎に来い。着込めよ。」
「あの、サー・デイヴィッド。そのコップは?」
デイヴィッドが指摘されて自分の左手を見ると、厩舎の詰め所で渡されたハーブ茶のコップを持ったままだった。中身はすっかりこぼれてしまっている。デイヴィッドはそれをダンスタブルの胸に押し付けた。
「やるよ。」
 咄嗟に受け取ったダンスタブルが何か言おうとしたが、デイヴィッドはダンスタブルの背後に近づいてきた女の姿を認めると、素早く踵を返して走り出した。
「まぁ、デイヴィッド様!」
 叫び声を上げたのは、セグゼスター伯爵夫人 ― つまりデイヴィッドの母親の侍女だった。デイヴィッドは振り返らずに走った。チャペルから出てきた人々の中から、セグゼスター伯爵の声がする。何事かを喚いているような、司祭にたしなめられているような、その中に母の笑い声が混じっている ― とにかくデイヴィッドはスピードを緩めずに、全速力で居住棟に駆け込んだ。


 → 7.デイヴィッド・ギブスンが、親友の裏切りに遭う事
6.デイヴィッド・ギブスンのひらめきと、逃走劇の展開
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


  ダンスタブルの忙しい降誕節
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