マントを巻きつけるデイヴィッドの手が止まった。暫く彼は自分の手元を見つめていたが、やがて顔を上げ、ゆっくりと視線をワンバーフィールドに向け、しばらくその大柄な姿をみつめていた。そしておもむろに口を縦に開けると、
「盗まれただと?!」
と、めずらしく高い声で叫んだ。
「ちょっと待て!じゃあアレか?!このエリーじゃ道端に死体が転がり、その上泥棒にまんまと馬を盗まれたって言うのか?そんなのは日常茶飯事なのか?!」
「馬鹿言っちゃいけませんよ、デイヴィッド様。日常茶飯事のはずが無いでしょう。セグゼスター伯爵家のご令息が、そんな間抜けな事でどうするんです。」
 デイヴィッドは指先で額を押さえると、数回こまかく頭を振った。それから顔を上げると、両手を腰に当てて、いつもの低い声で言った。
「よし、分かった。さっきここの連中が言っていた『アレ』って言うのは、馬泥棒の事だな?」
「そうです。」
ワンバーフィールドは大きな顎を上下させながら頷いた。
「盗まれたのはいつだ?」
「12月31日から、1日にかけての夜中です。犬がものすごい勢いで鳴き喚いたので、宿直当番が小屋の上で飛び起きて見たのですが、もう白い馬が一頭引き出されて、道の方へ駆け出して行った後でした。慌てて厩舎の人間を全員たたき起こして探し回りましたが、行方は掴めず…。」
「鞍と轡は?」
「轡はなんとか噛ませたようです。鞍は間に合わなかったのでしょう。乗せなかったようです。」
「じゃあその馬泥棒は、裸馬にまたがって、鞍も鐙もなしに、手綱だけで乗馬にたけた馬丁たちを巻いたという事になる。相当の乗り手だぞ。」
「そうなりますね。あの時はすぐに代官がつかまったので、馬泥棒を報告したのですが、今のところなんの報告もありません。代官曰く、馬を盗んだのだから、逃げ足も速く追跡不能だ。国中の白い馬をいちいち疑うわけにも行くまいと…。」
「当てにならないな。」
 デイヴィッドは大きくため息をつくと、もう一度テーブルに載ったメダルを手に取った。それに倣って、ワンバーフィールドも上着やマントを眺めてみたが、新しいことは何も発見できない。
 「デイヴィッド様、馬泥棒とあの死体に何か関係があると思いますか?」
「そうだな…」
「でも、馬泥棒が出たのは12月31日の夜中ですよ?」
「あの死体の腐り具合からすると、死後四日か五日だろう。気温が低すぎるが、死体があったのは水分のたまりやすい木の根元で、しかも枯葉がかかっていた。丁度馬泥棒が出た時期と重なる。…どうも臭うんだ。」
 外への通用口でバタンと音が鳴った。デイヴィッドとワンバーフィールドが振り返ったが、入ってきた者はない。どうやら、ネッドが戻ってきてドアを開けたが、相変わらずデイヴィッドが気持ちの悪い話をしていたので、再び逃げ出していったらしい。

 死体騒ぎですっかり時間を食ってしまい、ネッドの馬を吟味する時間はなかった。デイヴィッドはすぐにウィンザーへ向かおうとした。ネッドには、せっかく来たのだからエリー厩舎に残って馬を見たらと言ったが、あの死体がある所には居るのが嫌らしく、デイヴィッドとウィンザーに向かう事になった。
 デイヴィッドは死体に関する後のことをワンバーフィールドに任せ、またトマスの馬についてもまた改めて相談しに来ると言い残して、エリーからウィンザーへ馬を駆けさせた。昼過ぎには到着できるだろう。
 「ネッド、言っておくがウィンザー城内にお前の部屋はないからな。」
 デイヴィッドが馬を小走りに駆けさせながら、必死に借り物の駄馬でついてくるネッドに言うと、
「かまわないよ。」
と、元気の無い返事が返ってきた。
「あの死体から離れられるなら、どこで寝たって構うもんか。」
 ウィンザーの方向の空から、すこしずつ雲が切れ始めた。弱々しくも日の光が、所々に残っている雪を溶かすだろう。デイヴィッドの視野に、ウィンザー城の塔が映り始めた。

 デイヴィッドがウィンザー城に到着すると、門衛たちは驚きながらも大歓迎で、すぐにでもハルに知らせようと言ってくれた。しかし、デイヴィッドは先にすることがある。門衛達の申し出は断り、馬を預けるとその足でセント・ジョージ・チャペルに向かった。
 チャペルはミサの合間らしく、坊主や見習達が清掃をしていた。丁度、ドレール司祭が祭壇で道具の整理をしているところで、デイヴィッドが声をかけると驚いたようだった。
 「サー・デイヴィッド…。セグゼスターだと思ったが?」
「ちょっと色々あって。さきに祈祷を…良いですか?」
ドレールは頷くと、見習が掃除し終わった祈祷台を指差した。ミサ以外の時間にお祈りとは、ドレール司祭からすると感心な心がけだ。デイヴィッドが祈祷台に向かうと、ドレールは手伝いをしていた小太りの若い男に、居住棟へ行って、皇太子にデイヴィッドの到着を知らせるように指示した。
 ラテン語で祈りの言葉をつぶやいていたデイヴィッドは、目こそ閉じていてもその小太りの若者が聖堂から駆け出していく気配が分かった。なぜか、最後の方にドカンと固い音が響いた。
 デイヴィッドが祈祷を終えると、まだドレール神父が祭壇で作業をしていた。
 「ドレール司祭。ちょっとお話があるのですが。」
デイヴィッドが声をかけると、司祭は祭壇を降りてきて、ずらりと並んだベンチの一つを指差した。二人がそれに腰掛けると、デイヴィッドは低い声で司祭に尋ねた。
 「ドレール司祭、ベッドフォードはダンスタブルの、ガルベリーという神父を知っていますか?」
「ああ、知っている。私の弟子だった男だ。」
司祭は少し驚いた顔をして見せた。デイヴィッドが懐から例の手紙を取り出し、手渡した。
 「今朝早く、私はエリーへの道で身元不明の死体を発見しました。その死体が所持していたのが、この手紙です。」
ドレール司祭は、封蝋が破られている手紙に目を通すと、もの問いた気に顔を上げた。デイヴィッドが続ける。
「封は開いていました。そのガルベリー神父は、地元のジョン・ダンスタブルという男の紹介状を、あなたに書いたようです。しかしその手紙を持っていた男は、心臓を短剣で一突きにされた死体になっていた…」
「デイヴィッド。君はその死体がジョン・ダンスタブルだと、言うのかね。」
「いや…」
デイヴィッドは少し首をかしげた。
「かなり腐乱の進んだ死体なので難しいのですが(司祭は露骨に嫌な顔をした)、どうも風体を見る限りこのジョン・ダンスタブルのような学者肌の秀才には見えません。別人がこの手紙を所持していたと思うのですが、司祭のご意見を伺いたくて。ダンスタブルをご存知ですか?」
 司祭は小さく息をつくと、手紙を折りたたんで懐に入れた。そしておもむろに口を開いた。
 「知っているとも。ジョン・ダンスタブルは手紙を持たずに、既にこのウィンザーに到着している。」
「やはり。…そのダンスタブルは、本物ですか?」
 デイヴィッドが疑問を呈したとき、聖堂の入り口でさっきと同じような固い音が響いた。振り返ってみると、さっき使いに走っていった小太りの若者が、額を押さえながら入ってくる。
「あ、あの…皇太子殿下は今お忙しいとの事で、伝言をお願いしておきま…」
 言い終わらないうちに、今度は足元の段差を見誤ったらしく、床に転げてしまった。
「あれが、ジョン・ダンスタブル。」
ドレール神父が言った。デイヴィッドは少し瞬きをして、訊き返した。
「あれが?」
「そう、あれがそうだ。もう三日ばかり観察しているが、その才能に関しては間違いなくジョン・ダンスタブルだ。」

 この小太りの若い男が、ジョン・ダンスタブルであることに関して、デイヴィッドも疑いはなかった。当人確認よりも、デイヴィッドが気になったのはダンスタブルの日常生活である。
 「その、色んな物に激突するのは、いつもの事なのか?」
デイヴィッドが真顔で尋ねると、ダンスタブルはにこやかな丸い顔で言った。
「いいえ、いいえ。慣れれば大丈夫です。まだこちらに来て十日も経っていないので、距離感が掴めていませんが、慣れればぜんぜん平気ですので、お気遣いなく。」
デイヴィッドにはまだ疑問だ。
「でも、宮廷がロンドンに戻ったら、また同じ事だろう?」
「ええ、まぁそうですけど。いままでの十六年間、それで不自由ありませんので。」
「慣れる前に、頭の打ち過ぎで死ななきゃ良いがな。」
 デイヴィッドは椅子のひじに頬杖をつきながら、ぼんやりと言った。
 ドレール司祭は仕事があるというので、奥に引っ込んでしまった。デイヴィッドとダンスタブルは身廊の椅子に腰掛けて話していた。ダンスタブルは、名高い騎士デイヴィッド・ギブスンに見とれている。見とれながらも、求めに応じて昨晩ハルにしたのと同じように、自分が故郷ダンスタブルからウィンザーに来た経緯を述べた。
 「その、ロンドンの宿屋に宿泊した時だが。」
 一通りの説明を聞き終わると、デイヴィッドが質問した。
「その時同宿だった人間を思い出せるか?」
「ええ、ベッドフォードから一緒だった、カンタベリーへの巡礼さんたちと、商人が数人、それから別口で宿舎に来ていた人が居ました。」
「はっきりと思い出せるか?つまり、全員をリストにして名前と、特徴を書き出して欲しいんだ。」
「名前を知らない人も何人か居ますが…ただ、特徴とかは書けると思います。」
 デイヴィッドは細かく頷いた。
「よし、お前が秀才で幸運だった。紙を調達して、思い出せる分だけ全て書いてくれ。それから、その宿屋の事もだ。」
そう言うとデイヴィッドは椅子から立ち上がった。そろそろ午後のお勤めが始まるらしく、坊主たちがわらわらと入ってきた。
「しかし、サー・デイヴィッド…」
 ダンスタブルも慌てて立ち上がった。
「私はもう紹介状については、構わないのですが…。」
「紹介状の事は俺も、どうでも良い。しかし、お前の紹介状を宿屋で盗んだと思われる男が、トマス様の馬を盗んだ人間と、何らかの関係があるはずだ。突き止めて無駄ということはないだろう。」
「手紙泥棒が、同時に馬泥棒だと仰るのですか?」
「断言はできない。」
 デイヴィッドは囁くように言うと突然、姿勢を低くした。驚くダンスタブルを尻目に、彼は風のように音もなく身廊を駆け抜けると、手近な出入り口から飛び出していった。同時に、正面の入り口から身分の高そうな夫婦が入ってきた。それがセグゼスター伯爵夫人であることをダンスタブルが知ったのは、後で見習神父に教えられてからだった。



 →6.デイヴィッド・ギブスンのひらめきと、逃走劇の展開
5.ウィンザー城における、逃走劇の始まり
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


  ダンスタブルの忙しい降誕節
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