ウィンザー城と隣接するセント・ジョージ・チャペルは、立て込む行事に大童だった。そもそも国王とその家族、それを取り巻く宮廷の人々も、当初はロンドンのウェストミンスターにあるはずが、思わぬ事態で、ごっそりウィンザーに移動してきたのだ。
 宮廷のウィンザー滞在も長期になる見込みで、クリスマスが明けると直ぐに、議員やら地方の地主やら、商人やらが大挙して押し寄せ、陳情だの顔つなぎだので大騒ぎになった。ウィンザーの町にとっては忙しいながらも嬉しい活気となった。
 一方、皇太子ハルはもっぱらウィンザー城内とチャペルで、仕事に忙殺されていた。体調に配慮して、長時間に渡ったり、夜を徹したりする宗教行事には、国王の名代としてハルが参列し、昼間の通常の礼拝も多い。その上、押し寄せてきた陳情団は、ハルがほぼ一手に引き受けていた。大法官のウィンチェスター司教曰く、ハルは「人を適当に言いくるめて、あしらう」のが上手いらしい。
 国王なり、王妃なり、もしくは有力貴族たちの催す晩餐会も多く、その頃にはさすがのハルも多少の疲労を感じていた。それを目ざとく見つけた末弟のハンフリーは、
「兄上のお疲れは、側にデイヴィッドが居ないせいですよ。」
などと言って長兄をからかい、なぜかジョン王子がそれをむきになって否定したりした。

 その日も朝からハルは陳情団と面会することになっていたが、急遽取りやめになった。ウスター近郊の数箇所の城主からの使者と、ウェイルズの前線へ出陣している叔父トマス・ボーフォートの使者が、偶然にも同時にウィンザーに到着したのだ。
 そして彼らのもたらした情報も、ほぼ同じだった。しかしこれは偶然ではない。

 1403年にシュールズベリーの戦いでノーサンバランド伯爵家のホットスパーと、ウスター伯爵が国王軍に敗退して以来、内乱と言えば主にウェイルズのオウエン・グレンダワーの軍事行動を指した。ハルは去年の春から夏にかけてはその反乱の平定のためにウェイルズに出陣していた。秋にはロンドンに戻ったが、収穫の時期に一度、モンマスへ祝宴出席も兼ねつつ、視察に出ている。
 ウェイルズのイングランド支配に対する抵抗は、グレンダワーという英雄が居たからこそ、可能だった。人望も厚いグレンダワーは、ウェイルズの統治者として貨幣を発行した事さえある。
 しかし、名将の誉れ高いグレンダワーも、さすがにシュールズベリー以前ほどの威力は持っていなかった。その一方で、大規模な会戦ではなく、ウェイルズの地理を熟知した者にのみ可能な遊撃戦は、相変わらず盛んだった。それがイングランド国王軍を悩ませている。ウェイルズに点在する城の城主の中にも、そんなグレンダワーの援護に付くものは多い。
 そこでハルは、正攻法の軍事行動以外に、別の作戦を実行することにした。物資面からの攻撃である。兵糧攻めは地元領主の協力が多く必要なので、まだ無理だった。そこで、ハルは武器の供給を止める作戦に出たのである。
 もちろん、ハル一人の立案ではない。宮廷の軍事顧問や、側近と呼ばれる宮廷に近い貴族達が、ハルの相談相手となった。そしてボーフォート家の人々。ウィンチェスター司教などは聖職者のくせに、誰よりも反乱軍討伐の具体的な作戦立案に熱心だった。
 国王ヘンリー四世自身は、ハルの言う「物資面からの攻撃」には懐疑的だった。戦闘以外での軍事作戦展開というものが、王者の作戦に直結しないのだろう。しかしハルは、反逆者を攻め落とした城門の前で処刑すれば全てが解決するとは、思っていなかった。それに、ハルは最初から父王の許可を必要とも考えていない。
 既にウェイルズ戦役の総司令官は、十九歳の皇太子ハルという認識が出来上がっている。秋のモンマス行きの頃には、準備は済んでいた。即ち、ウェイルズの中でもイングランドの王権に協力的な幾つかの領主に協力を求め ― もしくは見返りを与えつつ ― 領内を通行する物資の規制を実行したのだ。武器類に関しては、全面的に停止させた。
 しかし、この作戦はすぐには功を奏さなかった。少なくとも、秋の間はこれといった成果が上がらなかったのである。しかし、クリスマスが過ぎたこの時期になって、その効果が現れてきた。
 
 先にハルが軍事顧問達やウィンチェスター司教と共に面会したのは、ウスター周辺のイングランド側領主連合の使者である。これによると、完全な農閑期に入った十二月以降、手の空いた農民達を使っての、武器輸送が盛んになっていると言うのだ。無論、協力者たる領主達は、その武器を取り上げ、農民達を村に強制送還した。
 まだ件数こそ少ないが、この作戦が間違いではなかったことは確かだ。もちろん領主達は、見返りや、反乱平定後の所領の加増を要求してきた。ウィンチェスター司教などは渋い顔をしそうになったが、使者の前だ。ハルがすかさずに輝くばかりの笑顔で、領主たちの労をねぎらい、自分が次の出陣する時は、ぜひとも協力領主たちと直接会って話をしたいと申し渡した。
 そして使者達には、ウィンザー城内の行き届いた客室を提供し、中々気の利いた大陸の文物などを持たせて、領地へ返すことを保証した。

 次にトマス・ボーフォートの使者が、面会の間に来た。こちらは、モンマス城を拠点に、冬の防衛線というべき陣地が無事に敷かれた事、厳しい寒さのためか、グレンダワ―お得意の遊撃作戦も鳴りを潜めている事、そしてウェイルズでのグレンダワ―の求心力が、微妙に衰えていることなどを報告して来た。
 更に、ボーフォートも武器輸送停止作戦の成果について、言及している。協力城主と同じような内容であり、更にボーフォートの場合は、この冬の間に大急ぎで各協力領主の城を回って、武器を回収する手はずを整えていることを、報告している。この任務については、またすぐに報告できるだろうと、ボーフォートの手紙は結ばれていた。
 ボーフォートの使者は、トマスの兄にあたるサマーセット伯爵のところに宿泊し、二日後にはまたモンマスへ向けて出発するとの事だった。

 軍事顧問達は、しばらく事態を静観しようというハルの意見に同意し、面会の間から退出した。
 ハルは立ち上がると、少し伸びをしてからウィンチェスター司教に向き直った。
「春を待たずに、出陣したほうが良いかもしれませんね。」
「陛下の調子がよければな。いや ― 」
司教は少し考え直した。
「あまり頻繁に出陣するのは感心しないな。去年が少し慌しすぎたんだ、お前も少しはロンドンに腰を据えたほうが良いだろう。」
「さぁ。ロンドンは叔父上にお任せして大丈夫だと思いますがね。」
 ハルが少し首をかしげながら、僅かに笑うと、司教はため息をつかざるを得ない。
 「まぁ、今決めることじゃない。もう少し様子を見よう。それで ―」
 ハルはもう、面会の間から出て、回廊を執務室に向かって歩き始めている。分厚い壁のウィンザー城内も、さすがに冷え冷えとしていて、回廊を歩くハルの歩調は必然的に早くなっていく。司教は歩調を合わせながら尋ねた。
 「下で待っているあの陳情団だがな。まともに全員に愛想良くするのはまずい。今日会うのは止せ。」
「止してどうします?」
ハルはずんずんと歩を進めつつ、少し笑いながら聞き返した。
「適当にじらすさ。すぐにあきらめて引き上げる連中なら、陳情を聞く価値無し。明日以降も粘ったら、まず陳情書だけ目を通せ。」
「いやだな、叔父上。」
ハルはクスクス笑いながら返した。
「私はもうクリスマスからこの方、ずっとその繰り返しですよ。叔父上がウィンチェスターに釘付けにされている間からね。実際、これから私には、山のような陳情書読みが待っているのですから。」
「そうか。」
 ウィンチェスター司教は、ハルが十二歳の時にその教育を担当するようになった時分のくせで、つい事細かな指示を出してしまう。司教は苦笑しながらつぶやいた。
「お前達も、もう二十歳になるのか。」
「ええ、夏には。」
 だいぶ前から、ウィンチェスター司教よりも背が高くなっているハルは、到着した執務室の扉に手をかけて振り向いた。
 「明日の午前中、お時間を下さい。陳情書から選りすぐったツワモノについて、ご相談しますので。」
「わかった。」
「それから、さっきの話の続きですが。グレンダワーはフランスかスコットランドに、援助を求める可能性がありますので・・・」
「わかった。封鎖網を強化する。」
「どうせ、突破されますよ。それよりも先に、両国に根回しした方が良いでしょう?叔父上の得意分野だ。」
「わかった、両方手配しておく。作戦については私がこれから陛下にご説明するが、お前も来るか?」
「叔父上にお任せします。」
 ハルはそっけなく言うと、司教の鼻先でバタンと扉を閉じた。

 ウィンチェスター司教こそ国王のもとに向かったが、それでもハルの執務室には、陳情団の回し者だの、財務官だの、そして最も厄介な人種 ― 宮内省の連中などが押し寄せてきた。ハルがそれらをどうにか追い払い、執務室に一人にしてもらえた時には、午後になろうとしていた。冬の日は短い。日の光で字が読める内になんとか量をこなそうと、ハルは書面と首っ引きになっていた。
 遠くで誰かが笛を吹いているようだ。おそらく、王妃と貴婦人たちの慰みの音楽だろう。それもやがて止んだ。
 随分長い間同じ姿勢で机に向かっていると、背中が痛くなってくる。その時、執務室の扉をノックする音がした。顔を上げようとする一瞬、ハルの脳裏に見慣れた姿がよぎる。背が高く、痩せ型で、黒い髪、睫毛の長い仏頂面 ― しかしすぐにそれを否定した。
(まだ、セグゼスターに居るはずだ。)
入室を促す前に、扉が開き、男が一人入ってきた。
「ああ、王子様!」
 男はハルを見るなり、綺麗な高い声で歌うように言った。男と言っても、少女のように白い真ん丸な顔に、頬が春の花のようにほんのりと染まっている。背は低くも高くもなく、ころころと丸っこい体型をしている。大きな瞳がやや垂れ気味で、ひどく子供っぽい。もしかしたらまだ少年と言うべきかも知れない。
「済みません、道に迷ってしまって。まだこのお城の構造が分かっていなくて…」
 彼はスタスタと執務室に入って来て、机の上に積まれた羊皮紙や、安物の紙を見て驚いた。しかも、なぜかその紙の山から少し顔を遠ざけ、目を細めている。
「おや、王子様。もうこんなに見つけていらしたんですか?やっぱりこのお城に精通している方が、もの探しには有利ですね。」
 どうやら、この童顔男は何か勘違いをしているらしい。ハルは上半身を椅子の背に預けると、男に聞き返した。
「探し物?」
「そうですよ。」
彼はびっくりしたようにキョトンとしている。
 「ドレール先生からの課題、夜までには揃えなければならいって、王子様がおっしゃったんじゃありませんか。」
「ああ…」
 ハルは可笑しくなって微笑んだ。この童顔の若い男は、人違いをしているのだ。ハルにはその対象が誰だかわかっていたし、当の本人がちょうど執務室の開いた扉の前を通って、足を止めたところだった。弟のジョン王子である。
 「ダンスタブル!」
ジョンは兄と向かい合っている童顔の男に、驚きの声をあげた。
「どこに行ったのかと思ったら、ここに居たのか?」
 ダンスタブルと呼ばれた若い男は、それこそ幽霊でも目撃したかのような驚愕の表情でジョンと、ハルを交互に見回した。ジョンは執務室に入ってきて、軽くハルに会釈すると、またダンスタブルに言った。
「兄上にもうご挨拶したのかい?」
「兄上様?!」
 ダンスタブルは頬を真っ赤にして、素っ頓狂な声で叫んだ。そして近づいてきたジョンの顔を、またもや目を細めなら見つめ、次にハルの顔を見つめた。そこにあるのは、背の高さ以外は容貌がそっくりな二人の王子の顔である。ダンスタブルは、また声を高くして叫んだ。
 「兄上様!え、あ、ジョン王子様の、兄上様、え、おお、ああ!皇太子殿下!こーぉたいしでんか!わぁ!」
 奇天烈なリズムを刻みながら、立て続けにそう叫んだダンスタブルは、二,三歩その場をぐるりと回ると、いきなり床にばったり倒れてしまった。そして王子達の驚きも醒めないうちに、瞬時に立ち上り、飛ぶように扉の前まで下がると、二人に向かって深々と恭しく礼をした。
 「皇太子殿下、ジョン王子、大変失礼いたしました!御前に控えますはジョン・ダンスタブル!ベッドフォードシャーのダンスタブル村から参りました、ジョン・ダンスタブル、十六歳と七ヶ月と二十二日であります!私は主と国王陛下と、お二人のしもべ、なんなりとお申し付け下さい!」(*注)
「きみ、曲芸師かい?」
 ハルが間髪入れずに尋ねた。ダンスタブルは子供っぽい顔を一瞬ポカンとさせたが、すぐに真面目な顔になって答えた。
「いいえ、楽器と歌は行けますが、曲芸はできません!」
 予想外の答えが返ってきたので、ハルは声をあげて笑い出してしまった。そして執務は一時中断するとして、椅子から立ち上がると、困った顔をしているジョン王子の肩に手を置いて尋ねた。
 「面白い子だなぁ。ジョン、このダンスタブルはどうやら俺とお前を、あまりにもそっくりな故に見間違えたようだが、彼を紹介してくれないか?」
ジョンは兄から「似ている」と言われて少し嬉しそうに頬を染めた。
 「ええ、彼自身も申しましたように、名前はダンスタブル。ドレール司祭の紹介で、宮廷付き尚書係の見習に来ています。」
「ドレールの?」
 ハルが聞き返す。ドレールとは、ウィンザー城内の大きな聖堂,セント・ジョージ・チャペルの司祭である。彼はまだ年若い二人の王子 ― ジョンとハンフリーの教育係でもった。以前はウェストミンスターへも同行して教育にあたっていたが、最近はウィンザーでの仕事が多くなったこと,ハンフリーがオックスフォードかケンブリッジに脱走してしまうなどの事情で、ずっとウィンザーにとどまっていた。もともと学者肌なハンフリーはともかく、ジョンはハルと共にウェイルズへ出陣することが多く、少々勉学に割く時間が足りていなかった。そんな訳で、いまだにジョンがウィンザーに来ると、ドレールに首根っこを掴まれ、大量の課題を出されているのだ。
 「ええ。(ジョンは頷いて見せた。)何でも、ドレール司祭の弟子がダンスタブルの教区に勤めているとかで、ベッドフォードあたりで秀才として名の高いダンスタブルを、推薦したのだそうです。」
「へぇ。それは大したものだな。」
 ハルがそういうと、扉の前のダンスタブルは恐縮して、大きな垂れ目をパチクリさせている。
 「それでお前、ドレールから山と出された課題を、ダンスタブルと一緒にやっつけようと企んだ訳だな?」
更にハルがジョンを悪戯っぽく睨みながら言うと、弟は肩をすくめた。
「兄上にはお見通しですね。でも、叔父上も常々おっしゃっているではありませんか。問題解決には正面突破よりも、より効率的解決方法を思いつく能力を伸ばせ。」
ジョンがウィンチェスター司教の口真似をして見せるので、ハルは噴き出してしまった。
「学問的鍛錬にあてはまるとは思わないが。まぁ、いいや。」
 ハルは椅子に戻ると、ダンスタブルに手を振って見せた。
 「俺とジョンを見間違えるというのは、誰でも一度はやらかす事だ。気にしなくて良いよ。さぁ、もう行って。口うるさいドレールの課題をやっつけて来い。」
「失礼しました!」
 ダンスタブルはもったいぶった口調で大げさに言うと、額が床につきそうな勢いで礼をした。ジョンもハルに向かって会釈をしてから、退出しようとする。その近づいてきたジョンの顔を、ダンスタブルはまた目を細めて確認すると、扉の方へ踵を返した。
 「待った。」
ハルが呼び止めた。ダンスタブルがベルトの背中からぶら下げている、細長い小さな皮袋を指差している。
 「ダンスタブル、それは?」
「ああ!」
ダンスタブルはまた幼い顔つきをパッと輝かせた。
「リコルドですよ、皇太子殿下。」
「笛か?」
「ええ。昨日、御用商人たちの納品現場に立ち会ったのですが、その中にこの笛がありまして、散々お願いして借りたんです。」
 ダンスタブルは屈託なくニコニコしている。
「じゃぁ、さっきまで笛を吹いていたのは、お前さんか?」
 するとダンスタブルは顔を真っ赤にして、決まり悪そうに頷いた。クルクルと表情が変わる男だ。
「ええ、あの…王妃様方にご挨拶申し上げましたら、音楽を所望されまして…そのぉ…。」
 彼はすっかり恐縮して、もじもじと俯いてしまった。ジョンはきょとんとして、ダンスタブルとハルを交互に見やっている。ハルはまた少し笑って、机上の書類に目を戻した。
 「そうか。じゃぁ、俺もひとつ所望しよう。ダンスタブル、今夜の夕食に同席してくれ。ジョン、お前とドレールもだ。」
「うわぁ、すごい幸運!ダンスタブル、お国の親戚に自慢できるぞ。」
 ジョンは目を丸くしたが、ハルはもう書類に目を戻して、手を振っている。改めてジョンは軽く会釈をして、ダンスタブルは深々と礼をした。そしてジョンが先に扉の外へ出て行ったが、ダンスタブルは目測を誤ったのか、目の前のドア枠にガツンと額をぶつけ、フラフラと出て行った。



 → 3.多芸多才の人と共に取る、楽しい晩餐の場面


* 注:ジョン・ダンスタブルの生年については、記録が無い為はっきりした事は分かっていませんが、大体1390年ごろだろうと言われています。ですから今回、私が書いた生年月日は創作です。
2.皇太子ハルが、二人の使者,およびジョン・ダンスタブルに会う事
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


  ダンスタブルの忙しい降誕節
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