十二月に入ればどんな人でも、多かれ少なかれ忙しくなる。イングランドのプランタジニット王家の人々は、クリスマスに向けた行事,儀式が目白押しになり、それは年が明けるまで続いた。
 デイヴィッド・ギブスンは年明け早々に、父親の領地セグゼスターからロンドンに戻った。当然、公現祭のミサや儀式は、ウェストミンスター・アベイで行われると思っていたが、今年は事情が違ったようだ。クリスマスの儀式が一段落すると、王家の人々と宮廷人たちはこぞってウィンザーに行ってしまったというのだ。留守居役だけが残ったウェストミンスター宮殿で、デイヴィッドはその理由を知らされた。
 秋に完了するはずだったウェストミンスター宮殿の改修が、遅れているのである。この宮殿はいつもどこかしらが工事中だが、悪いことに今回は国王をはじめとする高貴な人々の居室付近の改修が間に合わず、冬だというのに隙間風と冷え込みを防ぎきれなかったのである。
 若い王子たちはともかく、国王ヘンリー四世は普段から病気がちである。劣悪な住環境で体調を崩してはいけないと言う事で、クリスマスの行事が終わると宮廷はまるごとウィンザーに移動し、そこで年明けを迎えたのだ。公現祭の儀式も、ウィンザー城内のセント・ジョージ・チャペルで執り行うらしい。

 「いや、本当に散々な話でして…」
 ウェストミンスター宮殿の廊下を歩きながら、工事責任者はデイヴィッドにオタオタと説明した。
「あの石工頭が悪いんですよ、クリスマスの給金を払ったら、ドロンと消えちまって、給料泥棒ですよ。おかげで工事は大混乱…」
 責任者はそう言ったが、工事の遅れは今に始まった事ではない。デイヴィッドはそこかしこで響く槌音を聞きながら、自室に向かって歩を進めていた。
「誰か、ここに残っているか?」
「いいえ、大方陛下について行かれまして。ああ、でもあの…なんでしたっけ。ああ、ケイニスさんて言う人が昨日,今日あたり、こことロンドン塔の間を行き来していましたね。」
「ジュリアン・ケイニスか。…何かあるんだな。」
 デイヴィッドはつぶやいた。ケイニスというのは、ウィンチェスター司教の懐刀である。
工事責任者はデイヴィッドについて歩きながら、相変わらず忙しく口を動かした。
「少なくとも、国王陛下や王子様達のお部屋はクリスマス前に仕上がるはずが、最初っから遅れ勝ちで、その上石工に職務放棄されたんじゃぁ…」
「ちゃんとした金を払ったのか?」
デイヴィッドが振返りもせずに抑揚なく言うと、工事責任者は憤慨して喚いた。
「なんて失礼な!ちゃんと払いましたよ!」
 締まり屋の大法官がどうだかな、などと思いながらデイヴィッドは自室に到着した。
「まぁ、俺も明日には発つから。隙間風を一晩しのぐくらい、どうにかなるだろう。」
「いや、あの、それがですね…」
 工事責任者が言いよどむのを無視してデイヴィッドが扉を開けると、予想だにしない風景が待っていた。見慣れた自分の寝室のはずが、どう言う訳か床の向うには寒々とした外の風景が広がっている。一陣の風が枯れ葉を巻き上げ、デイヴィッドの顔に勢い良く当った。デイヴィッドは振り返らずにつぶやいた。
「確か俺の部屋には、外との境に『壁』ってものがあって、そこに『窓』ってものがついていたと思うのだが…」
 工事責任者は、もう逃げ出していた。

 「あらまぁ、それじゃサー・デイヴィッドの部屋も吹きっさらしでしたの?!」
 ホワイト・ウィージルの女将マライアは、高い声で笑いながら言った。デイヴィッドはテーブルに肘をついていて苦々しく肯いた。マライアが温めた安ワインに蜂蜜やハーブを入れて差し出す。
「俺の部屋『も』どころか、俺の部屋が一番ひどかったんだ。壁が丸ごとなくなっていたんだぞ。」
「そいつぁ、良かった!根性試しにそこで寝りゃ良かったのに。」
「そうだよ、デイヴィッドの武勇伝がまた一つ増えらぁ!」
 ホワイト・ウィージルの食堂で、いつものようにフォールスタッフと従者のネッドがしたたかに酔っ払いながら、デイヴィッドを茶化した。茶化された方は無視して、ワインを飲みながらぼんやりとつぶやいた。
「俺がセグゼスターから一日で戻ってきたら、どうする気だったんだろうな…」
「あら、皇太子殿下と一緒に寝れば良いじゃありませんか。子供の頃、よくやりましたでしょう?」
 マライアは陽気に言ったが、デイヴィッドはうんざりして溜息をついた。
 冬の太陽はあっという間に沈み、辺りはすっかり夜の闇に沈んでいる。今夜の冷えは一際きびしく、いつもなら路上に人々が出て浮かれ騒いでいるレッド・ホロウも、じっとその寒さをやり過ごすように静まっていた。
 ネッドはすっかり酔って上機嫌になり、はげた頭を真っ赤にしている。やがて、調子はずれな声で変な歌を歌いだした。
「あばれロバ あばれロバ 粉屋に入ってさぁ大変!ペールの旦那を 呼んどいで〜! 
 あばれロバ あばれロバ 酒屋に入ってもう大変!ペールの旦那は まだかいな〜! 
 あばれロバ あばれロバ 酔いが回って大混乱!ペールの旦那は 行方不明〜!
 あばれロバ…あれ?今度はどこに行くんだっけぇ?!」
 酔っ払いのひどい歌に、デイヴィッドがうんざりしていると、フォールスタッフが口を出した。
「それでデイヴィッド。お前、宮殿から逃げ出してここに長逗留か?ふんだくられるぞ。」
フォールスタッフが巨大な腹を揺すりながら言うと、マライアが猛然と言い放った。
「なんだい、失礼なこと言うんじゃないよ、このろくでなし!そういう偉そうな口は、つけを全部払ってからにしておくれ!」
デイヴィッドは僅かに笑いながら、首を回した。
「今夜はここで寝かせてもらうけど、明日には発つよ。マライア、シチューをもらえるかい?」
「あら、ウィンザーへ?」
 マライアは自慢の温かいシチューをデイヴィッドに注ぎながら、聞き返した。するとデイヴィッドが答える前に、ネッドが歌の先を思い出すのはあきらめて、口を挟んだ。
「なぁんだ、デイヴィッド。やっぱりお前は、ハルが側に居なきゃ寂しくて駄目なんだなぁ!」
するとフォールスタッフも同調する。
「道理でロンドンに戻るのが早い訳さ。それとも、ハル坊が『早く来い』ってわざわざ催促したかぁ?だらしねぇ皇太子殿下だ!婚約者が一緒に居なきゃ駄目だなんて、将来の国王としちゃ問題があるぞ。」
しかしデイヴィッドは冷たくあしらった。
「セグゼスターの兄嫁攻撃に耐えるのは、せいぜい十日が限度だからな。それに、エリーに用がある。」
「エリーって?」
 ネッドが聞き返したが、デイヴィッドは熱いシチューを口に運びはじめて、答えない。代わりにフォールスタッフがお代わりのエールを喉に流し込みながら言った。
「エリー厩舎だな。ウィンザーの近くにある馬の飼育場さ。王家の直轄地だが、セグゼスター伯爵家が委託されて厩舎を営んでいるんだ。馬を調達しに行くんだろう?お前のあの暴れロバ、とうとう見限ることにしたのか?」
「フールハーディは大丈夫さ。トマス様の用があるんだ」
 デイヴィッドが答えた。フールハーディとは『無鉄砲』という意味の、デイヴィッドの愛馬である。仔馬の時分からひどい暴れ馬で、だれもが調教を諦めたのだが、デイヴィッドがその脚に目を付けて、二年ほど前から乗りこなしている。基本的に普段の乗馬用だが、体格も体力も申し分ないので、デイヴィッドは甲冑を身につけての軍務にも、フールハーディを使っていた。
 しかし、暴れ馬としての素行が完全に収まったわけではなく、時々厩務員を蹴飛ばしたり、振り落としたりしているのだが。ともあれ、まだ若い上に丈夫この上ないフールハーディは、今も元気にレッド・ホロウの厩で草を食み、壁や人を蹴っていることだろう。

 エリー厩舎は、デイヴィッドが生れる随分前からセグゼスター伯爵家が営んでいる厩舎だった。維持費用を伯爵家が負担しており、職員の殆どは親子代々勤めている地元の人間や,セグゼスター厩舎から派遣されてきた者である。デイヴィッドは幼い頃からこの厩舎が好きで、よく入り浸っては馬と戯れていた。最近では、デイヴィッドの馬の能力を見抜く素質を見込んで、多くの貴族や騎士がデイヴィッドに馬の紹介を依頼しに来る。当然、デイヴィッドはまずはエリー厩舎に当ることになった。
 今回の場合、依頼主は国王ヘンリー四世の次男,トマス王子である。ハルより一歳若いトマスの性格は、大人しくて常識的。言い付けを良く守り、いつも父王の側に控え、ハルやハンフリーのように周囲を困らせる事はまずしない。典型的な良い「王子様」だった。
 しかしトマスの場合、「王子様」らしい「王子様」であることに、尋常ではない情熱を燃やしていた。即ち、馬を調達するにつき、デイヴィッドへの要求はこうである。
「絶対に白馬であること。一つの斑も許さない、雪のように美しい白馬であること。」
 クリスマスを前に、セグゼスターへ帰郷するデイヴィッドにトマスは厳命した。デイヴィッドにしてみれば、色など二の次,三の次である。大事なのは馬の脚,体力,性格,騎手との相性なのだと、何度も説明したが、トマスは頑として受け入れない。トマスにとって「白馬の王子」が優雅に駒を進ませる姿こそが王子の有るべき姿なのだ。黒や茶や斑の馬で悪路を疾走したり、蹴られたり、踏まれたり、落とされたり、ましてやジョン王子のように鞍に跨るのに少々苦労したりするのは、論外である(ジョン王子の場合、馬に問題があるのではなく、彼の身長の問題である)。
 馬の善し悪しは、騎士の生死を分ける重大事だ。周囲の人間も散々トマスを諭したが、いつもは素直な彼もこれだけはどうしても譲らない。彼の言い分によると、ハルのように真先に馬を駈って敵陣に突き進む事も結構だが、本陣に控える国王の威厳と、王子の優美な姿も重要なのだ。自分は後者であり、それにはどうしても『白馬』が必要らしい。理屈はともかくとして、トマスは『白馬の王子』を地で行く男だった。
 勿論、王子の馬に関しては王室付きの厩舎が責任を持つ。これまでトマスが騎乗していた馬は、王室の厩舎がやっと調達した馬だった。たしかに姿こそトマスの要望通りだったが、いかんせん非常識なほどの老馬だった。幸か不幸か、ウェイルズ戦役への出陣はもっぱらハルとジョンの役割で、この『老白馬の王子』の出番はなかった。そしてつい先日、その老馬が死んでしまったのである。
 王室厩舎は次の馬の選出を放棄してしまい、問題をデイヴィッドに委託した。デイヴィッドはトマスの幼なじみでもあるし、馬に関しては誰よりも信用できる。デイヴィッドも最初はトマスに色の限定を諦めさせようとしたが、トマスのあまりの頑固さに考えを改めた。色が原因で嫌々騎乗されても、馬が気の毒である。
 デイヴィッドには当てがあった。最後にセグゼスターに帰った時、地元厩舎に真っ白な若い馬が居たのだ。今回の帰郷の頃には、もう品定めが出来るだろうと思っていたのだが、しかしその馬は秋にエリー厩舎に移動したらしい。話を聞いた限りは、色もまだ白いままだし、脚も悪くない。それに軍馬としても使えそうだという事なので、デイヴィッドはこの馬に賭けることにした。

 「白馬の王子の維持も楽じゃないなぁ。あ、そうだデイヴィッド!じゃあついでにわしらの依頼も受けてくれよ。」
 フォールスタッフが白い髭についたエールを拭いながら、身を乗り出した。大きな腹が左右に揺れる。
「どんなみすぼらしいのでも構わないからさ、ネッドに馬を都合してやって欲しいんだ。」
「ネッドの馬?」
 デイヴィッドが僅かに眉を寄せて聞き返すと、ネッドが少々ろれつの回らなくなった調子で言った。
「おおぅ、デイヴィッド。このネッドも馬が欲しいぞよ。随分長い間、足腰を鍛えようと俺は徒歩を決め込んでいたんだがね、このたびサー・ジョンが俺にも馬を買ってやろぉってぇご英断を下したんだぁな。」
「買ってやるって、馬はただじゃないんだぞ。」
「知ってらぁ。聞いて驚くなよ、三ポンドまでは出してやるってぇ、さすがサー・ジョン、太っ腹だねぇ!マライア、もう一杯!」
「何言ってんだい、まったく…」
マライアは呆れて首を振ると、デイヴィッドに向き直った。
「サー・デイヴィッド、聞いて下さいな。このオンボロ爺さんがそんな大金、持っているはずございませんでしょう?」
「そうだな。」
デイヴィッドはシチューを綺麗に平らげて、パンを食べはじめた。
「どこから三ポンドなんて、まとまった金をせしめたんだ?強盗か?」
 デイヴィッドの問いに、フォールスタッフは答えない。もう酔いが回ったのか。天井を向いたまま大口を開けて鼾をかきはじめている。マライアが代わりに答えた。
「強盗だったら牢屋に放り込んでもらって、めでたしめでたしですよ。でもねぇ、今回のお金はもっとずる賢いんですのよ。先日、あのロヌーク夫人からワインを送っていただきましたでしょう?王子様とサー・デイヴィッドが三樽の内、二樽をこっちに回して下さって、さぁ皆で頂きましょうってなったとたんに、この老いぼれデブ爺さんが、高額で売りさばきはじめたんですよ!」
「売ったって…樽はかなり大きかっただろう。」
「ええ、一樽は自分と手下どもで飲み干し、あと一樽を阿漕にも売りさばいたんです!」
「やるなぁ…。」
デイヴィッドは呆れて二の句が継げない。
「な、デイヴィッド。金ならちゃぁーんとあるんだ!お前の顔を利かせて、俺に馬を!ここは一つ…」
 ネッドはテーブルに上半身をだらりと伸ばしながら、むにゃむにゃと言った。デイヴィッドはエールを口に運んで、首をかしげた。
「三ポンドか…。お前さんたちにしちゃご立派な金額だが、馬を買うにはどうかな。」
「そうだよ!第一ちっとも、うちのツケを払ってくれやしない!」
マライアが憤慨するのを見て、デイヴィッドは少し微笑んだ。
「分かったよ。まずはその三ポンドの内、一ポンドはマライアに払え。この極寒期に追い出されたら凍え死ぬぞ。残った二ポンドで買える馬は難しいから、残金は月賦にでもしてもらえ。ただしネッド、お前明日俺と一緒にエリーまで来いよ。」
「あー?明日ぁ?」
「そうだ。来なきゃ紹介してやらないぞ。明日の夜明け前に出発だ。」
 デイヴィッドの命令も、もうネッドには聞こえていなかった。すっかり気持ち良く酔っ払ったフォールスタッフとネッド主従は、大鼾をかきはじめたのである。
「あらまぁ。サー・デイヴィッド、よろしいんですか?」
マライアの呆れ顔に、デイヴィッドは肩をすくめてみせた。
「どうせこのボロボロ騎士と従者の事だ。まともな戦場に繰り出す訳じゃないんだから、程々の馬で良いんだろうよ。」
「済みませんねぇ。このチビハゲ親父、夜明け前に起きれるかしら?」
「叩き起こすさ。さすがの俺も一人で行く気はない。」
 クリスマス前にデイヴィッドがロンドンからセグゼスターに帰郷した時,そしてまたロンドンに戻った時は、セグゼスター伯爵家に古くから仕える男が従者としてついてきた。普段はハルと一緒に行動するので、デイヴィッドには決まった従者が居ないが、さすがに一人で長旅する訳には行かなかった。しかしこの臨時従者、年はセグゼスター伯爵と同じぐらいで、口うるさい所も伯爵と同等なのである。当然デイヴィッドは彼が苦手だった。
 今日も、この「やかまし従者」をウェストミンスター宮殿内で巻いて、やっとレッド・ホロウに到着したのだ。明日の朝はここからエリーへ直行することにした。



 → 2.皇太子ハルが、二人の使者,およびジョン・ダンスタブルに会う事
1.デイヴィッド・ギブスンが、ホワイト・ウィージルで下手な歌を聞かされる事
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


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