カプソン兄弟は、全く同じような顔つきに、同じような体つき。喋り方も声の高さも同じなので、見分けを付けるのは非常に困難だった。これでも年齢は二歳違うと言う。
 ウィッティントンは以前からの顔見知りなので、造作も無く王子たちやデイヴィッドにカプソン兄,カプソン弟を紹介したが、三人はとりあえず右が兄,左が弟と認識するしかなかった。入れ替わったら分からない。
 「本当に大災難ですよ、ウィッティントンさん!」
「埠頭に接岸している船が襲われても、やっぱり我々に責任があるのでしょうか?」
「ここ何年も、海賊騒ぎなんてなかったのに…」
「川に出ても海賊なんでしょうかね?」
 兄弟はかわるがわる甲高い声でまくしたてるので、ハルもデイヴィッドもだんだん頭が痛くなってきた。第一、この兄弟は目の前に皇太子と王子がいる事などまるっきり無頓着で、ウィッティントンに助けを求めるようにとにかく喋り捲る。クラクラしてきたハルは、そっとデイヴィッドに耳打ちした。
「これ、何かの芸で金が稼げるぞ。」
「宮廷に召し抱えるか?」
「いや…」
 まぁ、まぁとウィッティントンがカプソン兄弟の話芸を押し止めた。
「混乱するのも分かりますが、今大事なのは、正確な状況把握です。一体何があったのか、順番に説明して下さい。」
 この求めに応じて兄弟は説明し始めたが、やはり二人がほぼ同時に喋るので、やっかいな事になった。ともあれ、彼らの話を総合すると、今朝の出来事はこうである。

 カプソン兄弟水運の自社船セント・メアリー号は、テムズ川河口の町サウスエンドから、テムズ川を溯ってロンドン港を目指していた。荷物は主に、フランスからの輸入品で、サウザンプトンに入った後、沿岸を北上してきた物である。
 さて、セント・メアリー号は予定通り未明に停泊地を出発し、日が昇る少し前にロンドン港のカプソン兄弟水運の埠頭へ接岸体制に入った。埠頭は一見いつもの通りだった。船から係留ロープが投げられ、埠頭側へ渡し板が掛けられた。その直後、突然どこからともなく武装した男達が現れ、埠頭側の人間を蹴散らし、係留ロープを外すと、ドカドカと船に乗り込んでしまったのだ。陸側の人間が驚いて人を呼ぼうとした頃には、もう船は埠頭を離れ、またテムズ川へと出ていってしまった。
 「賊は、陸側から現れたんだな?」
ハルが聞き返した。
「ええ、そうです。」
兄弟は異口同音に答え、同時に同じ角度で頷いた。
「港湾警備に通報したんだろう?」
 今度はデイヴィッドが尋ねると、やはりそうだと兄弟は答えた。ロンドン港の港湾警備は、港を使う業者が自主的に組織したが、その後政府のロンドン治安担当が入っていた。ロンドン港はテムズ川の南岸なので、シティの自治が及ばないからである。ともあれ、港湾警備の詰め所に駆け込んで事のあらましを説明し、出動を要請した。
 自宅で悠々と朝食をとっていたカプソン兄弟の所にも知らせが飛び、彼らが慌てて埠頭に駆けつけてみると、セント・メアリー号は行方不明になっていた。港湾警備が小船を出して彼女を追跡したが、見失ったと言うのだ。
 「見失った?!」
ハルとハンフリーの二王子が揃って聞き返した。
「小船じゃあるまいし、そう簡単に見失ったりするもんか!」
ハンフリーが憤然として言ったが、カプソン兄弟は困惑顔で言い訳した。
「そりゃ、私達もそう思いますが、港湾警備の人がそう言うんですよ。」と、兄。
「そうですよ。港湾警備が追跡船を出すのにも手間取ったようですが…」と、弟も口を揃える。
 ハルは頬杖をついて黙り込んでしまった。代わりに、デイヴィッドが口を開いた。
「その、追跡をした港湾警備の人間に、話を聞けますか?」
「お安い御用です。」
と、カプソン兄弟は立ち上がって事務所の人間に指示した。 ― もうこの時点で、ハルもデイヴィッドも、カプソン兄弟の見分けが完全に出来なくなっている。
 しばらくして、年老いた、けれど眼光の鋭い船乗りの男がやってきた。今朝の事件を受けて、乗っ取られたセント・メアリー号を追跡した港湾警備隊員の一人だという。
「名前は?」
ウィッティントンが尋ねた。
「フレッド・チェリー。」
男はくぐもった声で、短く応えた。
「結構。フレッド・チェリー、君は今朝カプソン兄弟水運のセント・メアリー号が乗っ取られたと聴いて、追跡に出たね?」
「はい。」
「すぐに?」
「はい。」
カプソン兄弟が口を揃えて、キャンキャン喚いた。
「すぐにだって?あれがすぐだなんて、何て悠長な!我々が埠頭に駆けつけた頃にやっと、追跡の船が出た所じゃないか!あの遅れのせいで船を取り逃がしたんだぞ!」
「最善を尽くしました。」
チェリーは取りつく島もない。
「それで、君は港湾警備の小船で川に乗り出し、セント・メアリー号を追ったが、彼女は行方不明だと?」
ハルが話の続きを促した。
「そうです。」
「でも、下流に向かったのは確かだろう?そろそろ日も出ていただろうし…」
「川霧が出ていました。」
「深く?」
「程々に。」
「…地図を。」
 ハルがそう指示するので、カプソン兄弟のどちらかが、ロンドンの大きな地図をテーブルの上に広げ、指で示しながら説明した。
「ここが、いま私達が居るロンドンの船着き場です。ロンドン港というのは通称で、正しくは大規模な船着き場ですから。」
 カプソンが指で押さえたのが、シティの南側のテムズ川河畔で、彼はその指を東の方向へ滑らした。
「セント・メアリー号はこちらの下流方向へ持っていかれました。」
「彼女は積み荷を満載していたんだろう?下流へ下ったとは言え、そんなに早く姿を消す事が出来るか?」
ハルが訪ねると、カプソン兄弟は肩をすくめ、また甲高い声で言った。
「考えにくいですね。港湾警備の船の出港が遅れたとは言え、せいぜいロンドン塔から何十ヤードか先に彼女の姿が見えたはずです。」
 兄か弟かは判然としないが、とにかくカプソンの言葉にハルとデイヴィッドは地図に見入った。確かに、通称ロンドン港から再び川に出たセント・メアリー号はそのまま下流に下ればロンドン塔の前を過ぎて行く。テムズ川は流れの速い川だが、川幅もあるので、港湾警備の初動が遅れ、川霧が出たとは言え、その姿を見失ったというのは不自然な話だった。
「まさか、沈没したんじゃないだろうな。」
ハンフリーが膨れっ面で老チェリーを睨む。
「分かりません。」
 彼は相変わらず無愛想に言った。とにかく、セント・メアリー号の姿を見失った港湾警備船は、もう少し下流まで捜索したが、彼女の姿はなく、ロンドン港に戻ってみると、荷主や港湾作業者が押しかけて、さっきの騒ぎになっていたと言う。
「分かった、もう行っていいよ、チェリー。」
 ハルがにっこり笑って言うと、チェリーは無愛想な表情のままコクリと頷いて、事務所から出て行こうとした。
「チェリー。」
デイヴィッドが呼び止めた。チェリーの足元を見つめている。
「きみ、いつから港湾警備に?」
チェリーは表情こそ変えないが、応える声にはいぶかしむような響きがあった。
「夏からです。」
「その前は?」
「サウザンプトンの港で同じような仕事を。」
「君の仲間達もかい?」
「ええ…」
 デイヴィッドは小さく頷くと、チェリーに行って良いと合図した。

 チェリーが出ていくと、ハンフリーがまた不満そうな声で言った。
 「行方不明だなんて。沈没しっちゃったんですよ!兄上、川底をさらいましょうよ。」
「お前、テムズ川をなめているだろう。深いし、早いし、危険だぞ。」
「でも、あの大事な紙を諦めるだなんて、絶対嫌です!」
ハンフリーが憮然として腕を組むと、デイヴィッドが静かに言った。
「しかし、沈没したとは考えられませんね。もし何らかの理由で沈んだとしたら、船員や賊はどこへ?死体は上がっていないし、船の残骸も、荷物も見つかっていない。沈んだとは考えにくい。もっとも、そのまま無事に下流に進んだとしたら、やはりチェリー達がセント・メアリーの姿ぐらいは確認しているはずです。」
 一同は押し黙ってしまったが、やがてカプソン兄弟が同時に手を打って叫んだ。
「空へ飛んでいったんだ!」
 兄弟は真顔だ。ウィッティントンは幸せそうに大口を開けつつ、声は出さずに笑うという妙な芸を披露し、ハンフリーは眉を寄せ、鼻の頭に皺を集め、下唇を突き出している。ハルとデイヴィッドは顔を見合わせたが、やがてハルはにやりと笑い、視線を落とした。
「空へ…飛んでいったかもな。ところで、セント・メアリー号の積み荷だが、リストか何かあるかい?」
するとカプソン兄弟はかわるがわる、キンキン声で答えた。
「ええ、ございますとも。」
「接岸後の検品作業用に、積み荷リストを作りますから。」
「こっちの、台帳の方が良いでしょう。」
「さぁ、ご覧ください。」
 どん、とカプソン兄弟はハルの目の前に大きな台帳を置くと、今日の入出港船舶の所を指し示した。台帳その物は粗末な茶色っぽい紙で、小さな文字はひどく読みにくかった。
 積み荷のリストは、主に大口の客先から書いてあるらしい。
「R. ウィッティントン商会 羊毛240…単位は箱か?…ああ籠か。」
 ハルは口に出して読み進めた。ウィッティントン商会は、本業の織物のほかにも、色々な物品の輸入を請け負っていた。
「同じく、ウィッティントン商会…家具13,銀器20,織物80…本当に手広いな。ああ、あった。フランドル産羊皮紙。2…2箱に何枚だって?」
「三千枚です!この紙でどれほど質の良い写本が出来るか…!」
「分かった、分かった。」
 すっかり行方不明の羊皮紙に熱くなってしまっている弟ハンフリーに苦笑しながら、ハルはまたリストに視線を戻した。とにかく、様々な商店の様々な商品が羅列してあり、もう読み上げるのも面倒になっている。ハルは顔をあげてウィッティントンに尋ねた。
「随分色々な業者が色々輸入しているが…船の出入りも頻繁だな。いつもこうなのか?」
「普段より多いですね。」
ウィッティントンが言うと、またカプソン兄弟が交互に言い騒いだ。
「クリスマス前のかきいれ時ですから。」
「今週で一旦船は終りになるんです。ですから、今船に何かあったら大変なんですよ!」
「なるほどねぇ…」
 ぼんやり答えたハルがまたリストに目を落とすと、ある個所で声を上げた。
「おい、面白い客が居るぞ。ウィッティントン商会預かり,ダルシーのフェンダー家に薬草と乾燥果実…関節痛緩和用?律義な商品名だな。これって、レディ・ジェーン・フェンダーの注文じゃないか?」
「ジェーン・フェンダー?」
ハンフリーが目を丸くして叫んだ。
「デイヴィッドを押し倒したっていうレディだろう?」
「違います。」
 デイヴィッドは仏頂面で答えたが、逆にハンフリーはあっけらかんと追い討ちを掛けた。
「だって、ジョンが教えてくれたぜ。ジョンの嬉しそうな事と言ったら、まるで救世主が降臨したみたいだったけど…ああ、逆にデイヴィッドが押し倒したのか?」
「俺が刺されたんです!」
 普段冷静で熱くなる事の無いデイヴィッドが強い調子で言い返すので、ハンフリーは益々可笑しがってゲラゲラ笑った。ハルもデイヴィッドに悪いと思いつつも、笑いが抑えられない。ウィッティントンとカプソン兄弟は話が飲み込めずにポカンとしているので、ハルは笑いを押し込めながら話題をリストに戻した。
「ウィッティントンみたいな大商店が小さな荷物を扱っているのもあるけど、そのほかは…まぁ規模にしたら中くらいの業者が沢山名を連ねているな。外で騒いでいるのはそういう連中か。」
「ええ、そういう客先がいつ大口のお得意様になるか分かりませんからね。」
カプソンの兄か弟、どちらかがそう説明するのを、突然デイヴィッドが遮った。
「これは?」
彼は言いながらハルの左肘を持ち上げ、その下になっていた個所を指差した。
「ブルゴーニュより ヴィス・ワイン 三樽 ― 出荷主 ロヌーク夫人。」
デイヴィッドの指先を追って、ハルが続けた。
「ウィッティントン商会預かり,ロンドン・レッドホロウ自警団気付…これはどういう荷物だ?」
 ハルの表情が引き締まった。ウィッティントンもそれに気付いたのか、落ち着いた声で応えた。
「個人輸入の代理業務です。ハンフリー王子の羊皮紙と同じような扱いですが、規模が小さいので名義は変えずに、輸入と運送を請負っているのですが。これが何か?」
「出荷主のロヌーク夫人というのは?」
「私どもの取引先の一つです。」
「知り合いか?」
「ええ、一度お会いした事がありますが。」
 ハルはデイヴィッドと顔を見合わせ、一つ大きく息を吸った。
「場所を変えて話そう。」
 そう言ってハルが立ち上がった時には、デイヴィッドはもう外に出ていっている。
「あ、あの…皇太子殿下…?」
カプソン兄弟が心配そうに言いよどむと、ハルはマントを巻き付けながら言った。
「あなた方は、引き続き港湾警備と協力してセント・メアリー号の捜索を続けて下さい。保険料については…何か取り決めがあるでしょう?」
ウィッティントンが答えを引き取った。
「シティのギルドでは、海上の船舶行方不明について一ヶ月の保険料支払い猶予がありますので、それが適用されるでしょう。」
「そうですか。船が見つかれば良いですけどね。ハンフリーの大事な紙もあるし。ところで、カプソンさん。セント・メアリー号は昔からあなた方の持ち船なのですか?」
「いえ…」
 カプソン兄弟は戸惑いながらお互い顔を見合わせると、一方が答えた。
「今年のたしか…六月頃から、私どもの船になりました。それまでは主にサウザンプトンなどで海洋運搬をしていたとか。元の船主が廃業したので、私どもで買い取ったのです。河川輸送にも使える丁度良い大きさの船でしたし。」
「乗組員も一緒に?」
「ええ…確かそうでした。ただ、乗組員の半分ぐらいはサウザンプトンを離れたくないとかで辞めましたので、私どもの所で引き取る時に半分の乗組員は新たに入れました。あっ、皇太子殿下は乗組員にお疑いをお持ちですね?それはご心配に及びません。新入りの乗組員はみな、サマーセットの領主さまの推薦状が添えられていましたから、身元は確かですよ。」
「なるほど、それは安心ですね。」
 ハルはもう事務所から出ていっていた。ハンフリーもそれに続く。カプソン兄弟はポカンとして、ウィッティントンを見遣った。ウィッティントンは肩をすくめながら、
「それでは、ごきげんよう。」
と、出ていってしまった。

 「ネッド!」
 デイヴィッドが呼びかけた。事務所の外でフッカーと遊んでいたネッドは、すぐに駆け寄ってきた。
「おうおう、デイヴィッド!さっきはよくも他人面しやがったな?まったく友達甲斐のない奴だ。この猫の方がよっぽど情に厚いぞ!」
「味方じゃないといっただけだ。それより、お前に聴く事がある。一緒に来い。」
「荷物は?俺、ここに荷物を取りに来たんだぜ。」
「船は行方不明だ。荷物そのものより、発送人が重要だ。お前、ヴィス・ワインの発送元を知っているか?」
「発送元…?」
 ネッドはデイヴィッドがいつもより鋭い調子で言うので、おどおどしながら上目遣いでつぶやいた。
「発送元だか、何だか知らないけど…ナントカってぇ御夫人が最高級のワインをどうぞ、って言うからさぁ…」
「それだ。その御夫人とは、どこで会った?」
「レッド・ホロウのホワイト・ウィージルだけど…」
「聞こえたか?」
 デイヴィッドがネッドの背後に向かって声高に言った。ハルがハンフリーとウィッティントンを連れてきている。
「聞こえた。ホワイト・ウィージルだな。ウィッティントンさん、申しわけないが、御同行願います。ハンフリー、お前はウェストミンスターに戻れ。それから、明日にでもウィンザーへ行くんだ。」
「ウィンザーへ?でも、僕の羊皮紙は…それに、兄上は?」
「紙は探してやる。お前、父上に御無沙汰し過ぎだから、ウィンザーで大人しくしていろ。あっちの御婦人達にも会いたいだろう。」
 ハンフリーは特に不満という表情もせずに、首をかしげた。
「兄上が行けとおっしゃるなら、ウィンザーでもイェレサレムでも行きますよ。でも今日は、ウェストミンスターじゃなくて、ロンドン塔では駄目ですか?あそこに見たい写本があるのですが。」
 ハルはデイヴィッドから手綱を受け取りながら、弟にニヤリと笑いかけた。
「ロンドン塔でも構わないが、お前が苦手な人が居るかも知れないぞ。」
「まさか。あの人、オックスフォードに来るって話でしたよ。だから僕は夕べロンドンに戻ったんじゃないですか。」
「どうかな。司教は神出鬼没だ。」
ハルはもう馬に跨っている。そして最後に一言、
「それから、ハンフリー。苦手なのは分かるが、そう嫌うな。俺達の叔父上だぞ。」
と言い残して、拍車を馬の腹に当てると、デイヴィッドと共に走り出した。やはり馬に跨ったウィッティントンと、外で待っていた彼の従者が続く。
「おおい、ハル!ちょっと待ってくれよ!」
 ネッドが慌てて、借りていたロバと荷馬車に向かって走る。フッカーもそれを追った。残されたハンフリーは、
「やれやれ。」
と、溜息をつき、笑いながら自分の従者にウェストミンスターに向かおうと言った。


 → 7.酒場兼宿屋ホワイト・ウィージルにて、謎の美女についていくらかの情報を得る事
6.カプソン兄弟水運における事情聴取と、王都ロンドンに流入する様々な物資について
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


  戻れば三度市長になれる
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