大事な荷物の乗った船が襲われたなどと言う話は、名うての大商人ウィッティントンにとってはまず内密に相談したい話だっただろう。しかし、第一報をもたらしたスプリングと、ウィッティントンが廊下で会話したのがまずかった。トラブルを嗅ぎ付けるについては異常な感覚器の持ち主であるハルに、会話を聞かれたらしい。
 こうなっては、ウィッティントンも隠し立てをするような、余裕の無い男ではなかった。
 ハル,ハンフリー、二人の王子に、デイヴィッド、そしてウィッティントンは食堂のテーブルにつくと、スプリングからの報告を聞く事にした。ハルは朝から旺盛な食欲で、朝食をどんどん口に送り込んでいる。膝の上にはすっかり意気投合したのか、フッカーが丸くなっていた。
 スプリングは、早朝からそこいらじゅうを走り回っているらしく、もうすぐクリスマスだと言うのに金髪の下の広い額に大汗をかいていた。
 「まず船についてですが、カプソン兄弟水運のセント・メアリー号です。サウザンプトンに入港した大型輸送船から、荷物を移し、ロンドン港に入る二次輸送船で、荷主は当店のほか、十店ほどになります。」
「荷主は、納入側なのか?」
ハルが手を止めて、ウィッティントンに聞き返した。
「ええ、大陸側からサウザンプトンまでの海運船はもちろん出荷元なのですが、この場合はサウザンプトンで一度納品完了扱いにして、荷主がイングランドの納入側に変るのです。」
「信用商売だな。」
「ええ。でも一応サウザンプトンにもこちら側の人間を派遣して、荷物の点検はしますよ。もちろん、開封は出来ませんから、やはりそこは信用取引と言うべきでしょうね。」
「荷物が完全に納品状態になる前に所有権を移すというリスクは、何のためだ?」
 ハルは盗賊騒ぎの本筋の前に、食い下がった。ウィッティントンは別に嫌がりもせずに答える。
「節約ですよ。サウザンプトンではもちろん外国からの輸入関税を払いますが、その後も港湾使用料だの、各運河の使用料、場所によっては領地ごとの関税を取られます。荷主が外国名義だと、これらが一々高くつくので、イングランド最初の港であるサウザンプトンで名義を変えてしまうのです。そうすればその後の費用は割安になります。それを納入側が負担する代わりに、出荷元は商品の販売価格を下げたり、海洋運搬費用を安くするという、約束ができているのです。」
「なるほどね。」
 ハルは感心したように頷いた、すると、ハンフリーがじれたように口を開いた。
「関税とか通行税なんて、どうでも良いよ。僕の荷物は一体どうなったんだい?最高級フランドル製羊皮紙だぞ?!」
 デイヴィッドは少し俯いて笑いをかみ殺した。ハンフリーは王族にもかかわらず税金徴収については全く興味がないらしい。
「うん、ごめん。続けて、スプリング。」
 ハルが食事を再開しながら促すと、スプリングはまた話し始めた。
「セント・メアリー号は今朝早く…夜明け前にはロンドン港のカプソン兄弟水運の埠頭に入りました。接岸直後、係留ロープも結び終わらない内に、わらわらと武装した男達が現れたらしいのです。手に手に武器を持って陸側の作業員を脅し、船に乗り込み、係留ロープを外させてまたテムズ川へ出ていってしまったらしく…」
 スプリングはここまで説明すると、手に持っていた粗末な書き付けから目を上げ、聴いていた一同を見回した。
「あの、現時点で分かっているのは以上です。」
 ハルとデイヴィッド、ハンフリー、ウィッティントンはお互いの顔を見合わせた。やがてウィッティントンが代表して聞き返した。
「船はその後どうなった?まさかそのまま逃がした訳じゃあるまい。」
「ええ…そうだと思いますが…」
 スプリングは困り顔で頭を掻いた。ウィッティントンの店の番頭を務めるぐらいだから、それなりに商才のある男なのだろうが、こういった事態にはさすがに不慣れらしい。
「『見るほど、確かな事はない』さ。早速現場へ行ってみよう。」
 ハルはコップの水を飲み干すと、そう言って立ち上がった。フッカーが驚いて、床に飛び降りる。
「現場へって…皇太子殿下がいらっしゃるのですか?」
 ウィッティントンが聞き返したが、当人はもうマントを従僕から受け取ってドアに向かい始めている。その後をフッカーがトコトコと追った。
「僕も行きます!」
と、ハンフリーもついて行ってしまったので、ウィッティントンとスプリングはデイヴィッドの方に顔を向けた。デイヴィッドはすこし肩をすくめた。
「現場主義が王子たちへの教育方針でして。」

 外に出ると相変わらず小雨が降っており、随分と薄暗い。しかも凍えるような寒さだった。ハルはさっさと自分の馬に鞍を載せるとウィッティントンの屋敷から出て行こうとする。デイヴィッドも同時に屋敷を後にした。ハンフリーは従者を連れていたが、馬の準備に手間取ったため、結局ウィッティントン,その従者と一緒にテムズ川の港へは遅れて到着しそうだった。
 朝の仕事に向かう人々をよけ、馬を小走りに駆けさせながら、デイヴィッドがハルに言った。
 「俺、いつも無駄だとは分かっているのだが、一応言わなきゃならないと思う。」
「何を?」
 ハルはデイヴィッドの方には振り向かず、首元のマントを口まで引き上げて寒さを防ぎながら聞き返した。何かがハルの服の下でゴソゴソ動いている。
「どうして、お前が現場に行かなきゃならないんだって事さ。」
「可愛い弟の大事な荷物が強奪されたんだ。黙って見過ごす訳にはいかないだろう?」
「そう言う、いけしゃあしゃあとした態度は、国王に向いているかもしれないがな。」
 デイヴィッドはそれ以上は言わなかった。皇太子がこんな市井の騒ぎに首を突っ込むなと忠告するのは、彼の義務である一方、それに一緒になって加わるのもデイヴィッドの役割だった。それに彼自身、冒険が嫌いではない。
 それが分かっているハルは、マントの下から晴れやかな声で言った。
「まぁ良いじゃないか。ちょっとした騒ぎに首を突っ込んで、思いがけない重要案件にぶち当たる事もある。外国の外交官との結婚交渉とかな。」
 やけに確信があるような物言いだとデイヴィッドは思ったが、別の事を口にした。
「所で、おまえその腹の膨らみはなんだ?子供でも授かったか?」
「だと、面白いけど。」
 ハルが片手を自分の襟元からマントの中に突っ込み、丸くなってゴソゴソ動いている物を引っ張り出した。それは外の空気に触れると、ニャーと声を上げた。フッカーだ。
「せっかく神の思し召しで授かっても、猫っていうのはなぁ…。大天使ガブリエルがやってきて、『汝は猫を授かったぞよ』って言うんだろうなぁ…。」
 デイヴィッドは呆れて物も言えない。それを見て、ハルがニコニコしながら言った。
「でも、暖かくて良いぞ。冬の乗馬に猫常備、悪くないな。まぁ、そんな顔するなよデイヴィッド。あとで貸してやるから。」
 ハルの下らない申し出に答える前に、デイヴィッドが別の質問をした。
「ハル、お前ウィッティントンのあの態度をどう思う?」
「どうって?大事な荷物の乗った船に事件が起きて困っている…他に何かあるか?」
「さぁな。」
デイヴィッドは肩をすくめた。
「確かに、そういう感じだが…何か他にあるような気がする。」
「何かって何だよ。」
「わからん。」
 ハルはフッカーをまたマントの中に入れながら言った。
「デイヴィッドの言わんとする事は、何となく分かるな。ウィッティントン市長には何か複雑な事情がありそうだが、そのうち分かるだろう。まずは状況把握だよ。」
 デイヴィッドはハルの言う事に頷きながら、マントを首から口元に引き上げた。

 シティを南下してテムズ川に架かるロンドン橋を渡る。そしてテムズ川南岸をすこし東,下流に向かうとすぐに輸送船の港があり、これが通称ロンドン港と呼ばれていた。カプソン兄弟水運の埠頭はその中でも広い方に分類された。
 ハルとデイヴィッドが港の入り口で馬を降り、手綱を預け、歩いて埠頭に向かったが、奥の埠頭事務所の建物に中々近づけない。港の敷地内には大勢の男たちがつめかけてわぁわぁと言い騒いでいた。どうやら喧嘩らしい。彼らの熱気で、辺りは白い息や湯気が立ち込めていた。
 言い騒ぐ声を拾ってみると、どうやら港湾作業の作業員たちがその日の給料を払えだの、荷物を奪われた荷主が保証しろだのと、カプソン兄弟水運側をも巻き込んで騒いでいるのだ。
 「すまない、ちょっと…通してくれ…あの…済みません…」
 腕にフッカーを抱いたハルは、そう言いながら人込みを掻き分けようとするが、どうも上手く行かない。昨日ロンドン塔を立ってウェストミンスターへ向かった時の服装なので、一応騎士然としているし、背後に同等の成りのデイヴィッドが続いているのだが、埠頭に詰め掛けた荒くれ男達と、商売熱心な商人達には通じなかったらしい。後ろからも押されると、ハルの前で火も噴かんばかりに口論していた巻き毛の男が、振り向きざまにハルの行く手を阻んだ。
 「おい、あんた!押すなよ、俺達が先だぞ!何だぁ?王子様みたいな格好しやがって!どっかの商店のお坊ちゃまかい?荷物だったらないぜ。それより、給料払えよな!」
 実際に王子様だから、身分相応の服装なんだと抗弁しても猫など抱えていたのでは無駄である。巻き毛の男は、また自分の口論相手に向き直って、まくしたてた。
「やい、このハゲねずみ!それとも何か?今日や昨日ノコノコやってきたお前らに、優先交渉権でもあるってのか?」
「何だい、古株だからってでかい面しやがって!こっちにゃ、お偉い騎士さまがついているんだぞ!」
 ハゲねずみと呼ばれたその男を、巻き毛男の肩越しに見遣ると、意外にもハルとデイヴィッドの知った顔だった。他でもない、フォールスタッフの従者ネッドである。
「おい、ネッド!」
ハルが呼びかけた。
「お前なにやっているんだ?第一お偉い騎士様って誰だよ?まさかお前の御主人様じゃないだろうな?」
 背の低いネッドは、巻き毛の背後にいたハルとデイヴィッドに気付くと、嬉しそうに叫んだ。
「なんとこりゃぁ、神の助け!ハルにデイヴィッドじゃねぇか!さては、親友ネッドの危機を嗅ぎ付けて、加勢にきてくれた…」
 言い終わらない内に、巻き毛の男はまた振りかえると、ハルとデイヴィッドを睨みながら、下町訛りで怒鳴った。
「やいやい、にいちゃん達!このスットコドッコイの味方かい?!」
「違います。」
二人が同時に言うので、ネッドが真っ青になった。
「待った、待った!そんな殺生な!友達を見捨てるなんて、皇太子殿下や騎士の誉れ高きサー・デイヴィッドのすることじゃないぜ!」
「うるせぇ、ゴチャゴチャ言ってねぇですっこんでろ!さぁ、事務所に穴熊みてぇに引っ込んでいるカプソン兄弟を引っ張り出せ!俺達をただ働きさせようなんて、そうは行かないからな!」
 辺りの荒くれ男達もそうだそうだと、息巻いている。ネッドはすっかり気圧されてしまった。
 所が、荷物を失った商人連中も黙っていない。中でも裕福そうな一人が、荒くれどもに怒鳴った。
「待て、荷物あっての給料だぞ!お前らは後だ、先に我々が話をつけさせてもらうぞ!」
「なんでぇ、偉そうに!俺達の腕力がなけりゃ荷物の一つもさばけないくせに!」
人夫たちと商人たちとの間で怒号が飛び交い、所々で小突き合いが始まっている。今や、埠頭は大乱闘寸前、一触即発の状態だった。
 ハルはデイヴィッドの方に振り返ると、芝居がかった口調で言った。
 「王族という高貴な身分の威でもって、民を制するのは私の望む所ではないが、無益な争いを収めるためなら致し方なしとは思わぬか、サー・デイヴィッド。」
「余計な事喋っていないで、やるならさっさとやれ。」
 デイヴィッドが苦々しく促すと、ハルはフッカーを地面に降ろし、恭しく咳払いをして背筋を伸ばすと、おもむろに大きく息を吸い込んで声高に『鎮まれ!』と一喝しようとした。しかし ―
 「お静かに!」
 背後から突然大きな声が響き、埠頭に詰め掛けた人々は一斉に声の方に振り向いた。
「一同、お静かに!船ごと荷物が奪われるというこの緊急事態に、ここで争っている場合ではありませんぞ!」
 今まで言い争い、小突き合っていた男達は一様に鎮まり、声の主に注目した。その中の一人 ― さっきの裕福そうな商人が叫んだ。
「ミスター・ウィッティントン!」
 いかにも、それはウィッテイントンだった。彼は従僕とスプリング、そしてハンフリーと共にたった今埠頭に到着した所だった。豪商として、そしてロンドン市長として相応しい豪華なローブに身を包み、威厳に満ちた表情で、馬上から一同を見回している。その圧倒的な存在感に一同は冷静さを取り戻し、ハルはせっかく開けた口を、ゆっくりと閉じざるを得なかった。
 「さあ、ここはまず私にカプソン兄弟と話をさせてもらいましょう。」
 ウィッティントンは馬から下りながら、声高に続けた。
「被害状況の把握と、その後の経過、これからの対応を決めるのが先決です。それから、荷物の保証金については、シティの海上保険組合が窓口になりますので、このスプリングに(ウィッティントンは背後の番頭を指差した)お申し出下さい。シティの各ギルドごとにお話を整理します。シティのギルドに所属していない方も、御相談に乗りますので、ご安心を。」
 ウィッティントンは大股で埠頭を進むと、人々は彼の前に道を開ける。彼は尚も続けた。
「港湾作業員の皆さんの日当に関しては、当商店にて無利子の前貸しを実施します。ただし、確かな所属と氏名,住所を記載しても構わない方のみです。よろしいですね?それから、私の店でこれから炊き出しをしますので、お手伝い頂けると助かります。配給は正午より、埠頭入り口にて。よろしいですか?」
 ウィッティントンはカプソン兄弟水運の埠頭事務所の前でくるりと振り向くと、一同は黙って頷いた。
「結構。皇太子殿下、サー・デイヴィッド。」
ウィッティントンが人込みの中で突っ立っていた二人に呼びかけた。
「どうぞ、御一緒にいらして下さい。」
 二人がゴソゴソと人込みを掻き分けて出てくると、ウィッティントンやハンフリーと共に、事務所の中へと入っていった。
「何てこった!」
巻き毛の男が驚嘆しながら、ネッドを睨み付けた。
「あの人たち、皇太子殿下にサー・デイヴィッドじゃないか!お前、さっさと言えよ!」
「いや…言ったつもりだけど…」
 ネッドは泣きそうな顔で呟いた。それほどウィッティントンの威厳と影響力が強いと言う事である。

 → 6.カプソン兄弟水運における事情聴取と、王都ロンドンに流入する様々な物資について

5.輸送船セント・メアリーの事件と、テムズ河岸の騒動の事
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


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