船着き場を照らす松明が増え、にわかに昼のような騒ぎになった。密輸団たちはボーフォートの部下に引っ立てられて、塔内に移動し、代わりに衛兵が船に乗り込んだ。手の空いた船員たちが船倉から船首側の甲板までならび、デイヴィッドを起点に荷物を送り出していく。甲板ではハルも加わってどんどん荷物を陸揚げする作業が始まった。
 そうは言っても、船の傾きはひどくなっていく。瞬く間に大きな荷物の移動が困難になってきた。
「足元に気をつけろ!荷物を川に落とすなよ!」
 ハルが甲板で荷物の受け渡しをしながら怒鳴った。船が船尾の方へ沈み込む度に、船縁と船着き場の間の角度が変る。デイヴィッドは大きな荷物から送り出しているらしく、段々荷物が小さくなってきた。
(しかし、全ては無理だな…)
 と、ハルが顔を顰めた時、塔から弟のジョン王子が飛び出してきた。
「兄上!一体これは何の騒ぎです?!」
「ジョン、いい所に来た!お前も手伝え!」
「手伝えとおっしゃるなら手伝いますが、兄上にお会いしたいって男が来てますよ!」
 ジョンが怒鳴る通り、彼の背後には大きな台帳らしき物を抱えた男が立っていた。広い額に頑丈そうな顎,そして金髪 ― ウィッティントンの所に居た、番頭のスプリングだ。
 「ここ、頼む。」
 ハルはジョンに手を差し伸べて彼を船に上げると、代わりに船着き場に降りた。船着き場では、陸側の衛兵達が、次々と下ろされる荷物をどけて、リンドレイの指示に従って塔内へと運んでいく。
 ハルはスプリングの前まで来ると、両手を腰にあて、大きく溜息をついた。スプリングは黙って深々と礼をする。ハルは少し首を振りながら呆れた口調で言った。
「やれやれ、お前がここに来たってことは、この作戦は叔父たちのみならず、ウィッティントンも協力していたって事だな?お前が今朝慌てふためいたのは、ありゃ演技か。」
「いえ…」
 スプリングは上目使いでハルを見ながら、申しわけなさそうに言った。
「急に今朝決行となったので、慌てたのは事実なんです。」
「なるほどねぇ。まぁいいや。今は忙しい。それでスプリング、お前は何しに来たんだ?」
「荷物の受取です。」
そう言いながら、スプリングは台帳を叩いた。
「荷物に小さな荷札がありますので、台帳と照合したいのですが…なんだか大騒ぎのようで…あの船、傾いていませんか?」
「ああ、明らかに傾いているな。沈むのは時間の問題だ。おい、スプリング。」
ハルはスプリングの肩を抱いて、小さな声で尋ねた。
「船倉の荷物をすべて運び出すには、時間が足りないんだ。もし、荷物が川に沈んだらどうなる?」
「一応、万が一に備えて荷物の保証は当店が行いますから。」
「ウィッティントンが申し出たのか?」
「ええ。」
「太っ腹だな。でも保証は金でするんだろう?貴重な荷物となると損害がでかい。特にハンフリーの羊皮紙なんて…」
 その時、船からジョンの声が飛んできた。
「兄上!」
 ハルが振り返ると、荷物を船から陸に渡すのを手伝っていたジョンが、両手一杯に大きな箱を抱えていて、今まさに船縁から身を乗り出して、陸側で受け取る人間を探していた。
「兄上、この荷物何です!?札に『ウィッティントン商会−ハンフリー王子』って書いてありますよ!」
 その時大きな音を立てて、船体が大きく横にずれた。船尾の浸水が限界に来たのだ。船首側の甲板が大きく傾き、働いていた男達が一斉にひっくりかえる。
 「ジョン!」
 ハルは叫ぶなり船着き場の川岸に飛んでいった。船は船尾が川底についた衝撃で、少しずつ船体を川の中央の方に傾け始めている。ジョンはと言うと、丁度船縁から身を乗り出していたので、何と手から差し出した箱の先端が陸につき、膝から下の脚だけ船縁に残して体が宙に橋のように浮いてしまっている。船着き場で一番ジョンに近かったハルが叫んだ。
「ジョン!死んでも箱を放すなよ!放したらハンフリーに殺されるぞ!」
「どっちにしても死ぬんじゃないですか!」
 ジョンが怒鳴り返した一瞬、ハルがまず陸から転がり落ちそうになる大きな箱を左手と岸壁に挟んで強引に止めた。すぐに右手を差し出して川に落ちんとするジョンの手を掴もうとしたが、遅かった。
 派手な水音と、大袈裟な水柱があがる。イングランド国王の三男が、クリスマス直前のテムズ川に頭から落ちてしまった。岸壁で作業をしていた男達は、そろいも揃って口をポカンと開け、呆気に取られている。船の方は傾いた船の上で体を縦にするのがやっとのようだ。
 幸い、ジョンは泳げない男ではなかった。彼は水面に顔を出すと、岸壁から差し伸べられたハルの手につかまり、すぐに陸へ引き上げられた。体中から凍えるような冷たい水を滴らせて、ブルブル震えている。
「やぁ、可哀相に。弟の宝物を体を張って助けたな。」
ハルは笑い出した。
「何だか知りませんけど、寒いです。」
 ジョンは苦々しく言って、唇を尖らせた。ハルは笑いながら自分のマントでジョンを包み、体を抱きながら船の方に向かって怒鳴った。
 「その船はもう限界だ!全員陸に上がってくれ。船倉の方にも諦めて上がるように伝えろ。落ちない様に気をつけろよ。こっち側も手伝ってやれ!」
 船側の衛兵たちは、岸壁に一番近い船縁に大きな板を渡し、次々に陸へと移動した。そうしている間にも、船はどんどん傾く。陸側から投げられたロープを使ったりもしながら、次々と彼らは船を離れた。

 「サー・デイヴィッド!引き上げましょう。もうこれ以上は無理ですよ。下手したら横転するかもしれません!」
 最後まで残っていた船乗りが、甲板への通路から、船倉のデイヴィッドへ怒鳴った。デイヴィッドはまだ船倉で粘っている。大きな荷物はほとんど陸に上がっている。デイヴィッドは小さな包みを腕一杯に拾い上げていた。
「サー・デイヴィッド!」
また通路の方から怒鳴る声がする。
「もう行く!これだけもって出てくれ!」
 デイヴィッドが怒鳴り返すと、船員が傾いた通路をずるずると降りてくる。
「よし、これを頼む。俺もすぐに上がるから。」
デイヴィッドが包みを船員に渡すと、
「サー・デイヴィッド、諦めて下さいよ。横転したらこの船倉に閉じ込められますよ!」
と言い残して、通路をよじ登っていく。
「分かってる。行ってくれ。」
 そうは言ったが、デイヴィッドはまだ諦められなかった。船倉の半分はもう水浸しになっている。木材が潰れるような音がして、また船が大きく傾いた。彼は咄嗟に手を壁について、平衡を保とうとする。その時、通路からずるずると小さな塊が落ちてきて、船倉に飛び込んだ。デイヴィッドが驚いて目をみはるとその塊は、ニャーッと泣き声を上げた。
「フッカー!お前何やってんだ?!」
 デイヴィッドは思わず猫相手に聞き返してしまった。ロンドン塔の門衛に預けて何か食わせてくれと残してきたフッカーだが、塔内をくまなく散歩して、この騒ぎに出くわしたらしい。混乱の中で船の中に紛れ込んで取り残されたのだろう。
「まったく、ネズミだって時化で船が沈む前に逃げ出すんだぜ。お前は何やっているんだよ。」
 船倉内に散乱した小さな荷物の上をフッカーは落ち着きなく歩き回っている。デイヴィッドはそれを無視して、小さな包みを一つ一つ確認し始めた。
「デイヴィッド!」
岸壁の方から、ハルの声が聞こえる。船に向かって怒鳴っているらしい。
「デイヴィッド!早く上がれ!横転するぞ!」
 そんな事は、船内で斜めになっているデイヴィッドの方が百も承知だ。
「もう諦めろ!駄目になった荷物はウィッティントンが保証するんだ!今すぐに陸に上がれってば!」
 ハルの声が段々必死になってきた。船倉のデイヴィッドとて必死だ。しかし探す物が見つからない。
「フッカー、お前も早く逃げろよ。」
 荷物の上に陣取るフッカーを、デイヴィッドが抱き上げると、猫が暴れた。
「暴れるな、バカ猫!共倒れになりたいか?!」
 しかしフッカーは尚も暴れて、デイヴィッドの手を引っ掻いた。デイヴィッドが咄嗟に手を放すと、フッカーはまた小包の山に陣取り、今度は下の方の荷物に向かってニャーニャー鳴き始めた。
 「デイヴィッド!!」
 ハルの叫ぶ声が外から聞こえる。デイヴィッドの目がフッカーに釘付けになった。まだ水に浸っていない荷物の一つに、フッカーが甘えるような声をあげて、体を摺り寄せ始めたのだ。
 「兄上!駄目ですったら!」
今度は、ジョンの声が漏れ聞こえた。
「兄上!今船に移るのは駄目です!危険過ぎます!」
 外はとんでもない騒ぎになっている。ハルが何事か怒鳴る声がするが、メリメリと船倉の床が壊れる音にかき消される。大きな衝撃と共に、水が一気に押し寄せ、デイヴィッドの腰までつかった。その直前、デイヴィッドはフッカーの首を引っつかむと、そのまま自分の首の後ろに乗せ、フッカーが体を摺り寄せた小包を抱えた。そしてほとんど垂直になり始めた通路への扉に取り付くと、腕の力で体を引き上げ、その勢いで通路を駆け上がった。
 松明で明るくなっている船首側の甲板に飛び出すと、もう船の後ろ半分は水没している。そしてゆっくりと船体が横倒しになろうとしていた。船縁と岸壁の間に、かなりの距離が出来てしまっている。
「デイヴィッド!早く!」
 ハル手を差し伸べながら、船着き場から怒鳴った。ほとんど船に飛び移らんばかりの勢いだ。まず、デイヴィッドは首の後ろからフッカーを引き剥がすと、力いっぱいハルめがけて投げた。ハルが胸でフッカーを受け止めると、すぐに小さな包みが投げつけられる。そしてデイヴィッドは斜めになった甲板の反対側まで下がると、助走をつけて船縁から岸壁に向かって跳んだ。
 デイヴィッドが最後のステップで船体を蹴るのと同時に、一際大きな音がして船体の左側から水飛沫が上がった。フワリ、と跳んだデイヴィッドは見事に岸壁に着地したが、勢い余ってハルを蹴り倒していた。
 フッカーはさすがに猫だけあって、無事にハルの胸から地面に着地していた。起き上がったハルの手には、さっきデイヴィッドが投げてよこした包みがあった。
「何するんだよ、デイヴィッド。はやく出てこいとは言ったが、俺を蹴り倒せとは言っていないぞ。」
 ハルは忌々しそうに片手で体についた埃をはたいた。デイヴィッドは涼しい顔でマントを直している。
「俺が跳ぶ事ぐらい、予測しろよ。それより…どうしたんです、ジョン様。ずぶ濡れで。」
ジョンは相変わらず濡れたまま憮然としていた。
「別に。川に落ちただけさ。」
 彼はフッカーがハルに飛びつこうとするのを抱き上げた。
「こいつに温めてもらいますから、兄上はどうぞごゆっくり。」
 そう言い捨てると、まだハルに向かってニャーニャー鳴いているフッカーを抱えて、ジョンは塔内に姿を消した。
 「やれやれ。」
 ハルとデイヴィッドは異口同音に言って肩で息をした。
 見回すと、船着き場は慌てて陸上げした荷物で雑然としている。リンドレイが指示して、塔の衛兵達や従僕達、そしてボーフォートの部下達が、それを塔内に運び込む作業を続行した。中庭では、スプリングが台帳を開いて、運び込まれる荷物を一つ一つチェックしていた。
 二人は、改めてセント・メアリーの方に向き直った。
 彼女は、真っ暗闇のテムズ川の中、船首の側面の一部のみを残して、横転した格好ですっかり水面下に沈んでしまっていた。
 「船倉は全部やられただろうな。」
 デイヴィッドが呟くと、ハルが少し厳しい顔になって尋ねた。
「何だってあんなに粘るんだよ。あともう少し遅かったらお前、今ごろ船倉に荷物と一緒に閉じ込められていたぞ。小さな荷物ばかりだから、ウィッティントンの保証も少しで済んだだろうさ。何か探していたのか?」
 デイヴィッドは、ハルの問いには答えずに踵を返した。彼もジョンほどではないが、腰から下を冷たいテムズ川の水で濡らしている。
「火にあたってくる。」
 デイヴィッドは塔内の方へ向かいながら、無愛想に言い残した。ハルは、自分がまださっきデイヴィッドから投げてよこされた小さな包みを持っているのに気がついた。それの荷札は、かろうじて紐にぶらさがっている。
「『ウィッティントン商会 ― ダルシー,フェンダー家,薬草』…」
 荷札の文字を読んだハルは、はっとして顔をあげた。デイヴィッドはもう通用口のドアから塔内に入ろうとしている。
「デイヴィッド!」
 ハルは笑いながらデイヴィッドに向かって駆け出し、彼の背中に凄い勢いで抱きついた。デイヴィッドが迷惑そうに叫ぶ。
「何だよ!」
「レディ・ジェーンの代理だ!」
「離れろ、バカ王子!」
 デイヴィッドの怒号と、ハルの笑い声がロンドン塔の夜 ― クリスマス間近の夜空に響いた。


 → 12.ウィンチェスター司教が皇太子の複雑な心境を垣間見る事
11.イングランドの王子が極寒のテムズ川に転落する事,
  および意外にも猫に助けられる人がもう一人という話
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


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