ボーフォートはハルとデイヴィッドを連れてリンドレイと同じ階段を少し下がったが、途中の踊り場で別の古ぼけた扉を開いて進んだ。ハルとデイヴィッドがさっき通った時は、暗くて気付かなかった扉だ。その向うは細い通路になって、また下へ降りていった。中庭の高さより明らかに下っており、湿気がこもってきた。
 灯りをもって先頭を行くボーフォートの後ろで、ハルが感心したように言った。
「南塔がこんな入り組んだ構造だったとは知らなかったなぁ。一度ロンドン塔内をあまねく探検してみる必要が有りそうだ。」
ボーフォートが振り返らずに答えた。
「それはよした方が良いですよ。」
「どうしてです?」
「あらぬ所から死体が転がり出てきたりしますから。」
「なるほど。」
 デイヴィッドは最後尾を進みながら、ぞっとしない話だと思った。
 ハルもデイヴィッドも、実はロンドン塔の居住性は気に入っていたのである。しかし、この大きな城塞は王族の住居であり、倉庫であると同時に、「監獄」である事も事実だった。この塔の建設が始まってからもう三百年くらいは経っているらしいが、その間には様々な王権に刃向かう罪人が収容され、処刑されてきた。中には文字どおり、巨大な塔の闇に葬られた人もあっただろう。
 どうやらボーフォートは今回の「作戦」を実行する上で、その手の謎の死体に遭遇した事もあったらしい。そういう話を聞いて、ハルが探検をする気を増すか無くすかは、もちろん前者であろう。
 やがて、狭い通路は下りきって小さな踊り場に出た。外扉がついており、ボーフォートが細くそれを開けると、すっかり外は夜の闇で、テムズ川の水面が幽かにゆらめいているのが分かる。
 「物音を立てないで下さい。」
 ボーフォートが声を潜めて、二人に言った。そして扉から少し退くので、ハルとデイヴィッドはそっと隙間から外を窺った。
 彼らが今居るのは、セント・トマス塔から少し西側のテムズ川に面した船着き場だった。さっきリンドレイをつけてたどり着いた出入り口は、左手に見える。細い通路を伝ってきた割には、意外にも近い距離だ。その扉から、灯りを持った長身の人影が出てきた。リンドレイだ。彼は船着き場に出てくると、じっと待っている。リンドレイの立っている位置は、停泊しているセント・メアリーの船体の、丁度真ん中辺りで、今ハルとデイヴィッドが覗き見ている扉は、少し船首よりに位置していた。
 「リンドレイが出てきましたよ。」
 デイヴィッドが極力小さな声でボーフォートに言った。するとボーフォートは手に持っていた灯りを消す。そしてハルとデイヴィッドの下から、同じように外を覗き見て、囁いた。
「川から小船が何艘か近付いているのが分かりますか?」
 二人が頷くと、ボーフォートは相変わらずの小声で続けた。
「お二人が腹ごしらえをした『見張り塔』から、リンドレイが合図して呼び寄せた船です。」
「自称『港湾警備』の船か?」
ハルが皮肉ったが、ボーフォートはどこ吹く風だ。
「正式な港湾警備ですよ。職務に忠実な。」
「時と場合によるみたいだけど。」
「しっ!出てきましたよ。」
 セント・メアリーの甲板に次々と小さな灯りが点った。そして縄梯子が下ろされて、まずピットが降りてきた。リンドレイがピットの前に進むと、続いて何人か船から降りてくる。
 ピットの上機嫌な声が聞こえた。
「いよう、リンドレイさん!どうやら上手く行ったみたいだな。とんずら用の小船も到着したようだし。」
「そうだな。」
リンドレイが頷きながら答えた。ピットは両手を擦りあわせて続けた。
「さぁ、分け前をみんなにもらおうか。王弟様からせしめた、約束通りの金貨だよな?この船のクリスマス用の大荷物は、好きにしてくれ。それだけでもあんたも大儲けだぜ。」
 テムズ川から近付いてきた小船は、全部で七、八艘ほどだ。それらがセント・メアリーをぐるりと取り囲むと、一斉に松明が点り、船着き場が明るく照らし出された。ピットがびっくりしてリンドレイに向き直った。
 「おいおい、こんなに明るくして大丈夫か?中に知られたらまずいぜ。」
 そう言い終わる前に、ボーフォートが扉から勢い良く出ると、剣を抜いてつかつかとピットの前にやってきた。ハルとデイヴィッドは抜かずに、ゆっくりと船着き場に出てきて、船からは少し距離を置いて見物する事にした。
 ピットが突然現れた貴族の姿に、ぎょっとする。ボーフォートは抜いた剣をピットの鼻先に突き付けると、よく通る声で言った。
「そこまでだ、ピット。お前たちを密輸と詐欺の容疑で逮捕する。」
「何だって?」
ピットが素っ頓狂な声を発する。
「言った通りだ。お前達の密輸行為は、一年以上前からマークしていたんだ。さあ、手を上げて降参しろ。後ろの小船はすべて私の手の者だ。」
「あんた、だれだよ。」
ピットは注意深く両手を挙げながら、ボーフォートを睨み付ける。
「私は、サー・トマス・ボーフォート。お前達が言う所の王弟様だ。」
「ちぇっ、リンドレイ!貴様寝返ったな!」
ピットがリンドレイに向かって怒鳴ると、リンドレイは肩をすくめてみせた。
「最初からそのつもりでお前さんに接近したんだ。気付かなかったのが悪い。」
「じゃぁ、夏から入った新入りどもや、今朝乗り込んだ贋盗賊も、あんたらの手先かい?!」
「その通り。観念しろ。」
 船着き場に接岸した小船の一艘から、武装した男たちがわらわらと降りてきて、ピットとそれに続いていた数人の男を取り囲んだ。セント・メアリー船内にも松明が点り、大騒ぎが始まった。元からセント・メアリーの乗員で、密輸を働いていた連中を、夏からの新入りと今朝の贋盗賊が捕縛し始めたのだ。小船の武装部隊も、次々とセント・メアリーに乗り込んでいく。
 「ふん、せいぜい大暴れするがいいや!」
ピットは後ろ手に縛られながら、憎々し気に言った。
「ただでつかまる俺達じゃないからな!」
 ピットはボーフォートの部下に引っ立てられながら言ったが、あながち彼の言う事も間違いでもなさそうだった。船内の密輸に関わっていた船員たちは、意外にも徹底的な抗戦を展開しているらしい。ドタタドタと走り回ったり、剣や棒が打ち合わされる音が響く。中々船から引っ立てられる人数が増えてこない。
 ハルとデイヴィッドは船着き場を歩き、ボーフォートの所まで来た。
「大丈夫ですか、叔父上。何だか苦戦しているようだけど。加勢しましょうか?」
「よしてくださいよ、殿下。こちら側の人数は圧倒的なんですから。」
ボーフォートは部下の苦戦にヒヤヒヤしながら、苦笑した。
 「でも、逃げられましたよ。」
 デイヴィッドが面倒くさそうにつぶやいた。彼は夜の闇に溶け込んでしまっているテムズ川を見遣っている。
「えっ、どこだ?」
 ボーフォートが焦って聞き返した。デイヴィッドは寒さにうんざりしはじめている。マントをかき合せながら、下流の右方へ顔を向けてみせた。
「あの小船。乗っ取られたみたいですよ。」
 デイヴィッドの言う通り小船が一艘、下流に向かっている。人が二人乗っているのが辛うじて確認できた。
「リンドレイ!」
 ボーフォートが舌打ちしながら家臣の方に向き直った時、人が争う音で満ちていたセント・メアリーが、派手に物が壊れるような大音響を響かせた。
 ぎょっとしてボーフォートとハルが彼女の方に振り返ると、船体が僅かずつ船尾に向かって傾いていく。
「うわぁ叔父上、これはまずい。」
「分かっていますよ、リンドレイ!お前人手を集めて来い。出来る限りの荷物を助けるんだ!」
 ボーフォートは小船の事が頭の中から飛んでしまったらしい。既にデイヴィッドは船着き場を走って一番下流の突端まで来ていた。マントの下の背中からさっき拝借した弓矢を取り出すと、川の中央に向かって逃げようとする小船に怒鳴った。
「止まれ!さもないと撃つぞ!大怪我するぞ!痛いぞ!しみるぞ!」
 我ながらおかしなことを怒鳴っていると思いつつ、デイヴィッドは矢をつがえた。小船に乗っているのは男が二人。二人して櫂を手に必死に漕いでいるらしい。デイヴィッドの声が聞こえている証拠に、彼の方をチラチラ見ながら、どう矢をよけるべきか右往左往している。
 無駄な事だ、と思いながらデイヴィッドは一本目を放った。あやまたず、まず船首側の男の手の甲にあたった。鋭い叫び声が凍えるような川面にこだまする。驚いた船尾側の男が、川に飛び込もうと立ち上がったが、その前にデイヴィッドの放った矢が、左太股に当たり小船の中に倒れた。
 デイヴィッドは仕留めた小船の方には目もくれず、セント・メアリーの方へ駆け戻った。丁度、ハルが縄梯子に手を掛けたところだ。船体がギィーっと音を立てて、少しずつではあるが斜めになっている。
「ハル!これどうしたんだ?!」
 デイヴィッドは弓矢を後ろに放り投げながら怒鳴った。ハルが怒鳴り返した。
「密輸連中の最後の抵抗さ。奴ら船底に細工をして、いざって時は船ごと始末する算段だったらしい。」
「船底に穴を?」
「ああ、もう浸水が始まっている。自沈ってやつさ。勇ましいな。手伝えよ、デイヴィッド。大事な荷物だ。出来るだけ運び出すぞ。」
 船に乗り移ったハルがデイヴィッドに手を差し伸べ、二人は甲板に上がった。沈みかけるセント・メアリーの船倉から荷物を運び出すのが目的だったが、密輸集団の捕縛がまだ完了していない。ボーフォートも船内に居るらしく、部下に大声で指示している。仕方がないので、ハルとデイヴィッドもまずは人を捕らえる方にかかった。
 しかし、船は傾き始めている。必然的にみんな船首の方に集まるので、やっと身柄確保は軌道に乗ってきた。
 ボーフォートが部下達に指示を飛ばす。
「よし、捕らえた者は全員牢に入れろ。身元確認にとりかかれ。医者を手配しているから、怪我の手当てをさせろ。それから、木の板を持って渡せ。荷物を運び出すぞ!」
 ボーフォートは怒鳴りながら、今まさに最後の一人の顔面に拳を飛ばして倒したハルの所に来た。
「すみません、殿下。まさか船を沈めるとは思わなくて…」
「とにかく、荷物を出そう。叔父上はこの連中の後始末を。船に気を取られて本命を二の次にしちゃまずいですよ。もうすぐリンドレイが人を連れてくるでしょうから、ここはどうにかします。」
「お願いします。」
 ボーフォートはハルの足元で伸びてしまった男の首根っこを掴みながら起こすと、部下に渡して船着き場へ降りて、塔内へ走る。ハルが船倉の方へ向かうと、デイヴィッドが先に着いていた。船倉の入り口でハルがデイヴィッドの肩越しに覗き込むと、二人の船員が床に空いた船底への通路孔から出てきた所だった。
「どうだ?」
デイヴィッドが尋ねると、船員たちは首を振った。
「駄目ですね、もう手の施しようがありません。沈むのは時間の問題ですよ。」
 船員達は船底の破損個所を見に行ったらしい。デイヴィッドがまた尋ねた。
「川底には着くか?」
「着くと思いますが、今はちょっと水量が多くて、恐らく甲板まで水がかぶります。」
「駄目だな。とにかく、荷物を出そう。ハル、俺達がここから荷物を送るから、お前は出来るだけ船首の甲板から陸にあげるようにしてくれ。」
「分かった。」
 ハルはデイヴィッドに頷いてみせると、船首に戻った。ボーフォートの部下達は密輸団の捕縛に手間取り、あまり人が余っていない。
「参ったな、人が足りない。」
 ハルが呟くと、南塔の出入り口からロンドン塔の衛兵がリンドレイに引き入られて来た。
「殿下!人を集めてきました!」
「よし、半分は陸に居ろ。その板を渡すんだ。半分はこっちに乗り移れ。今、デイヴィッド達が船倉から荷物を送り出すから、順番に陸に上げるんだ。」


 →11.イングランドの王子が極寒のテムズ川に転落する事,
     および意外にも猫に助けられる人がもう一人という話



10.ネズミも追い詰められれば猫を噛むという例え話の場面
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


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