未明までは雨が続いたが、日の出までには止み、モンマス城内のチャペルでアーサー・モンタキュートとマチルダ・メイブリーの結婚式が行われる頃には、雲間から薄日がさし始めた。
 ハルは相変わらず寝起きが悪い。「ハルを起こす」などと言う事は最初からしないと決めているデイヴィッドに代わって、ジョンがあの手この手で兄をベッドから引きずり出そうとした。幸い今回の場合、ハルには花婿の介添え人という役目があり、この義務感に訴える事によってジョンは目的を達した。
 結婚式という事で、ハルも皇太子然とした服装をしなければならなかったが、これもジョンが尻を叩いて無事に完了させた。
 実はデイヴィッドも、当初は花婿の介添人を共に務める事になっていたのだが、怪我人が突っ立っているもの不格好で申し訳ないと言って辞退した。もっとも、そう思っているのは当人だけなのだが。

 式を執り行う司祭はウィンチェスター司教の名代で、これは皇太子が列席するがゆえの特例だった。
 薄暗く、カビ臭い堂内に香が焚き染められ、息が詰まりそうだ。モンマス城は堅牢だが、居住者にとって快適かどうかは甚だ疑問である。陰気な聖歌の調べがこだまする中、花嫁と花婿は祭壇の前に跪いている。煙でかかすみがちながら、二人の背後に介添え人のハルと、ジェーン・フェンダーが立っているのが見えた。
 デイヴィッドは参列者の後ろの方に立っていた。長ったらしいラテン語の祈祷がそろそろ何を言っているのか分からなくなってきた頃、いつの間に来たのか脇に立ったジョンが、
「デイヴィッド。」
と、小声で言いながら肘で小突いてきた。
「傷の具合はどう?」
「だいぶ良いです。」
 デイヴィッドが短く答えた通り、朝になってみると意外と傷の具合は良かった。朝、自分で着替えようとしているとマリーが乗り込んできて、まずは傷を洗うと言う。デイヴィッドは自分ですると抵抗したが、「お母さん」に敵う筈もなかった。傷は膿む気配もないし、熱も持っていない。完全にくっついてはいないが、新しい傷には見えなかった。面倒なので腕を吊らなくても良いのではないかと思ったが、マリーが許さなかったし、第一「医者」と口論になるのも面倒なので、従う事にした。
 「名医だね。」
ジョンはニコニコしながら小声で言った。デイヴィッドは無愛想に答えた。
「私の体質と、薬でしょう。」
「薬だって、彼女の調合だろう?」
ジョンは相変わらず嬉しそうな顔をしている。デイヴィッドは王子をチラリとみやった。
「ご機嫌ですね、ジョン様。」
「そりゃ、結婚式だもの。それよりもデイヴィッド、サー・スティーヴン・フェンダー未亡人が、何て言っているか知ってる?」
「知りません。」
 ジョンが言うには、ジェーン・フェンダーの母親は、娘がこの婚礼と祝賀会,トーナメントに出席するにあたって、弟であるメイブリーに厳重に言いつけたそうである。
「ランカスター公爵のお目に留まるか、もしくはトーナメントに集まる名うての騎士で、家柄の良い貴族に見初められるよう、最大の努力をしろ、だってさ。」
「ランカスター公爵の目には留まりましたよ。それも派手に。」
「それだけ?」
「あと、伯爵の惨めな土地無し六男坊に大怪我をさせました。」
「もう、だいぶ良いんだろう?」
ジョンは相変わらず嬉しそうだった。しかめっ面のデイヴィッドとは好対照だった。

 司祭の長い祈祷がやっと終わり、ふたたび聖歌の調べが堂内に響く。

 宮内庁の人間は宮殿から脱走してしまう皇太子に、早く妃を取らせようと躍起になっている。一方このジョン王子は、同じような事をデイヴィッドに対し考えているらしい。兄のためなら死んでも構わないと思っているジョンの理屈では、デイヴィッドが妻を娶ればその分だけ、兄は自分を頼りにしてくれるだろうという事らしい。その思惑が手に取るように分かるだけに、デイヴィッドは内心おかしがりながらも、やはりジョンの事が好きだと思った。
 しかし、今回は面白がってばかりも居られない。
 聖歌が終わり、最後の祈祷のために参列者全員が跪き、両手を組みあわせた。祈りが終わると、鐘がやかましく鳴り響き、一同が腰を落とす中、まず皇太子が退席した。続いてサマーセット伯爵,慌ててジョン王子が続き、そしてモンタキュート夫妻,メイブリー,そして新郎新婦が手を取り合って出口に向かった。花嫁に従うジェーンがデイヴィッドの前を通り過ぎようとした一瞬、二人は目礼を交わした。

 窒息しそうなチャペルから出てみると、空はすっかり晴れ上がり、陽光が降り注いでいた。
 儀式の終了を告げる鐘が鳴り響き、モンマスの住人達は道に出て歓声を上げ、祝宴の始まりとなった。モンマス城の城門のいくつかも解放され、中庭には大きなテーブルがしつらえられた。楽人たちが陽気な音楽を奏で、もう踊り始めている者もある。城門の両側にはAとMの頭文字が大きく描かれた垂れ幕が降ろされ、護衛士が持つ槍の先にも花とリボンが飾られた。
 厨房で作られた大量の料理が、屋外に運び出されてくる。中庭には、トーナメントに参加する騎士や郷士、モンマスや近隣の村の代表が入り、ご馳走を味わいつつ新郎新婦にお祝いを述べる順番を待っていた。
 新郎新婦と親族,そして貴族達は城内の大広間へと移動した。 貴族達が長い挨拶を交わし、やがてそれぞれの席に着くと、昼餐となった。これがうんざりするような展開だった。
 長い列を作って広間に進んでくる人数は尋常ではない。しかも、各人が新郎新婦,その両親、そして列席した皇太子とサマーセット伯爵に長々と挨拶を述べるのである。挨拶する方は前後にいくらでも飲み食いできるが、される方はそうは行かない。この調子では、晩餐までに昼餐の挨拶が終わるのか怪しい情勢だった。
 もっとも、デイヴィッドは呑気なものだった。彼は居並ぶお歴歴に加わる必要もなかったのである。デイヴィッドはチャペルから出ると、外の空気を吸おうと少し中庭回って祝宴の様子を眺め、音楽を聴いてから、大広間に入った。
 大きなテーブルの中央に新郎新婦が座っている。マチルダの斜め後ろには、ジェーンが控えているのだが、彼女はこの展開のまずさに気付いているらしく、目が笑っていない。
 お気の毒に、とデイヴィッドが思いながら視線を回らし、一段高く据えられた席を見るや頭を抱えてしまうのを辛うじて思い止まった。
 そこには居るべき皇太子ではなく、ジョンが座っていたからである。ジョンはデイヴィッドと目が合うと酸欠の魚のように口をパクパクさせ、目をいっぱいに見開いて何か訴えているが、デイヴィッドは悲しげに首を振る事しか出来なかった。しかも、慣れた感触が背後からデイヴィッドの左腕を取って引っ張るので、もう手の施し様がなかった。

 デイヴィッドが引っ張られるままに中庭に出ると、楽団は人数が増え、民謡を踊る人の輪が大きくなっていた。
「よし、脱出完了!」
 ハルは掴んでいたデイヴィッドの左腕を放すと、晴れやかに笑った。いつの間に着替えたのか、軽い旅装に剣だけ吊るしている。デイヴィッドの方が微妙に、身成りが良くなってしまっていた。
「何が完了だ。俺が連れ戻せばそれまでだ。」
デイヴィッドは苦々しく言ったが、ハルはどこ吹く風で、踊りの輪を眺めている。
「やっぱり、ロンドンとは音楽が違うなあ。楽しそうなのに、ちょっと物悲しくないか?」
「ハル。席に戻れよ。」
「ジョンが居るから大丈夫。なに、俺とジョンの顔の見分けがつく人間の方が少ないさ。あの薄暗い部屋の中なら、なおさら…」
「ジョン様が可哀相だろう?」
「あいつ、顔が俺に似ているのが誇りみたいじゃないか。」
「そう言う問題じゃない。」
ハルは答えずに脇の石塀に手を掛けてひょいと飛び乗ると、左手を差し出した。

 「来いよ、デイヴィッド。」

 挑むようなハルの笑顔を、陽光が照らした。その右頬にある色の薄い傷痕と背の高さが、ジョンとの決定的な違いだった。
 (やっぱり明るいと目立つな…)
 デイヴィッドはぼんやりとそんな事を思いながら、これ以上ハルにを物言うことを諦めた。元々、ハルを連れ戻せるなどとは思っていない。第一デイヴィッド自身、あの広間で延々と挨拶の列を眺めるよりは、外に飛び出した方が良いに決まっている。
(ジョン様には後でよくよく謝っておこう。)
 デイヴィッドは心を決めて、ハルの手を取った。

 モンマスの町は誰もが仕事を休み、婚礼を祝う宴に興じていた。折しも周辺の農村の収穫祭と重なり、更に両家とランカスター公爵からの提供されたご馳走や酒もあって、活気に満ちていた。
 周辺の村からも大勢の人が詰め掛けており、町の人口は倍に跳ね上がっている。祝宴は今日一日続き、翌日の朝からはトーナメント見物と、人々は何十年に一度の饗宴に心を躍らせていた。
 その上、年に一度あるかないかのような素晴らしい天気である。いやがうえにも人々の心は明るくなり、騎士も、郷士も、商人も、職人も、農民も同じテーブルについて楽しんでいた。
 フォールスタッフと従者のネッドも、それらの人々の中に居た。フォールスタッフはネッドに革袋入りのワインを持たせ、悠々と町中を歩いていた。傍らには、相変わらず無表情なガーナーが一緒に居る。そもそも、今ネッドが持っているワインも、ガーナーが提供した高級品なのだ。
「わしが思うにですな、ガーナーさん。」
昨夜に続いての上機嫌な声で、フォールスタッフが言った。
「皇太子ヘンリーという男は、この手の町の賑わいには、必ずと言って良いほど顔を出すのですよ。」
「必ずですか…」
ガーナーは帽子の影から、抑揚のない声で相づちを打つ。フォールスタッフは自信満々に続けた。
「そうですとも!必ずですぞ。しかも、この今日、この時間が特に怪しい。」
「どうしてですか。」
「よろしいですか、夕べは軍勢と一緒に到着したばかりだし、モンタキュート家とメイブリー家との顔合わせがあるから、出られない。今夜は恐らくモンタキュート家か、ランカスター公爵さま主催の晩餐があるはずだし、婚礼の夕方の礼拝もすっぽかす訳には行かない。明日は公爵さま主催のトーナメントがあるから、それに列席しなければならない。
 と、なれば皇太子が城から脱走するには、式が終り略式の昼餐となる今のタイミングしかない、という訳ですよ。」
「さすがは、サー・ジョンだね!」
ネッドが、フォールスタッフの背後で景気良く言った。
「お見事な分析だ!そうに違いないよ。ハルとデイヴィッドを捕まえるのは、時間の問題だぞ!」
「デイヴィッド?」
ガーナーがフォールスタッフに静かに聞き返した。
「デイヴィッドとは、サー・デイヴィッド・ギブスンですか?」
「いかにも、その通り!あいつも有名になったもんだ。伯爵の息子とは言え、六男の土地無し野郎だってのになあ。」
「武勇のほどは、音に聞こえていますから。」
「いやいや、ガーナーさん。デイヴィッドも皇太子も洟垂れ小僧の頃から、このフォールスタッフが教育してやって今日があるのですぞ。帝王学、処世術、剣術、槍術、乗馬、弓矢、騎士道、女の口説き方、借金の踏み倒し方…いや、これはわし自身には関係ないが…酒の飲み方、賭け事必勝法、とにかくこのわしが伝授してやってこそ、今日のあやつ等があるってもんですわ!」
 そう言ってフォールスタッフは豪快に笑った。町の人々の楽しいざわめきと、踊りの音楽の中でも、彼の笑い声は一際高く響いた。
 ガーナーは、フォールスタッフの言う事の大方がホラである事ぐらいは分かっていたが、あえて黙っていた。
 昨晩、宿屋に居たガーナーの連れの男達は、すこし後ろの方をだまってついて来ていた。ガーナーをはじめとする彼らは、この宴を楽しむでもなく、不気味に落ち着いていた。フォールスタッフは、自分がこれから彼らを皇太子に引き合わせようとしているから、緊張しているのだと解釈し、さらには金貨で一杯の、ガーナーの財布の恩恵にまだまだあずかれると、内心ほくそえんでいた。

 一行はとりあえず、大きな食堂の通りへ面した二階席に陣取った。そしてフォールスタッフとネッドの求めるまま、豪華な食事と酒が運ばれてきた。


 → 8.皇太子ハルとデイヴィッド・ギブスンが、窮地に追い込まれる事
7.荘厳な婚礼が執り行われる事,およびモンマスの町の賑わいの事
Original Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


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