モンマスの城下町は活気に満ちていた。今回の祝宴に駆け付けた近隣住民や、トーナメントに参加する旅の騎士,郷士がわんさと詰め掛けていたからである。宿屋という宿屋は軒並み満員で、食堂や大きな商店も即席宿泊施設と化していた。
 婚礼は翌朝だが、町では早くもドンチャン騒ぎが始まっていた。宵の口から雨が降り始めたのだが、町の熱気は冷めない。ある一軒の飲み屋では、派手な喧嘩が始まっていた。一方は飲み屋の親父,もう一方は、肥満白髪老人騎士ジョン・フォールスタッフとその従者ネッドである。
 「こぉの、ブタ野郎め!2ガロンも飲み干しておいて、無銭飲食たぁ、いい度胸だ!」
腕も顔も毛むくじゃらの親父は、フォールスタッフの胸ぐらを掴んで喚いた。
「無銭飲食とは、無礼な!わしが小銭を持って歩くようなケチな騎士に見えるって言うのかぁ!?」
「そうだ、そうだ!」
 べろべろに酔っ払いながら言い返すフォールスタッフの背中に隠れながら、ネッドが威勢よく声だけ張り上げた。
「うるせぇや、このブヨブヨ野郎!お前のどこが騎士だってぇんだ?!それとも、アレか?イングランドじゃあ、おめぇみたいなブタが騎士様って呼ばれてんのか?!」
 親父が怒鳴り返すと、見物客たちがどっと沸いて口々に喚いた。
「親父、よく言った!イングランドなんざ、こんなけったいな騎士だらけでさぁ!」
「何をッ?!イングランドじゃあ、こんな男は騎士とは言わずに『脂身』って呼ぶんだ!ブタとイングランド人を一緒にするんじゃねぇ!」
 モンマスという土地柄なのか、野次馬たちにもウェイルズ人とイングランド人が混在しているらしい。
 飲み屋の親父は生っ粋のウェイルズ人らしく、背こそ低いが腕っ節は強かった。フォールスタッフの胸ぐらを掴んだまま、その巨体を椅子から持ち上げて、唾を飛ばして怒鳴った。
「騎士だろうが、ブタだろうが、飲み食いした分はきっちり払え!金がなけりゃ、馬,剣,荷物、目玉、髭、親指、身ぐるみ全部置いて行かないと、ただじゃおかねぇぞ!」
「おい、親父!そんな口を利くものじゃないぞ、わしを誰だと思っている?」
「へん!デブ、ブタ、樽、穴熊、ラクダの胃袋、羊の膀胱、ヒキガエルの老いぼれじじい!他に何だってんだ?」
「聞いて驚くなよ、わしは皇太子殿下ヘンリー王子の親友サー・ジョン・フォールスタッフだぞ!」
「こーぉたいし殿下の!しぃーん友だとぉ?肥溜めで潜水訓練でもしていやがれ!おめぇが皇太子殿下の親友なら、俺はジュリアス・シーザー、女房はクレオパトラか!」
 野次馬がまたどっと沸いた。するとネッドが、フォールスタッフの背後から顔だけ出して喚いた。
「やいやい、本当だぞ!あとで後悔しても知らねえからな!サー・ジョンは、ロンドンじゃあ毎日皇太子殿下と苦楽を共にする大親友、心の友、竹馬の友、刎頚の交わり、デイヴィッドとジョナサンだぞ!(*注)」
 すると飲み屋の親父は掴んでいたフォールスタッフの胸ぐらをいきなり放したため、巨体が床にひっくり返り、ネッドがふぎゃぁと押し潰された。親父は昂然と手を腰に当てると、これまた凄い勢いで怒鳴った。
「黙れ、チビの禿げイタチ!サー・デイヴィッドの名を騙るとは、とんでもねぇ野郎だ!いいかぁ、知らねぇようだから教えてやる。サー・デイヴィッドは今を去る事19年前、このモンマスで皇太子殿下と同年、同月、同日に生れたセグゼスター伯爵のお坊ちゃんだ!女に産まれてりゃ、今ごろ皇太子妃殿下だろうよ!こんなタプタプ腹で、ボロボロ鼻で、便所ヅラ野郎の、エセ騎士じじいな訳がなかろうが!」
「デイヴィッドも、わしの大親友だ!皇太子も、サー・デイヴィッドもわしの親友,息子,愛弟子だぞ!」
 フォールスタッフは手足をばたつかせながら喚いたが、もう飲み屋の親父は聞く耳を持たない。むんずとフォールスタッフの襟首を掴むと、凄い力で雨の降りしきる表へ放り出した。フォールスタッフの巨体が泥の中に突っ込み、野次馬がやんやと歓声を上げた。
「やりおったな、無礼者め…」
 言いながらフォールスタッフは体を起こそうとしたが、今度はネッドが放り出され、見事に老人の脳天に降ってきた。更に彼らの荷物が投げ出され、飲み屋の親父が一言、とどめに怒鳴った。
「おととい来やがれ、空っぽ財布のニワトリ野郎め!」
 見物のウェイルズ人も、イングランド人もこの惨めな無銭飲食連中を見て、げらげら笑い出した。
「おのれぇ…今に見てろよ…おい、ネッド!この野郎、早く俺の上からどけ!」
「退きたいんだけどさ、サー・ジョン。目に泥が入っちまって…」
 降りしきる雨と泥の中でフォールスタッフとネッドがもたもたしていると、一人の男が近付いてきて、まずネッドを助け起こした。そして、きょとんとしているネッドを促し、二人がかりで泥の中からフォールスタッフを引き上げた。
「大丈夫ですか、サー・ジョン。」
 男は、夜の暗がりと雨で良く見えないが、落ち着いた声で言った。フォールスタッフは、突然現れた助けに、大喜びしながら答える。
「おう、大丈夫だとも!あんなヘナチョコ親父に負けるようなわしでは、ありませんぞ!」
「そうだ、そうだ!」
 ネッドも威勢良く言ったが、いかんせん二人は金を持っていなかった。だからこそ無銭飲食で店をたたき出され、宿も取れそうにない事は一目瞭然である。
 すると助けに来た男は、通りの端にある店の灯りを指差して静かに提案した。
「どうですか、フォールスタッフ殿。あそこが私どもの宿なのですが、ご一緒しませんか?もちろんご馳走しますよ。」
 フォールスタッフとネッドは顔を見合せた。こんな僥倖に恵まれる事など、めったにある事ではない。二人はすぐに同意した。
「ええ、もちろん!」
 男は無言で頷き、泥まみれの二人を彼の宿へと案内した。

 そこは普通の宿屋だった。ただ、他の店が定員を大きく上回る客数でごった返しているのに対し、かなり余裕のある人数しか投宿していない様子だった。フォールスタッフとネッドが男に連れられ、食堂に入ると、室内はランプの灯りで明るく、暖炉にも火が入っている。どうやら、この宿に泊まっているのは全員男の仲間らしく、男に目で挨拶したり、フォールスタッフとネッドの汚れた服を脱がしたり、手ぬぐいを渡したりして、何かと親切だった。ただ、彼らが笑いもせず、ろくに口も利かなかったのが少し不気味に感じられる。
 男は、フォールスタッフとネッドに席を勧めると、宿屋の女将を呼び寄せ、
「おい、上等なワインとエールを揃えてくれ。それから、良く焼いた鳥と、暖かいスープだ。他にも適当に頼む。」
と、言いながら革袋からピカピカの金貨を2枚も取り出して渡した。
「はいはい、ただ今!」
女将は満面の笑顔で台所へ走っていった。フォールスタッフとネッドも目を丸くした。男の革袋はまだまだ金貨で一杯に見える。どうやらかなりの金持ちらしく、この宿屋ごと借り切っているに違いない。
 テーブルに飲み物が運ばれてくると、男はフォールスタッフの器になみなみと注いで、
「さあ、どんどんやって下さい。ワインでも、エールでも。食べ物もお好きなものをどうぞ。」
と、鷹揚に言った。ただ、にこりともしなかった。
「これは、これは。痛み入りますな。では、お言葉に甘えて…」
と、フォールスタッフはさっきの店でしこたま飲んだにもかかわらず、またグビグビと始めた。ネッドも遠慮せずに料理にかぶりつく。
「私は、ニコラス・ガーナーと申します。」
 男は、唐突に名乗った。巨体の老騎士と、小柄な従者は一瞬ポカンとして名乗った男に見入った。
 ニコラス・ガーナーは、逞しい体つきをした中年の男だった。顔は良く日に焼けており、ゴワゴワとした赤毛に、大きな鷲鼻、そして顎に切り傷の痕のようなものがあった。騎士には見えないが、腰に剣を吊るし、どこかの郷士のような身なりをしていた。
 フォールスタッフとネッドはコクコクと肯くと、口々に自分はフォールスタッフだ、従者のネッドだと名乗って、この裕福な男と握手をした。ガーナーは更に二人に食事と酒を勧めた。二人は、またガツガツと飲み食いを始めた。
「先ほど、少し小耳に挟んだのですが…」
と、ガーナーは自分では何も口にせずに、じっとフォールスタッフを見詰めながら言った。
「ロンドンでは、皇太子殿下のお友達とか。」
「おう、そうよ!サー・ジョン・フォールスタッフといえば、皇太子殿下が心から信頼する親友中の親友でさぁ!」
 ネッドが口一杯に脂の乗った鶏肉を頬張りながら、まくしたてた。フォールスタッフも値の張りそうなワインを喉に流し込み、ふんぞり返った。
「いかにも、そうですぞ!皇太子殿下がこの場に居ようものなら、『やぁ、フォールスタッフ、懐かしくて仕方がなかった。会えて嬉しいぞ、我が友、我が師、我が父よ。元気だったか』と、言いながら手を取ってくれるだろうさ!まったくあの田舎者ども、このわしから匂い立つ威厳と高潔さを、まったく分かっておらん!その点、ガーナーさん。あんたは中々のものですぞ。このサー・ジョン・フォールスタッフという知己を得た以上、きっと立身出世なさいますわい!」
 そう言ってフォールスタッフが笑うと、大きな腹が左右にブルブルとふるえた。
 しかし、ガーナーは相変わらずにこりともしなかった。彼はコップのワインを少しだけ口に含むと、相変わらず飲み食いに夢中になっているフォールスタッフとネッドをじっと見詰め、再び静かに言った。
「立身出世はともかくとして、私もぜひとも皇太子殿下の覚えにあずかりたいものです。私はしがない郷士の身。殿下のお役に立ちたいと思っても、中々それが出来る立場ではありません。」
 フォールスタッフとネッドは一瞬手を止めると、顔を見合わせた。そして、すぐに口を揃えて言った。
「その位の事、このフォールスタッフに任せなされ!」
「そうですよ、サー・ジョンに任せておけば、ハルなんてすぐに友達になれるよ!」
「その通り。ハルなんざどうせ、デイヴィッドと町にフラフラ出掛けてくるに違いない。ガーナーさん、わしと御一緒しておれば、すぐにも皇太子殿下にご紹介しましょうとも!わしの友人は、ハルの友人も同然ですぞ、わしに任せなされ!」
「いや、御迷惑でしょう。」
ガーナーはそう言ったが、フォールスタッフとネッドは大袈裟に首と手を振った。
「迷惑だなんて、全然!」と、ネッド。
「造作もない事ですぞ、ええ!第一、このフォールスタッフ、ご親切にして下さった紳士を、皇太子殿下に紹介もしないようでは、騎士の名が廃ります。ぜひとも、ご紹介させて下され。」
「かたじけない。どうか、無理はなさらず。」
「無理など!さては、わしが皇太子殿下の友人である事をお疑いですな?」
「いや、とんでもない。」
「でしたら、ぜひにでも!」
そう言って、フォールスタッフはまた腹をゆすり、豪快に笑って酒と食事にかぶりついた。

 結局、フォールスタッフとネッドは、ガーナーのおごりで豪勢な食事を満喫し、今夜の宿も提供された。ガーナーと仲間の一行が占用している宿の、清潔で快適な寝室をあてがわれたのである。
 二人は上機嫌この上なく、酔いのせいで足元がおぼつかなかった。ガーナーの仲間の男たちは、親切にも二人に肩を貸し、寝室まで連れていってくれた。
 ガーナーは食堂に残り、フォールスタッフとネッドが寝室へ行くのを見送った。彼は暫らく思案顔で黙っていた。やがて、フォールスタッフとネッドを寝室に運んだ男達が食堂に戻ってきた。
 すると、ガーナーは仲間たちに向かって、低い声で言った。
「どうやら、試合に皇太子を引き出すまでもなさそうだ。あの男はきっと、我々を皇太子の元に導いてくれるだろう。その時こそ、我が目的の達せられる時だ。」

 夜半を過ぎ、町の騒ぎも静まりつつある。冬を予感させる冷たい雨が、すこし強くなった。


*デイヴィッドとジョナサン David and Jonathan:無二の親友のたとえ。聖書「サムエル記上」サウルは配下のダヴィデを疎んじ、殺害を企てた。しかしサウルの息子ヨナタンが親友のダヴィデにこれを告げて逃がし、彼の命を救った。その後サウルとダヴィデは戦を交え、ヨナタンは父と共に戦死する。


→ 7.荘厳な婚礼が執り行われる事,およびモンマスの町の賑わいの事
6.サー・ジョン・フォールスタッフが、従者ネッドと共に豪華な食事にありつく事
Original Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


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