ハルとジョンがマリーの後ろに居たのは、何もナイトとレディの壮絶な口論を見物しに来たからではない。重要な情報がもたらされたため、デイヴィッドを呼びに来たのである。
 モンマス城内,ランカスター公爵の部屋(普段は使われていない)には、ハル,ジョン,サマーセット伯爵,城代モンタキュート,その長男アーサー,舅となるウィルフレッド・メイブリー,そしてデイヴィッドが顔を揃えた。彼らが着座する中、起立して報告を行おうとするいかつい顔の男は、この地域の副執政官で、名前をカットベリーと言った。
 「モンタキュート様の指示を受けまして、自分は部下達と共にメイブリー様が遭難なされた現場に向かい、ただちに盗賊7名を逮捕,もしくは回収しました。さっそく詰め所で尋問した所、彼らは今回の婚礼祝賀に参列する、旅の貴族一行を狙った盗賊一味と分かりました。」
「よりによって、花嫁一行を襲うとは!」
と、強い語気で言ったのはアーサーである。カットベリーは頷いた。
「所が、彼らは罰を逃れようと、情報の提供を申し出たのです。取り引きですな。彼らが言うには、1週間ほどまえ、ある男に妙な依頼を受けたそうです。」
「妙な依頼?」
 モンタキュートが聞き返すと、カットベリーは肯いた。
「はい。ご婚礼の後は祝宴とトーナメントが開かれますが、そのトーナメントが終わろうとする頃に、観衆の中から皇太子殿下と、ある騎士との対戦を求める声を挙げてくれと言われたそうです。」
 貴族達は黙って、暫らくきょとんとしていたが、最初にジョンが口を開いた。
「兄上…また何か仕込みましたね?」
「いや、俺は何も…」
 ハルは目をパチクリさせた。そしてカットベリーに確認した。
「それで、どんな男に頼まれたと言っているんだ?」
「話を持ち掛けてきたのは、きれいな英語を話す壮年の男で、赤い髪と髭、顎に大きな切り傷の痕があったそうです。盗賊達は町の居酒屋でこの男に、声を掛けられたとか。高額な報酬も提示されたそうです。」
「いくらだ?」
ハルが聞き返す。
「前払いで2ポンドから、2ポンド10シリング、成功報酬として更に10シリング出すと、言われたそうです。」
「変な依頼の割に、馬鹿に高い値段だな。」
「ええ、余りにも凄い金額なので、盗賊達も気味が悪かったそうです。ただ、皇太子殿下の勇姿を拝見したいと言う気持ちも手伝って、引き受けたとか。」
「最後の一言はどうだかなぁ…」
「この男から同じような依頼を受けた住人たちは多いようです。なにせ、ここモンマスでの殿下の人気はかなりのものです。試合に出場なさるお姿を見たいと言って、報酬は受け取らずに引き受けた連中も居たと、賊どもは証言しています。」
 貴族達はまた少し黙って、互いの顔を見ていたが、モンタキュートが言った。
「この件について、もっと詳しく調べさせますか?」
 すると、ハルは苦笑して僅かに首振り、サマーセット伯爵が代わりに言った。
「今の所、さほど深刻な話でもないので、置いておきましょう。せっかくの祝賀ムードに水を差す事もありますまい。」
 モンタキュートが合図すると、カットベリーは退出し、残された貴族達は顔を見合わせた。
「何なのでしょう?」
と、ジョンが顔を顰めながらが口火を切った。モンタキュート,アーサー,メイブリーは何とも言えない表情でいる。サマーセット伯爵が意見を述べた。
 「今回のトーナメントは、ランカスター公爵主催であって、皇太子殿下が出場する訳ではない事は、誰もが知っている事です。その場の雰囲気で、見物人が殿下の出場を望む声を上げる事は有り得る話ですが、前もって根回しをするというのは、不自然だと思います。」
「叔父上は、何か陰謀の臭いがすると思いますか?」
ハルが聞き返すと、サマーセット伯爵は静かに微笑んで首を振った。
「陰謀というほどではありません。ただ、大金を使っている所が気になりますね。」
「そうですね…。アーサー、君は出場するんだろう?」
ハルが尋ねると、花婿はうなずいて答えた。
「ええ。槍試合に出ます。」
「真剣で?」
「いいえ、切っ先を保護した、競技用の安全な槍です。特に危険という事はありません。余程下手な落馬でもしない限りは。」
「単に俺と勝負したいだけだろうか?」
「兄上、そんな得体の知れない話…危ないから、出場しない方が良いですよ。」
と、ジョンがひどく心配げな顔で言ったが、ハルは苦笑いした。
「でも、その場になってみろよ。雰囲気的に出ない訳には行かないかもしれないぞ。」
「殿下の名代として、他の騎士が出れば良いのではありませんか?剣を授けて…」
 新たな案を進言したのは、メイブリーだった。
「誰を名代として出しますか?少なくとも私と同等の腕がないといけない。」
「それは、サー・デイヴィッドがいらっしゃるではありませんか。」
 一同は、黙って聞いていたデイヴィッドに視線を集めた。そこに居るのは、右肩に大怪我をして、腕を吊った、仏頂面のデイヴィッド・ギブスンだった。

 その晩、モンマス城内では、ささやかな晩餐会が開かれた。最初、婦人たち ― モンタキュート夫人,花嫁マチルダ,その従姉妹のジェーンも同席していたが、昼間の騒ぎと旅の疲れがあるマチルダに配慮して、早々に別室に移る事にした。
 彼女たちは立ちあがり、ハルをはじめとする男達に挨拶して出て行こうとする。男達も立ちあがって礼を返しながら見送った。女たちの最後に退出しようとしたジェーンが、去り際にデイヴィッドの前のテーブルから、ワインの入ったコップを取り上げた。
「それは俺の。」
デイヴィッドが低く言うと、ジェーンも低い声で返した。
「今夜は酒類禁止。」
「何だって?」
「傷に障るから。それから動き回らない事。熱を出すわよ。」
 デイヴィッドは口を開いて何事が言おうとしたが、いきなりハルが手でデイヴィッドの顔面を押さえて、発言を封じた。
「ありがとう、レディ・ジェーン。サー・デイヴィッドには、私からよぉく言い聞かせますので。おっと、ごめん。」
 窒息しそうになるデイヴィッドの顔からハルが手をどけると、ジェーンはまた深々と腰を落とし、退出した。
 男達は席に戻ると、やはりジェーン・フェンダーの話題になった。何せ武芸において負けた事のないデイヴィッドに、一撃で大怪我を負わせた稀代の女性である。叔父であるメイブリーは、既に何度もしている事だが、改めてデイヴィッドに姪の無礼を詫び、彼女について話し始めた。
 「ジェーンは、ダルシーのサー・スティーヴン・フェンダーの一人娘で、母親が私の実の姉です。フェンダー家は大領主と言って間違いはないでしょう。しかし、サー・スティーヴン以来男子がありませんでした。18年前、フェンダー家は跡継ぎの居ない状態でしたが、サー・スティーヴンと私の姉の間に、やっと子供を授かりました。二人はもう35を過ぎていたのですが。サー・スティーヴンは、妻が身ごもった事を知ると、生れてくるのは男子だと確信していました。しかし、生れたのは女子であり、それがジェーンです。」
 ハルが口を挟んだ。
「もしかして彼女が生れた時、サー・スティーヴンは卒倒しませんでしたか?…わぁ!」
 最後の奇声は、隣りのデイヴィッドが思い切りハルの足を踏んづけたためである。メイブリーは怪訝な表情で続けた。
「さぁ…そういう話は聞いていませんが。とにかく、スティーヴンがひどく落胆したのは確かです。」
「でも、女の子の服や、色々な女子向きの品物には不自由しなかったでしょう?」
と、モンタキュートが口を出した。
「ええ、そう言えば何も準備していなかったはずですが、別に困ってはいませんでしたね。私の娘マチルダはジェーンより二つ年上なのですが、そのお古をそっくり譲ろうとしたら、ジェーンの元にきれいな一式があったので、当時生きていた私の妻が驚いていました。不思議な話ですね。」
 すると、モンタキュートはにこにこと笑いながら説明した。
「実は、レディ・ジェーンが生れる1年ほど前に、このモンマスで男の子が産まれましてね。こちらは逆に、女の子だと思い込まれていたのです。そこで父親は女の子用品を取り揃えていたのですが、結局無駄になりました。それで、生れてきた男子の母親と、私の妻が相談して、近々どこかで貴族の家に娘が産まれたら、一式譲ってやろうという相談になったそうです。」
 「えっ、ではセグゼスター伯爵家の女の子用品が、そっくりそのままフェンダー家に引き継がれたのですか?」
 ジョンがびっくりして聞き返した。ハルはもうテーブルに突っ伏して笑ってしまっているし、デイヴィッドは左肘をついた手で額を押さえ、うな垂れてしまった。モンタキュートは頷き、嬉しそうに続けた。
「アーサーとマチルダ嬢の婚約が決まった時、マリーが思い出しましてね。マチルダ嬢の従姉妹こそ、18年前にセグゼスター伯爵,ギブスン家の女の子用品一式を贈られた当人だったのです。ご立派にご成人なされましたな。」
怪我人は大袈裟に溜息をついたが、
「デイヴィッド。」
と、サマーセット伯爵が一言たしなめた。実はそのセグゼスター伯爵家の男子が、この怪我人だのだと、モンタキュートが説明すると、メイブリーは驚きと共に感慨深げだった。
 「そうでしたか。奇縁ですな…いや、そのお方がお助け下さったのに、こんな目に遭わせて、本当に申し訳ない。」
「それで、フェンダー家は?」
 ハルがメイブリーの話の続きを促した。
「はい。結局唯一の子であるジェーンが、広大なフェンダー家所領の、女子相続人になりました。しかし、サー・スティーヴンは3年前のシュールズベリーで大怪我をして、その後すぐに亡くなりました。ジェーンにとって、唯一の男の親戚である私が、後見人になったのですが、もちろん私には相続権がありませんので、ジェーンが結婚するまでと言う事になっています。」
「所領はもちろんですが、レディ・ジェーンほどお美しくて、聡明で、しっかりした女性になら、結婚の申し込みも殺到しているのでありませんか?」
 サマーセット伯爵のこの発言の間、デイヴィッドは物凄い渋面になってしまっている。
「問題はそこなのですよ。」
と、メイブリーは困り顔で続けた。
 「サー・スティーヴンも生前、ジェーンの結婚相手について大騒ぎしていました。あっちの騎士、こっちの貴族とやたらと物色していましたし、おっしゃる様に申し出も多かったのです。しかしスティーヴンは、やれ家柄が気に入らない、顔が気に入らない、頭が悪い、武芸に劣る、ロンドンの人間は嫌いだ、田舎者も嫌いだ、若すぎる、年寄りすぎる、変な臭いがする、髪の毛が少ない、虫が好かないなどなど、とにかく全然お気に召さないのです。そうこうしている内に、サー・スティーヴンは死んでしまいました。今度はジェーンの母親…私の姉が、亡き夫と同じ事をして、片っ端から気に入らないと言う始末。」
「当人はどうなんです?」
「これが、からっきし結婚する気がしないようです。18なのですから、その気になっても良いと思うのですが。あまりにも昔から両親がやいのやいのと騒ぐので、うんざりしているのでしょう。でも、フェンダー家の女子相続人ですからね。母親は相変わらずの大騒ぎ。それが嫌になってしまったのか、ジェーンはすっかり私とマチルダの所に滞在する期間が長くなってしまいました。
マチルダはあの通り、神経の細い子です。年下とは言え、しっかりしたジェーンを大層、頼りにしているのです。昼間の事件だって、ジェーンが居なかったらどうなっていたか…ああ、もちろんサー・デイヴィッドには本当に申し訳なく思っております。」
 「医者と言うのは、本当ですか?」
やっとデイヴィッドが口を開いた。代わりに出された水を不味そうに飲んでいる。
「実は、本当なのです。」
 メイブリーは真剣な表情で答えた。
「ダルシーのフェンダー家の側に、年老いた町医者が住んでおりました。ジェーンを孫のように可愛がってくれたそうです。ジェーンは領民ともそこで仲良くなりまして、自然と医者の手伝いをするようになったとか。まぁ、医者が出来る事なんて高が知れていますから、ジェーンもそれなりの腕があるようですよ。
 ジェーンはここ1年ほど、口うるさい母親から逃れるために私の所に来ているのですが、近くに聖アンジェラ修道院があるのも、魅力のようです。あそこのシスター達は、伝統的に医療行為に熱心ですから、三日と開けずに通っては薬や治療方法を仕入れてくるのです。ジェーンも、今では立派な医者ですよ。
 マチルダは今も繊細な娘ですが、以前はもっと病弱で、しょっちゅう寝込んでいました。これはもう人様に嫁ぐのは諦めて修道院にでも入れようかと思っていたのですが、ジェーンが来てからは見違えるように健康になりまして。このたびモンタキュート殿との縁組みが決まったのも、ジェーンのおかげです。アーサー殿にも…」
 話題は、明日に結婚式を控えた花嫁と花婿、モンマスと近隣住民にも解放される祝宴、トーナメントへと移っていった。

 翌日からの忙しさに備えて、晩餐は早々に打ち上げられた。
 ジョンがおやすみなさいと言って自室に引き取ると、廊下を歩くのはハルとデイヴィッドだけになった。
 それぞれが手に持つ灯かりに照らされ、石造りの廊下の壁に背の高い二人の影が揺らめいた。
 ハルが気楽な調子で口を開いた。
「妙な挑戦の仕方だな。」
 前置きもないが、デイヴィッドには何の話だかは分かっている。トーナメントで、皇太子に出場を促す歓声を上げる様、金を使って依頼して回っている男の話だ。
「俺と対戦したけりゃ、正面から申し込めば良いようなものだが。つまりは、トーナメントへの正式エントリーもしていないし、皇太子と正攻法で対戦する身分でもないという事になる。それでも俺との対決を望むとしたら…まともな対戦は怪しいな。真剣を使って、俺を害する事を目的としていると踏んでも良さそうだ。では、誰が?」
「お前を個人的に怨んでいる者。」
 デイヴィッドはぶっきらぼうに言った。ハルは歩きながらデイヴィッドの方に首をかしげてみせた。
「個人的に?たとえば?」
「知らん。」
「デイヴィッド・ギブスン!うん、この男は怪しいぞ。婚約破棄を怨んでいるに違いない。」
 寝室として割り当てられた部屋に着いたデイヴィッドは、何も言わずに中に入ってドアを閉めようとした。
「おっと、待てよ。」
ハルが素早くドアの隙間に体を割り込ませて来た。
「何だよ。」
デイヴィッドが睨むと、ハルは背後でドアを閉め、脇のテーブルに灯かりを置いた。
「着替え、一人じゃ無理だろう。」
「いいよ。このまま寝る。」
「剣とベルトを外し、靴を脱ぎ、口をゆすぎ、顔を洗う。そうだろう?意地張ってないで手伝わせろ。それとも、この城の従僕を呼んで欲しいか?」
 デイヴィッドは答えずに、どっさりとベッドに腰掛け、長く息をついた。
「デイヴィッド…」
 ハルは声の調子を落とし、デイヴィッドの足元に座り込んだ。
「かなり凄い出血だったから、さすがに疲れているんだよ。ゆっくり寝ろ。」
 デイヴィッドがハルを見やると、元婚約者は静かに肯いてみせた。デイヴィッドが何か言おうとしたが、それよりも先にハルが素早く立ちあがり、
「それに、お医者様も…」
 と、言いながらドアに駆け寄って勢い良く開け放った。廊下には、ジェーンがびっくりした顔で立っている。左手には湯気の上がるコップの載った小さな盆を持ち、右手は今まさにドアをノックしようと差し上げられていた。
「お医者様も往診にいらした。」
 ハルはジェーンに、にっこりと微笑むと、彼女のために道を開けた。
 ジェーンはまず、皇太子に向かって深々とおじぎをしてから、つかつかとデイヴィッドの前に歩いていった。そして盆を怪我人の眼前に差し出した。
「今夜は傷がうずくだろうから、これを飲んで。痛みを抑えて、よく眠れる薬草を煎じてあるから。」
「…不味そう。」
デイヴィッドは力なく呟きながら、左手で器を取った。
「不味い方が効くのよ。」
 ジェーンは愛想のない声でそう言っただけで、僅かに腰を落とし、すぐに踵を返した。そしてまたハルに向かって深々とお辞儀をして、廊下へと出ていってしまった。
 「なかなかのレディじゃないか。」
ハルがドアを閉めながら、デイヴィッドに笑いかけた。
「どうだか。」
 デイヴィッドは渡された器の薬草茶を、吹き冷ましながらゆっくりと口に運んだ。
 ひどく不味かった。


 → 6.サー・ジョン・フォールスタッフが、従者ネッドと共に豪華な食事にありつく事
5.副執政官のもたらす奇妙な情報と、ダルシーの女子相続人の事
Original Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


  モンマスの祝宴
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