サマーセット伯爵と、ジョン王子に率いられた一個大隊は、ちょうど正午ごろにモンマス城へ入城した。
 モナウ川に架かる大きな橋を渡り、石造りの門兼見張り塔をくぐると、モンマスの住人達や、トーナメントに馳せ参じた騎士や郷士たちが通りに出て歓迎した。視察があるとは言え、臨戦態勢という訳ではないので、和やかなものである。
 モンマスの住人達は、大隊の先頭に王家の紋章を認めて、大いに手を振った。落ち着いた風貌の貴族は王弟サマーセット伯爵。隣りの若い騎士は ― 最初、住人達は我らが皇太子殿下かと思った。実際、顔はそっくりである。しかし紋章には王の長男を示す「三本足のレイブル」がないし、バッジ(徽章)は皇太子の「三本のダチョウの羽」がなく、ランカスター家の「赤い薔薇」だけだ。つまり、これは皇太子の弟ジョン王子という事になる。モンマスの住人たちは、さすがにその辺りには詳しい。
 皇太子殿下は、またサー・デイヴィッドとどこかへ行ってしまっているに違いないなどと、モンマスの住人達は呑気に噂しあった。

 モンマス城の城門では、城代のサー・ウィリアム・モンタキュートと、息子のアーサーがが出迎えた。伯爵と王子は馬を下り、城代と挨拶をしてホールへと向かった。
 ホールには、モンタキュート夫人と、先ほど到着して衣服を整えたサー・ウィルフレッド・メイブリーが迎えた。彼らは伯爵と王子に深々とおじぎをした。そしておもむろにメイブリーが口上を述べた。
「ウィルフレッド・メイブリー。花嫁マチルダの父です。このたびは皇太子殿下と、サマーセット伯爵にご臨席賜り、恐悦至極です。」
と、メイブリーはジョンの前に跪き、その手を取ろうとするので、ジョンは慌てて手を振った。
「済みません、メイブリー殿。私は国王陛下の三男,ジョンです。皇太子殿下ではなく…」
 驚いたメイブリーは顔をあげて、初めてまじまじとジョンの顔を見ると、あっと声を上げた。
「ジョン王子?あなたがジョン王子ですか?」
「はい。」
 ジョンの方がきょとんとして答える。サマーセット伯爵やモンタキュート夫妻も、メイブリーの反応に驚いていると、メイブリーは目をパチクリさせて素っ頓狂な声を上げた。
「あなたがジョン王子…ジョン王子…でも、あの方にあまりにもそっくりでいらっしゃる!」
「あの方?」
サマーセットが聞き返すと、メイブリーは何度も頷いた。
「ええ、あの方…お若い騎士で、サー・ヘンリー・プラントとおっしゃいました。」
 すると、ジョン王子、サマーセット伯爵、そしてモンタキュートの眉間に、ジワジワと皺が寄った。代表して伯爵がもう一度聞き返した。
「その、プラントとやら。連れが居ませんでしたか?」
「ええ、おられました。サー・デイヴィッド・ギブスンといって…」
 男三人は一斉に溜息をつくと、額をおさえて俯いてしまった。メイブリーが不信顔でいると、モンタキュート夫人が呆れた声で叫んだ。
「まぁ、あの二人ったら、またやったんだわ!」

 モンマス城の小さな通用門にハルとデイヴィッドが到着すると、メイブリーからことづてられていた門番は、二人を城内の小さな客室に通した。門番は客人が血まみれなのに驚いたが、ハルが綺麗な汲みたての井戸水と、医者をと所望すると、すぐに手配してくれた。
 傷口が見えるように窓際の椅子にデイヴィッドを座らせると、たらいの水が運ばれて来た。ハルが怪我人の上半身の服を脱がしてみると、大方血は止まっていた。
 しかし傷口を洗わなければならない。改めて傷口を冷たい水を湿らせた布で拭われると、さすがにデイヴィッドは痛みを訴えずにはいられなかった。
 「ハル、お前は俺を殺す気か?!」
「我慢しろよ。洗わないと膿んじまうぞ。」
「自分でやった方がましだ!」
「無茶言うな。」
 確かに、ハルの言う通りである。右肩の傷は頭に近すぎて、右利きのデイヴィッドが左手で拭うには無理があった。
「それにしても、凄いな。力と言うよりは剣のさばき方が上手い。」
ハルはもう一度デイヴィッドの傷を覗き込んだ。
「感心するんじゃない。」
デイヴィッドは不機嫌に言った。
「まぁ、そう落ち込むなよ。デイヴィッド。」
「落ち込んでなんていない。」
「無理するなって。女性相手にここまで見事に負けたんじゃあ、そりゃ落ち込むだろうさ。」
「負けたんじゃない。こっちが抜かなかっただけだ。」
「負けを認めるのも、騎士道だぜ。負けたんじゃなかったなら、どうしてよけ切れなかったんだよ。」
「女性相手に本気になるか。」
「ふむ。しかもレディだ。」
「レディ?」
 デイヴィッドは睨みつけながら聞き返した。ハルは怪我人の右腕を持ち上げ、体についた血を拭き取りながら少し微笑んだ。
「レディ・ジェーン・フェンダーって言ってたぞ。もう一人はマチルダ・メイブリー。アーサーの花嫁だ。従姉妹同士らしい。」
「アーサーの花嫁が狂暴じゃなくて良かった。」
「デイヴィッド、悔しいのは分かるけど…」
「悔しくない!」
 デイヴィッドが噛み付くのと同時に、ドアが破られそうな勢いで開き、メイブリーを先頭として、彼の従者,モンマス城の召し使い達がどっと突進してきた。
 「皇太子殿下、先ほどは大変失礼いたしました!」
メイブリーは凄い勢いでハルに迫ってきた。
「どうぞホールへいらして下さい。サマーセット伯爵,モンタキュート夫妻,アーサー卿がお待ちしております…」
 そうまくしたてながら、メイブリーと召し使い達はハルの腕を取り、洪水を起こした大河の如き凄い勢いで、彼を連れ出して行ってしまった。
 残されたのは、床に落ちた布と、少し赤くなった水のたらい、そしてデイヴィッドだけだった。
 ふとデイヴィッドが視線をあげると、嵐が去ったドアの所に、背の高い茶色い髪をした若い女性 ― ジェーン・フェンダーが立っていた。彼女は上半身を晒しているデイヴィッドを見て一瞬眉を寄せたが、躊躇せずに部屋に入ってきた。手には水の入った桶と布、そして小さな革袋を持っている。彼女は真っ直ぐにデイヴィッドの前まで来ると、脇のテーブルに持ち物を置き、深く腰を落とした。
 「ジェーン・フェンダーです。」
 デイヴィッドはハルに向けたままの不機嫌な顔つきを変えず、すこし目礼をしながら低く答えた。
「デイヴィッド・ギブスン。」
 二人は暫し睨み合ったが、すぐにデイヴィッドが立ち上がり、左手で荷物の中から替えのシャツを引っ張り出そうとした。ジェーンは、落ち着いた声で言った。
「さっきは、ごめんなさい。」
 デイヴィッドは左手を何とか袖に通しながら、ジェーンを少しみやり、やはり不機嫌な声で返した。
「俺が賊に見えた?」
「弓矢を背負っていたから。」
 ジェーンも負けてはいなかった。少し人を睨む癖でもあるのか、怒ったような表情をしている。
「俺は名乗ろうとしていたのだが。」
「相手が名乗るのを待っていたら、やられちゃうわ。」
「ご立派な兵法だ。」
「嫌味を言うのもご立派なものね。」
「少なくとも、相手が敵かどうかも確かめずに、討ってかかるという戦法は、用いてない。」
「私達は盗賊に襲われて、必死に逃げていたのよ?そこへ、背中に弓矢を負ったあなたがいきなり現れたら、そりゃ騎士じゃなくて賊だと思うわよ。」
 挑むようなジェーンの口調に、デイヴィッドは相手にする気を失い、どうにかしてシャツを着るのに専念した。すると、ジェーンがシャツの裾を掴んだ。
「待って。治療させてちょうだい。」
「医者を頼んでる。」
「私が医者。」
「君が医者?」
 デイヴィッドは眉を寄せてジェーンの顔にまじまじと見入った。
「分かっているわよ。人に怪我をさせておいて、治療費をふんだくる、やぶ医者だと思っているんでしょう。」
「そんな事は言っていない。」
「顔に書いてあるわ。」
「本当に医者かい?」
「少なくとも、在所では医者の弟子よ。下手な、まじない医者よりはまし。」
「どうだか…」
「治療するの、しないの?」
 デイヴィッドは頭を振り、右腕を袖に通すのは諦めて、椅子に座った。
「お好きにどうぞ。」
ジェーンは息をつくと、腕を巻くって新しい水に布を浸した。それを絞り、デイヴィッドの上体にかがみ込むと、傷口を軽く拭った。そして革袋の中から膏薬を取り出して指に取った。
「ちょっと、しみるけど。」
「どうぞ。」
デイヴィッドはそっぽを向いたまま、短く答えた。
「私の父が負傷した時にも使った薬なの。」
「ふうん。それで、父上は?」
「死んだわ。」
「死んだ?!」
デイヴィッドは凄い勢いでジェーンの方に顔を向けて叫んだが、ジェーンも負けずに大声で制した。
「死んだのは父だけ。第一、膏薬ぐらいで直るような怪我じゃなかったわ。清潔にした傷口に塗る分には、今の所一番良い薬よ。改良も加えているし。」
 デイヴィッドは諦めた。ジェーンが薬を傷口に塗ると、確かにしみる。デイヴィッドは気を紛らすように、ジェーンに尋ねた。
「父上が負傷したって言うのは、戦で?」
「ええ。3年前のシュールズベリーで。あなたも行った?」
「ああ。ハルと一緒に。圧勝したけど、激しい戦闘だった。」
「ですってね。父は大怪我をして、どうにか故郷には戻ってきたけど。すぐに死んだわ。」
 ジェーンはそう言うと、指を拭い、今度は布に薬を塗り込み始めた。軟膏にするらしい。
 デイヴィッドは少し腰を浮かすと、自分の荷物の脇にあった抜き身の短剣 ― まだ、だいぶ血糊のついている短剣を左手で取り、彼女に差し出した。
「女持ちの剣にしちゃでかい。父上の形見かい?」
 ジェーンは軟膏をデイヴィッドの肩に貼ると、そのまま短剣を受け取った。
「もう戻ってこないかと思った。」
「相手が賊なら、戻らないだろうさ。血をきれいに拭き取るまでは、鞘に入れない方がいい。」
「ありがとう。」
 ジェーンは短く礼を言うと、剣をテーブルに置いた。革袋から清潔そうな包帯を取り出し、デイヴィッドの右肩を固定する。そしてシャツを着せると、腕を吊った。
「しばらくは絶対に動かさないで。」
「しばらくって?」
「そうね、20日くらい。毎日傷口を洗って、薬を換える事。着替えも自分一人ではしない事。」
「そんな無茶な。」
「諦めてちょうだい 。縫っても良いけど、利き腕なんだから後を考えると、この方が良いわ。」
「20日も右手が使えなかったら、仕事にならない。」
「怪我を治すのが先でしょう?」
「20日もかかって、本当に効く薬なのか?」
「怪我人がわがまま言わないでよ!」
「誰のせいで怪我人になったんだ?!」
「しつこいわね、謝っているじゃないの!」
 ジェーンとデイヴィッドがごうごうたる口論を始めると、ドアが開いて大柄な中年女性 ― モンタキュート夫人が入ってきた。
 「二人とも、やめなさい。何ですか、ナイトとレディが、みっともない。」
「マリー!」
 デイヴィッドは立ち上がると、モンタキュート夫人に訴えた。
「相手が本当にレディなら、話が別だ!」
ジェーンも負けてはいない。
「あなたこそ本当に騎士なの?こっちは謝っているって言うのに、いつまでもいつまでも…」
「何で俺が責められなきゃならないんだ?!」
「私はマチルダと自分を守るために、必死だったのよ?!」
 デイヴィッドがまた言い返そうとしたが、夫人がピシャリと遮った。
「デイヴィッド、黙んなさい。まったく、殿下と言い、サー・デイヴィッドと言い、どうしてこんな風に育ってしまったのやら…お父様とお母様はお元気?」
 夫人の背後では、ハルが笑いをこらえるに必死になっており、その隣りにジョンがびっくりした表情で立っていた。

 ハルは今でこそ頑丈で健康な肉体の持ち主であり、病気一つしないが、生れた時は虚弱児だった。生れて早々、成人するのは難しいなどと言われたほどである。
 生母はすぐに第二子を妊娠し、ハルの養育は他者に委ねられた。それが、モンマスの城代夫人,メアリー・モンタキュート ― 通称マリーである。
 マリーは三人の娘と、息子一人 ― これが今回結婚するアーサーである ― を育て、子育てにおいては経験豊かだった。ハルは彼女に養育され、6歳くらいになると頑丈な少年になっていた。生れた時から頑丈なデイヴィッドも、ハルと一緒に養育されたのだが、別に生母と縁遠かった訳ではない。セグゼスター伯爵夫人とマリーは、少女時代からの親友だったのだ。二人の少年は、事実上マリーとセグゼスター伯爵夫人に育てられたようなものである。
 少年達が10歳になると、ウィンチェスター司教(当時はリンカーン司教)に預けられたのだが、相変わらずマリーは、ハルとデイヴィッドにとってのお母さんだった。
 ヘンリー四世が即位すると、すぐにウェイルズでの戦役が始まった。ハルとデイヴィッドは遠征時にモンマスに滞在した事もあるが、マリーはまず二人の身なりをうるさく注意し、次にデイヴィッドの両親が元気かどうかを尋ねた。デイヴィッドの答えはいつも同じである。
「迷惑なくらい元気だよ。」


 → 5.副執政官のもたらす奇妙な情報と、ダルシーの女子相続人の事
4.モンマスへの到着と、口が減らない医者の登場
Original Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


  モンマスの祝宴
「モンマスの祝宴」目次へ ハル&デイヴィッド トップへ 掲示板,もしくはメールにて
ご感想などお寄せください。

No reproduction or republication without permission.無許可転載・再利用禁止
Copyright(c)2003-2006 Kei Yamakawa All Rights Reserved.