ランカスター公爵は、イングランドでも最高位の権威と領土を持つ、大貴族中の大貴族である。
 その爵位は13世紀、ヘンリー三世の次男エドマンドがランカスター伯爵に叙された事に始まり、その甥ヘンリーの代より、公爵となった。初代ランカスター公爵には男子がなく、この娘ブランシュが女子相続人(*)となった。
 詩人チョーサーに「ホワイト・レディ」と詠われ、大変美人であったと言われているブランシュと結婚したのが、エドワード三世の四男ジョン・オブ・ゴーントである。彼はブランシュと結婚した事により、二代目ランカスター公爵となり、更に彼が王の息子であった事から、ランカスター公爵位は益々高貴かつ裕福な大貴族となった。
 その余りの強大さは、ゴーントが死去した時、先王リチャード二世がゴーントの長男への相続を認めず、ランカスター公爵位とその広大な領土を没収した程だった。もっとも、王とゴーントとの不仲も、原因でもあるのだが。ともあれ、このランカスター公爵位没収が、王の命を縮める一因ともなった。

 さて、ランカスター公爵は広大な領土を持っている以上、所有する城の数もかなりの物だった。公爵自身が居住する以外は、その息子などが城を住まいとするのだが、殆どの場合は城代を置いた。城代には、ランカスター公爵の腹心,もしくは昔からその土地に住みついている騎士などが任命された。
 イングランドから少しウェイルズに入った所にあるモンマス城の場合、城代はサー・ウィリアム・モンタキュートが長年務めていた。
 この度、彼の長男アーサー・モンタキュートが、サー・ウィルフレッド・メイブリーの長女マチルダを花嫁として迎えると言う。この結婚の祝宴に、現ランカスター公爵自ら出席する事が決まったのだから、モンタキュート家の人々はもちろん、モンマス城内外の住民は大変喜び、さぞかし華やかな祝宴になるだろうと、噂し合った。その上、公爵主催のトーナメント(馬上武術試合)も開催されると言う。
 そもそも公爵は、生れたのがこのモンマス城なのである。我らがランカスター公爵さまの里帰りとあって、モンマスの住人達は大歓迎の準備に余念がなく、公爵の到着を一日千秋の思いで待っていた。

 当のランカスター公爵は、モンマスの町に程近いティプル村の自家製エール利き酒大会で、真剣勝負の真っ最中だった。

 ランカスター公爵,コーウォール公爵,およびチェスター伯爵のプリンス・オブ・ウェルズ(皇太子)ヘンリー , 短く言えばハル ― とデイヴィッドは、この日の夕方、馬に乗ってティプルに到着した。
 大きな村だが宿屋はなく、教会に隣接する村民公会堂に泊めてもらう事になった。
 間近に迫ったモンマスでの祝賀のムードは、ティプルにも伝染していた。村民達は、それぞれの家で作ったエールをモンマスに売り込もうと、意気込んでいるのである。ハルとデイヴィッドが到着した日の夜は、ちょうど村人によるエールの品評会が、公会堂で行われる事になっていた。
 村中から老若男女がわらわらと集まり、婚礼の祝宴本番ではないかと思われるような、大量の自家製エールと食事が振る舞われ、ハルとデイヴィッドもご相伴にあずかる事になった。村人達は、根っからの酒好きらしい。そもそも、ティプルという村の名前そのものが「酒飲み」という意味だ。
 村人たちはひとしきりそれぞれのエールを味わうと、恒例の利き酒大会となった。各家によってエールの味に微妙な違いがあるので、それを味わい分ける勝負だ。別に賞品がある訳ではなさそうだが、この大会で優勝する事は最高の栄誉らしい。勝つには、強靭な舌が必要とされた。とにかく飲む量が尋常ではない。段々舌が麻痺してくるのである。勝負に参加するのは、村でも酒豪と言われる男女だった。

 そこに、ハルも加わった。ティプルのエールが気に入ったらしい。
 利き酒の方法は、まず全員に同じエールが渡される。それを飲んで、これと思われる家の樽にコップを置いて行く。一度外した者は脱落。そして別のエールが配られる。最初はかなりの人数が居たが、そろそろ5人に絞られてきており、しぶとくもハルが残っていた。もう、この時点でかなり飲んでいる。
 できるだけ長く勝負をしていたいので、勝ち残り組は味わっては相談を始めた。
「うーん、こりゃ3番目のノートンさんちのと同じじゃあないのかぁ?」
 ハルがすわった目つきで言うと、大柄な農夫が物凄いウェイルズ訛りの英語で反論した。
 「にいちゃん、そいつぁ甘いなあ。このツンとくる香り!ちがうねえ。ブッチの所のだよ。」
 すると、でっぷりと太った中年の婦人が、ハルに同調した。
「なぁに言ってんだい!あたしゃこのにいちゃんに賛成だね。色だよ、色!」
 競技者たちはわぁわぁ言いながら、これと思う樽にコップを載せて行った。

 デイヴィッドは、利き酒に興じるハルを少し離れたテーブルで眺めていた。ご馳走の載った皿と、気に入ったエールを手元に引き寄せ、少しずつ味わっていると、赤ら顔の農夫がこれまたウェイルズ訛りの英語で話しかけてきた。
 「いよぅ、にいちゃん。やってるかい?友達は大したもんだなぁ!」
「そうだな…」
 デイヴィッドは酒には強かったが、酔うと陽気になるのではなく、無口になる傾向にあった。農夫はそんなデイヴィッドにもお構い無しで、楽しく喋り続ける。
「ロンドンから来たんだって?ロンドンにゃろくな酒がないって言うが、なかなかどうして。あの友達は大したもんさ。それでにいちゃん、このエールはどうだい?」
 農夫がデイヴィッドの手元を指差す。
「ああ、悪くない。俺は好きだよ。」
「おおっ!にいちゃんお目が高い!そいつぁ、俺んちのエールなんだ。俺はルビカンド。よろしくな。」
 『赤ら顔』という、非常に分かり易い名前だ。
「よろしく。俺はデイヴィッド・ギブスン。」
 ルビカンドはデイヴィッドの隣りにどっかと座ると、大きなコップになみなみと注がれたエールに口をつけながら笑った。
「サー・デイヴィッドだろう?騎士さまだってのは、すぐ分かるよ。あの舌と鼻の敏感な友達は何て言うんだい?ああ、ハルって呼んでたな。サー・ハロルドか。サー・デイヴィッドに、サー・ハロルド!」
 ルビカンドは嬉しそうに乾杯をしてみせるので、デイヴィッドはヘンリーだと訂正する気が失せた。
 「モンマスに行くんだろう?城代の息子の結婚披露宴に。華やかだろうなあ。なんてったって、皇太子殿下が列席なさるんだから!殿下…いや、公爵主催のトーナメントも開催されるってんだから、大騒ぎさ。にいちゃん達も、試合で華々しく活躍して、皇太子殿下に目を掛けてもらおうって、魂胆だろう?頑張りなよ!」
 ルビカンドは一人でガハハと笑って、皇太子殿下に乾杯などと言っている。当の皇太子殿下は、次の勝負にも勝ったらしく、もう一杯注いでもらい、一生懸命香りを確かめている。どうやら、勝負はハルと例の酒豪婦人に絞られたようだ。

 「所でにいちゃん。騎士さまにしちゃあ、従者が居ないね。」
 ルビカンドは、相手が騎士である事は分かっていても、敬語を使う気がないらしい。デイヴィッドは気にもせずに肩をすくめた。
「あいつが俺の従者で、俺があいつの従者なんだ。」
 デイヴィッドは適当に言ったが、あながち間違ってはいない。
 騎士に従者はつきものだ。しかし、ハルとデイヴィッドは、始終従者に付きまとわれるのが鬱陶しく思われたし、二人で勝手に飛び回ってしまうので、従者が定着しなかった。普段、身の回りの事は自分でこなしてしまうので、それで済んでいる。戦の時などはさすがに臨時の従者がついたし、ハルの場合皇太子としての公務や儀式が立て込んでいる時は、宮内庁の決まった従者が奉仕した。
 ルビカンドは笑い上戸らしく、デイヴィッドの肩をバシバシ叩いた。
「そいつぁ、良い!騎士さまがお互いに従者か!経済的で良いね。一昨日だったかなぁ、やっぱりにいちゃん達みたいに、ロンドンからモンマスに行く騎士と従者がここを通ったんだがね、これが傑作でさぁ!騎士は身なりもぼろい白髪のじいさんで、エールの樽みてぇに太っていやがる。紙みてぇに痩せこけた馬が今にも死んじまいそうだったよ。歩いてきた従者がこれまたボロボロでさぁ。頭の禿げたちっせぇ中年男で、腹が減ったとうるせぇのなんの!あのデブ騎士は、きっとあの従者をろくに食わせてやっていねぇよ。その点、にいちゃんと友達は、派手じゃないが中々良い身なりだ。少なくとも、デブ騎士よりは皇太子殿下のお気に召すだろうさ。ご活躍を祈っているよ。」
「ありがとう。」
 デイヴィッドは少し笑いながら礼を言った。
「その、皇太子殿下だけどさ。」
 と言いながら、ルビカンドはこの席に来て二杯目に口をつけ始めた。一方、ハルと酒豪婦人の勝負は決着がつかず、次のエールが配られている。そちらの方をぼんやり眺めているデイヴィッドに、ルビカンドは大きな声で喋り続けた。
 「皇太子殿下はモンマスで生れたってのは、知ってるかい?」
「え?ああ…」
 デイヴィッドは生返事をして、エールのお代わりを喉に流し込んだ。
 「じゃあ、これは?皇太子殿下がモンマス城で生れた時の、傑作な話さ。ナントカってぇ貴族の親父がいて、こっちにも赤ん坊が生れる事になっていたんだ。生れてくるのは女だって、堅く信じていたその親父、赤ん坊が産まれる前に皇太子殿下と、娘との婚約を国王陛下に取り付けたんだ。それで、皇太子殿下の母君がモンマス城で出産すると聞いて、自分の女房もモンマス城に泊まらせたのさ。
 いよいよ出産って時になって、もちろん皇太子殿下は男だった。所が!肝心な女のはずの赤ん坊の股間にゃぁ、でっかいブツがくっついていたんだ!」
 ドッと噴き出したデイヴィッドの目の前に、綺麗な円形をしたエールのしぶきが飛んだ。
「何だぁ?!」
ルビカンドがげらげら笑い出した。
「ロンドンの騎士さまは、この程度の話で狼狽かい?お姫さまみてぇにうぶだなぁ!」
「いや、そうじゃなくて…」
 デイヴィッドは苦々しく言いながら、口を拭った。服がエールまみれになっている。
「『ついていた』はともかく、でっかいかどうかは…赤ん坊なんだから。」
「でも、モンマスやこの辺りじゃあ、『でっかい』って事になってるぜ。にいちゃん、いやお姫様。顔が赤いよ、初々しいねぇ。このおぼこ娘!」
 デイヴィッドは、もう物を言う気が失せてしまい、頬杖を突いて額を押さえた。ルビカンドはデイヴィッドのコップに、彼の作ったエールを注いだ。
 「そう言やぁ、その貴族の親父は赤ん坊のブツを見て、卒倒したって話だっけ?いや、ショックで死んじまったんだっけ?」
「それなら良かったのに。」
「え?」
「何でもない。」

 エールの利き酒勝負は、クライマックスを迎えていた。
 最後に残ったハルと酒豪婦人の意見が分かれ、二人は別々の樽にコップを置いたのだ。ティプルの村人達は、正解を発表しようとする村長に注目した。
 「優勝は…こっち!ロンドンから来た騎士の…えー…」
「サー・ハロルドだ!」
 すかさず、ルビカンドが叫んだ。村民たちから拍手喝采が起こり、ハルを称えて担ぎ上げた。勝負に負けた村民達も含めて、彼らは口々に勝者を称え、尊敬の言葉を贈った。ハルも普通よりは酒には強いのだが、さすがに酔いが回ってグラグラになっている。
 「いやー、本当に友達は凄いよ!最後に負けたあの女は、俺のかかぁなんだ。2年連続で優勝していたのに、にいちゃんの友達には負けたね。」
 ルビカンドはデイヴィッドと握手をしながら、嬉しそうに言った。デイヴィッドは立ち上がると、少し首を回して尋ねた。
「ところで、ここからモンマスまでだけど。馬に乗ってどれくらいかな?」
「すぐだよ。そうだな、明日ゆっくり朝飯を食べてから出発しても、昼頃にはモンマス城に着ける。モンマスの手前で小さな林の脇を抜けるけど、別に悪路じゃないからね。」
「なるほどね。今夜は色々ありがとう。宿も借りて…」
 デイヴィッドが礼を言おうとすると、村人たちの肩車から下ろされたハルが、凄い勢いでデイヴィッドの首に抱きついてきた。
「見たかー、デイヴィッド。勝ったぞー。」
「らしいな。もう寝るぞ。」
「いや、勘弁してくれ、さすがにもう飲めません…」
 デイヴィッドは、ただでさえ寝起きの悪いこの元婚約者を抱えながら、ティプル村がモンマスに近い事を神に感謝していた。


 *女子相続人 Heiress:子供が女子のみの場合、領地,爵位などの相続を認められた女性。彼女と結婚した男子は、王の勅許を得て、爵位を継承する。国王の場合は例外で女子相続人自身が女王となる。その子からは父親方の姓を名乗る。


 → 2.モンマス訪問に関する、複雑な歴史的事情 ― 読者には忍耐をお願いする事になろうか

1.ランカスター公爵領モンマスと、隣り村ティプルで作られるエールの事
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


  モンマスの祝宴
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