良質の酒は二日酔いしにくいと言うが ― もちろん個人差があるのだが ― ティプルのエールの場合が正にそれだった。元々寝起きの良いデイヴィッドは爽快な目覚めだったし、元々寝起きの悪いハルは、いつもの寝起きの悪さであって、二日酔いは微塵もなかった。
 ともあれ、彼らはゆっくりと朝食を取り、モンマスへ出発しようとする頃には辺りは大分明るくなっていた。おりしも、秋の収穫時期である。野良仕事の手を止めて、ティプルの村人達はハルとデイヴィッドを見送ってくれた。
 彼らは口々に、昨夜のハルの勝利を称え、きっとまた来てくれと言った。
「いや、その前にモンマスで会うよ。」
と、ルビカンドが付け加えた。
「婚礼当日のお祝いには、俺達も皆エールを引っ張ってモンマスへ行くからさ、きっと飲みに来てくれや。約束だぜ、サー・ハロルドにサー・デイヴィッド!」
 二人の騎士の姿が見えなくなるまで、ティプルの村人達は手を振っていた。

 モンマスへの道を二人の騎士が、駒に揺られて進んでいく。ハルが朝の空気を大きく吸い込んでから、デイヴィッドに尋ねた。
「俺、いつからハロルドになったんだ?」
「夕べから。」
「ふぅん。まあ良いや。帰りにも寄りたいなぁ。あそこのエールを、ホワイト・ウィージルで飲めるようになると良いのだけど…でも距離がな…」
「一個大隊引き連れて寄る訳にはいかないだろう。」
「やっぱり駄目かなあ。一個小隊ぐらい、別行動を取っても…」
「お前、いい加減にしないと、サマーセット伯爵に殺されるぞ。」
 デイヴィッドが溜息交じりに言うと、ハルは肩をすくめた。

 19年前、ハル ― と、デイヴィッドがイングランドからウェイルズに少し入った所にあるモンマス城で生れたのは、当時のランカスター公爵がハルの祖父ジョン・オブ・ゴーントだったからである。それ故にハルは「ヘンリー・オブ・モンマス」とも呼ばれた。今回のモンマス行きは、こういった経緯と城代の息子の結婚祝いが重なった訳だが、しかし理由は平和的なものだけではなかった。

 事の発端は、7年前に溯る。
 1399年。ランカスター公爵ジョン・オブ・ゴーントが病死すると、先王リチャード二世は公爵領を没収した。これに対し、公爵の長男で当時フランスへ追放されていたダービー伯爵は、当然憤慨した。ダービー伯爵は僅かな人数でイングランドに帰国したのだが、それと同時に彼に協力したのが、ノーサンバランド伯爵を筆頭とするパーシー家である。パーシー家はイングランド北部に勢力を持つ大貴族だ。彼らの協力がきっかけとなって、ダービー伯爵がロンドンに乗り込んだ頃には、凄まじい数の軍勢を率いていた。
 その武力の前にリチャード二世は成す術なく廃位され、ダービー伯爵がヘンリー四世として即位した。
 ヘンリー四世の長男であるハルが、皇太子になったのはこの時である。同時に彼は、ランカスター公爵位を継承した。他にもコーンウォール公爵,チェスター伯爵にも叙されている。

 所がその4年後の1403年、今度はパーシー家がヘンリー四世に対して反旗を翻した。王位に就くに当って協力したにもかかわらず、その後冷遇されたというのが、主な理由らしい。この手の王位交代劇にはありがちな展開だが、この場合はもう少し事情が複雑だった。
 リチャード二世は在位中、亡き父(通称ブラック・プリンス)の次弟ライオネルの女系孫にあたる、マーチ伯爵モーティマーへの王位継承を決めていた。リチャード二世からの正当な王位継承権は、このモーティマーにある。
 パーシー家はモーティマーと婚姻を介した親戚筋であり、非常に関係が深かった。パーシー家の謀叛は、かつての協力者であり、正当な王位継承者とも懇意な一家が起こした言う、王にとっては二重の弱みに付け込んでいたのだ。
 とうとうパーシー家は、ウェイルズからイングランド北部において、軍を起こした。首謀者はノーサンバランド伯爵の長男ヘンリー・パーシー。優秀な武人であり、熱血漢としても知られていたこの男は、ホットスパー(熱い拍車)と仇名されていた。更に、ノーサンバランド伯爵の弟で、ホットスパーには叔父にあたるウスター伯爵も行動を共にした。
 反乱軍は当初、パーシー家の勢力本体であるノーサンバランド伯爵の軍勢や、オウエン・グレンダワー率いるウェイルズ軍の参加が見込まれていた。
 グレンダワーは、イングランド国王に抵抗するウェイルズの英雄である。イングランド北部に勢力を持つパーシー家とは協力関係にあり、この時の謀叛でも共同歩調を取る事になっていた。
 しかし、いよいよ反乱軍と国王軍がシュールズベリーで決戦を迎えようとした時、現実的で先見の明があり、優秀な軍人だったグレンダワーは、その才能を遺憾無く発揮した。つまり、この戦に勝機がないと判断し、戦闘には参加しなかったのである。
 その上、ノーサンバランド伯爵が病気で動けず、ホットスパーは本家の軍勢を得る事も出来なかったのだ。反乱軍は、最初から不利だった。
 7月22日。シュールズベリーにて反乱軍と国王軍が激突。国王軍の圧勝に終わり、ひとまず反乱は平定された。ホットスパーとウスター伯爵は戦死。
 しかし、北イングランドからウェイルズにかけての叛乱の芽が、完全に摘み取られたわけではなかった。依然としてモーティマーもノーサンバランド伯爵も生きている。そして何と言っても、オウエン・グレンダワーがウェイルズで頑張っているのだ。

 さて、ここでやっと、ハルとデイヴィッドのモンマスへの旅へと話が移る。モンマスは地図上はウェイルズの南東部だが、イングランドに隣接しており、ティプルでも見られたとおり英語も十分通じた。ランカスター公爵の城もあるこの町が、対ウェイルズ反乱軍の前線基地となるのは、自然な事だった。
 そこで今回、城代モンタキュート家の婚礼に皇太子が出向き、前線の視察と情報収集に当ろうと言う事になったのである。名目が祝賀行事なので非常に有効な手立てだと、ウィンチェスター司教などは言った。更にトーナメントを行えば、周辺の騎士達の様子も観察できるというわけである。
 ハルは本来、トーナメントの主催者になって貴賓席でかしこまっているだなんて、真っ平御免だった。弟のトマスにでも行ってもらえば良いのではないかと散々渋ったが、しかし場所が場所なだけに、ランカスター公爵を兼任するハル以外は主催者になり得ない。
 そもそもウェイルズ方面の反乱平定に、軍を率いて駆け回り大活躍したのは、ハルなのだ。
 ウェイルズ人は基本的に、イングランド人に対して悪感情を持っているが、ハルに対しては不思議とそれが少なく、人によっては好印象らしい。
 その理由は、まずハルがウェイルズのモンマス生まれである事。図らずもハルがプリンス・オブ・ウェルズ(皇太子)になった事が挙げられる。もしくは、若くて武術に長け、美しい甲冑に身を包んだハルの姿が、遠征軍の先頭にしばしば見られた事も、その一因かも知れない。
 実際、ハルは武人向きの王子だった。軍の指揮官としての彼は、ロンドンでの王の代理人としてよりも数段活き活きとしていた。陣中では、寝起きさえも良かった。
 武術においても人より抜きん出た若い彼は、自ら馬を飛ばして敵軍に突っ込んで行く。常に行動を共にし、ハル以上に目覚しい働きをするデイヴィッドと共に、その姿は語り草になった。それに尾ひれがついて、シュールズベリーでホットスパーが戦死したのは、ハルと一騎打ちをして敗れたからだなどという、噂まで広まった。
 ともあれ、ハルがモンマスに出向くべきだという見解はゆるがない。ハルにしても嫌なのはかしこまった貴賓席だけであって、ウェストミンスター宮殿で公務に追われるよりは、遠出をする方が良い。
 皇太子のモンマス行きは一個大隊を率い、サマーセット伯爵が同行した。サマーセット伯爵ジョン・ボーフォートは、国王ヘンリー四世の異母弟で、ウィンチェスター司教にとっては実の兄にあたる。従って、ハルには叔父上と呼ばれていた。
 押しの強い弟とは異なり、飽くまでも穏やかで融通の利く性格のサマーセット伯爵は、せめてモンマスへの往路はデイヴィッドと二人で、気楽に行かせてくれというハルの我侭を、笑って許した。ただし、経路と行程は厳密に決められ、伯爵が率いる本体と同じ日にモンマス城に入る様、厳命した。そして旅装における最高度の武装を指示し、特にデイヴィッドに弓矢を必ず携行するよう言い含めた。
 結局、いつも穏やかに微笑を浮かべているサマーセット伯爵と言えども、甥に対して甘いわけではない。その点はやはりボーフォート家の人間だった。ロンドンへの帰路は軍勢をハルが率いて帰る約束だ。エールの為にティプルに寄るなどと言おうものなら、さすがにサマーセット伯爵も許さないだろう。

 「本当に貴賓席に座らないと駄目かなあ…」
 ハルは、モンマスを目前にしてもその事が気になっていた。
「駄目だろう。主催者なんだから。」
デイヴィッドが素っ気無く言うと、ハルは長くため息をついた。
「デイヴィッドは良いよ。トーナメントに参加したって構わないんだら。俺はずうっと貴賓席から見物していなきゃならないんだぜ。」
「要するに、お前も出たいんだな。」
「まさか。あんな実戦性のないチャンバラ、俺はごめんだよ。嫌なのは、昔話に出てくるみたいな騎士たちが、『どうぞご覧下さいませ,取り立ててくださいませ』ってキラキラ目を輝かせて、無言で訴えてくるの光景だよ。その上、連中とレディやらお姫様やらが、痒くなるような恋の鞘当てを演じる訳だ。勘弁してくれよ…」
「今や15世紀だぞ。」
「分からんぞ。デイヴィッド、お前こそ花嫁に一目惚れするかも知れないじゃないか。ランスロットめ!(*)いや、ジョンが惚れるってのも有り得るな。」
「ないだろう。」
 短く言ったデイヴィッドの視線の向こうに、昨夜ルビカンドが言っていた林が現れた。まだ葉を落とす前らしく、見通しが悪い。空を見上げると、雲が出てきて太陽を隠し始めた。
 ハルが言ったとおり、今回のモンマス視察にはジョン王子が同行した。当初は予定されていなかったのだが、ジョン自身がどうしてもと言ってサマーセット伯爵に頼み込んだのだ。曰く、自分はウェイルズ戦役でもいつも兄に同行していたのだから、今回も同行してしかるべきである。有体に言えば、大好きな兄が行く所には、自分も付いていきたいという事だ。
 そんな訳で、今回のモンマス訪問団は、王族が三人も加わると言う、非常に豪華な顔ぶれになった。

 「昔話に出てくるみたいな、目を輝かせた騎士かどうかは別として、何やら怪しい騎士がモンマスに行ったらしいぞ。」
 デイヴィッドは、言いながら林の向うに視線をやった。何かが動いているような気がする。
「怪しい騎士?」
聞き返しながら、ハルもデイヴィッドの視線を追った。
「フォールスタッフさ。あいつ、ネッドとティプルを通ってモンマスに向かったらしい。痩せた馬に乗っていたって言うけど。レッド・ホロウの自警団付きの馬を強奪したんじゃないか?」
「可哀相なスパイク。でも、フォールスタッフがモンマスに何の用だ? モンタキュートとは縁もゆかりもないはずだが。」
「トーナメントに出場して、お前に取りたててもらおうって魂胆じゃないか?」
「何をいまさら…」
 ハルが言い終わらない内に、二人は拍車を馬の腹に当てて走り出した。前方の潅木の間から、男が一人転がり出てきたのだ。左足を負傷しているらしく、流血しているのが見える。
「どうした?!」
 ハルとデイヴィッドは、男の側まで駆け付けると、同時に叫んだ。男は貴族の従者のような身なりで、二人の馬の側までよろよろと近付くと、息を切らしながらあえいだ。
「お助け下さい、盗賊です、盗賊がお姫様を…」
 今度こそ本当に、昔話に出てくるみたいな台詞で、二人とも一瞬の目眩がした。


*ランスロット Lancelot:アーサー王物語に登場する円卓の騎士の一人。王妃に愛を捧げ、悲劇的な運命をたどる。高貴な女性に忠愛を尽くす、中世の騎士の理想・典型とされる。


 → 3.デイヴィッド・ギブスンが、心身ともに深く傷つく事
2.モンマス訪問に関する、複雑な歴史的事情 ― 読者には忍耐をお願いする事になろうか
Original Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


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