「大変だ、今度こそ魔女だ、悪魔だ!」
「何だって?」
デイヴィッドがネッドを簡単に引き剥がしながら放り出すと、入り口に来たジョニーをみやった。
「魔女か悪魔かは知らないけど、確かに誰か大挙して来るよ。明かりが・・・スパイク、いくつ見える?」
「二十!」
スパイクが初めて声を発した。彼が目を凝らしている方向には、確かに小さな明かりがチラチラと動いている。四人の甲冑職人の弟子たちと、三人のナヴァール人も心配気に注視した。
 「ぐずぐずしていられないな。」
ハルは立ち上がった。
 「ラペさんとお連れの三人は、今すぐここを出てまっすぐにベルトラントに戻ってください。ロングリーと他の四人も一緒にだ。ロバでは間に合わないから、ネッド達が乗ってきた馬を使え。」
「しかし、皇太子殿下…」
ラペがオロオロしながら手を震わせた。
「殿下、私たちをどうなさるおつもりですか?」
「どうもしません。」
ハルは腰ベルトを締めなおし、長剣と短剣を順々に改めながら外交官に言った。
「明日の朝一番にベルトラントをお立ちなさい。そしてまっすぐにポーツマスへ。シェルブール行きの船に六人分の乗船許可を用意しておきます。」
「か、帰れと仰るのですか?」
「そうです。あとどれくらいだ?」
「七百歩!」
またスパイクが叫ぶ。デイヴィッドが指示して、外の連中が甲冑作りの材料と道具を荷馬車に積み込み、馬を用意する。食料は置いていく。
「しかし、まだ王妃様に…」
ラペは諦めのつかない様子でハルに食い下がる。
 「母上への謁見は諦めていただきます。今回の使節は、ポーツマスでの身分証明を行っていませんから、その時点で失敗でしょう。それに大事な甲冑一式も盗まれている。密かに作ろうとした目論見も今となっては無駄です。この悲しい失敗が公表されると、ナヴァール王国とイングランド王妃に恥をかかせることになります。それを避けるには、このまま帰国なさい。今回の事は私とデイヴィッド、あと二名に報告するのみで、決して洩らしません。あの追い剥ぎもどきの四人は事情を知りません。いいですね?」
「いや、しかし・・・」
「それから、私とブランカ王女との結婚の話は無かったことに。」
「ええっ!?」
「私の元婚約者が(と、ハルはデイヴィッドを指差した)、断るなら早く断れと言いましてね。」
「ハル、来るぞ。」
 デイヴィッドがつぶやきながら箙から矢を抜き出し、何本かの鏃をはずした。スパイクとジョニーは手に手に棒を持って、明かりの方へ向かって仁王立ちになっている。ネッドとケンはその後ろからおそるおそる様子を見ていた。荷馬車と馬の準備ができ、馬に跨った三人のナヴァール人と、四人の弟子は、あとはラペとロングリーを待つばかり。ハルはデイヴィッドにうなずいて見せ、ラペへきっぱりと言い渡した。
 「ナヴァール王女と結婚するには、私はこの通り不足の多い男で、余りにも恐れ多いのです。まあ要するに、イングランド国内の有力貴族連中だの、私自身やウィンチェスター司教の考えとしては、王女との婚姻は適当ではないのです。乗り気だったのは、口うるさい宮内庁の連中だけでして。」
「殿下!そのようにカルロス陛下にご報告しろと仰るのですか?」
「そこはあなたがどうにかして下さい、ラペさん。私はナヴァール王国と、母上、それからあなたの名誉の為に全力を尽くすのですから、あなたもそれなりに。あなたは交渉に負けたのですよ。」
 言い終わらないうちに、デイヴィッドが矢をつがえ、狙いを定める。
「さあ、ラペさん行ってください。ロングリー、馬車に乗って。全速力!」
ハルが言うと、諦めのついたらしいラペは馬に跨ったが、ロングリー老人は仏頂面のまま頑固に言った。
「敵を前にして、殿下を置いて逃げるわけには行きません。わしにも意地があります。」
「お前さんの意地はこの際どうでもよろしい。ラペさんたちを無事にベルトラントまで守って行け。拒否は許さん。第一、ここで宮廷の甲冑職人が作業していたことが知れたら、全てが台無しになるんだよ!」
 ハルは無理やり老人を馬車に乗せると、手綱を取ったアーヴィンに合図した。馬車と馬が一目散に、近づいてくる明かりとは逆方向 ― ベルトラントに向かって駆け出した。
同時に、デイヴィッドの手から矢が離れた。矢は暗闇を真っ直ぐに切り裂き、近付いてくる多数の明かりの内、一番先頭の方へ飛び込んだ。間違いなくランプに当たったらしく、派手な金属音が響き、男達の驚愕の声がこだました。
 「あとどれくらいだ?」
ハルがデイヴィッドの肩越しに明かりの揺れる方向を見やりながら、親友の耳の側で尋ねた。
「幾らも無い。…子爵の私兵ではないし、憲兵でもなさそうだな。人数は…二,三十人って所か。」
デイヴィッドは箙から引き抜こうとしていた矢を戻した。相手がマーロー村の住人である事が、リーダーらしき男 ― ファーマンの声で分かったのである。ハルは無言で頷くと、まずは軒下に隠れようとするネッドの首根っこを掴んで引き出した。
「よし、ネッド、スパイク、ジョニー、ケン。働きどころだぞ。…ケンはどこだ?」
ハルが首を回らすと、仁王立ちになっているスパイクとジョニーが鍛冶屋の屋上を指差した。案の定、屋根の上でケンが身を低くし様子を見ている。
「ケン!隠れるな、出て来いよ!」
「無茶だよ、殿下!あっちは五十人はいるよ!」
「連中を相手にするのが嫌なら、俺に射落とされろ。」
デイヴィッドが屋上に向かって矢をつがえる。ケンが悲鳴を上げながら降りてくると、もう彼らは村人達に包囲されている様子だった。
「だ、だ、だ、駄目だよハル、デイヴィッド!逃げようよ!」
ネッドが首根っこをつかまれたまま、ぶるぶる震えて泣き声を上げる。
「黙ってろ。良く聞け、俺達はここで誰にも会わなかった、いいな?ロングリーやラペを無事に逃がさなけりゃならないんだ。十分は持ちこたえろよ。」
 ハルが言い終わらない内に、ファーマンを先頭にしたマーローの屈強な男達が、手に手にランプや松明、棍棒に鋤だの鍬だのを持って現れた。俄かに森の中は昼間のように明るくなり、ハルとデイヴィッド,ネッド,スパイク,ジョニー,ケンはすっかり取り囲まれている事が分かった。
「とうとう尻尾を出したな、悪党等め!」
まず、ファーマンが怒りの形相で言った。ハルは農夫ににっこり笑いかけた。
「やあ、ファーマンさん。先ほどはどうも。皆さんお揃いでいかがしました?」
「とぼけるんじゃないよ、このならず者め!その追い剥ぎどもの一味の癖に!」
「追い剥ぎ?」
デイヴィッドがのんびり聞き返すと、ファーマンは指差しながら言った。
「そこの四人のゴロツキさ!さっき凄い勢いで村を突っ切って森に向かって行きやがった。挨拶の一つも無いから、ピンと来たのさ。最近この辺りを騒がす追い剥ぎ連中だってね!」
「それで、俺とハルも一味だと?」
「現に今一緒に居るじゃないか。」
「…たしかにな。」
 スパイクとジョニーは棒を持って村人達とにらみ合っているし、ケンはデイヴィッドの背に隠れ、ネッドはハルに首根っこを掴まれている。これで仲間ではないと主張する方が無理である。ハルは震え上がるネッドを放り出し、にこやかさを保ったまま言った。
「お疑いはもっともですがね、ファーマンさん…」
「馴れ馴れしく呼ばないでくれ!何がサー・デイヴィッド・ギブスンにサー・ヘンリー・プラントだ!格好だけの偽騎士が偽名なんぞ使いおって!」
「うん、偽名を使った事は認める。俺の本当の名前は、ヘンリー・プランタジニット。」
マーローの村人達の間から一斉に怒声があがり、ファーマンが顔を真っ赤にして怒鳴った。
「くたばりやがれ、畜生め!俺達が王様の名前を知らないとでも思うのか?!」
 自分の名前でもあるのだとハルは言おうとしたが、ファーマンの合図と共にそれっとばかりに村人達が殺到した。後は入り乱れての大乱闘。ネッドとケンは全速力で逃げ出したが、鍛冶屋の周りを数周したところで簡単に捕らえられてしまった。一方スパイクとジョニーは勇敢にも棒を振るって応戦したが、所詮多勢に無勢。棒がへし折られるや大人数に取りつかれてしまった。それはハルとデイヴィッドとて同じである。腰の剣を抜いてしまえば良さそうな物だが、相手が農夫とあってはそれも出来ない。デイヴィッドの優秀な飛び道具も大乱闘となっては役に立たなかった。結局二人の騎士も、二十分あまり殴ったり蹴ったり、投げ飛ばしたりして大いに奮戦したが、やがて総勢二十名の(ケンは五十人と言ったが、これは彼の恐怖による誤認である)屈強な農夫たちに、一斉に圧し掛かられて敢え無く取り押さえられてしまった。そして捕らえられた六人は家畜よりもひどい有様でひっくくられ、マーローの百年は使っていそうにない地下牢にぶち込まれてしまった。



 
→ 10.デイヴィッド・ギブスンが国王と司教に謁見する事、および幾つかの後日談

9.皇太子の対応も迅速なれば、数に大差のある攻防戦も迅速に終わるという実例

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