無闇に身分が高いと言うのも、時として困った物である。今回のハルがまさにそうだった。自分は追い剥ぎではない、皇太子だと主張しても、マーローの村人達に信じてもらえるはずもない。不運な事に、彼は自分の身分を証明する紋章や、バッジを身につけていなかった。結局夜が明けても真っ暗でジメジメして、訳の分からない小動物や大型虫、そしてネッド,スパイク,ジョニー,ケンと一緒に地下牢に閉じ込められ、追い剥ぎじゃないだの、出せだの、腹が減っただのと喚き続ける羽目になった。
 その点、デイヴィッドはましだった。マーローの庄屋・ベイク氏は、森での怪しげな明かりに関して領主であるソンダーク子爵に陳情しに行ったのだが、この子爵というのがセグゼスター伯爵エドワード・ギブスンの長男である。デイヴィッドの顔立ちが子爵にうりふたつである事に、ベイク氏が気付いた。そこで、セグゼスター伯爵の六男であるというデイヴィッドの主張が入れられ、早々に無罪放免となった。そのような訳で、ハルと他の四人はマーローに置き去りにして、翌朝デイヴィッドはウェストミンスター宮殿の一室で、国王ヘンリー四世と、ウィンチェスター司教に謁見した。
 もっとも、王と司教の前にはセグゼスター伯爵が立ちはだかり、かなり長い間怒鳴り散らしていた。曰く、皇太子殿下を置き去りにするとは言語道断、どうして殿下を身を挺して守り切らなかった、第一なぜお前は男なのだと、段々その主張は理不尽になってくる。対するデイヴィッドも負けてはおらず、不機嫌そうな顔に低い声で一々口答えする。放っておくとそのうち馬鹿息子だの、クソ親父だのと言い合いかねないので、ころあいを見計らって国王が伯爵をなだめ、体よく追い払った。
 「それにしてもデイヴィッド、随分お働きのようだな。」
そこらじゅうに擦り傷だの、青痣だのをこしらたデイヴィッドを見て、国王は一人椅子に腰掛け、穏やかに微笑みながら言った。年は39歳。しかし病気のせいか、実年齢よりも老けて見える。即位して7年になるが、常に苦悩にさらされ心休まることの無い国王は、こうして微笑みかけても泣いているような表情になるのが常だった。デイヴィッドはこの国王の事が好きだった。
 デイヴィッドは事の経過を、詳細に国王とウィンチェスター司教に報告した。この異母兄弟こそ、ハルがラペに言った「あとの二名に報告するのみ」と言った、二人だからである。最初から最後まで黙ってデイヴィッドの言うことを聞いていた国王は、なるほどと言って少し笑い、傍らに立った司教に尋ねた。
「司教はどう思う?」
「アルフォンソ・ラペの使節は、ポーツマスで入国手続きをしていませんし、正式な立場表明もしていませんから、問題ないでしょう。ナヴァール王は特に何も言ってきますまい。今回はナヴァールの国内問題ですよ。」
「縁組みの話については?」
「あちらが当方の宮内庁へ、内々に持ってきているだけの話ですから。まだ正式な申し入れではありません。陛下にも正式にはまだ何も来ておりますまい?」
「そうだ。しかし、王妃には?」
「王妃様にも知らぬふりを通されるのですな。何かの事故で今回の使節は来訪しなかった。それだけですよ。」
 事も無げにウィンチェスター司教は言う。国王も義弟がそう言うであろう事は分かっていたが、苦笑を禁じ得なかった。そしてデイヴィッドに向き直った。
「ラペは今回の事を内密に処理すると思うか?」
「そうするでしょうね。」
デイヴィッドは肩をすくめながら答えた。
「事の発端は甲冑を盗まれると言う彼の失態から発していますから。事を公にして恥をかかされるのはナヴァール王国と王妃様です。それは回避するでしょう。」
「それにしても、上手く聞き出した物だ。」
「現場を押さえましたから。それに、とある人物の存在をちらつかせると、それはもう見るも哀れな…」
「報告は以上か?」
ウィンチェスター司教がいまいましそうに遮ると、デイヴィッドは少し笑って黙った。しかし、国王がゆくりと足を組みながら口を開いた。
「いや、まだあるな。」
「別にどうという事はありませんが。」
デイヴィッドは国王と司教を順々に見ながら、緩慢に言った。
「明かりが多すぎるのです。」
「明かり?」
「ええ。森の中を移動していた明かりです。マーロー村の農夫ファーマンは、『一つ二つじゃない、かなりの数の生き物が動き回っている気配』と言っていました。ロングリーもラペも、森に潜んでいる事は秘密にしていまそいたから、移動時の明かりはせいぜい一つか二つのはずです。」
「追い剥ぎではないのか?あの果敢にも司教に挑戦したとか言う…」
「追い剥ぎは毎日、時間単位で移動しますから、森にとどまる事はありません。ですからもう一組、誰かがあの森を徘徊していたはずです。実際、私は夕べ鍛冶屋に飛び込む前、ハルの肩越しに明かりが一つ動くのを見ました。タイミング的にはラペ一行の明かりではありません。」
「それで、デイヴィッドの意見は?お前は分かっているような顔をしている。」
国王が微笑みながら言うと、デイヴィッドはまた肩をすくめた。
「さあ。私よりもウィンチェスター司教様の方がお詳しいのではないかと。」
国王が司教の方に顔を向けると、王弟は僅かに眉を寄せてから、口を開いた。
「さっき、ここへ来る前に私の調査員が…」
「諜報員でしょう。」
デイヴィッドが笑いもせずに言ったが、司教は無視した。
「調査員が報告に来ました。行方不明のナヴァール使節団の潜伏場所をつきとめたと。」
「ベルトラントに?」
国王とデイヴィッドが同時に尋ねるので、司教はうんざりしたように小さな溜息をついた。
「その通り。調査員たちはラペ一行の足取りを森で何度か見失い、何日かとどまっていたとの事。夕べもやはり森に居たので、デイヴィッドが見た明かりは彼らだ。それからは知っての通り。夕べの大騒ぎで一行の尻尾をつかみ、ベルトラントに滞在している事を確認しました。取り敢えず私の指示を仰ぐ為に今朝使者をよこし、今は待機しています。」
「結構。」
国王は静かに言いながら立ち上がり、司教ににっこりと笑いかけた。
「ナヴァール一行の尾行を続行させるがいい。それから、六名分の出港許可証を用意してくれ。彼らがポーツマスから出港したのを確認したら、優秀な調査員諸君の仕事は終了だ。デイヴィッド、ご苦労だったね。君の兄さんに言って、マーローの牢屋からハリーと仲間達を出してやってくれ。それから…」
国王は歩き出そうとして、足を止めた。
「そのロヌーク夫人という人だが。知っているかね?」
デイヴィッドが首を横に振ると、ウィンチェスター司教が僅かに目を細めながら、静かに言った。
「私も知りません。調べます。」
「程々にな。」
国王はそう言うと部屋から出て行き、司教とデイヴィッドは深々と礼をした。
 「さて。」
司教はデイヴィッドに向き直った。
「おまえ達の大活躍の後始末が、私に回ってくるという訳か?」
「別に大した事でもないでしょう。」
デイヴィッドがケロリと言うので、司教は益々顔を顰めた。
「簡単に言ってくれるな。宮内庁に何て説明しろというんだ。」
「司教様ならどうにでもなるでしょう。それよりも、財務の出納方に話を通して頂きたいのですが。」
「何の金だ?まさかラペを金で買収したんじゃないだろうな。」
「とんでもない。ロングリー達への払いですよ。」
ウィンチェスター司教はしばらくデイヴィッドの顔を眺めていたが、やがて仰々しく溜息をついた。
「最高級の甲冑四組と言ったか?」
「そのようですね。ヘルメット一つは作り直しです。ハルの頭で壊れましたから。」
「完成品としての支払いなのか?」
「そりゃそうですよ。ナヴァールは支払いをするはずがないし。作業は途中で妨害はされましたが、レッド・ホロウなり、宮殿の工房でなり続行させるのが道理でしょう。」
「デイヴィッド、ミラノ製と同等の甲冑が一組いくらするか知ってて言っているのか?」
「イングランドの大法官が甲冑の値段ぐらいで、大騒ぎしないで下さい。なんでしたら、ウィンチェスター教区領を売りに出したらいかがです?」
「もういい。さっさと行って、ハリーを出してこい。」
司教は苦笑するしかない。デイヴィッドも少し笑い、司教に礼をすると踵を返して扉に向かった。
「デイヴィッド。」
司教がドアを閉めようとするデイヴィッドを引き止めた。
「その、ロヌーク夫人とかいう女だがな。」
デイヴィッドは振り返って、真っ直ぐに司教の顔をみやった。
「ええ。」
「何者かは知らんが、どうも気になる。私も勿論調べるが、お前も気を付けろ。」
デイヴィッドはしばらく司教の真面目な表情を見つめていたが、やがて黙って頷くと、背を向けて歩き始めた。

 デイヴィッドの長兄・ソンダーク子爵は、ロンドン市内の治安局長を兼任しており、多忙な身だった。そのため彼がなかなかつかまらず、結局ハルと四人の仲間がマーローの地下牢から解放されたのは、その日の夕方近くになってからだった。ハルはデイヴィッドに、同じ牢屋だったら、やはりニューゲイトの方が良いと言った。マーローの村人達は領主のソンダーク子爵から、自らの力で村の安全の為に力を尽くしたと、お褒めの言葉とささやかな下賜品をもらい、得意満面であった。
 ネッド,スパイク,ジョニー,ケンの四人はほうほうの体でレッド・ホロウに戻ってきたが、既にホワイト・ウィージルでは派手などんちゃん騒ぎが始まっていた。デイヴィッドがフォールスタッフに約束の報酬を渡していたからである。酒宴に加わるとネッドは俄かに元気になり、大声で喋り始めた。曰く、森に潜んでいた追い剥ぎ一党を次々に倒してやったなどという話。その話が甲冑職人の失踪とどうつながるのか頓着する人物はおらず、一夜で大事な銀貨は幸せに飲み尽くされてしまった。
 ロングリーと四人の弟子たちはロンドンに戻り、メルチェットも加わって四つの甲冑を完成させた。その費用を捻出させたのは大法官のウィンチェスター司教だが、次の議会でまた経費削減を求められると思うと、やや憂鬱だった。ともあれ、甲冑はその費用に見合う立派な出来栄えだった。しかし、ジョン王子は身長が伸びた為、甲冑が身に合わなくなっていた。そこで四男ハンフリー王子の物がジョン王子に回り、ハンフリー王子はハルのお下がりを手直しする事になった。ハンフリー王子はあまり甲冑に頓着する方ではなかったので、四人兄弟はそれぞれに満足のいく結果となった。余談だが、その後しばらくポーツマス近郊の武具市場に、多少の手直しが入っているものの、変に立派で新しい甲冑が数組、流通しているという噂が立った。盗品だろうというのが、もっぱらの評判である。
 その後、ナヴァール王国からの縁談がぱったりと止み、イングランドの宮内庁はしばらく困惑していた。もちろん、ラペ一行の今回の交渉が失敗に終わったことを受け、ナヴァールは完全に手を引いたのだが、宮内庁はそんな事は知らない。しかし彼らは、皇太子自身とウィンチェスター司教辺りが、何か汚い手を使ってこの縁談を破壊したに違いないと推測した。
 デイヴィッドは、宮内庁の連中も中々良い勘をしていると思った。


追記
 ナヴァール国王カルロス三世の娘ブランカは、1420年アラゴンのファン二世と結婚し、その5年後にナヴァール女王として即位した。フランス・ブルボン王朝の開祖アンり四世は、彼女の六代孫である。




あとがき
 私のオリジナル・シリーズ小説「ハル&デイヴィッド」の第一作「甲冑職人の失踪」が無事に完結しました。
 歴史に題材を取っているとはいえ、やはりオリジナルの小説ですから、とても緊張しました。一方で、自分が頭の中で長い間思い描いていたイメージ,ストーリー,シーンを形にできた事は、とても充実感のあることでした。「ハル&デイヴィッド」はシリーズ小説にしようと思いますので、また次回作発表の時はよろしくお願いします。
 なお、一点補足があります。この小説では、ヘンリー四世の6人の子供の母親は最初の妻・メアリー・ドゥ・ブーンとしました。末子は二人目の妻ジョアンの子とする説もあるようですが、私は前者を取りました。

 最後に、ここまで読んでいただいた皆さんに、改めて感謝を申し上げます。
 特に、「ハルデヴィ」という略称と共に温かい応援を下さった、トルーデさんに感謝を。 12th Dec. 2003

10.デイヴィッド・ギブスンが国王と司教に謁見する事、および幾つかの後日談

Origina; Novel,  Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


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