「皇太子殿下のご依頼は、宮廷の工房に奉公している四人の弟子についての調査でありました、しかし!」
ここまで一気に言ったフォールスタッフは、酔いでふらつくからだを立て直し、聴衆のほうにくるりと向き直った。
「我々は更に、皇太子殿下のご要望の上を行く情報を手にしたのであります。すなわち!前任の宮廷工房職人の、ロングリーの消息であります。」
「お隣の娘さんか。」
ハルが笑いながら言うと、フォールスタッフが相好を崩した。
「そうなんだ。ハルもデイヴィッドも、ああいう下町の娘に愛想良く話しかけるもんじゃないぞ。若い騎士が二人してやってくるものだから、あの娘はすっかり有頂天。皇太子とサー・デイヴィッドがロングリー爺さんの消息を調べていることなんて、この辺りじゃ知らないものはない。」
「結構だ。それで?何が分かったというんだ?」
「まあ待ちなされ、お若い人。」
フォールスタッフは腹を揺らしてプカプカと笑うと、おもむろに話し始めた。
「ロングリー爺さんの消息については、お前さんたちもご存知の通り、今はどこに居るか分からん。しかしアイアン・バットによると、ロングリー爺さんはリンブレイ村の出身であることが分かった。」
 それを聴くと、デイヴィッドは少し視線を上げてハルのそれと一瞬ぶつけ合った。
「そうか、リンブレイ村か、ふむふむと思っていたところに、これぞ神の思し召しという物だ。」
フォールスタッフが続ける。
「このホワイト・ウィージルに、リンブレイ村から籠を売りに来た男が居るというではないか。してやったりと、わしはこの男にエールを一杯奢り、話を聞きだした。村で生まれ育ったゲインという男で、本業はもちろん農家だが、副業で籠を作っておる。都合の良いことにリンブレイ村は小さなところで、大概の住人の事は分かっているのだそうだ。ゲインが言うには、ロングリー爺さんはもともと村の貧しい農家の孤児だった。それが村外れの鍛冶屋の娘と懇ろになり、婿養子になったのが、もう四、五十年も前の事。」
「奥さんが居たなんて、初耳だ。」
「そりゃあハル、そうだろうよ。鍛冶屋の娘はお産で赤ん坊と一緒に死んだのだから。宮殿の工房で働くよりも大分前の事さ。鍛冶屋もとっくに死んだし、ロングリーは腕を買われてロンドンにいっちまう。恋女房の悲しい思い出の残るリンブレイ村へなんぞ、それっきり寄り付かず、もう何十年も村の連中はロングリーの姿を見ていないそうだ。」
「つまり、やはり消息不明という訳か。」
そう言葉を継いだハルに調子を合わせるように、見物人のあいだからもため息が漏れた。しかし、フォールスタッフはその反応に満足げに微笑み、大げさに咳払いをしながらもう一度ふんぞり返った。
 「ロングリー自身についてはそうだが、ゲインは面白い話を聞かせてくれた。聞きたいかね?」
「さっさと話せ。」
「ふむ、よかろう。失礼して、座らせてもらいますぞ。」
フォールスタッフは大きな腹を揺さぶりながら席に戻り、床に置いたコップを取って残ったワインを喉に流し込んだ。ハルとデイヴィッドが静かな表情で待ち、見物人たちも興味津々で視線を集める。老人はもう一度咳払いをして語り始めた。
 「最近、リンブレイ村ではある恐ろしい噂が立っておる。ロングリーが婿養子になった鍛冶屋は村から少し外れた森の入り口にあったそうだが、もう何十年も人の出入りしていない、要するに廃墟になっているそうだ。街道からも離れているし、普段人が行き来しないのだが、最近夜中になると、この廃墟に怪しげな明かりが灯るそうだ。」
「怪しげな明かり?」
デイヴィッドが呆れたような声で聞き返した。
「そうだ。住む人も居ないのに夜中に明かりが灯り、昼間に男達が見に行くと、今までどおりの廃墟で人っ子一人いない。しかし!」
フォールスタッフは声の調子を落とし、脅しつけるような口調で続けた。
「どうも火をたいたらしき形跡があるのだ。つまりこれは、夜な夜な魔女か悪魔が集会を開いているに違いない!いや、産褥で死んだ鍛冶屋の娘と、赤ん坊の幽霊かも知れない!」
見物人たちの間からどよめきと、恐れの声が上がり、十字を切る者もある。しかしハルとデイヴィッドは端からその手の話は、信じない性質だった。
「これ以上、悪魔の跳梁を許してなるものかと、村の勇気ある男達 ― ゲインも加わったそうだが ― は、教区の神父を連れて、明かりが灯った夜中にそれとばかりに、廃墟に向かった。所がどうしたことが、彼らが到着する前に明かりは忽然と消え、たどり着いてみるとやはり人っ子一人いない廃墟のまま。それではと、村の男達は日が暮れる前から廃墟の周りに待ち伏せた。しかし今度は何も起こらず、徹夜損したのみ!つまり悪魔どもは尻尾をつかまれないのだ!なんとおぞましき事!」
 フォールスタッフの作り声に、見物人の間からは恐れと困惑の声が上がる。しかし、若い二人の騎士の反応は違った。デイヴィッドは軽くため息をつくと、残りのエールを飲み干し、すばやく立ち上がると店の奥の階段を駆け上がり、「王の間」へ向かった。一方、ハルは立ち上がると周囲を見回し、まずフォールスタッフと彼の仲間達に情報収集の労をねぎらった。そして続けた。
 「では、報告会はお開きだ。どうもありがとう。俺とデイヴィッドはこれからリンブレイへ行くが、だれか一緒に行くかい?」
「リンブレイへ?」
ネッドが頓狂な声を上げた。
「ハル、まさか悪魔退治をするつもりかい?」
「悪魔かどうかは知らないけど、とにかく鍛冶屋に行ってみるさ。」
「そりゃ良くない了見だよ、ハル!これからリンブレイに行こうだなんて、馬を使っても夜になっちまうよ。」
「夜じゃないと意味がないだろう?」
ハルは即席玉座を降りると、マライアからマントを受け取って身に着け始め、言葉を継いだ。
「俺とデイヴィッドは馬で行くから、先にリンブレイに着くよ。悪魔だか魔女だか幽霊だか怪獣だかの、正体を見極めた頃に来れば良いさ。スパイク、お前は来るだろう?」
ハルが無口な自警団副団長をみると、彼は無言ながらも力強く頷いてみせる。
「フォールスタッフは?」
来るはずがないとは分かっているが、一応訊いてみると、案の定老人はとぼけた顔で答えた。
「そういう出入りには、大将は加わらないものだ。遠慮するよ。」
「ネッドはどうする?怖いんなら、来なくて良いんだぜ?」
ハルの笑いを含んだ言いように、ネッドは顔を赤くして叫んだ。
「だ、誰が怖いって?馬鹿いっちゃいけないよ、ハル!怖いもんか!」
「じゃあ、来るか?」
「本当は怖いくせに!怖いから行かないと白状しちまえ!」
見物人の間から野次と嘲笑がどっと上がると、ネッドは禿頭から湯気を上げて喚いた。
「何だと!俺を臆病者扱いしやがって!馬鹿にするなよ、行くぞ、行くからな!サー・ジョン、行ってまいりますぞ。悪魔の心臓を一突きにしてご覧に入れましょう!」
ネッドは泣きそうな表情で勇ましく断言したが、最後の方はとんでもない騒音でかき消された。ハルの去った即席玉座に、座ってみたいという誘惑に駆られた肥満老人フォールスタッフが、椅子と木箱を押しつぶし、床へ逆さまに転がり落ちたのである。

 大工のヨーンと、鍛冶屋のアンスは一緒にリンブレイ村へ行くと言い張ったが、二人とも両方の鼻の穴から鮮血をどくどく噴出しながらだったので、ハルは丁寧に断った。もっとも、彼らが言うには喧嘩そのものには勝ったらしい。膏薬屋のエブサロンは引き続き商売に熱心で、悪魔退治の後でもさらに仕事をするだろう。ケンは無職なのだから断る理由もなく、同行することにした。彼にしてみればここで皇太子と親しくしておけば、銀貨の一枚や二枚にありつけるというわけである。書記のエレガーがこれから裁判があるので、行けないと言う。左官屋のジョニーは、妻子が泣いて止めるのを振り払い、仕事もそっちのけでリンブレイ村への遠征軍に志願した。そんな訳で、ネッドとスパイク、ケンとジョニーは馬車を調達して、リンブレイ村へ赴くこととなった。
 ハルとデイヴィッドはもちろんそれぞれの馬に跨り、先に出発した。デイヴィッドがさっき「王の間」に戻ったのは、彼のを弓矢を取ってくるためである。デイヴィッドには、誰も真似できない特技があった。騎射である。
 デイヴィッド・ギブスンという男は、大抵の武芸において人に負けた事がない。その中でも、特に馬術の腕は一級だった。どんな駻馬でも彼にかかるとあっという間に轡を噛まされ、鞍無しでまたがられてしまう。こうなるともうデイヴィッドが勝ったも同然で、五分以内に馬は大人しくなり、鞍を載せられ乗りこなされてしまった。しかも彼の場合、平らな場所を駆け抜けるだけではなく、とんでもない悪路に、平気な顔で馬を走らせる。放っておくと切り立った崖を馬で駆け降りかねない(デイヴィッドは、「崖を鹿が降りられるのであれば、同じ四本足の馬にできないはずがない。」と、どこかオリエントの王子が言った話を聞いた事がある)。これには、さすがのハルも閉口した。皇太子とて並みの騎士よりは乗馬が上手い。
 一方、弓矢に関しては、ある時試しに宮殿の馬場で段々に距離を長くしながら矢を射てみたら、しまいには馬場の長さが足りなくなり、的がそれ以上小さく出来なくなった。もっとも、弓矢は騎士のたしなみとしてはあまり重要ではない。トーナメントの種目は槍が主で、あとは剣がある程度。そもそも戦の時も弓矢を使うのは歩兵であって、騎士の仕事ではない。騎士が弓矢を使う場面と言ったら、せいぜい狩りの時くらいだった。その狩りの場において、乗馬と弓矢が二つながらに上手なデイヴィッドが、騎射に長けた人間になるのは当然の成り行きだった。どんな悪路だろうが森の中だろうが、物凄い速さで馬を走らせ、しかも両手を使って確実に獲物を射てしまうので、勢子も何もあった物ではない。これでは話にならないので、高貴な面々との狩りでは、デイヴィッドは後ろに下がらされてしまうのが常だった。
 この特技に目を付けた武器職人が、デイヴィッド専用の弓矢をこしらえた。狩猟用より大きく、戦での歩兵用より小さい。大きさの割に引き絞るのに力がいるが、飛距離が抜群に長かった。職人が苦労して軽い素材を求めた上、弓の弧はあまり大きくないので、デイヴィッドが背中に担いで走り回るには邪魔にならない大きさと形状をしていた。彼は必要を感じれば必ずこれを携帯する事にしており、今回の場合も二組所有している弓矢の一方が、ホワイト・ウィージルの「王の間」に置いてあったのを持ち出したという訳である。

「しかし、そいつは必要か?」
ロンドンの城外に出て、リンブレイへ駒を進めながら、ハルがデイヴィッドに尋ねた。指は親友の背に負われた弓矢を指している。
「悪魔退治をするんだろう?」
デイヴィッドは何食わぬ顔で答えた。
「馬鹿言うな。信じていないくせに。」
「ハルも信じていないだろうが。下らない噂話を聞いて、皇太子殿下自らリンブレイ村へ赴く方が、余程酔狂だがな。」
「タイブンの村がマーローで、ロングリーの村がリンブレイと聞いちゃ、行かない訳には行かないさ。」
「あの連中、マーローとリンブレイが隣り村だって、分かっているのだろうか?」
デイヴィッドが言うと、ハルは肩をすくめてみせた。
「フォールスタッフやネッドは怪しいな。スパイクは分かっているかもしれないぞ。」
「タイブンが借りた荷馬車は、リンブレイ村への物資輸送の為だと思うか?」
「間違い無いな。」
「ますます、ロングリーがメルチェットに言った『大きな仕事』が真実味を帯びてきた訳だ。」
「しかも人目を忍ぶ。」
「人に知られてはいけない仕事。」
それを聞くと、ハルはもう一度デイヴィッドの背に負われた弓矢に目をやった。
「なるほどな。」
「所でハル。」
デイヴィッドが急に、顔を親友の方に捻じ曲げ、声の調子を変えて尋ねた。
「お前、テラーズ対策を何か講じてきたか?」
「テラーズ対策?」
ハルはすぐには意味が分からずに、目を丸くしてしばらく考えてしまった。そして、宮内長官秘書のテラーズと、彼らが推し進めようとしているナヴァールとの縁組みについて、やっと思い出した。
「ああ、そうか。テラーズか。ええと。うん。何もしていない。今朝は上手く巻いてきたからな。」
「巻くだけじゃ根本的な解決にならないぞ。」
「なに、叔父上が断るさ。宮内庁だって叔父上に逆らうほど馬鹿じゃないだろう?」
「忘れてもらっちゃ困る。今現在、ナヴァールからの密使 ― 間違いなく密使だろう ― が行方不明なんだ。こっち方面には神経質になっているから、ウィンチェスター司教だって思い切った事は出来ないぞ。」
「そう言えばそうだった。」
ハルは西に傾き、オレンジ色を帯びてきた太陽にすこし目をほそめた。そして間延びした調子でつぶやいた。
「どうもこの件には、まともに対処する気になれないんだ。」
「呑気な事を言うな。お前の結婚は多少なりとも、政治的影響力があるんだぞ。」
デイヴィッドが真面目な顔でたしなめると、ハルは急にある事に気付いた。
「おい、デイヴィッド。お前はどう思っているんだ?」
「何を。」
「俺とナヴァール王女との結婚さ。良く考えてみると、これについてお前は、はっきりした意見を言っていないぞ。」
「俺の意見を聞く必要があるのか?」
「ない。必要もないし、参考にする気もない。」
そう言っておいて、ハルはちょっと悪戯っぽく笑って付け加えた。
「でも、俺のかつての婚約者がどう考えているか、興味が無くもない。」
「嫌なやつだ。」
デイヴィッドは不機嫌な声で低く言った。視線の先に、マーローの村が見えてきた。教会の尖塔が夕日に染まり始めている。デイヴィッドは長く溜息をつくと、ハルの方へ振り向き、はっきりと言った。
「俺はハルがナヴァール王女と結婚するか否か、くじで決めたって一向に構わない。すればしたで利点もあるし、欠点もそれなりだろう。しかし、俺はお前がナヴァール王女よりも大きな物を狙っている事を知っている。実現可能なら、時間がかかっても大物を確実に取るがいい。そうである以上、ナヴァールの件は早くけりを付けるんだな。それがナヴァール王国と、王女への礼儀だ。」
「騎士道的と言うべきか、言わざるべきか分からん意見だな。」
「批評する為に俺に意見を言わせたのか?」
「いいや。」
ハルは肩をすくめた。皇太子はデイヴィッドがどう考えているかなど、先刻承知なのである。
 二人の騎士の国際情勢に関する会話は、ここで途切れた。マーローに着いたからである。家路につこうとする村人達が、物珍しげに彼らを見つめる中、その中の一人の男が帽子を取ってお辞儀をすると、話し掛けてきた。


 → 6.マーロー村への到着と、再び馬上二騎士がいくらかの会話の後、森に入る事

5.リンブレイ村のおぞましき話と、ネッドの並々ならぬ勇気、および馬上二騎士の会話の事

Origina; Novel,  Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


  甲冑職人の失踪
  
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