セグゼスター伯爵エドワード・ギブスンの妻・メアリが六人目の子供を身ごもった時、誰もが産まれてくるのは女子に違いないと思って疑わなかった。それまでの五人が、すべて男子だったからである。

 特に伯爵の思い込みは強かった。彼はまだ胎内にいる娘のためにエリザベスという名前を用意し(それは伯爵の母の名前でもあった)、赤ん坊用品から嫁入り道具まで、ありとあらゆる品物を職人に注文した。領地の居館にも、ロンドンの屋敷にも娘の部屋が作られ、後は娘本人が生れるのを待つばかりとなった。
 それでも飽き足らないらしく、伯爵は女の子供のいる貴族の家庭を訪ねては養育方法を研究し、父親はどう娘に接するべきかを学び取る事に熱中した。
 もちろん、伯爵をそうさせたのは「女の子供が欲しい」という願いであり、普通親というものは同種の感情を持っている。しかしこの野心家の伯爵の場合、別の目論見も作用していた。元々スコットランドに住んでいた貴族・ギブスン家の祖先は、百年前の戦争の折りエドワード一世に見込まれてイングランドに移住し、広大な領土と伯爵位を与えられた。特にエドワード三世の時代、王はギブスン家を重用したため、その後は名門貴族の一つに数え上げられるようになる。が、ただ一つの条件を満たしていなかった。王族との血縁関係がなかったのである。
 祖先が外国人だったからだという訳ではない。それまでのギブスン家の人々は、王族との婚姻を利用すると言う「作戦」を得意としていなかったのだ。その点、この四代目セグゼスター伯爵エドワード・ギブスンは異色の存在だった。しかも、王族の女子を花嫁として迎えるのではなく、王族の男子にギブスン家の娘を嫁がせる事のみをその手段に定めていた。その様なわけで、六番目の子として生まれるであろう女子に、伯爵が大きな期待を持つもは無理もなかった。

 セグゼスター伯爵にとって幸運な事に、エドワード三世の孫で当時ダービー伯爵だったヘンリー・オブ・ボリンブルクの妻が、同時期に妊娠した。ダービー伯爵にとっては最初の子供であり、ランカスター公爵家の世継ぎ誕生とあって(当時ダービー伯爵の父親がランカスター公爵であった)、こちらは男子が生れると決めてかかっていた。いや、むしろセグゼスター伯爵が決め付けていたと言って良い。
 セグゼスター伯爵は、お互いの子供同士を結婚させようと強くダービー伯爵に働きかけた。ダービー伯爵は適当に首を縦方向に振った程度だったが、セグゼスター伯爵の方は誓書を取ったかのような勢いだった。

 ダービー伯爵夫人はウェイルズのマンマス城に滞在し、そこで子供を産む事になった。セグゼスター伯爵は、自分の妻もこのマンマスに滞在させる事に成功した。そもそも夫人同士は仲が良かったし、17歳のダービー伯爵夫人にとって、五度の出産経験のあるセグゼスター伯爵夫人が一緒に居てくれる事は心強い事だった。
 それにしても、五人の息子を含め、一族郎党,そして自分自身もマンマス城に乗り込んだ、セグゼスター伯爵の行動は尋常ではない。ランカスター公爵家やその一派に好意的でない貴族の間で、セグゼスター伯爵の陰口がたたかれたのは言うまでもない。ダービー伯爵は苦笑しただけで、特に何も言わなかった。
 1387年8月9日。奇しくも、二人の夫人は同日に産気づいた。城内は大騒ぎである。いや、セグゼスター伯爵一人が、全城内分の大騒ぎをしていたのかもしれない。とにかく、将来結婚する王族の男子と、自分の娘が同じ日に産まれるとは、神も味方してくれたとしか彼には思えなかった。浮き足立つ伯爵をよそに、女達は冷静沈着に仕事を進め、妊婦達はそれぞれの産室に入った。
 先に生れたのは、ダービー伯爵の子だった。予想に違わず男子で、父親と同じヘンリーという名前が授けられる事になる。この知らせを侍女から受けた、セグゼスター伯爵はいよいよ落ち着きをなくし、エリザベスの誕生を今か今かと待ちわびた。その余りの落ち着きの無さに、伯爵の長男エドワードが、椅子に腰掛けて聖書でも読むようにと忠告した。伯爵はもっともだと思い、それに従う事にした。
 セグゼスター伯爵が、取り寄せた見書台の聖書を開いたとき、夫人の侍女が足早に入って来た。伯爵家の人々は息をのみ、声を発しようとする侍女の口元に注目した。
「お生まれになりました!元気な男の子でございます!」

生れてからの19年間、何度この話を聞かされたか分からない。

デイヴィッド・ギブスンは聖書から目を上げた。

 男子誕生を知ったセグゼスター伯爵は殆ど卒倒しかけたが、自分の目で確かめるまではそんな軽率なことをするまいと自らを励まし、赤ん坊との対面に臨んだ。伯爵は生まれたての赤ん坊を抱き上げ、産着の裾を捲り上げて「その厳然たる事実」を把握すると、今度こそ本当に卒倒した。そうなる事を予想していた侍女や息子達は、この六番目の男子が父親の手から落ちる悲劇から救った。ともあれ、名前はつけなければならない。伯爵はさっき開いた聖書のページが「ダヴィデ記」だったことを思い出し、この子をデイヴィッドと名付けた。先祖の故国スコットランドには多い名前だが、イングランドでは少ない。
 デイヴィッドが、19年前に自分が生まれたときの一連の話に思いが至ったのは、今まさに彼が開いた聖書のページが「ダヴィデ記」だったからである。

(しかし、もし生まれたのが女の子だったとして…)
デイヴィッドは読書をしばし中断した。そしてウェストミンスター宮殿の自室から窓の外に眼をやり、意味をなさないとは分かっているものの、そんな仮定をしてみた。
(実際、二人は結婚しただろうか?)
答えは否である。もしダービー伯爵がその父の死去と共にランカスター公爵になったのであれば、結婚もしたかも知れない。しかし赤ん坊達が生まれてから12年後、ダービー伯爵はイングランド国王ヘンリー四世として即位し、同時にその長男であるハル(デイヴィッドは彼をそう呼んだ)は皇太子となってしまった。いくらなんでも、皇太子妃がセグゼスター伯爵の長女では、政略上の意義が無さすぎる。
 (結局、男子に生まれるのが、全ての人にとって幸せな事だったのだ。)
デイヴィッドは結論付けた。
(特に、エリザベスにとっては…)
この付けたしは、部屋のドアがノックもされずに開いたと同時に、デイヴィッドが得た確信である。
 「デイヴィッド、かくまってくれ!」
駆け込んできた皇太子ハルは、そう言いながら寝台の下に潜り込んだ。
 デイヴィッドが何も言わずに寝台からドアに顔を戻すと、今度は礼儀正しくノックをする音がする。部屋の主が入室を促すと、宮内長官秘書のテラーズが入ってきた。
「サー・デイヴィッド、皇太子殿下がここにいらっしゃいませんでしたか?」
「来ましたよ。」
デイヴィッドは窓を指差した。テラーズは僅かに眉をひそめると、示された窓の下を覗き込んだ。壁づたいに生い茂る蔦が、一筋地面に向かって剥がれ落ちている。
「逃がしましたね?」
「通っただけですよ。」
「まあ、いいです。夕食の時に捕まえますから。サー・デイヴィッド、殿下にお会いしたらナヴァールの件、来月にも確定すると伝えてください。」
「ナヴァール?あれは立ち消えになったのでは?」
「先方はまだご希望なさっていますよ。とにかく来月ナヴァールに行っていただきます。もちろん、サー・デイヴィッドも同行ですよ。」
「他には?」
「多分、サマーセット伯爵とジョン様もご一緒に。」
「行くかなあ…」
「ジョン様は殿下と一緒なら必ず行かれますよ。」
「ハルがですよ。」
テラーズは昂然と顔を上げると、部屋を出て行こうとしながら断言した。
「行っていただきます!サー・デイヴィッドからもよくよく申し上げておいてください。」
きっとそうするとデイヴィッドが返答すると、秘書はドアを閉めた。
残されたデイヴィッドはため息をつき、寝台に向かって言った。
「出て来いよ。」
「やれやれ。」
 ハルは芋虫のように体を捻じ曲げながら、寝台の下から這い出してきた。
「掃除を徹底しろよ、デイヴィッド。くしゃみをこらえるのに苦労したぞ。」
彼は体を伸ばし、服についた埃を払った。
「そこは人が入ることを想定していないんだ。」
「万事怠る無かれ。」
ハルは言いながら、さっきテラーズがしたように窓の下を覗き込んだ。
「何だ、この蔦。お前、ここから出入りしているのか?」
「とぼけるな。お前が先週下からよじ登って、ここに侵入したんじゃないか。」
「そうだったか。」
 ハルは窓枠に腰掛けると、ロンドンの曇り空を見上げた。
「今夜は降りそうだな。早めに出かけよう。夕食の時にテラーズに捕まるのは避けたい。」
「ナヴァールには行くか?」
「行かないよ。」
 テラーズをはじめとする宮内省では、もっぱら皇太子ハルの結婚を推し進めようとする傾向が見られた。しかし当の皇太子は全く乗り気がしない。曰く、
「政略的に意味の無い結婚は絶対にしない。」
 デイヴィッドは見書台の聖書を閉じた。
「お前と結婚したんじゃあ、ナヴァール王の娘も幸せにはなれないとか言う話もある。」
「結婚生活の事を言っているのか?それは的外れという物だぞ。まず政略ありき。こちらに有利な政略結婚が成立した後、花嫁が幸せになれるかどうかは、当人達の努力しだいだ。」
「どうだかな。」
「心配するな。お前は男に生まれたんだから。」
ハルも19年前の話を何度も聴かされているから、その事を言っているらしい。デイヴィッドは台を部屋の隅に片付けながら尋ねた。
 「陛下はこの件について何と?」
「なんとも。」
皇太子は自分の父親の話となるとわざとなのか、それとも無意識なのか、口調が冷淡になる。
「父上は俺の結婚に関して、明確な意見を持ち合わせていない。少なくとも、ナヴァールとは母上の事があるから、特に政策を追加する必要は感じていないだろう。でも義理の兄弟に表敬訪問の使者を送ることは、やぶさかではなさそうだ。」
「その使者に皇太子が行くのも悪くない。」
「俺は行かないよ。ジョンが行くだろう…ジョンで思い出したぞ。出かけよう、デイヴィッド。」
ハルは壁に掛けてあるデイヴィッドのマントを取り上げると、投げてよこした。


→ 2. 場面はロンドン市外へ ― 何人かの登場人物の紹介を併記する

1.冒頭に、主人公たちの 特に一方の出生に関する、小事を記す

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