大坪一子建築設計研究所
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環境
環境とは自分自身をとりまく外界のことです。自然破壊を防ぐには、まず私達自身の「もの」の使い方が重要だと考えます。自分らしい質素で美しいライフスタイルを実践することではないでしょうか?



「2005サステナブル建築世界会議」東京大会に参加して 
 
大坪一子(社)愛知建築士会・広報委員

持続可能な環境を創造するために
今から7分後、7時間後、7年後・・・、あなたは何をしていますか?
今年は2006年、7年後は2013年です。ちょっと想像してみてください!
アメリカのイロコイ族、ネイティブアメリカン(インディアンのこと)では、「何をするにも7代後のことを考える。」という掟があるそうです。これは「バックキャステング」という環境を考える時に用いるやり方です。将来こうしたいから、今はこれとこれをしていくという方法です。将来どうありたいか考えて、そこから 現状までを埋めていくのです。まず、将来に思いをめぐらす前に、現在がどんな状況なのかを知ることが大切です。そのうえで、これからの環境づくりを考えていく必要があると思います。

2005年、愛知では、自然の叡智をテーマに環境万博を掲げた「愛・地球博」が開かれました。そして万博が閉幕してすぐの9月27日〜29日、地球温暖化防止に向けた「2005サステナブル建築世界会議」東京大会が開催されました。
その大会に参加しましたので、報告したいと思います。

私たちの生活環境を創造し向上させる基盤である建築物は、建築生産によって地球の限られた資源(エネルギー・水・土地・天然資源)を大量に消費しています。また構築に伴って、地球への温室効果ガスの二酸化炭素の排出が増加しています。そこで持続可能な未来を創造するために、建築とそれに関連する諸活動のサステナビリティ(持続可能性)が重要課題です。それをテーマに、具体的実践事例の話し合いが世界80カ国、1,700名の参加で行われました。

この大会の前身は、グリーン・ビルディングに関する国際会議で、1994年に英国で開催されました。それ以前の環境の歴史をみてみましょう。

1962年、レイチェル・カーソンが「沈黙の春」で、「化学物質によって人間を含めた生物がどうなるか。」という警告の書を出しました。1972年には、ローマクラブが、「成長の限界」の著書で「現在のままで人口増加や環境破壊が続けば、資源の枯渇や環境悪化に100年以内に人類の成長の限界に達する。」と全地球システムを解析していました。1973年には、原油価格の高騰により、石油ショックとなり省エネルギーに関心が高まりました。1990年代は、地球温暖化など地球環境問題が深刻化し、1995年エルンスト・フォン・ヴァインゼッカーの「ファクター4」の概念が生まれました。
これは少ない資源消費で豊かな暮らしをめざし、
資源生産性を4倍にという新しい発想です。
 

ポスターセッションの様子
節約や消費をやめるのではなく、技術改善により、少ない資源から同じ効果を引き出す、あるいは同じ消費で多くの効果を出そうという提案です。

1997年には「京都議定書」が採決され、2005年2月16日に発効しました。その内容は、二酸化炭素、メタン、亜酸化窒素等の温室効果ガスの先進国における削減率を定めたものです。共同で2008年〜2012年の間に、1990年を基準に、日本(マイナス6%)、アメリカ(マイナス7%)、ヨーロッパ諸国(マイナス8%)、しかし2001年アメリカが離脱し、代わりに2004年ロシアが(0%)で参加しました。これらの先進国でマイナス5%の削減をめざすものです。

そして1998年、第1回サステナブル建築会議が、バンクーバー(カナダ)で600名の参加で開催され、今回は第4回になります。2008年には第5回メルボルン(オーストラリア)大会が予定されています。

ブースセッションの様子

ジャイメ・レルネル氏のクリチバ市の都市計画
大会のプログラムは、基調講演・ユニット毎のブレイクアウトセッション・ポスターセッションでの発表がありました。なかでも実践的で意表をついたジャイメ・レルネル氏の講演を紹介します。

彼はブラジル、クリチバ生まれの都市計画家であり建築家で、3期クリチバ市長をつとめ、元国際建築家連合(UIA)会長です。
クリチバはブラジル南部にあるパラナ州の州都で、標高935mの高原都市、気候的に亜熱帯と温帯の間にあります。市民の大部分が移民(ドイツ、イタリア、日本、ポーランド等)で、新しい価値を創造しようという意欲にあふれています。

ジャイメ・レルネル氏の都市計画の大きな特徴は「人々を尊重してきた」の答えにつきます。他の都市が乗用車を優先した都市づくりを推進してきましたが、クリチバは乗用車ではなく、人を尊重しています。具体的な人間都市の歩みとしては、


ジャイメ・レルネル氏の幕調講演
 

*「花通り」歩行者天国道路上の
白いキャンパスに絵を描く子どもたち

@ 都市の核の商店街からの自動車のしめだし
1971年第1期市長就任時に「花通り」の道路を歩行者天国化しました。72時間の短期間でアスファルト舗装をはがし、花壇を設置し、人々に開放しました。はじめは売り上げ減少になると、店主たちから反対も起きていました。しかし、1カ月後には売り上げ増加になり、ジャイメ・レルメル氏のアプローチが正しかったことが証明されました。

A 公共交通にバス専用レーン
当時、人口100万人の都市では地下鉄が一般的でした。しかし、クリチバは地下鉄導入の予算・技術不足のために建設が無理でした。地下鉄の特徴である、「速度」「頻度」「快適性」「信頼性」を地上の交通システム、バスで実践しました。道路の中央にバス専用レーンを設置し、バスの乗り換え時間短縮のためにバスの出入り口と同じ高さの停留所を設けました。また、バス運営会社にバスの本数で、市が代金を支払う契約で、頻度もクリアしました。地下鉄建設に20〜30年かかるのに比べ、短期間ででき、建設費用も1/20と安くできるそうです。


*道路の中央に専用のバス路線
 

*バスの出入り口と同じレベルの停留所

B ごみの分別を子どもたちに指導する

子どもたちに学校でごみの分別の仕方や意義を教え、その教わった事を家に帰り、大人に伝え、実践しているとのことです。現在13年を経過していますが、市民の70%が分別しているそうです。リサイクルがうまくいった理由は、日本のように「燃える、燃えない」の分類ではなく、「再生可能か。そうではない。」という分別基準にしたことです。また「ごみ買い」プログラムの実施があげられます。これは不法占有地のファベラ地区で実施されているもので、密集地のためにごみ収集車が入れない状況があり、それなら収集車までごみを持ってきてもらう代わりに、季節の野菜(農家の余剰物を安く市が購入)と交換しましょうというシステムです。

C 公園整備
全ての子どもたちが5分歩けば、公園にアクセスできるようにすることを目標に、既存の民有地の森を活用しています。公園になるような森林を敷地内にもつ所有者から森林部分を市が買い取り、森林を管理し公園にしています。また提供していただいた土地所有者の名前を残し「・・・・・公園」とし、また森林以外の土地には容積率緩和というボーナスをつけているとのことです。 
それでは、このような実践的な都市政策がとれたクリチバの成功の秘訣は何でしょうか?まとめてみると、次のように考えられます。

T
U


V
W
X
Y
Z

[


実践がすばやい市長の強い政治的意思
イプキ(クリチバ都市計画研究所)の存在
計画を実現させる組織であり、外国の手法・人材に頼らない、建築家、技術者、経済学者
、社会学者、市職員の集団です。
市長が変わっても、政策を継続。
アイデアを即座に実践する柔軟な計画遂行システム
人間を尊重した発想 
成功する確率が7割なら挑戦する実行力 
土地利用計画がマスタープランでありこれに緑地計画、交通計画などが盛り込んで政策を統合している
自発的市民参加

最後に、ジャイメ・レルネル氏は、「子どもたちに自分の都市をデザインさせたい!なぜなら、自分の都市をよく理解できるようになるから」とおっしゃっていました。氏のクリチバの都市計画から何かを学ぶとすれば、まずは実行力でしょうか!

この大会に参加して多くのことに気づきました。サステナブルな社会(持続可能な社会)実現には、生産者ばかりでなく、生活者、消費者こそが重要な担い手ではないかということです。資源の使用は増え続けます。そこで「もの」の使い方に重点を置いた心の豊かさを重視すべきだと思います。生活者の価値観、ライフスタイルがポイントになると思います。つまり、私たちが自分らしい質素で美しいライフスタイルを実践することではないでしょうか。そのことで時間の経過とともに周辺環境や、生活環境に豊かさが生まれてくると考えられます。具体的には、ごみを減らす、リサイクルする、意識を持って環境にやさしい物を買う。そしてあらゆるものを慈しむこと、同世代の人や将来世代の人に思いやりの気持ちをもつことなどでしょうか・・・。


<参考文献>
「都市の鍼治療」 ジャイメ・レルネル著 丸善株式会社発行
「人間都市クリチバ」  服部圭朗著   学芸出版社発行
*写真は「人間都市クリテバ」より掲載
愛知の建築 2006年2月号
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