なぜ私は奇妙な文を漫画の欄外に書くに至ったか。


 青春時代。それはとても傷つきやすく、うつろいやすく、財産は夢しかなく、希望は明日にしかなく、今日は絶望しかなく、昨日は悔恨でしかない時代。青春時代を巨大な精神分裂症と、その回復過程と捉える極端な学説もあるくらいです。しかしなにかに猛烈に打ち込むことが出来るのも青春時代の特徴です。『えの素』は週刊連載(当時)。ミーは毎週毎週、『えの素』の欄外を書くために首をひねっていました。まだ方法論が固まらなかった初期には、ここだけで2時間近く考えていたものです。

 『えの素』は皆様よくご存知の通りギャグ漫画、それも“特別”なギャグ漫画ですよね。そして漫画界には、特別なギャグ漫画はなにか特別な編集技術でもってして飾るという伝統が、あります。ミーは『えの素』を引継いだ当時「やはり『えの素』もなにか特別なことをしなければならないだろう」と考えていました。しかし同時にそれが編集の自己満足的なものになってはいけないとも考えていました。そこで一見、ちゃんとしているようで「よく読むと好き勝手なことをしている」というスタイルで行くことにしました。

 その際、自分に課していたルールは《「担当は」、「編集H田は」などの編集者の一人称を用いない》と《嘘はつかない。誇張もしない》の2つです。あれだけ好き勝手なことを書いてと思われるでしょうが、まさに好き勝手なだけに自分の自己顕示欲などが感じられる文章にしてはならず、編集者が一人称を用いることは戒めていました。文中、「僕」という一人称で語られることは数回ありましたが、あれは「午前3時、僕は新宿の街にいた」などの架空の“僕”です。

 また《嘘はつかない》というのも露出過多を抑える目的もありますがそもそも、今更言うまでもないことですが、榎本氏のようにまったくの創作で笑いをとることは巨大な才能を必要とします。これはテレビのお笑いタレントでも「それってあるある」のように、なんらかの準拠枠に依存する笑いは比較的容易だが、意味ゼロのところからつくりだせる人は稀、と言うことでも示されている通りです。榎本氏の驚くべき才能は、まったく意味ゼロのところから「線だけ」「動き」だけで笑いをとることが出来るところだと思うのですが、こんなことをやってのけられる才能は、ミーは真面目な話、世界的に見ても類がないと考えています。そうした偉大な仕事を汚してしまわぬよう創作、誇張は戒めていました。架空の状況を設定した際には『小説』と銘打っています。テレクラにホモの人から電話がかかってくる話も、ビデオレンタルで「小林ひとみ」のビデオを借りようとしたら「お客さん今はもっといいの、ありますよ」とたしなめられた話もみんなあの通り本当にあった話です。じゃあ「ちんこジャンケン」なんつうのも本当にあるのかとのご指摘もおありかも知れませんが、それはそれ、これはこれでしょう。

 毎週、『えの素』の下描きを見て、ストーリーを考える作業は率直に言って楽しい時間でしたが、叔父の通夜が行われている2階で書かなければならなかった時はさすがに閉口しました。ちなみに「西郷隆盛のふんどし」の回です。

 別に原稿をとっておいたりは全くしなかったため、あの駄文を読み返す機会はまったくありませんでしたが川やん様、皆様のおかげを持ちまして今はこうして、まとめて読むことができます。ふと気が付けばミーも30代になり、いつの間にか高円寺から引越し、青春は、あたかもはげ坊主の夢のごとく、遠くおぼえろげなものにしか感じられなくなりました。こうして欄外をまとめて読むと、気持ちだけはロックの王様を目指していた、あの青春の日々をありありと思い出します。ありがとうございました。また、この挨拶文中、くだらない笑いを取りに行っている箇所が数箇所ありますが、その点をあらためてお詫びいたします。

平成13年9月 元「えの素」担当 H田J司