6月3日(火)

今日は一日かけてパリ市内観光です。乗り降り自由のオープンツアーバス(2階式で、2階はオープン仕様)が9時始発で市内の4コースで走っています。日本語のガイドもイヤホンで聞けるようになっているのでとても便利です。

当初の計画では9時始発のバスに乗って最初モンマルトル方面に行って、サクレクール寺院を見てからオペラ座に帰ってきて、中心部に行こうと計画していましたが、奥さんから9時までもったいないのでもっと早く行こうということになり、いつものように計画変更。

地下鉄でシテ島まで行って、早朝から見学可能なノートルダム大聖堂や、この近くにあるサント・チャペル、コンシェルジュリーを観光、それからバスに乗って名所を回りセーヌ川クルーズもしましょうということになりました。結果的にはバスに乗ったら2階のオープンスペースがあまり寒くて途中でホテルへ服を取りに帰ったり、交通渋滞で時間がかかったりでモンマルトルにはいけませんでした。

ホテルの朝食・パンとチーズ、ヨーグルトという質素なものでしたが、やはりパンがおいしかったですね。自動のゆで卵器があって毎日できたてのゆで卵をいただきました
  4号線の地下鉄・扉は自分であけて出ます
地下鉄の通路・日本のように明るくなくやはり夜遅く人がいないと怖い感じがしました
オープンツアーのバス・2階がオープンウィンドーです。このバスは違う会社のものですが、感じは同じです。


シテ島

このシテ島はいわばパリ発祥の地ともいえるところで、パリの中心部を流れるセーヌ川の中州ですが、ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』には、すでに紀元前1世紀に住民(パリーシー族 en:Parisii)がいたことが述べられています。

今はノートルダム大聖堂(後述)とその向かいにパリ警視庁。旅の病人を宿泊させ、病になれば看病した教会であった巡礼教会からの発展の名残であるパリ市民病院。そしてサントチャペル(後述)、最高裁判所、コンシェルジュリー(後述)や花・鳥市場などがあります。


ノートルダム大聖堂

この大聖堂(ノートルダム寺院ともいいます)はゴシック建築を代表する建物であり、フランス、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂です。

「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに
1991年にユネスコの世界遺産に登録されました。

現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されており、ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指すそうです。建築はもちろんですが、彫刻やステンドグラスにおいても美術史上重要なものだそうです。ナポレオンもここで戴冠式を行ったということです。

正面全景・右側の塔の最上部まで登ることができますが、
約400段の狭いらせん階段を上がらなければならないそうです
正面アップ・3つの入口と、丸い窓はステンドグラスが見事なバラ窓
大聖堂の正面の広場にあるフランスの道路基点で、パリから各地への距離を表すときの起点です。日本では日本橋にありますね
3つあるバラ窓のうち入り口上部のバラ窓で、聖母子が配置されています
同じく南側面のバラ窓で、世の終わりに現れる黙示録のキリストの周囲に使徒や聖人たちが集っている様子を表しています
   大聖堂の祭壇
  大聖堂の内部
  南側の側面から見た大聖堂

サント・シャペル

もともとはルイ9世がコンスタンティノープルの皇帝から買いとったキリストの聖遺物、茨の冠や十字架の木片などを納めるために作らせた礼拝堂で完成は
1248年です。現在ではパリ最古のステンドグラスで有名な教会です。

入場口まで行くと列が2列できています。長い右の列と短い左の列があるのでどちらに並ぶのかよくわからず、右往左往していましたが、並んでいた日本人に聞くとこの長いほうでいいとのこと。

後でよくよく看板を見てみると(フランス語なのですぐわかりませんでした)もうひとつの短い列はどうやら同じ場所にある最高裁判所へ入るための列だったようです。荷物チェックと入場券購入に時間がかかって列が長くなっていたようです。

教会内部は1階部分が王家の使用人たちのための礼拝堂で質素なつくりでしたが、2階部分は王家や貴族たち用の礼拝堂で、一面巨大なステンドグラスに囲まれた幻想的な礼拝堂です。15の窓のステンドグラスには1134景もの場面が描かれています。まるで万華鏡の中にいるような気分にさせてくれます。

入り口の看板・行列がなければ見逃しそうなぐらい小さな表示でした。
左の建物がサントシャペル・右側が最高裁判所
          ステンドグラスの鳥かごと称されています。晴れていればもっときれいに映えるそうですが、今日は曇りでした

コンシェルジュリー

もともとフィリップ4世の宮殿ですが、14世紀後半に牢獄として使われ始め、18世紀のフランス革命の際には、多くの王族、貴族などの旧体制派が収容されました。フランス革命時はその牢獄に入るとかならず死刑になるというので「死の牢獄」とよばれたそうです。

そのなかの有名な一人が王妃マリー・アントワネットで、彼女がコンコルド広場で処刑される前
2か月半ほど過ごした独房も現在、再現されていました。

  セーヌ河から見た全景
   衛兵の間

建設当時は王宮で働く人約2000人の食堂として使われていた
  マリーアントワネットの牢獄の表示
マリーアントワネットの牢獄で兵隊の監視付き。黒い服の人形が王妃です

バスで市内観光

この後オープンツアーバスに乗って市内を一周しました。

      セーヌ河とエッフェル塔 コンコルド広場の噴水・このそばに断頭台がありマリーアントワネットが処刑された グランパレ・1900年のパリ万博のメイン会場で最近改装を終えナショナルギャラリーとなっている
シャンゼリゼ大通り・東はオベリスクのあるコンコルド広場から、西は凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場(旧エトワール広場)まで全長約3km続き、パリの観光スポットとなっている アンバリッド・戦争で怪我をした兵隊たちを収容する廃兵院で、ナポレオンの棺も地下祭壇に安置されており見学できる           軍事博物館
アレクサンドル3世橋・パリ万博のとき作られた橋で、世界でもっとも豪華装飾的な橋といわれている        シテ島にあった花屋街         ルーブル美術館とピラミッド
        カルーゼルの凱旋門         ルイ・ヴィトン本店         カルティエ本店
パリの駐車状況・このように側道側はびっしり路駐状態です

 

オペラ座(オペラ・ガルニエ)

19世紀後半ナポレオン3世は、ルーブル宮の北のこの地に貴族や資産家の社交場としてオペラ座の建設を命じ、コンクールで選ばれたシャルル・ガルニエが1861年に完成させた。

正面玄関は荘重で、王冠を抱いたような丸天井の頂に竪琴を持つアポロンを配してある。内部入口の大階段はモザイク装飾の天井や大理石に覆われ、優雅な曲線を描きながら客を迎えてくれます。

今回は残念ながらリハーサル中ということで、舞台と観客席は見られませんでしたが、それでも内部の豪華絢爛さは実感できました。

   オペラ座正面
             豪華絢爛な内部

  大理石の内部階段

エトワールの凱旋門(大凱旋門)

パリには5つの凱旋門があるそうですが、一番有名なのがシャルル・ド・ゴール広場にあるこのエトワールの凱旋門でしょう。

「凱旋門」自体は戦勝記念碑であり、エトワール凱旋門は、
1806年、ナポレオンの命によって建設が始まり、ルイ・フィリップの復古王政時代の1836年にやっと完成しました。高さ約50m、幅約45mの巨大な門ですが、ナポレオンは凱旋門が完成する前に既に死去しており、彼がこの門をくぐったのは1840年にパリに改葬された時でした。

また今エトワール凱旋門の下には、第一次世界大戦で戦死した無名兵士が葬られており、現在では祖国フランスのために命を捧げたすべての人々の共通の記念碑となっています。

この凱旋門を中心に、シャンゼリゼ通りを始め、
12本の通りが放射状に延びており、その形が地図上で光り輝く「星=étoile」のように見えるので、この広場は「星の広場(エトワール広場) la place de l'Etoile」と呼ばれて、「エトワール広場の凱旋門」の意味の「Arc de triomphe de l'Etoile」との正式名称がついています。但し、現在この広場は「シャルル・ド・ゴール広場 la place de Charles de Gaulle」と名称が変更になりました。

昼過ぎにここに着きましたが、入場のために長い列ができていました。

ガイドブックには屋上に行くためには階段・284段を登る必要がある、と書いてありましたので、そのために時間がかかっているんだろうと思い、並びながらお昼ご飯を食べました。今日はビスケットとお菓子で簡単に済ませました。ところがいざ自分たちの番になると上りはエレベーターでした。車椅子用とガイドブックには書いてありましたが、階段はくだりの一方通行になっていました。楽チンで屋上です。

  全景・いつも観光客がたむろしてます
  屋上から見たシャンゼリゼ大通り
同エッフェル塔・こうやって見るとパリには高い建物がありませんね
遠くの緑のところがモンマルトルの丘でサクレクール寺院がちょっと見えますね。行けなかったんでここから見ておきましょう
            階段入り口(左)と約300段のらせん階段(右)
凱旋門下にある無名戦士の墓・24時間火が点ってます

 

セーヌ川クルーズ

夕方からセーヌ川のクルーズに出ました。ガラス張りの大型観光船で川から名所や、由緒ある橋を眺めながら約1時間のクルーズでした。
日本人に人気があるのはランチやディナーを食べながらのクルーズですが、今回はご飯を食べながら景色を見るのは落ち着かないということで、ただのクルーズにしました。

アレクサンドル3世橋・アンバリッドとグランパレをむすぶ。橋は鋼鉄製、幅40m、長さ107m3つの関節を持つ単一アーチ橋で、中央に橋脚を建てることなくセーヌ川を一跨ぎしている。両端には石造りのトンネルがある
  観光船と後ろはオルセー美術館
船の内部・オープン仕様で電話機のようなもので日本語のガイドを聞けます
  サンミッシェル橋・シテ島とパリ左岸を結ぶ。中央Nのマークはナポレオンの頭文字だそうです


夕食

クルーズを終え、乗船場所に帰ってくると6時半でした。今日の昼食は軽かったのでお腹もすいています。そこでちょうどこの乗船場にセルフ形式のカフェテリアがあったので今日の夕食はここで済ます事にしました。結構いけましたよ。それに安かったですね。ご存知のように今は円安・ユーロ高、それにフランスでは今年になって物価がどんどん上がっているとか。現地の日本人ガイドさんも皆住みにくくなったと話していました。

 エッフェル塔

いまやフランス・パリのランドマークにもなっているエッフェル塔は、フランス革命100周年を記念し1889年開催されたパリ万国博覧会のために、高架橋技師「ギュスターヴ・エッフェル」によって建てられました。

建設は万博に間に合わせるため、22ヶ月という驚異的な速さで行われたが、1人の死者も出さなかったそうです。万博では200万人が訪れたそうですが、あまりに奇抜な外見のため、建設当時は賛否両論あったようです。

なお万博後には来訪者も減ったことや、当初の契約(20年)から
1909年には解体されようとしていましたが、無線通信の発明により、のちに軍事用の無線電波をエッフェル塔から送信することになり、そのため国防上重要な建築物ということで残されるようになり、現在に至っているそうです。。

建設当時の高さは312.3m(旗部を含む)で、現在は放送用アンテナが設置されたため、324mとなっている。
展望台は
3つあり、高さは57.6m115.7m276.1mである。第2展望台までは階段でも昇ることが可能。水圧エレベーターなど、当時の基本構造は今でも現役で稼動しており、鋼製ではなく錬鉄製の塔である。塔の支点の下には水平に保つためのジャッキまであるそうです。

また展望台は簡単な柵あるいは金網が設置されているだけの吹きさらしであり、今回も雨模様の中吹きさらしの最上階の第3展望台に出ましたが、やっぱり寒かったですね。

私は早々にガラスの部屋の中に避難しましたが、奥さんはしっかり時間かけてみていました。その影響もあってかエッフェル塔は自殺の名所でもあり、毎年多数の人が飛び降りているそうです。

いつも入場には長い時間並んで待つ必要があるそうですが、今回は7時ごろのいわば薄暮時期だったため、すいていてすぐ入れました。

  薄暮時期、といっても8時ごろの全景
展望台からシャイヨー宮の風景・シャイヨー宮1937年のパリ万博の際建設された建物で、シンメトリーの形が特徴的です。
このテラスからのエッフェル塔の眺めが、パリでも5本の指に入るほどすばらしいものだそうです
吹きさらしの展望台。雨ではなく寒いのでこんな格好です
                     帰るとき鉄塔したから写真を撮りました

見学後はいつものように地下鉄を使わず、タクシーでホテルまで帰りました。
駅までやや遠いことと、安全を考慮しての結論です。それにさすがに今日は一日動き回ったので疲れましたね。自分たちで回るのは自由がききますが、ツアーバスで動くのと違って疲れますね。タクシーにはホテルのカードを見せれば一番手っ取り早く行き先を理解してもらえますね。


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