ローテンブルグ(7月13日・14日)

中世の宝石と言われるドイツ南部のローテンブルグは、ドイツ内でも1・2を争う人気の観光スポットです。

この中世の素晴らしい街並みは、第二次世界大戦で約
40%も破壊されたが、その後全世界からの大がかりな寄付援助により再建復興が行われ、ローテンブルクは現在ほぼ完全な形で中世の町並みが再現されています。

この街の最大の魅力は、なんといってもその美しい 「中世の街並み」 で、当時にタイムスリップしたような気持ちになり、ヨーロッパ中世の街並みを、現実の姿として目にすることになります。

また建物は、煉瓦色の屋根と格子縞模様の壁の桟との対比が面白く、いつまで見ていても飽きさせない。

木造建築でここまでできるその秘密は、斜めに入った筋交いの多さで、数百年の歳月にもびくともしないと云われています。

このローテンブルグは、"ロマンチック街道”と”古城街道”の交差点でもあります。

マルクト広場 (Marktplatz)

町の中心に位置し、まさにローテンブルクの歴史と共に歩んできた広場。

marktは英語のmarketと同じで市場という意味。今でも規模は小さいが露天がでて野菜や果物などを売っている事があるが、中世の頃は、町の遠近からやってきた商人同士の取引が盛んだった様です。



 この広場はまた処刑や祭りの中心でもあり、1525年農民戦争の時には先導者21人がここで首 を切られ、その血はシュミートガッセを川のように流れたと年代記に記されている。

 また中世の頃から今に続く羊飼いの踊りはこの広場で繰り広げられます。

 












聖ゲオルクの泉 (Herterichsbrunnen)

聖ゲオルクは、大地を荒らし凶作をもたらす竜を退治したとして、中世の頃農民の間で最も人気があった聖人。

泉の中央に立つ柱の上には竜を退治している聖ゲオルクが置かれ、12角形の泉は17世紀の初めに作られた、ルネッサンス様式の装飾が施されている。

外側は石造り、内側は銅で造られていて、手動式のといが付いている。この泉は市内最大の井戸で、深さ8m以上、今でも
10万リッターの水をたたえている。

聖ゲオルクの泉の後ろには、大きな2軒の木骨組の家が泉を囲むように建っている。

今は薬局マリエン・アポテーケの看板がかかっている右側の建物は、
15世紀に建てられた当時の市長ヤークストハイマーの家だったところ。

向かって左隣の建物は
18世紀まで精肉業者が店を開いていて、上の階では舞踏会が開かれる広間があったことから、肉館・舞踏館と呼ばれている。


市庁舎 (Rathaus)

1505年に火災で、1945年には第2時世界大戦の戦禍を受けて焼失し、現在の建物は再建されたものですが、当時の様式そのままに再現されています。

後ろ側の高い塔を持つ建物が
13世紀のゴシック様式、塔の高さは50mで、上からはローテンブルクの赤い瓦屋根が続く町並みが一望できます。

 

市庁舎の塔 

鐘楼への階段は鐘楼の下ではなく、市庁舎の正面玄関から入り3階まで階段を登って、鐘楼の建っている左奥に進むと、狭い木造の階段がさらにあります。

階段はだんだんと急になり、最後は
2メートル程の梯子になって、この木造でかなり急な階段を上ると塔の展望台に行けます。

なお混雑時は登る人数の制限がかかります(途中信号がありました)。鐘楼の上は鐘の周りを周回できる幅1
mほどのテラスがあり、レンガ色した急傾斜の屋根の家並みが、高い位置から良くみることができます。

苦労して登る価値は十分にありますが、展望台の足下が少し怖いですね。

     市役所の塔と展望テラス                  鐘楼への階段      展望テラスの中央にある鐘
                               展望テラスから見たローテンブルグの街               中央が宿泊したホテル


市参事宴会場 (Trinkstube)

ドイツを旅していると各都市の市庁舎にラッツケラーという名のレストランが付属しているのを目にすることがあります。

大抵はその都市を代表するような名物レストランとなっていますが、昔は市長も市参事もみな無給でただ名誉と、こういった所での飲み食いだけが特権だったそうです。





  ローテンブルクの市参事宴会場は現在インフォメーションセンターとして使われており、
  
  広場に面した切り妻部分には上から日時計、帝国直属の自由都市であることを象徴する双頭の鷲、

  カレンダー時計、そして
1683年に設置された町の主時計があります。





















左右の窓は時間になると開き、マイスタートゥルンク(※)の主役の2人、ヌッシュ市長とティリー将軍が現れます。この仕掛け時計は1910年に設置された、ローテンブルクの名物です。

 ※ マイスタートゥルンクのお話  (一気飲み)(Meistertrunk)        

今から370年前の1631年、30年戦争の頃にさかのぼる。

プロテスタント側についていたローテンブルクを、カトリック皇帝軍のティリー
(Tilly) 将軍が占領し、街を焼き払い、市参議会員を反逆罪で死刑に処すると宣言した。

彼の怒りを静めるため、極上のフランケン・ワインを来客用の
3.25リットルの大杯に入れて差し出すと、このワインで高ぶっていた気持ちが収まり、将軍は最後のチャンスとして 「もしこの大杯のワインを一気に飲み干す者がいたら、反逆罪は免除してやろう」 と突然云ったので、その場がシーンと静まりかえった。

そこに出たのがヌッシュ (Nusch) 市長。大杯を抱え、ぐ〜っと10分程もかけて見事に飲み干し、この窮地を救ったのである。

ティリー将軍は約束通り死刑を免除し、街の破壊も中止したと伝えられている。ヌッシュ市長はその日から
3日間昏々と眠りつづけ、一躍英雄として歓迎された。・・という、嘘のような本当の話。


中世犯罪博物館

「中世犯罪博物館」は、当時罪人の拷問に使った首かせや足かせ、針の椅子、水責めの檻、罪人に被せた悪魔の仮面や、金属製や皮製の貞操帯などが展示されていて、ドイツ唯一の法と刑罰の歴史博物館です。

なんとそれらの説明がドイツ語・英語の次に日本語で入っていました。ひょんな所でびっくりです。世界3大文字?になった気分だが、ただ単に日本人観光客がそれだけ多いということでしょうね。


街の様子

城壁

この12世紀の街並みは周囲を城壁で守られており、城壁は内側が通路になっていて見張りの歩哨が歩いたと同じように今でも歩く事が出来ます。

吊り看板

街の中を歩いていると、よく目にするのがアウスレーガー (Ausleger) と呼ばれる鉄製の 「飾り吊り看板」 で、1つ1つが洒落たデザインで特徴があり、なかなか面白い。

一見してすぐ何屋さんだかわかる物や、首を傾げてしまうものなどこの種の看板がやたらに多い。こんな素敵な看板を掲げたお店が日本に並んでいたら・・・きっと評判になるでしょうね

ローテンブルグの名物おやつ「シュネーバル」

サクサクな揚げ菓子で砂糖やチョコでコーティングされています。

大きな直径10cm以上あるのがスタンダードなのですが、最近は小さいサイズも結構売っている、との事だったので小さいサイズを購入。美味しい♪

ホテル 「アイゼンフート」

市の中心部、中世貴族の館が軒を連ねるヘルガッセに位置するクラシックなホテル。

館内はアンティークな家具や調度品が配され、中世のムードが漂う。
15−16世紀に貴族がすんでいた館を改造したものでローテンブルグでは一番の格式を誇る。

     ホテルの飾り看板「アイゼン(鉄)フート(帽子)」


クリスマス雑貨専門店「ケーテ・ヴォールファルト」

この街にはクリスマス・ビレッジ(Kathe Wohlfahrt、ケーテ・ヴォールファルト)があり、一年中クリスマス製品が売られています。店内のクリスマスの飾り付けは見事でした。

 このお店の時計部門

仕掛け時計を買い込みました(右の写真)


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