南無大師遍照金剛

有難や高野の山の岩陰に大師のみ跡を慕わんと諸国修行の旅の空 遙々海山辿り来て杖を力に野に山に 雨の降る日も風の夜も いとわず小道を踏みしめて

 光明真言唱えつつ 廻る衆生を守り給う 大師は今も在しまします(密厳流御詠歌和讃より)

修行大師
弘法大師 空海 大師は讃岐の人で15才の時上京し大学に入って外典(仏教以外の典籍のこと)を学ぶかたわら仏教を学び20才にして勤操大徳にしたがつて出家得度し31才の時日本の留学僧として唐に渡り、長安の都にいたり青龍寺の恵果和尚について密教を伝え、多くの密教教典や法具を持ち帰って、大同元年(806)帰朝せられたのが33才の時でした。
大師の帰朝後四十三才の時には、弘仁七年(816)に、一つは国家のために一つは修行者のために、修禅の道場を建立せんことを念願せられ、深山の高野山を賜ってここに一寺を建立したのであります。また、50才の時(弘仁十四年823)、真言密教として真言宗という宗名のもとに一宗を興し奈良に伝わった諸宗に対し、京都の東寺を賜り、教王護国寺と称して真言宗の根本道場としました。
大師は東寺や高野山において真言宗の僧侶の養成、済世利人の四国満濃池の修築施工、庶民の教育機関として繰芸種智院という学校の開設など国家社会の興隆のためかずかずの功績をのこして、日本文化発展のため貢献せられました。
承和2年(835)三月二十一日、御歳六十二歳を以て高野山に入定されました。
延暦21年醍醐天皇より弘法大師のおくりなを賜りました。
薬林寺の修行大師像は昭和五十九年の弘法大師御遠忌1150年を記念し昭和五十七年建立奉安されました。台座下石室には檀信徒奉納による一千巻の写経が奉安されております。



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