インド舞踊の歴史 2

tandava

 カーリユーガ(末法世界)のひとつ前、トレータユーガ(TRETAYUGA)の初めのころ、地上の人々の生活は、欲望の渦の中でみじめなものだった。
 須弥山を支配するインドラ神の要請で、創造神ブラフマーが瞑想し4つのヴェーダと、人々の精神的向上と真の道への道標として5つめのヴェーダを創った。

 音楽は「リグ・ヴェーダ」から。
 音楽は「サーマ・ヴェーダ」から。
 表現方法(バーヴァム)を「ヤジュル・ヴェーダ」から。
 そして美学的感性(ラサ)を「アタルヴァ・ヴェーダ」からとった。

 ブラフマーは「ナーティヤ・ヴェーダ」を聖者バラタ(BHARAT MUNI)に教え、優雅な舞の表現を学ばせるために2人の天女(アプサラ)を創った。

「Tandava」

paravati

 ブラフマーがインドラ祭で「アスラ・バラージャヤ(悪魔退治)」というドラマを演じ、シヴァ(SHIVA)の前で2曲の踊りを舞うと、その踊りにいたく感激したシヴァが、従者タンドゥ(TANDU)にエネルギッシュで男性的純粋舞踊「タンダヴァ(TANDAVA)」をバラタに教えるように命じた。一方シヴァの妃パールヴァティ(PARVATI)はバナスラの娘ウシャ(USHYA)を教えた。ウシャはアリルッダ(ARIRUDDA)と結婚することによってクリシュナが統治していた大国ドヴァラカ(DVARAKA)に住むようになり、そこで牛飼い達に踊りを教えた。

このようにして、「ナーティヤ・ヴェーダ」は地上に降り、世界中に広まることになった。

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「Parvaty」

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