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日本編大田南畝が見た書画 〔日本編〕大田南畝関係
【し】※◯は欠字、◎は表示不能文字
読み・名前分類記事・画賛等形態年月日場所出典巻・頁
しいな よしつな
椎名 吉綱
書・書簡「寛永十七年二の宮の鐘鋳し時、椎名兵庫【吉綱】より贈れる文一通みす
 下良長兵衛様御中 尚々、市兵衛迷惑がり候へども、貴様より被使候間申付
 候。乍此上たがいに中よく細工仕候様に可被仰付候。以上
 (中略)
 卯月八日  吉綱
書状文化6年
1809/02/14
五の神村
さくら沢氏所蔵

〈南畝実見〉
調布日記
玉川披砂
⑨181
⑨376
じがく
慈覚
書・額字 「(百草村、松連寺)開山道の額は、 開山堂 享保癸卯仲秋 当寺開基慈岳書
 とありしが、慈岳の二字に朱をいれしやうの覚ゆ。これは寿昌院慈覚禅尼の書なるべし」
扁額文化6年
1809/02/22
百草村 松連寺
〈南畝実見〉
調布日記
玉川披砂
⑨204
⑨399
じかくだいし
慈覚大師
画・仏像「辛未六月十三日虫干 王子金輪寺什宝 目録 
 薬師十二神  慈覚大師筆 絹地 古画 立 一幅」
掛幅文化8年
1811/06/13
王子 金輪寺所蔵
〈南畝実見〉
一話一言
巻49
⑮311
じがん
慈観
「三月十二日、市場村のやどりに、亀算停霊景といふ字の掛幅あり。行年百三十歳慈観書掛幅文化6年
1809/03/12
市場村宿舎
飯田金十郎

〈南畝実見〉
調布日記⑨324
じきゅう
釈 自休
書・額字「(厳島神社)経蔵 横額 
 転法輪  釈自休筆
 これは鎌倉の児が淵にて白菊の詩をつくりし自休にや」
〈『一話一言』巻30・⑭158に更に詳しい記事あり〉
扁額文化2年
1805/10/22
安芸・厳島神社
〈南畝実見〉
小春紀行⑨42
しげつ
指月和尚
書・額字「(川崎宿、養光寺)養光寺といへる額は指月老人書にありて、その額二ツにわれたるを、小祠のうしろに置たり」扁額文化6年
1809/01/13
川崎宿 養光寺
〈南畝実見〉
調布日記⑨136

七言絶句
「養光寺主の指月老禅書す所の「天何言也四時行百物成」を恵むを謝す
 青天指月欲無言 目撃由来道自存 百物応須有成負 四時何必展寒温」
「主僧のもとより指月老人の書を恵む【天伝言哉四時行百物成の語也】」
不明文化6年
1809/02/01
川崎宿 養光寺
〈南畝入手〉
玉川余波
調布日記
②126
⑨136
じげんだいし
慈眼大師 (天海)
書・和歌「護国寺什宝  慈眼大師御真筆
 山里は世のうきよりも住詫ぬことの外なる峰のあらしに」
不明文化8年?
1811/?
護国寺所蔵
〈南畝実見〉
一話一言 巻49⑮330
しこう かがみ
各務 支考
書・書簡「(深川四軒町寺町鯉屋所蔵書画) 横軸
 別紙に申達素。其已後御望囲之宿所に承合候。江戸表変地先々驚候御事
 共に御ざ候
 (以下、長文のため省略)
 三月十八日  支考  杉風様」
掛幅文化9年
1812/11/16
深川 鯉屋
杉風の子孫

〈南畝実見〉
一話一言
補遺参考篇1
⑯83
ししん
釈 至心
書・額字「(喜多見村、慶元寺)門に永劫山の額あり。花林十七主釈至心敬書」文化6年
1809/01/21
喜多見村、慶元寺
〈南畝実見〉
調布日記⑨143
じちん
慈鎮
書・和歌「(大坂一心寺にて京都嵯峨二尊院の霊宝開帳)
 慈鎮和尚歌書切 慈鎮和尚の和歌」
断簡等享和1年
1801/03/26
大坂 一心寺
〈南畝実見〉
蘆の若葉⑧152
しば こうかん
司馬 江漢

猿橋図
「司馬江漢のかける猿橋の画に
 ましらなく名におふはしはあし引の山のかひある国とこそきけ」
不明文化6年
1809/01/
所蔵者不記載
川崎宿か
〈南畝実見〉
玉川余波②123

七里浜
「近頃まで愛宕山にかけてありし絵馬をはりかへ時、青山堂これを得て裱褙して携来
 相州鎌倉七里濱図 寛政丙辰夏六月二十四日 
   西洋画士 東都 江漢司馬峻描写

 昔掲城南愛宕廟 今帰郭北青山堂 泰西画法画江島 縮時烟波七里長 杏花園題」
〈青山堂は書肆雁金屋清吉〉
掛幅?文化8年
1811/
青山堂所蔵
〈南畝実見〉
一話一言
巻36
⑭416
しまづちゅうじょう
島津中将

五言絶句
「花岡駅につきぬ。本陣野村又左衛門がもとにやどれり。床にかけしは立軸なり
 三国和風度 千門佳気新 願吾修六徳 長此安黎民 島津中将」
掛幅文化2年
1805/10/20
山陽道・花岡宿
野村又左衛門

〈南畝実見〉
小春紀行⑨25
じみょういん もととき
持明院 基時
書・詩歌「辛未七月廿六日 湯島万昌山円満寺什物
 瀟湘八景詩歌 一巻 【持明院前権大納言基時卿御筆】」
巻物文化8年
1811/07/26
湯島 円満寺所蔵
〈南畝実見〉
一話一言 巻49⑮323
じゃくれん
寂蓮
「(大坂一心寺にて京都嵯峨二尊院の霊宝開帳)
 寂蓮法師筆の夜林抄【表紙の錦、蟹ぎれにてめづらしき切のよし。裏斗ありて表は切てなし】」
断簡享和1年
1801/03/26
大坂 一心寺
〈南畝実見〉
蘆の若葉⑧152
しゅうげつ とうかん
秋月 等観

羅漢図
「護国寺什宝 羅漢 立軸 秋月等観画」掛幅文化8年?
1811/?
護国寺所蔵
〈南畝実見〉
一話一言
巻49
⑮325
しゅうてい よすう
秋亭余崧

木芙蓉・鷺
「崎陽より一幅を贈れり。秋亭余崧とあり、画の上に一印あり 曾経御覧といふ事なるべし。画は木芙蓉に鷺なり」不明文化7年
1810/03/14
南畝所蔵?一話一言
巻34
⑭284
しゅうりん
周麟

蘭亭序
「周麟八分蘭亭序【一巻】七十四叟周麟とあり。右一帖一巻、唐訳司柳屋新兵衛携来」
〈王羲之の「蘭亭序」を周麟という人が八分(隷書体)で認めたもの。周麟は未詳。柳屋新兵衛は唐通事〉
巻物文化2年
1805/03/
長崎
〈南畝実見〉
瓊浦雑綴⑧559
しゅしゅん
守俊
画・仏像「辛未七月廿六日 湯島万昌山円満寺什物
 南都一条寺殿後足利新公方御筆 十六羅漢大掛物 三幅対
  左右羅漢 覚慶筆 中尊釈迦 守俊筆」

〈覚慶は足利十五代将軍義昭の還俗前の名〉
掛幅文化8年
1811/07/26
湯島 円満寺所蔵
〈南畝実見〉
一話一言
巻49
⑮323
しゅんのく
春屋
「(青木氏所蔵書画目) 春屋書 行到水窮処座看雲起時 春屋叟書之」不明文化5年
1808/05/07
小石川 両御番
青木久右衛門

〈南畝実見〉
一話一言
巻29
⑭135
しゅんまん くぼ
窪 俊満

二見浦図
「尚左堂の二覧浦の図
 二覧遥連浦 双巌対若門 欲知神所在 勢海浴朝暾」
〈南畝は長崎赴任中の文化元年八月二十日、室津にて尚左堂(窪俊満)と奇南堂(蘭奢亭薫)と酒を酌み交わし、翌日「尚左堂はこれよりわかれて讃岐の国像頭山にまうでんとて、手をわかつ」と記している。(『革令紀行』文化1年8月21~22日 ⑧421)また、長崎着の翌日の九月十一日、江戸の馬蘭亭主人(山道高彦)宛書簡には「俊満も四日市より参り居候間、牡丹と菊を画がゝせ候。俊満は金毘羅参詣」とある。(「書簡番号50」馬蘭亭主人宛 文化1年9月11日付 ⑲82)南畝は八月の上旬、東海道の四日市で、伊勢方面からきた尚左堂と合流したのであろう。二見浦の図はそのおりに尚左堂から入手したものか〉
不明文化1年
1804/10/
長崎
〈南畝実見〉
南畝集14
漢詩番号2567
④348
しょうかどう
しょうじょう
松花堂 昭乗
画?(「五松館筆語」より茶会記事) 「四月十日 岡坂昌寿亭 客 本多入斎 三郷落野
 かけ物【松花堂 江月賛】」
〈記事の配列から延享二年の四月と思われるが判然としない〉
掛幅延享2年?
1745/04/10?
岡坂昌寿亭一話一言
補遺参考篇1
⑯23
「(青木氏所蔵書画目)  松花堂画 指月
 錯認天竜一指禅 撑々挂々似風顛 不得童子乗虚去 幾喪円機一著言
 臨済三十三世明 黄檗木庵題」

〈松花堂の画に黄檗僧木庵の賛〉
不明文化5年
1808/05/07
小石川 両御番
青木久右衛門

〈南畝実見〉
一話一言 巻29⑭132
七言絶句「護国寺什宝  江月和尚 松花堂昭乗 両筆 
  呈後醍醐天皇廟

 霊地留蹤太上皇 結縁仏法没商量 暗中明也正灯焔 三百年来仰徳光
    十二世孫僧宗玩拝
  奉和

 身にかへて民をめぐみしことのはの露にぞ残る玉の光は  昭乗」
〈古筆了延の鑑定書つき〉
不明文化8年?
1811/?
護国寺所蔵
〈南畝実見〉
一話一言 巻49⑮329
しょうくう
性空

大般若経
「(瀬田村名主四郎衛門 長崎氏 所蔵書目) 性空上人大般若経一巻
 
大般若波羅蜜多経巻第一百一十三
 初分校量功徳品第卅之十一 三蔵法師玄奘奉詔訳
 世尊云、何以眼処無二為方便、無生為方便」
巻物文化6年
1809/03/21
瀬田村名主
長崎四郎衛門

〈南畝実見〉
向岡閑話⑨492
しょうけん
蕉堅 (絶海中津)
書・額字「(中神村、中神久次郎宅)玄関に克己復礼の四字の額あり【蕉堅書】」扁額文化6年
1809/02/12
中神村
中神久次郎所蔵

〈南畝実見〉
調布日記⑨180
じょうけんいん
常憲院 (徳川綱吉)

寿老人
牛図
「護国寺什宝 鶴亀 寿老人 立軸 【右大臣ヽヽ筆/常憲院殿御画】
 画牛 立軸 二幅 内大臣ヽヽ筆 【黒斑/赭斑】常憲院殿御画
 憲廟御筆 孝養 【孝心是仏心/孝行無非仏行】内大臣ヽヽ」
掛幅文化8年?
1811/?
護国寺所蔵
〈南畝実見〉
一話一言 巻49⑮325
しょうこういん
照光院
書・和歌?「(青木氏所蔵書画目)
 照光院朗詠 寛文四年桂月初二書之 一巻」
巻物文化5年
1808/05/27
小石川 両御番
青木久右衛門

〈南畝実見〉
一話一言
巻28・29
⑭60
⑭138
しょうせつさい
松雪斎(相阿弥)

四馬図
「(青木氏所蔵書画目)
 四馬【柳下圉人】中横幅印〔松雪斎図書印〕疑物也」
中横幅文化5年
1808/05/27
小石川 両御番
青木久右衛門

〈南畝実見〉
一話一言 巻28⑭60
しょうてつ
正徹
書・和歌「(「五松館筆語」記事より)
 僧徹書記真蹟 見於友人松公輔」

 詠三首和歌  正徹
 時雨  いつまでお世のうき雲はつれなくてはるゝも老が身はしぐるらん
 寒蘆霜 いさりする入江のしもにあしの葉のもろき命もしらぬ浦人
 遠恋  いまはわれ世にあるらんも白雲のおちにへだゝる中のうみ山
掛幅寛政6年
1794/
松公輔家一話一言
補遺参考編1
⑯7
しょうとくたいし
聖徳太子
書・額字「辛未七月廿六日 湯島万昌山円満寺什物
 聖徳太子御筆 法華経一紙 但扇形 額」
文化8年
1811/07/26
湯島 円満寺所蔵
〈南畝実見〉
一話一言 巻49⑮322
じょうにょに
浄如尼

寄進状
「(東福寺全山開帳)
 俊成卿女浄如尼寄進状は、仮名もてしどけなく書つらねしが、父のみはかの 地の四至をしるせるなり」
書状享和2年
1802/03/22
東福寺 (京都)
〈南畝実見〉
壬戌紀行⑨266
じょうは
紹巴
書・賛「是政村に安右衛門といふものあり。古き渡唐天神の掛幅をおさむときゝて、見れば賛あり
 暗香千里外、北野一枝梅 神徳不曾尽 看古往今来 花園間末派紹巴拝賛」
〈南畝、この紹巴賛の韻を和して「無準荒唐説 菅公遺愛梅 飛香無近遠 曾入夢思来」を賦す〉
掛幅文化6年
1809/02/11
是政村
安右衛門所蔵

〈南畝実見〉
調布日記
玉川余波
⑨180
②129
しょうよ
證誉
書・額字「(東海道・吉田宿) 善明寺山門
 鏡光山 縁峯大僧正證誉啀(ママ)阿筆
享和1年
1801/03/04
東海道 吉田宿
善明寺

〈南畝実見〉
改元紀行⑧99
しょうよういん
逍遙院

伊勢物語
「(大坂一心寺にて京都嵯峨二尊院の霊宝開帳)
 逍遙院殿御筆の伊勢物語」
不明享和1年
1801/03/26
大坂 一心寺
〈南畝実見〉
蘆の若葉⑧152
じょか
女媧
画家不明

女媧補天
「女媧補天図 一巻 ことに女媧補天図めづらしきもの也」
〈女媧は天を補修して洪水を防いだという中国古代の女神。舶来したものであろうが、画工名も長崎での所蔵者も記載がない〉
巻物文化2年
1805/02/24
長崎
〈南畝実見〉
瓊浦雑綴⑧531
しんかい
信海
書・狂歌「多摩郡小野宮内藤次郎左衛門所持、信海寛文十二年富士ノ狂詠
 雪おれのふじの大たけ筒にしてのこらずいけてみよしのゝ花
 巻狩の名残とふじのくもゐまで舞たるつるをいわう左衛門
 時しらぬ世諦しらずやふじはさてたら/\雪の汁こぼし哉
不明文化6年
1809/02/21
小野宮
内藤氏所蔵

〈南畝実見〉
玉川披砂⑨396
しんさい
りゅうりゅうきょ
柳々居 辰斎

桜・紅葉
「江島岩本院新居の額に辰斎の桜の画あり
 蓬莱に桜をえがく寿も江の台の花にこそみれ
 同じく紅葉のゑに 夕日影させるかた瀬の村紅葉みなくれなゐにうつし絵の島」
文政1年
1818/07/
不明
〈南畝実見〉
紅梅集②348
しんにょ
真如親王(高岳親王)

弘法大師
「辛未七月廿六日 湯島万昌山円満寺什物
 真如親王御筆 弘法大師御影 一幅」
掛幅文化8年
1811/07/26
湯島 円満寺所蔵
〈南畝実見〉
一話一言
巻49
⑮322
しんよ
真誉

由緒書
「永劫山華林院慶元寺 開山真蓮社空誉上人 元禄元壬辰歳十二月六日 右之通リニテ因名ハ相知不申候。入寂ヨリ当年ニ至テ百十八年ニ相成候。 一心光院殿之事 右心光院殿御石塔、堺之南照寺ト申寺ニ有之候由。乍去
 是ハ聞伝ニテ、タシカ成事ニハ無御座候。 慶元寺住 真譽陳仰」
書簡文化6年
1809/03/24
喜多見村
慶元寺

〈南畝実見〉
玉川披砂⑨387
しんらん
親鸞
書・名号「春氏【孫二郎】所蔵掛幅(物カ) 親鸞上人の書なりといふ、紙地一軸は、(帰)命 尽十万無(碍)光如来の十字名号也」
〈春孫二郎は長崎会所の役人〉
掛幅文化2年
1805/05/18
長崎
〈南畝実見〉
瓊浦雑綴⑧580
Top浮世絵師総覧日本編大田南畝関係