Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
日本編大田南畝が見た書画 〔日本編〕大田南畝関係
【さ】※◯は欠字、◎は表示不能文字
読み・名前分類記事・画賛等形態年月日場所出典巻・頁
さいおく
柴屋(宗長)
書・和歌「(青木氏所蔵書画目) 柴屋書 横幅  豊雅楽頭歳暮の音信元三より一七日の合楽樽菓子色々をくられぬ返事のはしに
 をとにきく薬をはじめ色々の身にあまりぬる年の暮哉
 歓楽のちは養生のためとて門前の家にいでゝの事にて、こゝかしこより干物をくられぬ、河原林対馬守歳暮の音信八木樽干物の注文にかつほぶしとゞかず
 のぼするの物の数には音づれととゞきかつほのふしにぞ有ける
 伊勢多気より歳暮の御音信色々干物尋などありし、門前の力者の家にをきて御使文などもてきたれり。御返事のはしに申つぎのかたへ
 とくいでゝあるじしてみむ門の外に思はぬ宿をかりの玉づさ
 此両首可然撰集の事もあらと◯書御同意可被下候はゞ◯藏にて御座候あまりに年始物候はて是を◯◯認申候」
横幅文化5年
1808/05/07
小石川 両御番
青木久右衛門

〈南畝実見〉
一話一言
巻29
⑭125
さかい ほういつ
酒井 抱一

松竹梅
(旧杉本茂十郎宅を修復した料理茶屋「恵比須庵」所蔵)
「松竹梅の間 十畳 抱一筆 袋戸、松竹梅、同筆」
袋戸文政2年
1819/10/
恵比須庵
半日閑話 次5⑱204
さくま とうせん
佐久間 東川

七言律詩
「(等々力村名主宅)寛政甲寅二月寓於等々力村走書東川平茂之をかける七律一首あり。是は佐久間氏此地に来りし時、書置れし也」掛幅?文化6年
1809/02/06
等々力村
名主郷左衛門

〈南畝実見〉
調布日記⑨172
ささき げんりゅう
佐々木 玄龍
書・額字「舟木の駅岩本源蔵が許に宿れり。座敷に鸝請園の額ありて八分の書、玄龍の印あり」
〈『杏園間筆』巻3・⑩272参照〉
文化2年
1805/10/18
山陽道・舟木宿
岩本源蔵

〈南畝実見〉
小春紀行⑨25
書・額字「(是政村、妙光院)書院の額に無為心の字ありて玄龍の書なり」掛幅文化6年
1809/02/28
是政村 妙光院
〈南畝実見〉
調布日記⑨220
ささき ぶんざん
佐々木 文山
書・額字「(登戸村、光明院)法耕堂といふ額あり。文山の書也」
〈この文山を佐々木文山とみた〉
文化6年
1809/01/16
等々力村
満願寺

〈南畝実見〉
調布日記⑨143
ささもと しんけい
篠本 信卿
画・肖像「空々先生像
 兀坐枯容 何意永存 寵乎辱乎 欲辨忘言 寛政己未孟秋篠君信卿
 【欄外。篠本、名篤行、字信卿、竹堂長子】画君小像
 併及 予 乞自題一言因其需  児玉慎

「竹堂先生像
 此篤行所写也、以示吾、吾晒而已
 寛政十一年己未七月初八、廉自題、時年五十四

 丁丑四月望、篠本彦二郎携示於府中写」
〈寛政十一年七月、篠本信卿、児玉(宿屋)空々と篠本竹堂(廉、信卿の父)の肖像をそれぞれ画く。文化十四年四月十五日、南畝、役所内にて一見〉
掛幅?文化14年
1817/04/15
篠本彦二郎蔵
〈南畝実見〉
丁丑掌記別27
さとむら じょうは
里村 紹巴
書・和歌「(青木氏所蔵書画目) 紹巴 横幅 諸願成就如意満足
 あらたまり猶にぎはふや宿の春門は雪まの袖の出入 (中略)
 呉竹のかこひかこへる内にしてすゞしかりけりそよぐ菊の葉
  慶長九【甲辰】年正月朔日」
横幅文化5年
1808/05/07
小石川 両御番
青木久右衛門

〈南畝実見〉
一話一言 巻29⑭133
書・賛「多摩郡是政村安右衛門所蔵渡唐天神之画像有。其賛
 暗香千里外 北野一枝梅 神徳不曾尽 看古往今来 花園末派紹巴拝賛
 とあり」
掛幅文化6年
1809/02/11
是政村
安右衛門所蔵

〈南畝実見〉
調布日記
玉川披砂
⑨180
⑨373
さんぷう すぎやま
杉山(鯉屋) 杉風
「深川四軒町寺町鯉屋所蔵書画 立軸【紙地 杉風画 素堂賛】
 寒くとも三日月見よと落葉かな  蓑杖画〔茶舎〕〔杉風〕印
掛幅文化9年
1812/11/16
深川 鯉屋
杉風の子孫

〈南畝実見〉
一話一言
補遺参考篇1
⑯83
さんみゃくいん
三藐院(近衛信尹)
書画「青楼江戸町二丁目名主西村佐兵衛所蔵 三月十二日一見
 南無天満大自在天神 三藐院殿 一幅」
「三体詩 三藐院殿 二巻
  (一字「辶+呄」)過ノ字也」
「三藐院殿筆也  書画之

 柳暗花明 咄 只千一首 九年探(一字欠)」
掛幅
巻物
文化14年
1817/03/12
西村佐兵衛蔵
〈南畝実見〉
丁丑掌記別57
Top浮世絵師総覧日本編大田南畝関係