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日本編大田南畝が見た書画 〔日本編〕大田南畝関係
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読み・名前分類記事・画賛等形態年月日場所出典巻・頁
ながさき
長崎

画家不明
書・画「聖像【四弟子侍立/階下為麟】絹地にて画人の落款なし」
〈孔子と顔子、子思、曾子、孟子〉
「一幅 陶淵明無絃琴を撫する図、落款なし」
(遊々山人の七言絶句賛あり。起句は「元生不解音律」)

「邨上如登携来、一時収得、値価亦廉、可謂貧児暴富矣、時文化乙丑春三月幾望也、越望日喜書」
〈三月十四日、南畝は村上如登という長崎奉行所の役人から、上記陶淵明の図の他に三幅、計四幅入手した。翌日喜んで書すとあるから大変喜んだものと見える。しかしその一方で「貧児暴富と謂うべし」ともある。これは『菜根譚』の「暴富貧児」と同じ意味で引いたのであろう。要するに、にわか成り金のようにこれくらいで自慢してはいけないよと自戒したのである〉
掛幅文化2年
1805/03/14
長崎
〈南畝実見〉
瓊浦雑綴⑧549
ながお りゅう
長尾 龍

芙蓉堂記
「芙蓉堂記 惟十月哉生魄、龍朝歩自東都、即至于玉江 (以下略)
  時皇和寛政壬子孟冬十月 玉江 長尾龍撰
 右登戸村井出伝左衛門家に在り、長尾生赤城と号し、井田定七と称す。宿河原人」
不明文化6年
1809/02/22
登戸村
井出伝左衛門

〈南畝実見〉
玉川披砂⑨429
なかやま だいなごん
中山大納言 (忠頼か)
書・額字「中山亜相の克明俊徳とかゝせ給ふをみて」“御馳走は何もなか山大納言よく損徳を明らかにせり」文政2年
1819/06/
不明
〈南畝実見〉
紅梅集②369
なるしま きんこう
成島 錦江(道筑)
書・詩歌
伝記
「辛未六月十三日虫干 王子金輪寺什宝 目録 
 飛鳥山花見の歌どもあまたあつめて一巻とせし中に

 咲つゞく花はゆきかとちりしきて川なみふかくにほふ春かぜ
  といふことをうけ給はりて
 ちる花は雪とちりうく滝の河なみのあやをる浪の春風 道筑ノ書也
 按、冷泉為久卿和歌多し。鳴島信遍と唱和あり。これもその一ならん歟
 百尺闌干落碧潭 白雲多処坐青嵐 客来不厭松醪薄 別有醍醐似蜜甘
 秋風蕭瑟帝都隈 帝子吹簫鳳有無 白日霜壇何所見 鬼神朝罷鳥相呼
 帰休承恩遊祇林 微霜九月落渓陰 懸泉下見三千尺 孰若吾人秋興深
 右三 秋日遊禅夷山  芙蓉道人

 熊野三神伝記   鳴鳳卿」
〈芙蓉道人は成島道筑の別号〉
巻物文化8年
1811/06/13
王子 金輪寺所蔵
〈南畝実見〉
一話一言 巻49⑮312
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