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日本編 【と】大田南畝が見た書画 〔日本編〕大田南畝関係
【十時 梅崖】(ととき ばいがい)※◯は欠字、◎は表示不能文字
分類記事・画賛等形態年月日場所出典巻・頁
交友「十時賜梅厓の岡田鰈を寄するを謝す
 寧思丙穴美 豈食武昌余 貫柳不如竹 泉南比目魚」
贈答享和1年
1801/04/
大坂南畝集12
漢詩番号1977
④167
交友「七月十四夜、国瑞と同じく十時梅厓 賜 の清夢軒に過りて月を賞す
 閑月窺書屋 疎松蔭石橋 為耽塵外賞 自絶市中囂 暗水位沾苔蘚 微雲澹斗杓
 与君同此夢 清興酔涼宵」
観月享和1年
1801/07/14
大坂南畝集12
漢詩番号2034
④183
交友「難華客舎に梅厓の勢州に之くを送る
 聞君明日向長洲 淡海東連南勢洲 力疾加餐須自愛 秋風解纜八間楼」
〈梅厓は伊勢長島藩の儒臣〉
送別享和1年
1801/07/
大坂南畝集12
漢詩番号2037
④184
交友「梅厓に蛤を寄す
 生芻包海蛤 近自墨江来 分贈隠君子 病間傾一盃」〈伊勢に戻って間もなく病気らしい。十四日は推定〉
見舞い享和1年
1801/07/
大坂南畝集12
漢詩番号2048
④186

梅・柳図
「梅厓の画に題す
 梅花如雪柳如糸 蘋末微風欲起時 自是陽春多徳沢 江山無処不煕々」
不明享和1年
1804/12/
大坂
〈南畝実見〉
南畝集12
漢詩番号2077
④194
画・山水「梅厓の山水を画けるに題す
 不啻図丘壑 置身丘壑中 泉随絹素湧 山自筆端通 盤礴時乗興 経営豈費工
 紛々衆画史 輸此解衣翁」
不明享和1年
1804/12/
大坂
〈南畝実見〉
南畝集12
漢詩番号2084
④197
交友「十時子羽【名賜 号梅厓 長島文学】に与ふ
 雪庵の清史を受読するに、清を清に有する者は、清極有り。 而して濁を為す者は、不清不濁なる者有り。其帰趣を要するに、清と謂ふべし。〈脱文アルカ〉之士矣。此の書、四望に宜し。皎然たる中、雪月に映じて一読せり。敢へて拝賜せず。謹んで此に璧上す」
〈『雪庵清史』は明の樂純著〉
見舞い享和1年
1801/07/
大坂南畝集12
漢詩番号2048
④186
交友「即事
 休言吏事日紛紜 猶勝学究誇異聞 案牘倦来何所見 梅崖書画阮家文
 【梅厓、名は賜、字〈二字欠〉。十時氏。長島文学。阮家、名は秋成、字は余斎。一字、無腸。又字、休西
 京師の隠者。国文に長ず】」

〈梅崖の書画や上田秋成の和文が、大坂銅座勤務中のごたごたした俗事から、南畝をしばしの間開放したのであろう〉
享和2年
1802/01/
大坂南畝集12
漢詩番号2087
④198
画・山水?「梅厓の遺画に題す【梅厓、姓十時 名賜 字〈二字欠〉長島藩 以甲子正月廿二日没于浪華】
 梅厓瀟灑出塵心 率意揮毫為古今 欲使高山流水響 人間已絶小文琴」
〈梅崖の書画や上田秋成の和文が、大坂銅座勤務中のごたごたした俗事から、南畝をしばしの間開放したというのであろう〉
不明文化1年
1804/05/
江戸南畝集14
漢詩番号2460
④318
画・山水「梅厓 十時賜 遺画の山水に題す
 浪華行役日 之子対門居 酔月眠池上 談玄坐歳除 癖伝山水跡 影似幻泡余
 今日看遺画 音容恍不虚」

〈南畝の大坂出張は享和元年~二年にかけてのこと。十時梅厓は享保四年一月二十三日没〉
不明文化1年
1804/09/
不明
〈南畝実見〉
南畝集14
漢詩番号2546
④342
交友「享和改元辛酉、浪華に行役して米屋街の客舎に在り。十時梅厓 賜 の僑居、門に対す。中元、馬田天
 洋 国瑞 と同じく梅厓に過る。時に月白く風清し。梅厓、書画を善くす。園景を画き、詩を題して贈らる。
 今にして之を思へば、十九年に幾し。梅厓・天洋、化して異物と為り、唯だ予独り存するのみ。慨然たら
 ざるべけんや。其の韻を追和す。実に文政二年己卯六月十八日なり

 中元歩入対門園 客裏新秋酒一樽 梅厓月落天洋涸 往事宛如過雨痕」
〈南畝の大坂出張は享和元年~二年にかけてのこと。十時梅厓は享保四年一月二十三日没。「享和改元辛酉」の「中元」の詩宴に南畝が作った詩とは、前出「七月十四夜、国瑞と同じく十時梅厓 賜 の清夢軒に過りて月を賞す」の詩〉
述懐文政2年
1819/10/
不明南畝集14
漢詩番号4486
⑤486
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