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名所編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔名所編〕大田南畝関係
(江戸・長崎・大坂・東海道・木曾街道等の名所)
【や】※◯は欠字、◎は表示不能文字
名所詞書・詩歌出典巻・頁年月日
やがけ
矢掛 (備中)
「矢掛駅驟遠楼。逆旅の主人に贈る
 吉備中山瓦谷傍 頻傾新醸勧飛觴 一宵聚遠楼頭会 書画風流不可忘」
〈矢掛宿の主人は山名啓右衛門衛門、額に驟遠楼とあり。『小春紀行』⑨53〉
南畝集15
漢詩番号2798
小春紀行附録
④419
⑨90
文化2年
1805/10/25
やがみ
矢上 (肥前)
「九月九日、矢上駅に宿す。是れ先人の十七回忌なり (詩なし)」南畝集14
漢詩番号2518
④332文化1年
1804/09/09
やぎやま
八木山 (備前)
「八樹山。兄弟坂有り
 八樹山連三石峰 林分夕麗映青屏 忽聞此坂称兄弟 転使帰心馳杳冥」
南畝集15
漢詩番号2802
④420
⑨91
文化2年
1805/10/27
やくしょ
役所 (勘定所)
「計府の庭に梅のさき出しをみて 梅の木のそろ盤の玉しろがねの目かたもわづか一二りんさく」紅梅集②320文化15年
1818/01/
やぐち
矢口
「矢口。覃韻を得たり
 中原戦正酣 将種促征驂 気蓋天兼地 朝分北与雨 舟人為敵国 膠腋没江潭 欲問沈珠跡 蒼茫不可探」
南畝集6
漢詩番号1276
③439天明5年
1785/05/
やぐらした
櫓下 (深川)
「深川にてたはれ歌の角力会ありしかへりに、もろ人やぐらしたといへる所のあそびをよびて酒のみけるに
 深川の歌のすまふの太鼓とてうちおさめたるやぐら下哉」
巴人集②427天明4年
1784閏01/
やしま
八島
「八島懐古。東韻を得たり
 一自蒙塵出紫宮 山東諸将気何雄 風声忽起孤松下 日角空栖八島中
 伝国璽還秦地府 乗流舟失楚人弓 千秋陳迹今安在 唯有煙波満碧空」
南畝集5
漢詩番号0871
杏園詩集
③298
⑥61
安永9年
1780/10/
やつやま
八山 (品川)
「八山紅葉 もみぢばも七ッ八ッやま御殿山にしきのとばりかゝげてぞみる」七々集②267文化12年
1815/10/
やなぎばし
柳橋 (両国)
「酔後、楊柳橋の酒家の壁に題す
 橋辺柳色蔭江流 一片青旗落日浮 直喚胡姫先命酒 還携漢女更登楼 金韲玉鱠供佳味 促柱繁絃散積憂
 疑是腰纏十万貫 瓢然騎鶴下揚州」
南畝集6
漢詩番号1121
③386天明2年
1782/07/
「秋水門を下る【浅草川の水門なり】
 霜落ちて水門松樹同じ  猪牙恙無く秋風に走る
 此の行鯉魚の味の為にあらず  自ら名君を愛して廓中に入る
 霜ふれば柳ばしの柳はちれども首尾の松はいつもおなじことぢや。秋風にはしるとは猪牙舟のはやきこと鉄砲玉に帆をかけたるごときをいふ。いふこゝろは、けふでかけたのはふかふ島のこいといふはつけたり、まことは堀からあがりのよしはらといふ世界なり。一説に名君の字は名山のあやまりなり。しからば名山の客か未詳」
通詩選諺解①488天明7年刊
1787/01/
やなぎはら
柳原
「柳堤 柳堤春色草如煙 攤得群書百貨連 閲市遺風王仲任 時々閑費杖頭銭」
〈柳原土手の古書店。家貧しく立ち読みで本を暗記したという王充の故事を想起〉
南畝集19
漢詩番号3956
⑤336文化12年
1815/01/
やはぎばし
矢作橋(三河)
「矢はぎのはしをわたるに ものゝふのやはぎの橋のはしばしらくちぬ名にこそいらまほしけれ」改元紀録附録⑧138享和1年
1801/03/05
「作矢橋を渡る 竜城形勝擁三河 乍見長橋臥碧波 徒有相如題柱志 無人問奈済川何」南畝集14
漢詩番号2491
④326文化1年
1804/08/04
やばせのきはん
矢橋帰帆
「近江八景狂歌 矢橋帰帆 はらむ帆のかへる矢橋のはやめにてあんじるよりも安き水海」六々集
万紫千紅
②232
①281
文化12年
1815/03/
やぼ
谷保村(北多摩郡)
「上谷保村の案内のもの、近道はあれど人の庭を通りぬてゆく事いかヾあるべき、とつぐるもおかしく、ざれうた 人の庭通りものとは思はれずげに上やぼの村の案内」玉川余波②115文化6年
1809/01/02
やました
山下 (上野)
「山下の即事
 煮肴売り切れて鮟鱇残る  店の上蒲焼炭火寒し
 蹴転(ケコロ)情を含んで已に限り無し  振袖をして欄干に倚らしむること莫かれ
 浜田屋が札に云、煮肴売切申候、かばやきは仏店の名物なり」
通詩選諺解①498天明7年
1787/01/
やましろ
山城
「山城の名所のうたをこひける人によみてつかはしける
 山城のこはたの里の馬かしは君を思はぬ人が得意場」
あやめ草②80文化7年
1810/08/
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