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名所編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔名所編〕大田南畝関係
(江戸・長崎・大坂・東海道・木曾街道等の名所)
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名所詞書・詩歌出典巻・頁年月日
とううんえん
稲雲園 (早稲田)
「山木氏の稑田の別業。十二詠
「稲雲園 朝看早稲田 暮看早稲田 別業黄雲外 疎籬翠竹前」
「臨池館 閑館臨池坐 池清見浅深 悠然憑水檻 聊遺片時心」
「松筠径 残山挿剰水 曲径入松筠 落落含風偃 妍妍引雨新」
「芳洲  愛此芳洲色 芙蓉与杜若 搴欲一相遺 佳人隔山沢」
「閲耕亭 孤亭田隴外 可以閲春耕 借問音梁輩 寧知稼穡情」
「花塢  巳歴千花塢 還攀万朶枝 千花兼万朶 能使夕陽遅」
「古藤橋 架引長藤蔓 橋通曲岸斜 蔵蛇何処是 水上点閑花」
「天女島 妙音天女祠 孤島臨池水 忽見一枝梅 還疑開玉歯」
「鳳尾渚 攀蕉如鳳尾 臨渚払苺苔 疑是翔千仞 翩然一下来」
「調馬場 仙郎能講武 調馬且開場 却笑梁時士 褒衣博帯長」
「山翠廬 豊嶺疎鐘晩 椿山太古年 茅廬推戸望 彩翠入看鮮」
「浴鳧池 漭沆滄池色 縈回一簣山 林風吹欲静 水面浴鳧多」
南畝集7
漢詩番号1420-31
③491天明8年
1788/02/25
とうえいざん
東叡山
 東叡山 (別資料)
どうかんやま
道観山
「九日、道観に遊ぶ
 丹楓揺落菊花黄 縹緲真遊傍石牀 松下神仙朝上帝 雲中鶏犬響斜陽 登高更伴茱萸女 満酌聊当沆ガイ漿
 佳節簫歌開宴処 疑頭秦史得廻翔」
南畝集1
漢詩番号0015
③7明和8年
1771/09/09
「道観山 長杉古木出藤蘿 道観山空爽気多 雁度塔標分浅草 霧晴帆影下荒河」南畝集8
漢詩番号1700
④71寛政2年
1790/09/
「九日郊行。六首 其の六 千林百卉夕陽曛 道潅山頭細路分 秋松晩菘依緑水 田間香稲帯黄雲」南畝集18
漢詩番号3678
⑤255文化9年
1812/09/09
とうげんきょう
桃源郷
「桃園に遊ぶ
 武陵春色渡渓橋 行人桃源一路遙 秦代人家看稚子 文王園囿間芻蕘 長松落蔭纔含露 芳樹如霞欲建標
 数里猶聞鶏犬響 大名山上望青霄」
南畝集8
漢詩番号1522
④11寛政1年
1789/03/
どうざ
銅座 (大坂)
「冶場を観る 洪壚熾炭鼓成 銀海銅山槖籥中 塵垢粃糠陶鋳化 長令蛮貊望朝東」南畝集12
漢詩番号2056
④188享和1年
1801/09/
どうじま
堂島 (大坂)
「大坂米市の商売道具は火縄箱・手水桶・拍子木・小判丁銀・往来土間にて終日商の手合するゆへに、木火土金水の五つの数にあへば、その道具をゑがきて歌よめとこふにまかせて書やりぬ。拍子木の木、火縄箱の火、小判丁銀の水、かけひきあらそふ米相場、上るはのぼりて天気次第、濁るは下りて土間のかきなひ、あはせて木火土金水の五行にかなえへるをざれ歌によめと人のこふにまかせて
 米といふ字は八木火土金水これぞいつゝの花の堂じま
 堂嶋の古名を五花堂島といへばなり」
七々集②247文化12年
1815/08/
とうぶざん
東豊山二十詠
「田間路【東豊山下に一路有り。中関道を曰ふ。東豊山二十詠に田間の一路と曰ふは是れなり。蔭涼山済松寺在り】 田間一路挿新秧 夏木禅関鎖蔭涼 村童共洗蘘芽去 満担頭軽野水傍」南畝集16
漢詩番号3177
⑤104文化5年
1808/05/
とうぶざん
東豊山十五景
(高田)
「東豊山新長谷寺、目白不動尊のたゝせ給へる山は、宝永の比再昌院法印のすめる関口の䟽儀荘よりちかければ、西南にかたぶく日影に杖をたてゝ、時しらぬ富士の白雪をながめ、千町の田面のみどりになびく風に涼みて、しばらくいきをのぶとぞきこへし。又物部の翁の牛込にいませし比にやありけん。南郭、春台、蘭亭をはじめとして、このほとりの十五景をわかちてからうたに物せし一巻をもみたりし事あれば、わが生れたる牛込の里ちかきあたりのけしきもなつかしく、こゝにその題をうつして夷歌によみつゞけぬるも、そのかみ大黒屋ときこへし高どのにて、はゝの六十の賀の莚をひらきし事ありしも、又天明のむかしなれば、せき口の紙の漉かへし、目白の滝のいとのくりことになんありける
 鶉山桜花 昔みし田鼠うづらの山ざくらけしての後は花もちらほら
 城門緑樹 鱐(シャチホコ)の魚木にのぼる青葉やまわたりやぐらの牛込の門
 渓辺流蛍 何がしの大あたまにも似たるかなかまくら道に出戸の蛍は
 稑田落月 しら露のむすべる霜のをくてよりわせ田にはやく落る月影
 平田香稲 平かな水田もことし代がよくてふねのほにほがさくかとぞみる
 寺前紅楓 てらまへで酒のませんともみぢ見の地口まじりの顔の夕ばへ
 月中望岳 八葉の芙蓉の花を一りんのかつらに枝にさかせてぞみる
 江村飛雪 酒かひにゆきの中里ひとすぢにおもひ入江の江戸川の末
 長谷梵宇 明王のふるきをもつてあたらしきにゐはせ寺の法師たるべし
 赤城霞色 朝夕の霞の色も赤城山そなたのかたにむかでしらるる
 高田叢祠 みあかしの高田のかたにひかりまつ穴八幡歟水いなりかも
 済松鐘磬 済松寺祖心の尼の若かりしむかしつけたるかねの声々
 田間一路 横にゆく蟹川こえて真直に通る門田の中ぜきの道
 巌畔酒壚 杉のはのたてる門辺に目白おし羽觴を飛す岸の上の茶や
 堰口水碓 水車くる/\めぐりあふことは  人目つゝみのせき口もなし
万紫千紅
六々集
①286
②212
文化11年
1814/10/
とがわむら
砥川村 (青山)
「冬日、砥川村に過る【村、青山隠田に在り。砥川、此れ外輪を曰ふ】
 曾伴青山耆上人 閑吟六詠砥川浜  題詩扁額今安在 頑石猶余薩埵身」
【耆山上人、砥川六詠の題を命じ、諸子をして詩を賦せしめ、諸れを外輪村の地蔵堂に掲ぐ。今存せず。故に曰ふ】
南畝集16
漢詩番号3226
⑤117文化5年
1808/10/
ときつ
時津 (長崎)
「秋日、肥鎮台【豊後守頼常】に陪して時津を巡撿す
 晴煙連彼杵 漁海望時津 更命漁人網 将探巨口鱗 四山囲紫翠 孤島聳嶙峋 鎮府乗余暇 清秋此一巡」
南畝集15
漢詩番号2725
④398文化2年
1805ウ08/09
とくせいてい
徳星亭 (高田)
「初冬、山道甫・山士訓・野美卿・と同じく高田の徳星亭に集ふ。錦江・白駒二生、酒饌を携ふ
 郭外高田一路通 孤亭把酒望晴空 徳星応驟諸賢会 太史休疑百里中
 西嶽雪含菡萏色 東籬霜老菊花叢」
南畝集4
漢詩番号0577
③203安永7年
1778/10/
とつかむら
戸塚(高田富士)
「夏日、戸塚村に遊び小芙蓉に題す
 九仭新成一簣功 芙蓉忽見秀晴空 偶凌絶頂攀高樹 満袖携帰六月風」
南畝集4
漢詩番号0656
杏園詩集二
③228
⑥58
安永8年
1779/06/
とどろきえき
轟駅 (肥前)
「晩に轟駅を過ぐ 寒月微々透轎簾 轟亭暗水激流添 行々更過瓜生巷 転覚帰期不滞淹」小春紀行附録
南畝集15
漢詩番号2767
⑨84
④411
文化2年
1805/10/13
とどろきむら
等々力村(荏原郡)
「とヾろき村にて かくばかりしづけきものをいかなればとゞろき村の名にはたちけん」玉川余波②113文化5年
1808/12/22
とねがわ
利根川(下総市川)
「勝鹿六詠 刀禰川 悠々刀禰水 遠自総州来 万里長風色 布帆破浪回」三餐余興⑧5明和4年
1767/09/30
どばし
土橋 (深川)
「土橋帰帆【深川八景の中】 あらかねの土橋にこがれゆく舟もちよとたちかへれひらに平清
 【平清は料理茶屋に名也。一号養老亭】」
七々集②267文化12年
1815/10/
どぶだな
溝店
「叡麓八景 溝(ドブ)店の夜雨
 泥水推し流す溝店の隅(ホトリ)  夜中の風雨路開き難し
 懸け声忽ち肩輿(ヨツデ)を舁き去る  両掛け独り蕎麦を沽り来る」
壇那山人
藝舎集
①460天明4年刊
1784/
とみがおか
富ヶ岡
「富ケ岡にて 春秋にとみが岡とて一むれの梅をかざしてまいる尾花や」をみなへし②19未詳
とものうら
鞆の浦 (備後)
「鞆浦に泊る (詩なし)」〈『革令紀行』⑧424参照〉南畝集14
漢詩番号2508
④330文化1年
1804/08/23
Top浮世絵師総覧名所編大田南畝関係