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   名物編 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔名物編〕   大田南畝関係
     (動物・植物・食物・器物・鉱物等)
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名物詞書・詩歌出典巻・頁年月日
とうがん
冬瓜
「寄冬瓜恋 百一つあふ夜を花にはふ蔓の長々しよをひとりかも瓜」放歌集②201文化9年
1812/08/
とうせいしゅん
藤井春
「尾州人の藤井春を恵むを謝す 贈我一壷酒 三盃纔自含 紫藤花底井 疑是漱余酣」南畝集7
漢詩番号1448
③500天明8年
1788/04/
どうだんつつじ
灯台躑躅(満天星)
「どうだんつヽじ よのつねの蔦や紅葉にくらぶれは言語道断つつじなる哉」をみなへし②35文化5年
1808/09/
とうとうしゅん
唐々春
「ことしむつきついたちの日、もろもろのはかせの江山書屋につどひて酒のみけるに、秦星池来て唐々春といへる三字を書けるに、もろ人全唐詩にある晩唐の李咸が詩の句に湿塵軽舞唐々春とあるをも得しらで、例の翁が酔てすぢなき事書しとてあざけりわらひしとぞ。これは近比枯愚堂の梓にものせし、唐詩金粉といふものにも見えて、わらはべの輩もよくみるふみなり
 からからとわらふ門にはふく風もお玉が池にちらす金粉
 直の高き全唐詩をばよまずともすこしこがねの粉をばふれかし
 元日のあさ上下にふるのしめ巍々唐々の春の書ぞめ

 とにもかくにもふみ多くよむ事をこのむものゝまれになりゆくこそあさましけれ」
〈「唐々春」騒動は『一話一言』補遺・⑯232参照〉
紅梅集②385文政3年
1820/01/
「千里遥来漢々躍 一年又過唐々春
 唐船の舟玉あげに棒つかひ銅鑼うちならしかんかん踊」
あやめ草②86文政4年
1821/06/
とうろうえ
灯籠絵
「天王灯篭の絵に、櫛もて永代ばしとし、玳瑁のかうかいを筏とし、毛筋通をもて帆柱としたるに
 橋の名の永たいまいのさしぐしに毛筋通してたてる帆柱」
「同じく毛抜をもて郭公をつくり、小き鏡を月となし、下に鰹舟のあるところ
 初がつほひたす新場の水かヾみ毛ぬきあはせになく郭公」
「同じく猿の臼引かた ゆき来つゝさるの臼引水車くるりくるりときつる見物」
あやめ草②84文政4年
1821/06/15
とおかのきく
十日の菊
「十日菊 清香の黄ぎくはいまだおとろへずきのふの節句をり残す枝」をみなへし②50文政5年
1822/09/10
どきゅう
土弓
「土弓(ドキウ)艶  叡南
 君見ずや  土弓の諸客娘に因つて聚まる  葭簀を捲くかずして坊主を見る
 天気晴来山下の間  三文銭(ゼニ)落(ヲツ)十本の羽 香煎山中煎じ茶に非ず
 広小路の上を酒家を列(ツラ)ぬ  秖(タダ)今惟(タダ)松楼(マツヤ)の鉄のみ有つて
 曾て祇園梶の葉の芽を出す」
〈『唐詩選』所収、衛萬の「呉宮怨」のパロディ〉
通詩選①442天明4年刊
1784/
「叡麓八景 土弓の落雁
 衣袈裟を掛く何れの処の坊ぞ 娘を彀(ネラ)つて先づ土弓場に入る
 羽飛んで矢落つ七間半 自ら雁金の行を乱れざるに似たり」
壇那山人
藝舎集
①460天明4年刊
1784/
ときわづ
常磐津
「鳥落ちて里長調子鳴る 三絃式佐繁栄を競ふ
 咳を払つて兼太夫座を迎へ 幕を開けば常盤津名を照らす

 鳥落とは飛鳥もおちるといふ事。里長、姓は鳥羽屋、故にかくいふ。式佐、姓は岸沢、ともに三弦に名家なり。常磐津兼太夫の名は注するに及ばず、世の人あまねくしる所なり。小松川のながれつきせずして、ときはの松のひとしほにみどりの色のまされること、いふはむだなり」
通詩選諺解①490天明7年刊
1787/01/
とけい
時計(自鳴鐘)
「自鳴鐘 蛮夷曾貢自鳴鐘 巧転璇機影響従 昏暁但令烏兎辨 不須儀鳳間笙鏞」南畝集19
漢詩番号4097
⑤374文化12年
1815/10/
とけんか
杜鵑花(サツキ)
「杜鵑花 杜鵑花発杜鵑稀 客舎看花対翠微 縦少一声彷彿響 郷心日夜不如帰」南畝集15
漢詩番号2666
④380文化2年
1805/04/
どしとくじん
歳徳神
「同年(文化六年)の年徳 大門は鬼門の右にあきの方寅卯の間よろづよし原」をみなへし②37文化6年
1809/
とびだこ
鳶凧
「軒鳶凧【京町、加保茶元成会】 春の日の長きしり尾に板やねの瓦落してのきの鳶凧」巴人集②392天明3年
1783/01/
とみくじ
富くじ
「欲心の祝詞
 真成見得かと久しく尋思す 夢に黄金を得て覚めて後疑ふ
 火行灯を照らして妄想なることを知る 分明なり富札錐を立つる時

 見得「損思博千金方」に云、五臓の煩は夢をなす。一富士二鷹三茄子をみる時は千二百三十番と考ふ。これを見得といふ。其病治しがたし。名づけてもつたが病といふ。按かん応寺、水いなり、第六天などは事ふりたり。今日に至ては何人目/\も出来たり。又一ノ冨見得秘伝書にくはし」
通詩選諺解①490天明7年刊
1787/01/
とみもとぶし
富本節
「柳太夫豊前と称す会歌【柳太夫は柳橋の太夫なり】 陳珍
 富本流を承けて西東に満つ 最初先奏す是斎宮
 女子預め桜草を開いて待つ 秖(タダ)今誰か大夫が功に並ばん

 富本流の浄瑠璃の一流なり。斎宮は太夫の名なり。桜草は豊前太夫のかへ紋、いてう、鶴、さくら草みな人のしる所なり。富本豊前太夫門弟、富本豊の字をおかす娘、八百八町の出公子にみち/\たり。くはしうは「柳橋桜草」にみへたり。さて講釈なかばにちよと御ことはり申上まする。富本流の板本は江戸通油町耕書堂でござります。御用の節はおもとめなされませと、なんのいはずともよいことをいふぞ」
通詩選諺解①490天明7年刊
1787/01/
「富本のひと本ゆへにむさし野の花はのこらずみなさくら草」巴人集②462未詳
寛政10年?
とら
「寄虎恋 つれなさよ風の便にいひよれどはりこの虎のかぶりのみして」巴人集②437天明4年
1784/02/