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   名物編 【か】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔名物編〕大田南畝関係
  【鰹】(かつお)◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
「鰹にゑひて 鍋のふた明てくやしく酔ぬるは浦島が子がつるかつほかも」をみなへし②7明和?
「等思両人恋 片身づゝわけし思ひの中落はいづれかつほの骨つきもなし」②8
「鰹走地【山道高彦会】 郭公てつぺんかける声よりもまづ地をはしるかつほあたらし」
〈山道高彦の狂歌会の会日は十日〉
巴人集②400天明3年
1783/04/04
「寄鰹祝 のしめ色きたる姿の初がつほおのが卯月を正月にして」
〈宿屋飯盛の狂歌会にて、会日は十四日〉
巴人集②401天明3年
1783/04/14
「鰹魚賛  吾朝にてはかつをとよび、もろこしにては松魚といふ。東医宝鑑、北狄西戎、四維八荒、天地けん好がつれ/\草に、大根おろしのおろしかけ、先にからしにかゝれても、延喜式には供御となり、万葉集には水の江の浦島が子が、かつをつり鯛つりかねて、七日はおろか七十五日いきのぶる、三千本のはつものを、たれか一本かはざらめや
 かまくらの海より出しはつ鰹みなむさし野のはらにこそいれ」
四方のあか
蜀山百首
清好帖
①114
①308
⑳359
天明8年刊
1788/01/
「松魚 湘中何物琳琅 四月松魚味可嘗 日本橋東遊侠窟 撃鮮無処不飛觴」南畝集8
漢詩番号1546
杏園詩集三
④18
⑥90
寛政1年
1789/04/
「松魚歌
 三月己破歇芳菲 湘江水緑松魚肥 松魚一自湘江出 直向江関舟似飛
 江関早潮逐暮潮 幅湊鱗次日本橋 不惜千金買一臠 撃鮮染指転相驕
 片言覆瓿双丘篇 七日垂綸浦島仙 君不見金虀玉鱠東南美 何如一割鉛刀貴」
南畝集8
漢詩番号1646
杏園詩集三
④53
⑥92
寛政2年
1790/04/
「あづさ弓弥生の末のはつがつほはやくもわれが口にこそいれ」  〈この日、東海堂宅にて初かつを食す。返礼に三十年前(天明三年頃)島田左内の許にて詠みし狂歌を短冊に揮毫して贈る〉細推物理⑧360享和3年
1803/03/29
「市に鰹あまたうりありくをみて 鎌倉の海の幸ありて大江戸の道もさりあへず鰹うるこゑ」をみなへし②27文化4年
1807/04/
「かつをゝめすとて 水の江の浦島が子がつる鰹鯛にもまさる心地こそすれ」
「卯月の比かつおすくなければ かしましい八千八声なかずとも三千本をたつた一本」
をみなへし
千紅万紫
②37
①254
文化6年
1809/04/
「盆過に鰹多く来りけるもをかしく 盆過にかつほかつほの声するは夏やせをして出ずやありけん」あやめ草
千紅万紫
②79
①238
文化7年
1810/07/
「卯月三日、日本橋柳屋のもとよりかつほ贈りければ
 山の手をさして一本はつ鰹にほんのはしも取あへずくふ」
放歌集②186文化9年
1812/04/
「松魚賛 山の手の松魚さくらの皮も哉」一簾春雨⑩504
文化9年?
1812/03/
「四月初五、初めて葛子魚を喫ふ
 一割為軒斗酒傾 新鮮未受鉛刀名 漕舟暁度天津水 俎肉崇朝遍武城【葛子魚、房の天津より来たると云ふ】
南畝集19
漢詩番号4034
⑤357文化12年
1815/04/05
「四月十二日、初めて葛子魚を喫ふ
 鉛刀一割鉛刀魚 四月中旬下箸初 玉膾金韲何足比 盤中瑪瑙色相如」
南畝集19
漢詩番号4268
⑤420文化14年
1817/04/12
「かつを 白味噌に鱧のすり流しくふ人は鰹の味をしるやしらずや」紅梅集②332文化15年
1818/03
「三月念三、初めて葛子魚を喫す
 瑪瑙盤中下箸初 金齏玉膾勝江鱸 不図三月桃花水 乍送千頭葛子魚」
〈方士の左慈が釣った「松江の鱸」美味とされる〉
南畝集20
漢詩番号4354
⑤449文化15年
1818/03/
「ことしの鰹は弥生の廿三廿四廿五のみありて、そのゝちみえず、此比浦賀に西の国のゑみしの舟つきしとてさはぎあへれば、いよ/\鰹は見えず
 春の末ちらとめじりに見たばかり卯月さつきに鰹なき年 
 此比浦賀に西の国のゑみしの舟つきしとてさはぎあへれば、いよ/\鰹は見えず」

〈五月、イギリス船ブラザーズ号浦賀へ〉
紅梅集②341文政1年
1818/05/
「初鰹魚 東医宝鑑説松魚 兼好法師称毒魚 若狭小鯛鱧骨切 不知江戸初鰹魚」紅梅集
巴人集拾遺
②364
②496
文政2年
1819/04/
「松魚 三両の初がつほにもあふ事はかた身で弐百四十八文」
「卯月朔日、初がつほを献上なりしとききて たてまつるはつのかつをゝ夕河岸の衣にかへん卯月朔日」
あやめ草②102文政5年
1822/03/
同04/01