Top浮世絵文献資料館交遊編
 
交遊編 【お】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔交遊編〕大田南畝関係
【小川 文庵】(おがわ ぶんあん)(計古庵)(けいこさい) ※◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・詩歌出典巻・頁年月日
「小川文庵国手の薬を饋るを謝す
 九州輿疾至長崎 幸有江東国手随 垣一方人須自見 医三世業共相資 数労玉趾忝尋舎 更探青嚢勝服之
 煩熱全消生色起 霍然陽気溢双眉」
南畝集14
漢詩番号2531
④336文化1年
1804/09/
「小川氏に魚を贈る 不必把文竿 投来比目魚 為君分一片 聊比摘園蔬」〈⑲書簡番号58〉南畝集14
漢詩番号2535
④338文化1年
1804/09/24
「小川文庵の菊花を恵むを謝す 参差紫蕊雑黄花 籬畔攀来露有華 不是南陽分一掬 秋光豈到病夫家」
〈南陽とは長寿を願う南陽の菊水〉
南畝集14
漢詩番号2540
④340文化1年
1804/09/26
「十月朔、小川文庵山に入りて薬を採ると聞く。因りて此の寄せ有り
 聞君採薬度嶙峋 草木瓢零更有真 欲荷短鑱窮曲径 黄花紅葉謾撩人」〈⑲書簡番号66〉
南畝集14
漢詩番号2543
④341文化1年
1804/10/01
「人の菊を贈るを謝す 乍見菊花開 一叢盆底栽 不知青女至 猶訂白衣来」
〈贈り主は小川文庵。書簡番号70⑲99参照〉
南畝集14
漢詩番号2554
④344文化1年
1804/10/07
「計古斎【小川文庵】香樵子の画を蔵して展観す。是れ羊躑躅に似たり。之を清客胡兆新に示せば、則ち云ふ、海棠花なりと。計古斎予をして其の画に題せしむ。戯れに賦す 看来羊躑躅 人道海棠花 々睡羊難進 満園春霧遮」南畝集14
漢詩番号2556
④344文化1年
1804/10/
「小川 忠実 文庵の月々紅を寄するを謝す
 吾髪年々白 斯花月々紅 酔留千日飲 色照四時叢 宿露乾南景 長春敵北風 応同携手好 寄与一衰翁」
南畝集14
漢詩番号2559
④345文化1年
1804/10/
「(小川文庵・吉田仲禎・千賀伯寧。崎陽に遊んで医業を清人胡振兆新に問ふ。伯寧先づ帰る)小川 忠実 文庵の江戸に還るを送る
 客裏逢君又送君 偏臨離席惜離群 蘇門一探青嚢録 崎港遥凌紫海雲 旅館玄談違咫尺 宦途塵事混紛紜
 天台山下還郷日 正及千花帯瑞氛」
南畝集14
漢詩番号2610
④360文化1年
1804/12/