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   寺社編  大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔寺社編〕    大田南畝関係
  【と】
寺社名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
とううんじ
洞雲寺 (市谷)
「夏日、森周夫と同じく元石師を訪ふ。師、市谷門外の洞雲寺に寓居す
 禅房何処在 古洞夏雲深 借問紅塵客 寧知白社心」
南畝集5
漢詩番号0810
③278安永9年
1780/06/
どうえいじ
道栄寺 (小日向)
「はとり坂道栄寺の桜をみて、はとり坂といふを物名に
 花あれば見にこそたづねくれはとりさか(服部坂)しき道のやみもあやなし」
あやめ草②68文化7年
1810/03/
「道栄寺の桜花
 野寺寂無譁 山桜夾路斜 巑岏将折樹 爛漫欲然花 借問枝横雪 何如錦作霞 夭桃与穠李 宜避此光華」
南畝集19
漢詩番号4157
⑤390文化13年
1806/03/
「春日道栄寺に花を看る【三月廿六日】
 解道山桜発欲然 紅雲蔭映寺門前 人生七十無多子 看弄閑花亦幾年」
南畝集20
漢詩番号4451
⑤478文政2年
1819/03/26
「弥生廿六日、道栄寺に桜をみて【矢部騰谷会主】
 あやなくもみてらの庭のひざくらの花ゆへにこそくれはとり坂
 しづかなる道の栄やいのるらんあたら桜を見ぬ人のため」
紅梅集②363
とうえんじ
東園寺
「東園寺の亭子に遊ぶ 九仭曾成一簣功 残山剰水奪天工 東園已勝祇園趣 疑是人間路未通」南畝集3
漢詩番号0489
③170安永5年
1776/07/
とうかいじ
東海寺 (品川)
「東海寺の楓
 飄飄海寺入新晴 翠壁丹楓相与清 雲錦為裁天上色 潮音更勝世間声」
南畝集6
漢詩番号1161
③400天明3年
1783/10/
とうかくいん
等覚院 (上野)
「好花坊糸桜歌三十首 十九番 東叡山 等覚院
 法のにはにあだなる色と見捨てもこゝろぞとまる花の木のもと」
花見の日記⑧49寛政4年
1792/03/
とうこうじ
東江寺 (本所)
「稲毛 直道 屋山、諸君を東江寺に邀へて古書画を展観す
 曠世図書観古風 東江西序借琳宮 一筵今日如揮筆 宜入千秋逸品中」
南畝集18
漢詩番号3780
⑤284文化10年
1813/04/
とうじいん
等持院 (京都)
「等持院 等持深院蓋山陰 俯仰門庭見古今 洛下将軍十五世 長留遺像託祇園」壬戌紀行附録⑧328享和2年
1802/03/22
どうじょうじ
道成寺 (紀伊)
「文月五日、きのくに道成寺の開帳、江戸回向院に来らせ給ふとて、むかひにゆく人多し
 建立のかねの供養にまいらんと道成寺をやいでゝきぬらん」
紅梅集②350文政1年
1818/07/05
とうぜんいん
東漸院 (寛永寺)
「夏日、滝子徳と同じく東叡山に遊び、東漸院に過る
 城郭郊対此鬱盤 香台高処入欄干 共知大法東漸地 更作中州北嶺看 一道紅塵連日下 千章緑樹秀雲端
 携遊応是清涼界 却笑人間避暑難
「東山高閣一留連 下界人家散暮煙 樹裏鐘声催宿鳥 簷前涼気乱鳴蝉 霞標忽傍天台起 風色遙通墨水偏
 今日為寛蓮社禁 酔帰乗月歩城辺
 其の二
「東漸院に義竜師に贈る。師、讃岐の人なり
 飄飄一錫掛天台 万里遥辞讃海隅 自是驪竜頷下物 清光忽照座隅来」
「同前(東漸院)。泰順師に贈る 鐘磬寥寥結夏時 更尋深院且題詩 清香此夕先堪折 薝蔔林中第一枝」
南畝集5
漢詩番号0969-70
③332天明1年
1781/閏5
「冬日、松子長・六如上人及び東叡の諸尊者と同じく東漸院の後山に遊ぶ
 東山古院絶塵氛 路転閑園木葉分 霜露已荒三径菊 煙霞忽散二陵雲
 池辺満酌移床坐 巌下清談隔竹聞 一酔相忘賓主態 徘徊不覚有陽曛」
南畝集5
漢詩番号1045
杏園詩集二
③357
⑥65
天明1年
1781/10/
とうふくじ
東福寺 (京都)
「東福寺 詩なし」 〈『改元紀行』記事⑧130〉
〝げにも五山の一にして、かゝる大きなる寺院をみし事なし。山門・仏殿・法堂・僧堂など雲のごとく構へたり〟
南畝集12
漢詩番号1958
④162享和1年
1801/03/10
とうりんじ
東林寺
「四月八日、山寺に遊ぶ
 東林宿露映朝曦 遥憶西方仏現時 夢裏珍祥乗白象 人間渇迎見金姿 天花忽散無憂樹 菡萏新開七宝池
 今日偶因遊十地 聊将芥子讃須弥」
南畝集3
漢詩番号0353
③125安永4
1775/04/
とがくしみょうじん
戸隠大明神
「戸隠大明神奉納 此神はうら島が子の箱ならであまの岩戸をあけてうれしき」万紫千紅①287文化12年
1815/07/
ときわいなり
常盤稲荷(安針町)
「下町稲荷社三十三番御詠歌 四番 安針町 常盤いなり
 梅咲て松のみどりも一しほに常盤いなりの色をおみやれ」
序跋等拾遺⑱574安永3年
1774/02/11
とみがおかはちまん
富ヶ岡八幡
「冨岡神会【八月望、雨ふる。改めて十九日を卜す】
 富岡神会大江頭 岸上連棚岸下舟 戯車超乗霊巌島 袨服新裁永代洲
 其の二 士女喧闐溢九逵 虹橋天柱不知危 摧頽共委江魚腹 歌哭炎涼変一時
 其の三 累々遺骸曝路隅 水郷秋社輟歓娯 如狂一国人皆散 橋断江天欠月孤」
南畝集16
漢詩番号3096-8
⑤81文化4年
1807/09/19
とみながいなり
富永稲荷
「場鹿島氏、富永稲荷奉納 此のやどの富永々々と神徳を荷ふにあまる稲の八束穂」紅梅集②323文化15年
1818/02/02
とよくらいなり
豊藏稲荷 (中橋)
「下町稲荷社三十三番御詠歌 十九番 中橋白魚屋敷惟 豊藏いなり
 とよくらの内のいなりのさゝげ物このしろよりもしら魚屋敷
 作り物、路地口に藤棚、双六の賽を下げ置、ふり出しと書、夫より行燈五十三次」
序跋等拾遺⑱576安永3年
1774/02/11
とりごえみょうじん
鳥越明神
「鳥越明神にまうでゝ 六十あまり七曲りをもゆき過ぎて又としひとつとりごえの神
 【筋違橋より浅草までの道を俗に七まがりといふ】」
七々集②293文化13年
1816/01/