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   寺社編  大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔寺社編〕    大田南畝関係
  【ろ】
寺社名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
さいおくじ
柴屋寺 (駿河)
「柴屋寺に過る 曾開手記慕遺蹤 吐月峰西天柱峰 散歩欲尋柴屋寺 穿林一径草茸々」南畝集14
漢詩番号2487
④325文化1年
1804/07/29
「柴屋寺に過る
 不知柴屋寺 処々見寒梅 天柱峰頭樹 宗長墓上苔 千秋留隠迹 一点絶繊埃 待吐初更月 吾将踏影回
【寺に天柱と吐月二峰及び宗長法師の墓有り】」〈⑨99〉【寺に天柱・吐月の二峰あり】〈④429〉
〈柴屋寺の山号は天柱山〉
小春紀行附録
南畝集15
漢詩番号2832
⑨99
④429
文化2年
1805/11/14
さいこうじ
西光寺 (大井)
「西光寺に花を看る【寺に醍醐の山桜あり】
 祇林春色百花新 西日流光堰水浜 為是醍醐山上種 徘徊更憶洛陽春」
南畝集8
漢詩番号1604
④40寛政2年
1790/03/
「大井の西光寺に一芳樹有り。名づけて醍醐桜と曰ふ。予、仲春廿一日を以て此の地に遊ぶ。敷芳爛熳として、庭上に照映す。因りて賦す 十年不問西光寺 一日重尋東海浜 自有醍醐芳樹在 賞心美景及良辰」南畝集16
漢詩番号2879
⑤14文化3年
1806/02/
「大井の西光寺に醍醐桜といふあり。古き木にて根はいくもとにもわかれて花さかりなり
 牛町の酪は蘇となり醍醐ともなれる桜をみるぞうれしき」
六々集②231文化12年
1815/03/09
さいしょうじ
最勝寺 (青山)
「好花坊糸桜歌三十首 廿三番 青山 最勝寺
 此寺の名にこそあへれいと桜いともすぐれて匂ふ一もと」
花見の日記⑧50寛政4年
1792/03/
さいしょうじ
済松寺 (牛込)
「済松寺に菊ありときヽて白菊をこふに、とみに贈り給ひければ
 そもさんか払子を竪におこせしはまさに一鉢しらぎくの花
 白菊の花一本はふる寺の雪の山をやいでヽ来にけん」
あやめ草②92文政4年
1821/10/
さいぞういん
西蔵院
(白髭神社別当)
「すみだ川白髭の社の別当西蔵院にて、ゑぞのしまからふとより出し陽石をみて
 此神のいしのものいふ世なりせばめのはじめにやあはんといはまし
 このいしはたが作蔵かしら鬚の西蔵院にたたせたまへり」
千紅万紫①254文化10年
1813/03/07
(棗本躬弦の和文「やよひばかりすみだ川にあそぶ記」より。この日、棗本・藤堂主計・桂雲院三作・南畝と船遊び、向島にて鳥文斎栄之が加わって、白髭社の傍らの西蔵院に休憩する
「こさふくゑぞかしまの波のをちよりもて来たりとて、たかさ三さかばかり、めぐり一かさばかりなる黒き石のかたちいとおかしきに、注連引はへたるあり」
一話一言
補遺参考篇Ⅰ
⑯117
さいふくじ
西福寺 (浅草)
「浅草西福寺に采真翁の葬に会す
 古来稀七十 剰得九春秋 老病知三楽 児孫慰百憂 偃然甘寝久 倐爾采真遊
 却望梧桐月 新渠水北流」
南畝集18
漢詩番号3521
⑤209
文化8年
1811/06/
「采真翁の一周の忌辰 欲尋墳寺一披榛 碧瓦彫梁委劫塵 唯有梧桐疎雨滴 遊魂何処采天真」
【墓、浅草西福寺に在り。寺、火に罹る】
南畝集18
漢詩番号3647
⑤245文化9年
1812/06/
さがしゃかにょらい
嵯峨釈迦如来
(開帳)
「廻向院に嵯峨の釈尊像を観る 曾刻栴檀象世尊 二千余歳巍然存 五台山上移霊駕 両国橋東迎海暾」
〈開帳は六月十五日から『武江年表』〉
南畝集17
漢詩番号3366
⑤162文化7年
1810/06/16
「嵯峨釈尊、回向院にて開帳のとき 両国に三国一のみほとけのとばりひらけばこがね花ふる」あやめ草
千紅万紫
②75
①237
「嵯峨釈尊、廻向院にて開帳の時
 名にしおふ三国一のみほとけも両国橋にわたらせ給ふ
 御身ぬぐふ仏のみぐみあつけれど清涼寺ぞときけばすゞしき」
紅梅集②368文政2年
1819/05/
さざえどう
栄螺堂
「むさし国羅漢寺にあらたに右繞三匝の堂をたてゝ、百の観音さつたを安置せしが、その堂ののぼりはしさゞえににたれば、人みな栄螺堂とよび侍りしを
 観音に魚籃もあればなまぐさき栄螺堂とはいはしにた鍋」
〈栄螺堂は安永9年落成『武江年表』〉
万載狂歌集①15天明3年刊
1783/01/
さんきちいなり
三吉稲荷 (本町)
「下町稲荷社三十三番御詠歌 二番 本町二丁目 三吉稲荷
 番頭となら◯にとある神垣の名さへ丁稚の三吉稲荷
 作り物、相撲木戸の体【松本幸四郎、市川門之助相撲行司市川海老蔵の作り物なり】
 同奥庭に二間茶屋の体。釈迦が嶽酒宴の体」
序跋等拾遺⑱576安永3年
1774/02/11
さんこういなり
三光稲荷
(長谷川町)
「下町稲荷社三十三番御詠歌 七番 長谷川町 三光いなり
 願ひ立叶はぬ月日ほしと思ふ事をいのらん三光いなり」
序跋等拾遺⑱575安永3年
1774/02/11
さんこういん
三光院
「春雨、三光院に遊んで花を看る 【稲荷祠有り。花園と名づく】
 山駅春風送馬蹄 花園一路草萋萋 雨中紅白開還落 不似行人踏作泥」
南畝集8
漢詩番号1614
④43寛政2年
1790/03/
さんのうまつり
山王祭
(日枝神社)
「山王祭に船屋台あり。鉄砲洲よりいでしといふ  船頭が多くて船は山王の山にものぼるけふの祭礼」
「新場にて山王祭をみる  江戸ッ子はきほふ日吉のおまつりはげにあたらしき魚のたなごひ」
あやめ草
万紫千紅
②80
①238
文化7年
1810/06/15
「山王の神会
 笙鼓満城人若狂 山王神会過康荘 翻風舞袖平陽妓 覆日行帳邯鄲倡 薹笠戴花争錦綺 銀泥象月出芦芒
 市中須破十家産 欲侈看棚姫与姜」
南畝集17
漢詩番号3392
⑤167文化7年
1810/06/15
「詠五色狂歌 赤 山王の夜宮の棧敷しきつめてみせの柱もつゝむ毛氈」七々集
万紫千紅
②284
①296
文化12年
1815/12/?
「六月望、山王の神会 山王神会曲城隅 竜女凌波陌上趨 姉妹一行誰最勝 羅裳宝帯繍珊瑚」南畝集19
漢詩番号4182
⑤397文化13年
1816/06/15
「山王神会の日、常盤橋南の石壁崩る
 不是尋常岸善崩 城門畳石々崚嶒 辰良日吉山神会 一哭梁妻歎未曾」
南畝集19
漢詩番号4186
⑤398