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   寺社編  大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔寺社編〕    大田南畝関係
  【お】
寺社名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
おうじいなり
王子稲荷
「王子村倉稲(うがたま)の神会 東寺曾逢稲荷翁 田家二月祝年豊 行登王子山頭望 社鼓如雷響晩風」南畝集8
漢詩番号1536
④15寛政1年
1789/02/
おうじごんげん
王子権現
「分ちて「東都の楽事」を賦す。五首 王子神祠に田楽を観る
 田間鼓吹似蛙鳴 拍板遅々二隊行 忽擲勝花人自散 金輪寺裏暮鐘声」
南畝集8
漢詩番号1555
④21寛政1年
1789/05/
「若一王子祠に花を看る 遺愛曾称白雪山 一株芳樹不堪攀 低回皇子祠壇下 片々随風満地斑
【元文中、大駕此の地に駐まり、一桜樹に名づけて雪山と曰ふ】」
南畝集14
漢詩番号2433
④310文化1年
1804/03/
「王子権現に雪の山なる桜の枝折しとて むかしみしさくらの花の山もなし頭の雪はふりつもれども」
〈南畝の文化5年3月16日付記事に「拝殿の左に大きなる桜ありて、雪の山と名づけさせ給ひしは(云々)」とあり『一話一言』⑭56〉
をみなへし②31文化5年
1808/03/16
「王子祠に田楽を観る
 王子祠壇滝水浜 年々七月十三辰 中朝旧俗伝田楽 先進遺風従野人 擐甲身横七刀佩 裏頭巾剪百花新
 鼓声拍板兼吹笛 却勝山車百戯頻」
〈『一話一言 巻35』参照〉
南畝集17
漢詩番号3375
⑤165文化7年
1810/07/13
おおとりじんじゃ
鷲神社 (花又村)
「葛西花椏村【椏、此れ又を曰】に鷲神祠有り。毎歳仲冬の酉の日、香を進むる者多し。名づけて酉の市と曰ふ。市に芋魁を売る
 戸外寒高万瓦霜 餐然玉歯唇晨光 金鴉一向簷牙啄 青女斉為半面粧」
南畝集20
漢詩番号4425
⑤468文政1年
1818/11/
おおとりみょうじん
大鳥明神 (目黒)
「むさしの国目黒大鳥明神にて 此神にぬさをも鳥の名にしおはばさぞ大きなるかごありぬべし」万載狂歌集
をみなへし
①15
②7
天明3年
1783/01/
明和?
おおたひめいなり
太田姫稲荷
「太田姫いなり別当、安重院にて われも又やしきをかへて院の名の安重すべき心地こそすれ」放歌集②169文化8年
1811/10/
「太田姫いなりはみやこのいもあらひといへる所より、太田道灌の西城にうつしてのち、今の所にはうつれるなりときゝて 山城のいもあらひなる稲荷をば世の一口に思ふべからず」七々集②297文化13年
1816/02/08
「太田姫稲荷奉納 山城のいもあらひよりうつります大田田根子の姫ぞこの神」紅梅集②323文化15年
1818/02/02
「太田姫祠 郭北昌平有古祠 対門呼作太田姫 潅公新築江城日 道自平安一口移」南畝集20
漢詩番号4443
⑤476文政2年
1819/01/
おまんいなり
おまん稲荷
「下町稲荷社三十三番御詠歌 二十七番 上まき町 於ま(ママ)いなり
 初午にあたる京橋中橋やおまんがべにの朱の玉垣」
序跋等拾遺⑱577安永3年
1774/02/11
おんじょうじ
園城寺 (近江)
「暮春、園城寺の後山に登る【山に八詠楼及び安然和尚の塔有り】
 園城精舎帝城隅 近市浮煙占一区 翠黛晴開馬蚿嶺 蒼波春澹鷿鵜湖 百花時節春相麗 八詠風光賞自殊
 昏黒上方如不至 寧知絶頂有浮図」
〈『改元紀行』三月九日参照〉
南畝集12④161享和1年
1801/03/09