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   寺社編  大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔寺社編〕    大田南畝関係
  【き】
寺社名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
きうんじ
喜運寺
「豆腐地蔵堂ある喜雲寺へ、童子の牛蒡をかつぎ来れるに、門ちがひにてかへしけるをみて
 銭ならば牛蒡の尾をもふるべきに豆腐の外はくはぬ喜運寺
紅梅集②318文化14年
1815/12/
ぎうんじ
宜雲寺(一蝶寺)
「董堂(二字欠)敬義 邀へて江東の宜雲寺に宴す。賦して贈る
【宜雲寺は英一蝶の寓する所。俗に一蝶寺と称す】
 天明旧侶已無多 零落巴人下里歌 夢破春余飛一蝶 朋来墨妙換群鵝 正逢急雨随風至 欲問精藍奈晩何
 半道留飲君莫笑 深杯百罰酒如河」

南畝集18
漢詩番号3767
⑤280文化10年
1813/04/
きじはちまん
雉子八幡
「好花坊糸桜歌三十首」 廿九番 雉子宮 八幡社頭
 きゞすなく春はみやゐに咲花をさながら神も天明向とやみん
花見の日記⑧50寛政4年
1792/03/
きしぼじん
鬼子母神
(雑司ヶ谷)
「五日郊行 古祠曾奉鳩盤荼 柳下村煙八九家 野酌緑浮蒲節酒 神壇紅発石柵花
【僧司谷に柳下村有り。鬼子母神祠有り】」
南畝集16
漢詩番号2895
⑤19文化3年
1806/05/05
「鬼子母神大行院にて 法華経のまきたつ庭のつき山にひとむら時雨ふりきしも神六々集②238文化12年
1815/04/
「うまごのわづらひし時、鬼子母神のかけ物をかしける人のありければ
 親の親いのりきしもの神なれば子の子の末も守らざらめや
七々集
万紫千紅
②256
①289
文化12年
1815/09/
きたざわやくし
北沢薬師
「北沢薬師、糀町天神にて帳をひらき給ふが、大きなる灸をすへて願かなふときけば
 此やいとすへてやるのは恩ならずすへさするのを恩にきた沢
をみなへし②47未詳
きちじょうじ
吉祥寺 (駒込)
「好花坊糸桜歌三十首」 廿七番 駒込 吉祥寺
 桜よし色香もよしと名にたてるかげふるてらの春ぞのどけき
花見の日記⑧50寛政4年
1792/03/
「花時、遍く諸園に游ぶ 其の三 吉祥如意古琳宮 門表栴檀林下風 花落石牀人不帰 両行香雪白雲中
【駒込吉祥寺、堂扁に「吉祥如意の寺」と曰ひ、門扁に「栴檀林」と曰ふ】「門より中門までの両行の桜さかりなり」〈本堂の扁額および柱の聯の写し『一話一言』にあり〉
南畝集16
漢詩番号3146
一話一言28
⑤92
⑭54
文化5年
1808/03/16
きっしょうかく
吉祥閣 (上野)
「春日、吉祥閣に登る
 吉祥攀画閣 壮麗尽寰区 山雪花千樹 城雲海一隅 丹梯連複道 青甸遶雄都 列国朝宗地 登高愧大夫
南畝集5③267安永9年
1780/02/
きねがわやくし
木下川薬師
(浄光寺)
「木下川薬師開帳の奉納の聯に、名古曽の関の桜のゑかきたるに
 山桜ちれど鎮守府将軍の名こそのせきの名こそ朽せね
七々集②304文化13年
1816/03/
きゃらいなり
伽羅稲荷
(元大坂町)
下町稲荷社三十三番御詠歌 十一番 元大坂町 伽羅いなり
 初午のそのきさらぎの空焚に足をとめ木の伽羅のいなり哉
序跋等拾遺⑱574安永3年
1774/02/11
きょうおうじ
経王寺 (谷中)
「好花坊糸桜歌三十首」 十六番 谷中 経王寺
 糸ざくらながき日ぐらし立さらでみれどもあかぬはなのしたかげ
花見の日記⑧49寛政4年
1792/03/
ぎょうがんじ
行元寺 (牛込)
「秋雨、行元寺に過りて尊者に呈す
 独遊聊訪給孤園 風物蕭条日欲昏 樹裏秋陰迷藁店 城頭雨色過牛門
 玄黄不辨憐神駿 緇素相忘共晤言 最喜匡廬能許禁 数令彭沢対開樽
南畝集3
漢詩番号0490
③170安永5年
1776/07/
「天明三年癸卯十月八日、牛込行元寺にて敵討あり。寺門の内の柳の木のもとにてありしかば、一の碑をたてゝこれにものかきてよと寺主のこひしまゝ、此寺に観世音あれば
 念彼観音力 還著於本文
 といふ文字を書つかはして、その碑の背に隠語にて
 癸卯天明陽月八 二人不戴九人誰 同有下田十一口 湛乎無水納無糸
 二人は天なり九人は仇なり。敵うちしもの富吉といひし故、同下田は冨の字、十一日は吉の字也。湛に水なく納るに糸なきは甚内の字なり。その比、寺主、人の見てとやかくいはん事を恐れ、碑面の字ばかり刻して背の字は刻せざりしが、近比三十三回の忌にあたりて(文化十二年なり)、もはや年へし事なれば子細あるまじおって、刻そへしといふ。庚辰五月十一日晨」
一話一言54⑮540文政3年
1820/05/11
きよみずかんのん
清水観音堂(上野)
「好花坊糸桜歌三十首 廿六番 東叡山 清水
 きよみづの音羽の滝によそへてもみよやさくらの花のしら糸
花見の日記⑧50寛政4年
1792/03/
きよみずでら
清水寺 (大坂)
「清水台 彩翠西連兵庫島 煙波南接墨江干 大悲千手開千眼 万里江山一瞬看
〈新清水寺『蘆の若葉』⑧155〝舞台より遠く望めば、西南の遠山滄海につらなりて風景いはんかたなし〉
南畝集12
漢詩番号1982
④168享和1年
1801/03/26
きよみずでら
清水寺 (長崎)
「正月初四、僚友と同じく鎮治の東山に浮游し、聊か見る所を記す 清水台
 万嶺鬱盤回 登臨海色開 祠通祇苑近 人入洞門来 霊異瑞光石 大悲清水台
 凌風兼却月 髣髴数枝梅
 【山に瑞光石有り】」
南畝集15
漢詩番号2621
④367文化2年
1805/01/04
きんかくじ
金閣寺 (京都)
「金閣寺
 昔聞金閣寺 今見北山傍 不識英霊尽 猶余壮麗光 欲摩究竟頂 已上一初榥 石象峯巒峙 池索菱荇長
 天紳垂瀑布 霞綺綴林芳 鳥雀鳴愈静 丹青落更荒 経営安古仏 警蹕駐先皇 異域伝名姓 遥称恭献王
壬戌紀行附録⑧329享和2年
1802/03/22
きんりんじ
金輪寺 (王子)
「暮秋、同じく金輪寺に遊ぶ
 金輪一転鳥山西 古寺寒陰鎖緑渓 皇子陂通秋水漲 梵王台入法雲斉
 郊天落木迷鴻影 野色過橋送馬蹄 憶昨春風双樹下 探芳拾翠自成蹊
南畝集2
漢詩番号0254
杏園詩集
③86
⑥33
安永2年
1773/09/
「夏日、王子村に遊んで金輪寺に過る
 古寺閑房聴石泉 曲流宛転竹欄前 新荷露落紅衣粉 密葉風生翠幄天 飛閣綺筵留玉座 長廊画幅礼金仙
 飯供香積湯般若 始識浮生有勝縁」
〈什宝虫干し、南畝一見。『一話一言』巻49 ⑮309〉
南畝集18
漢詩番号3524
⑤210
文化8年
1811/06/13