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   寺社編  大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔寺社編〕    大田南畝関係
  【け】
寺社名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
けいげんじ
慶元寺 (喜多見村)
「喜多見村に過(ヨギ)る。簸川祠有り。大同年中祀る所。慶元寺有り。元禄時、喜多見重勝の墳寺。重勝総管侍中、朝野に炫赫す。後桑名に謫死す。寺前の田圃は其荘の遺址たり。懐旧の念已已能はず。因りて一絶を賦す 簸水叢祠紀大同 慶元墳寺問村翁 昔年附鳳琴竜勢 今日千松二麦風」玉川余波②120文化6年
1809/01/21
「われおほくの寺社にいりてそのことのよしを問ふに、多くはしらずと答ふ。あるは火水のために失ひ、又はかくして出さゞるもあり。今此喜多見家の跡絶し事をあつめて書置る、慶元精舎の大徳のこゝろざし感ずるにあまりあり。ことに矢嶋氏の事などは人のしる事まれにして、野史の闕文を補ふにたれり。なべての寺社を守れるものはかくこそあらまほしけれ。旅のやどりのともしかゝげて、筆にうつして返すとて
 若狭路にありといふなる後せ山のちみんためとかりし椎柴」
玉川余波②147文化6年
1809/03/24
けいようじ
慶養寺 (橋場)
「橋場の慶養寺に、慶長のむかし、袖をたち桃をわかちしちかひより、はかなくなりし二人の墓ありときゝてたづね侍りしに、此寺もとは浅草のみくらまへにありて、そのゝち亀戸村にうつり、また今の地にうつれるよしにて、そのおきつきどころのあとだになしといふ。あまりにほゐなくてたちいでつ。二人の事は羅浮子の藻屑物語に見へたり あとかたも波の藻屑の物語今かきわけてとふ方ぞなき」をみなへし②17天明元年?
1781/?
げつぞういん
月蔵院 (王子)
「王子村に遊びて月蔵房【金輪寺の子院】に過る
 王子僧房称月蔵 林深白昼引清涼 寧知三密瑜伽地 自有一盃般若湯」〈『一話一言 巻35』参照〉
南畝集17
漢詩番号3375
⑤165文化7年
1810/07/13
げんりゅうじ
源立寺 (大坂)
「五日、長柄の源立寺に過る 新蒲佳節歩晴沙 長柄長流水一涯 古渡得船何処至 僧房逢苦杜鵑花
 むらさきの雲とみてしをたづね来ぬ妙なる法にあふちさく比」

〈摂津長柄『蘆の若葉』⑧191参照〉
南畝集12
漢詩番号1993
蘆の若葉
④172
⑧198
享和1年
1801/05/05