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   人事編 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔人事編〕    大田南畝関係
     (世相・流行・生業・見せ物・飲食等)
  【き】
事項詞書・詩歌出典巻・頁年月日
きぬぎぬの
わかれ
後朝の別れ
「後朝恋 うかれめの宵の口舌もあけがたに中なほりしてかへるめでたさ」めでた百首夷歌①81天明3年刊
1783/01/
「隅田川雁 すみだ川のちのあしたも細見の山形なりにわたるかりがね」放歌集
蜀山百首
②203
①307
文化9年
1812/10/
きぬたうち
砧打ち
(擣衣)
「夜、擣衣を聴く
 愁人自不寐 耿々夜何長 側聴鳴砧響 随風正激揚 不知誰家婦 展転在空牀
 忽驚秋節至 起坐擣衣裳 形影顧明月 紈素畳微霜 裁此御寒衣 将遺天一方
 声急知杵促 哀亮断肝腸 感興随物作 欲忘不可忘 夢魂頻蕭瑟 中宵独悲傷」

〈梁・費昶「華観省中夜聞城外擣衣」?『玉台新詠』所収〉
南畝集1
漢詩番号0134
③45明和9年
1772/09/
「搗衣曲。虞韻を得たり 長安明月満城隅 砧上清光抱影孤 聞道辺関数移陣 寒衣何処寄征夫」
「同じく「京師に家書を得」を賦す。韻を分つ
 天外双魚信 閨中万里情 春残秋又暮 始到洛陽城」
南畝集4
漢詩番号0692-3
③239安永8年
1779/08/
「擣衣 こまのつめつがるの奥にせなをやりて立かへるべきこもうつ也」をみなへし②35文化5年
1808/10/
きゅうし
宮詞
「楚宮詞 細腰軽著紫羅裙 粉黛如花映楚雲 縦説東隣桃李好 君王休信大夫文南畝集1
漢詩番号0086
杏園詩集
③29
⑥27
明和9年
1772/03/18
「呉宮詞 一自紅顔帯笑来 君王日夜酔蘇台 採菱池上廻舟去 響屧廓辺歩月回」
「楚宮詞 細腰軽著紫羅裙 粉黛如花映楚雲 縦説東隣桃李好 君王休信大夫文」
「魏宮詞 歌吹粉々漳水隅 至尊行楽不須催 翠蛾紅粉承朝日 随例斉登銅雀台」
南畝集1
漢詩番号0085-7
杏園詩集
③29
⑥27
明和9年
1772/05/
「宮詞 六宮誰第一 各自競繁華 夜宴階前月 春遊仗外花 不知魚鑰鎖 共妬鳳釵斜
    徒使青蛾老 年年待大家」
南畝集5
漢詩番号0811
③280安永9年
1780/06/
「秋宮曲 漏下深宮夜転長 捲簾明月照羅裳 忽看池上芙蓉老 無那菱花鏡裏霜」
「其の二 嫋嫋秋風帳裏寒 舞衣無色涙欄干 月光遥照昭陽殿 誰傍君王掌上看」
南畝集6
漢詩番号1289-90
③443天明5年
1785/08/
「宮詞。麻韻を得たり 竜池楊柳上林花 処々春光駐輦車 弋得雲間双鳥翼 殊恩又賜五侯家」南畝集6
漢詩番号1302
③416天明6年
1786/02/
「宮詞。二首 花萼相輝百尺楼 何須八駿穆王遊 小春新命平陽伎 妙舞清歌不解愁」
「其の二 先朝下令禁驕奢 計相三申訓大家 豈謂宗藩迎駕日 新迎声妓簇香車
 【(二字欠)十一月十八日の事】」
南畝集20
漢詩番号4569-70
⑤510文政3年
1820/09/
きゅうじん
宮人
「旧宮人。陽韻を得たり 監宮空鎖憶君王 羅綺猶薫旧賜香 自謂鴉黄顔色好 不知時勢有新粧
 真成白髪鏡中長 羞画蛾眉老洞房 忽報上林花已発 強随女伴過宮墻
 其の二」
南畝集4
漢詩番号0721-22
③249安永8年
1779/08/
きょうか
狂歌
 さんりやうのしちの置主ざれ歌の時がりなるかな時がりなるかな巴人集②447天明3年?
1783/01/?
「此頃狂歌さかりにして、彦星のひくうし/\うしら、いほはたたてるおり姫の、いとのちすじにわかれたれば、何がしの連くれがしのつらを乱る初鴈、あとなが先へゆくをやらじと、天の川波たちさはぎて、星にかすべき錦もなく、へんてつもなきことのはのみ、見るにものうくきくにうるさし。そも/\狂歌におかしみなきは、冷索麺にからしなく、刺鯖に蓼なきがごとしと、馮婦が虎のひげをなでゝ、久しい物だが(以下略)」あやめ草②76文化7年
1810/07/07
きょうかい
狂歌会
 天明三年
 ・正月十三日 京橋会(元木阿弥) ・正月 子子孫彦会 ・正月 京町 加保茶元成会
 ・二月 牛天神下、山道高彦会 ・二月 子子孫彦会 ・二月 坂上竹藪会
 ・三月 内匠はしら会 ・三月十九日 酒上不埒 日暮里大会
 ・四月 山道高彦会 ・四月 小伝馬町 宿屋飯盛会
 ・五月十二日 子子孫彦会 ・五月 馬喰町 ひしや会
 ・六月十四日 馬喰町会 ・六月 雲楽斎 四谷別荘会
 ・八月二日 赤松連初会
 ・十二月 子子孫彦会
巴人集②390天明3年
1783/
きょうかく
侠客
「侠客 此処少年場 遊豪日作伍 欲酬睚眦讐 一剣猶懸柱」 〈睚眦の怨みも必ず報ゆ〉杏園詩集⑥24明和7年?
1770?
きょうかし
さいけん
狂歌師細見
「狂歌師細見跋
 二葉の松の色よくて、三がい松は若葉集、その山がたをかうべにめし、筆のあやんがたちいれに、万載集をあしだにはき、宝の君ンの名寄の数、栄ゆく狂歌の名取にかぞへ、五葉の松にこじ付しは、蔦屋のあやまる贅(ムダ)屋の点、是ぞ正真(ジン)高名の、残りあらざる自慢のはな、花のお江戸の大先生、赤良・菅江へ断りなく、木あみ・橘洲にいさしらせず、ちとおしづよもよし原細見、此ふみ月にあら玉の、春のはしめの知足振(シツタリブリ)、つくさぬ落葉ちつよ(ママ)とかく 四方山人」
〈『狂歌師細見』は平秩東作編。朋誠堂主人序。四方山人跋。耕書堂(蔦屋)板、天明三年刊〉
巴人集②452天明3年
1783/
「くるとしのはじめのたはれうたあつめて草紙となし侍らんとて、此道すきやかしにて狂歌師細見とかいへるふみつくりし事など思い出侍りて
 歳旦の狂歌も一首二首まじり小みせをひらく巴扇や」
巴人集②424天明3年
1783/12/
ぎょしょう
漁樵
「漁樵
 漁海樵山一放歌 長将丘壑対煙波 江流滾々迎垂釣 谷響丁々答伐柯
 拾菓行随榛路去 得魚時向酒家過 羨君各自安生計 世上機心不耐多」
杏園詩集
三餐余興
⑥24
⑧13
明和?年
177?/
「漁樵 若非漁海必樵山 濁世浮名各自閑 荊棘已深携斧去 風波雖険把竿還」南畝集13
漢詩番号2162
④226享和2年
1802/07/