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   人物編Ⅱ 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔人物編Ⅱ〕   大田南畝関係
      (神話・伝説・故事・歴史上の人物)
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人名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
きくじどう
菊児童
「菊の画に 七百の慈童もありきくの花高野六十那智はものかは」千紅万紫
蜀山百首
清好帖
①252
①310
⑳368
文化9年?
1812/
「菊慈童 慈童与穆王 菊座有余香 年明遊酈県 疑入底倉湯」紅梅集
巴人集拾遺
②316
②496
文化14年
1815/12/
きせんほうし
喜撰法師
「橘の名を六歌仙によそへてうたよめと人のいひければ
 黄たらゑふ 喜選法師 我いほはみやこのいぬゐきたら葉うき世の塵をはくさんのにし」
放歌集②170文化8年
1811/10/
「喜撰法師 我庵はみやこの茶つみむまひつじさる酉戌亥子うし虎う治」
 本歌 わが庵は都の辰巳しかぞ住む世を宇治山と人はいふなり
万紫千紅
狂歌百人一首
①329
①329
文化11年
1814/
きたむら きぎん
北村 季吟
「十千亭主人、二帖を寄す。一は則ち北村季吟翁の冠服図考、一は則ち西川祐信の秘戯図なり。戯れに賦して謝と為す
 北叟衣冠象 西川秘戯図 併投南畝子 東壁供遊娯」
南畝集13
漢詩番号2192
④235享和2年
1802/10/
ぎどうさんし の はは
儀同三司母
「儀同三司母 よみ歌のうへならばこそいふだあろけふ限りの命なれとは」
 本歌 忘れじのゆく末まではかたければけふをかぎりのいのちともがな
狂歌百人一首①333天保14年刊
1843/08/
き の つらゆき
紀 貫之
「紀貫之 人はいざどこともしらず貫之がつらつらつらとよみし故郷は」
 本歌 人はいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香に匂ひける
狂歌百人一首①331天保14年刊
1843/08/
き の とものり
紀 友則
「紀友則 久かたの光のどけき春の日に紀の友則がひるね一時」
 本歌 ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ
狂歌百人一首①331天保14年刊
1843/08/
きゅうい
丘為 (唐)
「左掖の梨花。丘為の韻を和す
 清香通禁掖 積素冷朝衣 不向青雲托 誰随白雪飛」
南畝集9
漢詩番号1793
④107寛政4年
1792/03?
ぎょう
尭(唐尭・陶唐尭)
「唐尭 おふたりの娘にひとり聟養子土階三尺こぬか三合」徳和歌後万載集①34天明4年序
1784/04/
きょうきぼう
強幾望 (宋)
「宋の強幾望の「墨蟹」を和す【強至、字幾望。銭塘の人。慶暦六年の進士。詩、宋詩記事に見ゆ】
 忽見大潮生 波濤溢粉壁 二◎応退殻 六足自為戟 何人盤礴姿 和此吮筆墨
 望去白沙明 潑来風雨黒 勇鼓将争趨 横行如未息 紺甲与青匡 髣髴江湖色
 愧我無詩腸 右手持充食 悠然一放歌 足知杯酒力」
【芙蓉館席上に賦す所】
南畝集8
漢詩番号1582
④32寛政2年
1790/02/
きよはらのふかやぶ
清原 深養父
「清原深養父 夏のよはまだ宵ながらよくねればげにふかやぶと名をやいふらん」
 本歌 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ
狂歌百人一首①331天保14年刊
1843/08/
きよはら の もとすけ
清原 元輔
「清原元輔 清はらの元輔といふ御名にてお歌は末の松山といふ」
 本歌 契りきなかたみに袖をしぼりつゝ末の松山夜越さじとは
狂歌百人一首①331天保14年刊
1843/08/