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   人物編Ⅰ 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔人物編Ⅰ〕   大田南畝関係
 (浮世絵師・狂歌師・役者・遊女・芸者等、当世の人物)
  【う】※浮世絵師は名前別。◯は欠字、◎は表示不能文字
人名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
うえき ぎょくがい
植木 玉厓(鑾峯)
「植木生の二条在番より帰るに、戯れに贈る【生号鑾峯】
 田助已全快 朝顔且未開 忽有鑾峯至 猶疑嵐吉来」
〈『近世文芸家史料』天明5年生。福原氏。飛・春逸・勇三郎・巽・居晦・子健・八三郎・桂堂
 半可山人。59才没〉
巴人集拾遺②490文化13年
1816/
うえきややさぶろう
植木屋 弥三郎
「巣鴨の植木屋弥三郎がもとの西施白といふ菊を
 姑蘇台のしかと病も直らねば西施の肌のしら菊もみず
 この菊もろこしよりたゞ一本大村の地にわたりしを、弥三郎が求め置たるにて外になしといふ」
あやめ草②92文政4年
1821/10/23
うえむらきちえもん
上村吉右衛門
「江戸芝神明前に江見屋元右衛門と云草子やあり。三代目上村吉右衛門といふもの、延享元年甲子三月十四日はじめて合形の色摺を工夫し、紅色を梅酢にてときそめ、また板木の左に見当といふものなして、一二遍ずりの見当とす。今にいたるまで見当を名づけて上村といふ。はじめて市川団十郎の絵をすり、又団扇に大文字屋□の図を色ずりにして堀江町伊場屋勘左衛門といふものに贈りしより、今の五代の吉右衛門文化九年壬申まで、六十九年に及べり。此像は三代目上村吉右衛門の肖像なり。今その流をくみて源をたづね、末をみて本をわすれざる人々にあたふるものならし
 くれないの色に梅酢をときそめて色をもかをもする人ぞする」
放歌集②189文化9年
1812/04/
うきよ またべえ
浮世 又兵衛
「大津絵
 大津絵のむかしは浮世又兵衛が名におふ筆ときゝはさみけれ」
紅梅集②346文政1年
1818/07/
「大津画うき世又兵衛が古き図をみて
 小ふくろの一つあまれば大津画の筆たて傘にくゝりつけたり」
紅梅集②354文政1年
1818/09/
うてい えんば
烏亭 焉馬
 烏亭焉馬 (別資料)
うめ
梅 (芸者)
「上元前、雪中に書堂に飲す。歌児阿梅の至るを喜ぶ
 満庭風雪好飛盃 昏飲豪談酔一回 咿◎籃輿春信早 階前忽報阿梅来」
「其の二 一枝春色上元前 疑是羅浮月底眠 燈下暗香生促坐 曲中流雪灑繁絃」
〈お梅を羅浮仙(梅の精)に見立てた〉
南畝集19
漢詩番号3949
3950
⑤335文化12年
1815/01/14
うんらくさい
雲楽斎
「寄馬神祇【雲楽齋、四谷別荘会】
 白あはを口に一ぱいかみがもや下がもかけてのりくらべむま
 別荘納涼 時ならずふり出したる涼しさは是六月の下屋敷哉」
〈文政元年『諸家人名江戸方角分』に「小川町・古人・狂歌・雲楽斎 逢坂朝倉弟。神保小路。長坂忠七郎」〉
巴人集②411天明3年
1783/06/