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(浮世絵師・狂歌師・役者・遊女・芸者等、当世の人物) |
人名 | 詞書・詩歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 |
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つかぐち 塚口 | 「赤坂塚口氏といへる酒家の半切桶を、去年十二月朔日に失ひしが、ことし正月六日門前にしたゝかなる音せしをいでゝみれば、かの桶也。これに神符と書符あり。鞍馬山の大餅舂にて清浄の盤をもとめてかり置しが、今かへすなり。これより家内繁昌すべきむねありて、鞍馬山執事と書しものあり。そのうたよみてよと塚口氏のこふにまかせて その桶に雪のつきたるも不思議にて、都下にゆきのふりしは翌七日の事也 | あやめ草 | ②96 | 文政5年 1822/01/06 |
つくま の なべずみ 筑摩 鍋住土 | 「むつき六日の夜、遊侠窟にて酒のみけるに酔て足ふみあやまちて打身の療治をたのむとて つねに筑摩鍋住〈ツクマノナベズミ〉が足袋はきてたかどのゝのぼりばしなおりそ、といひしいましめも思ひいでられて | 放歌集 | ②177 | 文化9年 1812/01/06 |
つさか せっしゅう 津坂 拙脩 (津藩) | 「洞津の津坂 達 拙脩、都下の諸賢を邀へて百川楼に宴す。時に歴代絶句類選の刻新たに成る 「又 | 南畝集19 漢詩番号4028-9 | ⑤355 | 文化12年 1815/03/ |
つるきち 鶴吉 | 「叡麓八景 鶴吉晴嵐 山下行人北又南 暫く鶴吉を看て興将に酣(タケナハ) 豆と徳利と銭雨の如し 颯々として散して比叡嵐(ヒヘヲロシ)と為る」 | 壇那山人 藝舎集 | ①458 | 天明4年刊 1784/ |
つるのや おさまる 鶴廼屋 乎佐丸 | 「題鶴廼屋乎佐丸門人狂歌五十人一首 | をみなへし 巴人集拾遺 | ②50 ②500 | 文政5年 1822/07/ |