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   人物編Ⅰ 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔人物編Ⅰ〕   大田南畝関係
 (浮世絵師・狂歌師・役者・遊女・芸者等、当世の人物)
  【ち】※浮世絵師は名前別。◯は欠字、◎は表示不能文字
人名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
ちえ の ないし
智恵 内子
(元木阿弥妻)
「人丸・赤人・玉津島の御影を今様の女風俗にゑがきて、木阿弥・ないし・やつがれにわかちて、たゝえごとを乞ものありし中に、人丸をよめる
 何やらん硯引よせかきのもとのまうちぎみならたれもねたしな」
巴人集②420天明3年
1783/10/
ちかごろ つかね
近頃 つかね
「ちか頃つかねときこえしは、古へ清公とて、三十年あまりのむかし、扇巴やにて花をやりし官人なりき。ことし霜月十日身まかりしときゝて
 何事も夢にせい公ちか頃はつかねといへど千とせをもへず」
放歌集②217文化11年
1814/11/
ちちのみのみつかど
銀杏 満門
「日ぐらしの会のあくる日、大屋うら住、銀杏(チチノミノ)みつかど、坂月米人、紙屋丸彦などと潮干狩すとて、けふも又馬鹿をつくだの塩干がりきのふは山にひぐらしの里、後万歳集、鳫金をかへした跡も桜がり塩干とまでにかりつくしたり」
〈『狂歌知足振』酒上不埒序「過し弥生の十九日、日ぐらしの里狂歌大会の節布袋堂の前にてひらき候まゝ」とあり〉
巴人集②397天明3年
1783/03/20
ちゃや しろじろう
茶屋 四郎次郎
「はじめて茶屋四郎二郎にあひてよみてつかはしける
 これは又よい折鷹の茶屋氏にお目にかかるは初むかし哉」
をみなへし②18天明1年
1781/06/?
ちよ
千代 (芸者)
「十三夜、酔月楼にて二人の白拍子の三すぢのいとひきけるをきゝてよめる。そのふたりの名は千代・とせとなんいひける
 十日あまりみすぢの糸も長月のけふの月見は千代にやちとせ」
〈酔月楼は勘定組頭・土山宗次郎邸。天明二年九月十三夜の宴〉
万載狂歌集①10天明2年
1782/09/13
「山手白人・あけらかん江・地口有武などゝ同じくすみ田川に舟逍遙し侍りし時、おちよ・おとせといへる二人のしら拍子の今様うたふをきくに、 野辺の若草むすぼんことを、いなか風とて花染ちらし、梅のかほりのつんとして、姫御前の身のつまからげ、ほんに気まゝなうき世わたりは、うれしからふじやないかいな、といふをきゝてよめる
 此比のいなか風とてもはやす狂歌に心のべの若草
 けふの舟うれしからふじやないかいな隅田川原のうき世わたりは」

〈『蜀山人判取帖 補正』に「卯月廿二日山手白人のあそのすみだ川へ舟逍遥し給日とあり」〉
巴人集②402天明3年
1783/04/22
「白拍子おちよが求に応じて扇の画にたゝえごとし侍りし中に、くゞつつかふものゝかきたるに
 人形をつかふおもてのしろゞろと見ゆる黒このうちぞゆかしき」
巴人集②412天明3年
1783/06/
ちょうざん
丁山 (遊女)
「戯れに丁子君(テウジクン)美人に贈る
 紅粉(コウフン)青娥(セイガ)素顔に映ず 桜花坐上二丁の間
 野夫(ヤフ)独り閨房に向つて去る 謾(マン)に釈迦を学んで涅槃に入らん」
通詩選諺解①480天明7年刊
1787/01/
ちょうたゆう
長太夫 (遊女)
「岡本楼の遊女長太夫が部屋の額に 酒は是百薬の長太夫さんひとつあがれと新造かぶろ衆」六々集②216文化11年
1814/11/
ちよぎく
千代菊 (遊女)
「長崎丸山遊女千代菊が菊のゑに
 袖よりもすねふりみてん千代菊の籬のもとの露の丸山
 千代菊の千代も長崎長月のすわの祭の折はたがはじ
 いにしへの沈香亭が中葉のもおとらぬ千代の菊の一本」
放歌集
千紅万紫
②173
①251
文化8年
1811/11/
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