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   人物編Ⅰ  大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔人物編Ⅰ〕   大田南畝関係
  (浮世絵師・狂歌師・役者・遊女・芸者等、当世の人物)
  【ほ】※浮世絵師は名前別。◯は欠字、◎は表示不能文字
人名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
ぼううん
はくりかん
白鯉館 卯雲
「卯雲翁に久しく音づれもえせで申し遣はしける
 一寸の暇なき用にさしつまりつゐ五分さたとなりにけるかな
 返し 此方も一寸のひまなきゆへにつまる所は無沙汰五分々々」
をみなへし②9未詳
ほくさい
葛飾 北斎
「北斎漫画後編序
 目に見へぬ鬼神はゑがきやすく、まぢかき物はゑがく事かたしとかや。たとへば古燧袋、歌袋も丸角・越川の新製に及ばず、七五三の式正も八百善が食次冊にしかざるごとし。こゝに葛飾の北斎翁、目に見心に思ふところ、筆を下して形をなさゞる事なく、筆の至るところかたちと心をつくさゞる事なし。これ人/\の日用にして、いつはりをいるゝ事あたはざるもの、目前にあらはれ意気にうかぶ。しかれば馬遠・郭熙が山水ものぞきからくりの三景に肝をけし、千枝つねのりが源氏絵も吾妻錦の紅絵に閉口せり。見るもの今の世のせちかしこきをしり、いにしへの人のうす鈍なるを思ふべし」
六々集②235文化12年
1815/03/
「載斗子三体画法序
 書に真行草の三体あり、画も又しかり。豈たゞ書と画とのみならんや。(中略)
 これなん窓の梅の北斎が、雪の封きり絵本の版元、十二街中にあまねく円転して、世上に流行する事、猶雪まろげの布袋となり、雪仏となり、雪の山ともかたちをうつして、気韻生動いきてはたらくは、北斗をいたゞくきつねの如き、変化自在の筆のあとに、かきつくす稿本の数十張。これを三体画法と名づく
  文化乙亥のとし雪のあした    蜀山人」
七々集②276文化12年
1815/11/
ほくば
蹄斎 北馬
「北馬子の外一人とヽもに巴屋の酒楼に酒のみけるに
 みつ巴ひとつどもえはき下戸にてふたつ巴はゆらゆらの助」
「北馬のゑがける傾城の二人禿つれたるに
 北馬の絵北里と対の禿筆沢山そうに見る事なかれ」
あやめ草
千紅万紫
②69
①232
文化7年
1810/03/
「庸軒流生花の師五英女一周忌に
 いつまでも猶いけ花と思ひしにはや一めぐり水ぎはぞたつ」
「吟蝉女二十七回忌 かぞふればはたとせあまり七とせり春秋しらぬ空蝉のそら
 右の二うたは北馬のもとめによりてよめり」
あやめ草②69文化7年
1810/03/
ほうぼう
蜂房
「浅草並木巴屋にて蜂房の画会あり さしてゆくはちはみつ蜂みつ巴むらがれあそぶ蜂坊の会」あやめ草
千紅万紫
②72
①234
文化7年
1810/05/
「むつき十日、蜂房手づから鉢植の桜さかりなるをもて来て贈りければ
 蜂房の鉢植にせし山ざくら二三十日早さきのはな」
紅梅集②383文政3年
1820/01/10
ほの (遊女)「ほのといふうかれめにあひて ほのぼのと赤城の山のひときりに玉かへりゆく馬おしぞ思ふ」
〈岡場所・赤城の遊女〉
をみなへし②13天明1年?
ほんあみ こうさく
本阿弥 幸作(江戸)
「手柄山人藤正繁 鋳る所の刀、相州の剣工正宗の造る所を模すと云ふ。本阿弥幸作携へ来たつて示さる 手柄山人寄一刀 凜然霜刃可吹毛 似錘万壑播陽秀 更淬千尋相海濤【手柄山豆州に在り】」南畝集16
漢詩番号2967
⑤41文化3年
1806/10/